第14話【第十三章 前哨】



 ――北部前線基地。それは一言で表せば、巨大な円形ドーム状の構造物である。地上だけでなく地下にも居住空間が存在し、ドーム中央部にはかなり広々とした空間が存在する。また、地下には大規模な水質プラントが存在し、飲料水や作業用水の確保に一石を投じている。なお、汚水を濾過している訳なので……元が何だったのかは、問わない方が無難だろう。



 「とはいえ、今回はそれが役に立つ。計算上汚水は使わなくて済むが、非常時には止むを得ないかな」



 工兵部隊に矢継ぎ早に指示を出しながら、ファス。ファスの脳裏には北部前線基地の立体マップが表示されているかのようだった。



 「第一から第三、第四から第六ブロックに、それぞれ監視員を配置。空気漏れや水漏れを厳に取り締まれ。他の者はそれぞれに作業プランを提案してある。各自、それに乗っ取り作業を開始してくれ」



 指示は各隊員のバイザーにそれぞれ転送される。それを見て、工作部隊中隊長は唖然としていた。



 「……一人の兵士毎に、それぞれ別の作業を提案されたのですか?」



 中隊と言っても、三十人弱は居るのだ。その一人一人に、綿密な作業スケジュール――この様な初めてです。そう言おうとしたら。



 「何をぐずぐずしている! 終末の獣ルドラとの戦いはもう始まっているんだ! 総員、作業を始めよ!」 

 「は、はっ! 総員、作業掛かれ!」

 「「はい‼」」



 中隊長がさっと手を振ると同時に、各隊員が一斉に動き出す。訓練が行き届いている証左である。それには安堵しながらも、溜息も出る。ファスの脳内では、様々な計算が行われていた。そしてその中で最も行われていた計算が、次のようになる。



 「この広い空間に圧力を掛けて、爆発できる様にせよ……ね。アライヴの指示はいつも破天荒だが、今回はその中でもとびっきりだな」



 作業は、大きく分けて二段階に分けられる。

 一つ目が、屋内全体に圧力を掛ける為に、内部を密閉する事。この際に、大量の水を密閉部分に運んでおく必要がある。

 二つ目が、基地の機能や兵器を使用して基地内温度を上げる事である。これは実は、基地そのものにも防疫機能が備わっているので、それを使えば可能と言えば可能だ。

 この二つを同時に行った場合、水が気体に変わって圧力が上がる。そして、圧力が上がっていけば、水の沸点が下がり、更に圧力が増していく。高い山に登った際など、八十度程度で水が沸騰する様になる。圧力が高まれば、沸点が下がるという証明だ。

 そして、これを繰り返し。圧力を極限まで高めて行き。また、爆発物なども中央部に用意する事で。



 「瞬間的に、北部前線基地そのものが凄まじい爆風を生み出す――だったな。終末の獣の黒雲を吹き飛ばせるのなら、北部前線基地を喪っても仕方が無いと。だが『やって見せろ』と言われれば、やってみせるよ。某の才は、この程度の問題は越えられる。そうやってここまで来たんだからな……!」



 難点は――熱くなる事だけか。他の工作兵には耐熱、対衝撃のボムスーツを着せているが。ファスはそうしたモノは着ない。「肌感覚で触れていないと、爆発物というものは理解できない」という信条故だ。

 もっとも、ファスとても。命を賭ける程度の事はしておきたかった、というのもある。前線で命を張っている者達への、せめてもの敬意として。

 ファスは、遠くを見据える。今まさに命を賭けて戦っている者達の姿を探して。






 戦艦ランドシップキュイラス――その観測員が、黒雲を見出したのは、予想会敵距離より遥かに前の事だった。



 「終末の獣と思しき黒雲、発見しました!」



 双眼鏡で見ながら、観測員が叫ぶ。声が上ずっているのは、止むを得ないだろう。



 「もう⁉ 早すぎない⁉」

 「移動スピードを上げたか……それとも、黒雲の規模が大きくなっているのか。或いは、その両方かな?」



 悲鳴の様に言うプリスに、面白そうに語るアライヴ。「やめてよ、もう」と口を尖らせるプリス。



 北部前線基地を出立してから、数時間しか経過していない。どういう状況であろうと、終末の獣の速度が跳ね上がっている事に間違いは無いだろう。だが――それは。



 「やるべきことが、早まっただけだ。そして撤退戦をするには、距離が短い事はこちらの僥倖でもある――全艦、第一級戦闘配備! 始めるぞ!」



 アライヴの号令が、戦艦キュイラス中に響く。そして、それは誰の心にも「いよいよか」という思いを与えていた。





 さて。誰よりも何よりも、出撃を楽しみにしていたヒト……が居る。ヒトなのかモノなのか、考えれば考える程に分からなくなるが。



 「トリガーだ。先に行かせてもらうぞ」



 いつも通りうっそりとした声。真面目なのか不真面目なのか、さっぱりわからない。そして、これまたいつも通りの武器満載。これで飛べるのか――それは、論拠もクソも無く「飛べるか!」という正論が全てを決するだろう。だというのに、今回はさらに追加装備がある、それに嫌という程気が付いてしまい、オペレーターであるウェルビーは――今度こそは関わりたくないと思っていたのに――口に出さざるを得なかった。



 〈……いやもう、突っ込む気も無いんです。もう勝手にして下さいと言いたいんです。でも、でも――駄目、耐えきれない! それ、何なんですか⁉〉



 トリガーの奇行は今に始まった事ではない。そして、あらゆる人間が「もう、そういうモノだから」とのたまうのがトリガーたる所以でもある。だが、しかし。何をどうしても理解できない事柄があったならば、聞きたくなるのは人の性であるだろう。

 トリガーは、何時もの通り武器弾薬を山と抱え――それは別に平常運転なのだが――そして、特大のポール、というか円筒形の筒を抱えていた。その長さたるや、巨漢であるトリガーの三倍以上である。それを腰にロープで縛り付け、背中に背負っている。そんなもんどこにあったんだ、とか何それとか。聞きたくなるのは止むを得ないであろう。



 「これか? 避雷針だ、知らんのか?」



 そんな事、見れば判ります。そう、ウェルビーはコンソールを叩かん勢いで――その言葉を飲み込む。何だか口に出したら負けだ、そういう意識が働いたからだ。何故かは分からないが。代わりに、まだしも建設的(?)な質問を口に出す。



 〈そんなもの、どこにあったんですか⁉〉



 戦艦キュイラスは、大型艦ではある。だが、搭乗員達が迷う程巨大でもなく、艦内装備は各員それぞれが大体は把握する事となっている。兵員損耗が激しいこの時代であるから、その様な備えは推奨されているのだ。殊に、艦橋スタッフ、各オペレーターは「知らない方がおかしい」と言われている。いざという時に艦長代行も務めるのだから、そうもなるだろう。であるからして――納得いかないのである。

 そして、トリガーの回答は次の様なモノだった。



 「この間、甲板上で造ってただろう」

 〈……えええ……〉



 そう言えば――甲板上でトリガーが何かを造っていたのは、あらゆる作業員が見ていた事でもある。だがしかして、特に注意を払われなかったのはトリガーだからだろう。トリガーは特に邪気の無い顔と声で対応しているが――言下に「なんで気が付かない?」と言われている様なモノだ。自信満々に、トリガーが続ける。



 「うむ。相手は雷雲。ならば、避雷針が必要だ。道理だな」



 そうかな。そうかもしれない。そうだといいだろうね。そんな言葉をウェルビーは脳内で濁流の如く流し、しかして威厳を取り戻す。何の、とか言ってはいけない。



 〈今度こそどう考えても、飛べませんよ⁉〉



 正論、正に正論である。これでやり込めれば――そう思ってしまうのはトリガーの術中だ。トリガー本人がその様に考えているかは、全くの不明であるが。



 「何を言っている。避雷針は地面に刺すものだ。飛んでいては刺せんだろう。違うか?」



 艦橋にいるウェルビーの憤怒の形相は、横を通りがかったプリスをも怯ませるものであった。しかし、色々吹っ切れたのか。トリガーに発艦許可を出す。



 〈わかりました、よーくわかりました! もう行って下さい!〉

 「うむ。では皆、達者でな」



 こうして、真っ先にトリガーが最前線に出る。実際問題としてトリガーが居る箇所は常に最前線、それも最も危険な場所なのだが――特に誰も気にしなかった。それが、トリガーという存在なのである(?)。





 トリガーを放置――出撃させ、戦艦キュイラスは後退を開始する。



 「終末の獣を引き付けつつ、後退する。艦首は常に終末の獣の方を、攻撃、衝撃に対応する最良の配置だ。次いで、砲撃準備」

 「キュイラス前面に機動防壁を展開します。即応部隊、出撃開始!」



 アライヴの指示が、プリスの言が響く。

 戦艦キュイラスはどちらかと言えば航空母艦がメインなので、砲撃戦闘は得意ではないが――出来ない訳ではない。



 「相応部隊は、基本は対空防御! 終末の獣に近づきすぎない様に! 五分後から砲撃開始します、射撃軸線上に入らない様に!」



 プリスの言が、艦内に流れる。出撃準備中の即応部隊は、それぞれの流儀で頷く。もっとも、ここまでは事前ブリーフィングで散々叩き込まれた事だが。

 北部前線基地、および幕僚達が少ない情報から割り出した状況、戦術プランは以下の様なモノになる。



 〈第一艦隊の戦闘記録を分析すれば、雷撃は黒雲を通じて発生していた事が判る。となれば、黒雲に近づきすぎなければ、雷撃による被害を抑える事が可能だ。そして砲撃となれば、超遠距離から攻撃が可能となる〉



このために、戦艦キュイラスの甲板上には大量の砲弾が置かれている。砲弾は貫通性を重視した徹甲弾ではなく、目標付近で爆発する炸薬型を用意しておいた。これであれば黒雲を打ち払うには最適解であろうと、参謀本部。



 「砲撃により、黒雲を少しでも減らしていくぞ。持久戦だ」



 そして、即応部隊は第一戦隊が出撃――周囲の防御を開始する。ちなみに第二戦隊はチャックが率いる部隊で、第三戦隊にエスタとアヤが配属されている。今回は長期戦を想定しているので、三交代制で配置されているのだ。

 遠くで、重火器と思しき火線が空に撃ち出され始める。トリガーが仕事を始めたのだ。同時に雷撃がトリガーの位置に落ち始める――だが、火線が途切れないところを見ると、トリガーの避雷針作戦は功を奏しているようであった。「えええ……?」と苦悶するのはウェルビーだけである。



 「砲撃、準備完了」



 報告を聞き、アライヴは頷く。プリスが言を引き継いだ。



 「砲撃、開始!」



 肺腑に響く重低音が、断続的に続く。そして、誰の心にもそれは響いていた――戦闘開始の、号砲が。





 空を切り裂き、雲を爆ぜさせ――戦艦キュイラスの砲弾が、終末の獣(ルドラ)の黒雲を晴らしていく。既に数十発の砲弾が射出され、その度に黒雲は散らされていった。黒雲とは、雨雲と同じ様な性質を持つらしく。砲弾が破裂した際の熱量で水分が気化され、散っていく。思いの外、この攻撃は有効であるようだった。



 「……いける、これなら!」



 プリスが拳を握り、快哉を上げる。が、アライヴは表情一つ変えない。全体マップに映る終末の獣(ルドラ)の全貌を勘案しながら、呻くのみだ。



 「続けるぞ」



 ――今は、それしか出来ない。その言葉をアライヴは飲み込む。士気を減らしては元も子もない。



 (……正に、焼け石に水だ。方針に間違いはないが、どれほどの効果か。だが……極力安全策を取らなければ、撤退戦など出来ようもない……)



 巨大すぎる相手に、挑むのだ。リアクションが無いのは、止む無しか――そう思っていた時。



 「レーダーに、敵影多数!! ガープマンタ……こんなに⁉」



 対空レーダーを担当するオペレーターが悲鳴を上げた。なるほど、肉眼でも確認できる。黒い粒にしか見えないが――それが、十や二十……いや、その様な数字ではない。百や二百、といった次元だ。



 「そう言えば、論文にあったな。この地方でガープマンタがこれ程に発生したのは、終末の獣と共生関係にあるからだ……だったかな?」



 もしも終末の獣と共生が出来るのであれば、それは最大の庇護下にある事を意味する。この場合、電撃対策さえ出来ていれば、それは可能となる。で、ガープマンタの皮下脂肪が電撃を弾くというのは、実のところ以前から指摘されていた事でもある。



 「言っている場合⁉ 第一戦隊だけじゃ無理よ、この数!」



 アライヴの言に、プリスが悲鳴を上げる。アライヴは小さく頷くと、再び艦内に命令を下す。



 「即応部隊各員へ。三交代制は無くなった――総員、出撃せよ」



 命令を聞いた即応部隊の総員が、走り出す。その中で、チャックは持っていた酒瓶を思い切り煽ると、壁に向かって投げ捨てた。瓶が盛大に割れて、しかしチャックは一顧だにせず。



 「そう来ると思ってたぜ! なら、この先は……勝利の美酒までお預けだ!」



 チャックもまた、走り出し。

 そして走る人々、その中に。



 「エスタ!」

 「うん、行こう――アヤ!」



 決意を瞳に漲らせて走る、エスタとアヤの姿もあった。

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