第13話【第十二章 思惟】
首都、セントラルはダウンタウン。エドの雑貨屋は、古ぼけた倉庫の一室だ。築何年とか考えた事も無く、調べた事もない。鼠や虫は仲の良い同居人で、実に賑やかに日々を彩ってくれる。鼠取りなど、まるで役にも立ちはしない。
エドが歩くと、ぎい、ぎいと木の床が響く。踏むたびに軋み、唸る――それを風情があるというのかどうか。単に古い建物だからな、とはエドの意見。
(……思えば、長い付き合いだな……この家とも……)
別に、贅沢な家でもない。ベッドは固く、薄い布の様な布団があるだけだ。だが――エドにとっては、思い出深い家でもある。
ベッドの横にある古いアルバム、それを取り出し。中にあった古ぼけた写真を見る。そこにはエスタ――ではない、エスタそっくりな少女の姿があった。
「…………」
いつから、だろう。いつから、だったのだろう。
エスタが――感情というモノを、発現し始めたのは。もっとも最初は、それを『感情』とは思えなかったのだが。
無理をして、指で笑顔を造り。「エド、笑え」と言ってきたのは、何時だったのだろうか。
「お前は。ふざけているのか。そんなプログラムあったか?」
「ふざけてはいない。本気だ、エド。笑うと効率がいいそうだぞ?」
「何のアニメ見たんだよ、お前は。このポンコツが」
他愛のない言葉。他愛のない日々。
だが、それが重なっていった時に――唐突に気が付いた。
「エド?」
「エドー‼」
「……エド?」
「エド‼」
笑い、泣き、騒ぎ、叫び。それは、フリだと思っていたし、本人もそう言っていた。オイラは、そういうフリをしているだけだ、と。
「でも、いいんだ。だって『これ』をすれば、エドは表情が変わる。それは、楽しい」
これは、なんだ。
これは……感情じゃ、ないのか。
そんな馬鹿な、とも。ある筈がない、とも。だが――エドは様々な可能性を、思いつき。しかし自分で黙殺していた。
(そんな馬鹿な事がある筈がない。だが……そうとしか考えられない……)
「誰かの事を想って、表情を変える」――その行為そのものに感情が伴わない事など、ある筈が無いのだから。
〈全将兵へ、出来る限り作業の手を止めて聞いて欲しい――作戦総指揮を担当する特務大隊隊長、アライヴだ。よろしく頼む〉
凛とした声が、北部前線基地に、また残った艦船に響く。誰もが誰ともなく、虚空を見上げて放送に聞き入る。
〈既に知っての通り、『
誰ともなく、溜息が漏れる。来るべき時が来たか――そういう声も上がる。
〈終末の獣は強大だ。必ず勝てる、等という保証はない。我々が死力を尽くして、どうにかなるものか、それも不明だ。だが……〉
ロイアス司令が血色を変える。この様な放送では、士気が上がらないではないか。そう言おうとした時。
〈だが、聞くがいい。我等の先達たる、北部前線基地は第一艦隊の総員が――終末の獣に一矢報いている。繰り返して言うが、第一艦隊の総員は、その持てる実力を全て発揮して、終末の獣に一矢報いて見せたのだ。この事実を持って、改めて言おう――終末の獣とは、無敵でも不死身でもない。ならば――諸君、勝ちたくはないか?〉
人々の声が、最初は小さく。だが、次第に大きく。
〈言葉は気持ちだ。意志の表れだ。その様な小さな声では、当方には良く聞こえない。大きな声で言ってみろ――終末の獣に勝ちたいのか、どうなのか!〉
それは、一喝だった。胸の閊えが下りる様な。
北部前線基地の総員が。或いは戦艦キュイラスの総員が。皆が、声を揃え始める。
「勝ちたいよ!」
「勝ちたいに決まってるじゃない‼」
「生き残りたいのよ!」
「誰だって、死にたくないんだよ!」
まるで、暴動の様に。ロイアス司令は頭を抱えるが、しかしてアライヴは揺るがない。
〈……皆の声は、当方に届いた。ならば、この場に居る皆は、当方と志を同じくする同志である。ならば、聞け! 当方に必勝の策、有り!〉
場が、静まり返る。あるのか、終末の獣――規格外の怪物に、勝つ策などが。
誰もが、固唾を飲んでアライヴの言葉を待つ。そしてアライヴは、静かに口を開いた。
〈策については、各隊長に後程伝達する。初めに言っておくが、皆の協力が無ければ、実行は不可能だ――だが、皆の協力があれば、成し遂げられる! 第一艦隊が証明してみせたではないか! 我々が一丸となれば、神にも挑む事が、可能となるという事を!
――総員、立ち上がれ‼ 我らが『顕現者(アヴァターラ)』であると、見せ付けようぞ‼〉
大歓声が上がった。ロイアス司令は一瞬歯噛みをするが……しかし、帽子を深く被り直すと、溜息を一つ付いて、自分の席に戻る。この上は自分の仕事を、しっかりと果たすのみだ――引き際を見逃すほど、無能ではない。ロイアスとはそういう男であった。
アライヴが戦艦キュイラスに戻ってきたのは、数時間後だった。
「アライヴ――隊長、出港準備出来ています!」
破願し、慌てて表情を正し。プリスが艦長席横で出迎える。
「ああ、ありがとう。それよりコーヒーを一杯貰えるかい?」
少々疲れた顔だが、無理やり笑うようにアライヴ。その様を見て、プリスは「うん、すぐに入れるね」と反応する。
「隊長、策の内容は理解した。その上で改めて聞くが――本当に良いのかい?」
これはファス。珍しく歯切れが悪いが、作戦内容が作戦内容なので仕方がない。
「ああ、『北部前線基地を丸ごと爆弾にする』という策は、ロイアス司令もご存じだ。今頃は北部前線基地から避難指示が出ている頃だろう」
「……某にも正直な所、思い切った策だとしか思えんね」
「その位やらねばならんという事さ」
プリスがコーヒーを入れている間に、アライヴがコンソールを操作する。そして、マップが表示される。
「最後の確認だ。今回終末の獣を撃滅する為に、我々は被害を顧みずに戦わなければならない。まず、
1、 終末の獣を首都セントラル方面に行かせてはならない。
これは判るだろう。首都セントラルには戦闘能力が無い。北部前線基地が最後の砦となる。
2、 戦艦三隻の火力では、終末の獣に対して不足である。
既に第一艦隊は壊滅した。戦艦四隻で蹂躙されている以上、三隻で勝てるとは思えない。
3、 故に我が方の最大戦力で戦う必要がある。
この条件に当てはまるのは、北部前線基地を戦闘に参加させた場合のみだ。故に、当面の目的は『終末の獣を北部前線基地の射程に引き摺り込む』となる。北部前線基地をどうするかは、ファスにも相談するが――終末の獣を倒す算段をまとめておいた。
4、 終末の獣は黒雲で内部にある『目』を守っている。
第一艦隊からの貴重な情報だ。爆発物や風圧で黒雲は散らす事が可能だと。故に、大規模な砲撃、及び波状攻撃で少しずつでも黒雲を排除。そして、終末の獣を北部前線基地に誘導しなければならない。
――この任には、我々特務大隊が当るものとする。ファスは北部前線基地で『爆弾』の作成に当たってくれ」
全員が、息を呑む。やはり、と思う者も居れば。
「……第一艦隊が壊滅しているのに、それでも私達だけで……戦うの?」
流石のプリスも息を呑む。アライヴは「ああ」と、普段と変わらず頷く。
「他の二艦には、北部前線基地を守ってもらわなければならないからね」
「あれっすか、大将。あのロイアス坊やが泣いて縋ったんですかね?」
これはチャック。「似た様なモノさ。と言いたいが……包囲殲滅は、最高の布陣だ。勝率を上げる為には仕方ないとも言えるね」とはアライヴの返事。
「止さないか、お前達。チャック、お前の仕事は隊長を困らせる事では無かろう?」
ファスの注意に「へいへい」とチャックは黙る。
「詳細は理解した。では某は……ここでお別れだ。武運を祈るよ、皆」
「頼んだ。現地に工作部隊を一個中隊用意してある」
「わかった。必ず追い込んでくれ。こちらは地獄の蓋を開ける準備をしておくよ」
そう言って、ファスは戦艦キュイラスを降りる。タラップを降りる際中、「皆、死ぬなよ……」と、そう呟きながら。
エスタは、どうしていいか判らない。
食堂で、ぼんやりと座る。横にはアヤも居るが、同じ様にのんびりしているだけだ。だが、アヤの方が動き出していた。
「食事、終わったから。武器のチェックに行って来るね。今回は遠距離武器も使わないといけないみたいだし……気に入るモノを探してくる」
「あ、じゃあオイラも……」
「いいから。ここでのんびりしていなよ」
「……うん」
何故、誰も彼も、判らないんだろう。エスタはそう、思っていた。
終末の獣が来る――そう言われた時に、真っ先に思ったのは「ああ、これは『日常』じゃない」という言葉だけだった。怖いとか、苦しいとかじゃなくて――「じゃあ、どうすれば良いんだろう?」と、思ってしまった。
その後も。その後も、そして、今も。
闘えばいい、それは判る。敵に、ガトリングガンを浴びせればいい。それも判る。ただ、それ以上に判るのは。判ってしまうのは。
――たったこれだけの戦力で『終末の獣』に敵う訳がない。
冷徹な、事実。それが、脳裏に響く。恐ろしい程の説得力を持って。
ああ、そうなんだろう。自分は知っているんだ――終末の獣の強さを、本質を。だから、それに挑むなんて事が……しかも、たったこれだけの戦力で挑むなんて事が、無為に過ぎるという事が。
――それが解っていて。じゃあ、なんで悩んでいるんだい?
だって、止めても。誰も聞かない。聞けない。
あの人達には、これが『日常』。眷属だろうが、終末の獣だろうが。襲われたから、戦うだけ。でも、それは――動物と、猛威を同一視しているという事でもあり。
――戦うのが、怖い?
そんな事ない。終末の獣だって、戦ってみせる。でも、それをすれば――『日常』が、無くなっちゃう。辛くても、苦しくても。それでも、誰かを想い、誰かの為に笑って見せた、あの気持ちが。無くなってしまう。
――では、どうする?
それが、判らないから。分らないから。解らないから!
エスタの心は、誰と話しているのか。気持ちは千々に乱れ、ささくれの様なモノが、胸をちくちくと痛める。外の事など、周りの事など、気にしている余裕も無く。
だから、それに直前まで気が付かなかった。
「これ、食べな。サービスだよ」
「……おばちゃん?」
それは、別になんてことはない。食堂のおばちゃんだった。おばちゃんはエスタの前に山盛りのチャーハンを用意してくれていた。断っておくが、エスタは先程たらふく食べたばかりで、追加の注文などしていない。
そんな事は何一つお構いなしで、食堂のおばちゃんは続ける。
「アンタが帰って来た時に『なんて馬鹿な子だろう』と思ったよ。こんな所に、ニッコニコで帰って来てさ。なんていうかさ……馬鹿な子だってねぇ」
「……ちょっと?」
流石のエスタも、バカバカ言われれば傷もつく。本当かどうかは知らないが。
「そのアンタが、そうやって塞ぎ込んでいる――こりゃあ、相当だって事だろ。何に悩んでいるかは、あたしにゃあ解らない」
おばちゃんは、空いた食器を片付け始める。綺麗に平らげられた食器を見て、嬉しそうに笑いながらも。
「でもさ、その上で言わせてもらうよ。アンタならここを捨てて、どっかの基地に逃げ込む事だって出来るだろ? 逃げるとか思うんじゃないよ――生き残る為に、最善を尽くしな」
食器をまとめ、持ち上げる。エスタは、真っすぐに食堂のおばちゃんを見据えていた。
「アンタには、風の靴があるじゃんか。なら……アンタは、何処にだって行けるんだよ。アンタは、アンタの思う様に生きて良いんだ。可能性を捨てるんじゃない。誰に言われようと、アンタはアンタの生きる道を、術を選ぶ権利が有るんだからね」
――それは、その通りだね。
再び、その声が響く。その声は男性のものでも、女性のものでもなく。
エスタにだけ、響く声。
「…………」
エスタは、目の前に置かれたチャーハンを睨む様に見据え。スプーンを取ると、一気にかき込見始める。先に食べていたのでお腹は一杯だし、チャーハンは良く噛まないと喉の通りが悪いので、途中何度かむせる。その度に水をおばちゃんに補給してもらう事態になったが、それはそれとして。
――お腹は、はち切れんばかりに。そして、同時に腹も据わった。
「おばちゃん、オイラ決めた」
「……何を、だい?」
何が、エスタの気持ちを決定付けたのかわからない。けれど、エスタは確信していた――絶対に後悔しないって。
「オイラが――終末の獣なんて、ぶっ飛ばしてやる!」
そう言って、エスタは決然と立ち上がる。そして、もう一度チャーハンでむせた。
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