第12話【第十一章 対話】



 朝は、必ず来る。太陽が東から登り、中天を通り、そして西に沈む。それは太古の昔から続く決まり事であり――何があっても、それは変わりない。



 「ん……」



 誰も居ない、戦艦キュイラスは作戦指揮室の艦長席。そこに一枚の毛布だけを持ち込み、アライヴは眠る。眠る場所は、安心できない場所が良い。適度な緊張が無いと、弛緩してしまう――プリスをほとほと呆れさせる言動である。

 さて、アライヴは良く眠っている。そうとしか思えない――が。艦長席の横に置いてあるホットライン。それが一瞬鳴り。



 「……はい。艦長席、アライヴだ……ん? もしもし……?」



 一瞬だけ鳴って、電話は切れていた。無為乾燥な電子音を数回聞くと、アライヴは受話器を戻す。だが、戻す瞬間――連絡先の番号を確認し、呟く。



 「……北部基地側の作戦指令部から、間違い電話だと?」



 そんな事があってたまるか。軍事を司る所は、殊の外こうした間違いを嫌う。理由は述べるまでも無いだろう――アライヴは、もう一度受話器を構え、電話をしようとして。



 「起きていたか。丁度良かった」



 のっそりと、作戦指揮室に巨漢が入ってくる。特に鍵も掛けていないから、出入りは自由なのだ。アライヴの警戒心が低いのか、或いはその逆か。とはいえ、アライヴも特に動じた風も無く。



 「おはよう、トリガー。良い朝だな。どうした?」

 「頼まれていたモノを仕上げたのでな。届けに来た」



 そう言って、どっかりと荷物を下ろす。トリガーが持っていたから小さくも見えたが、それはアライヴにしてみても一抱えはありそうな代物だ。それを見て、アライヴは感心する。それは、先の戦いで失われたモノ。それと寸分変わらない威容を備えていた。



 「よくも、この短期間で。甲板上で鍛冶場の真似事をし始めた時は、何事かと思ったがね」

 「部品が無ければ、造ればいい。簡単な事だ」

 「……つくづく、大した奴だよ。お前は」



 特に表情を変えずに、トリガー。大きな手が髪をぽりぽりと掻いているのは、照れているのだろうか。



 「八十八ミリ砲――あり合わせで造ったが。撃てるのは保証するぞ」

 「疑いはしないよ、お前の腕前は知っている」



 アライヴは八十八ミリ砲を背負い、構える。以前と変わらぬずっしりとした重量が、安心感を与える。これが当れば誰もがただでは済まない――それは、アライヴにとっての信仰の様なモノだ。それが感じられて、もう一度トリガーに感謝の言葉を伝えようとして。



 「奴が来る。備えろよ、アライヴ」



 神妙なトリガーの面持ち、そして言葉。それがアライヴに一瞬息を呑ませ。そして、アライヴは受話器をもう一度見据える。



 「そういう事か。ありがとう、トリガー」



 アライヴは背負った八十八ミリ砲をその場に置き。無造作に掛けておいた上着を掴むと、歩き始める。



 (情報統制が入ったとすれば、北部前線基地の司令官だ。全く、あの御仁は……)



 となれば、現地に行くしかない――北部前線基地、作戦司令部へ。部屋を出ようとするアライヴに、トリガーが話しかける。



 「アライヴ。儂を使い潰せ。儂の事はそれ以上、考えんでいい」

 「そうさせてもらうよ。頼りにしている」



 会話は、それだけだった。アライヴが部屋から出ていくのを、トリガーは黙って見送っていた。





 ――北部前線基地司令部は、混迷の只中に遭った。



 「確かな情報筋なのか⁉」

 「ですが、これでは確認のしようも……⁉」



 通常、軍事において。本当の意味での全滅は、あり得ない。極めて密度の濃い包囲殲滅戦であっても、生き残りというのは有り得る。だというのに、第一艦隊の一兵卒に至るまで、この世から消し炭の様に消えてしまった――そんな事が、あり得る訳がない。その筈なのだ。

 だからこそ。確たる結果が解るまでは情報統制をする――それ自体は、普通の事である。直ちに現地に調査隊を――そう、言おうとして。良く通る鋭い声が、部屋全体に響き渡った。



 「終末の獣ルドラが、遂に現れた。そう考えるのが妥当ではないのかね?」



 北部前線基地の司令部、幕僚達が一斉に振り返る。何時からそこに居たのか。アライヴが、腕を組んで仁王立ちしていた。そして幕僚達も終末の獣と聞いて、いきり立つ。



 「終末の獣⁉ 何百年も前に、現れたという⁉」

 「馬鹿な……兆候なぞ無かったぞ⁉ 何故急に⁉」

 「だが、確かに奴は存在しているのだ。正直、何時現れても不思議では無いのだぞ?」



 アライヴは、幕僚達の言動を黙って聞く。彼らには彼らなりの言い分があるだろうと思うからだ。だが、そんな幕僚達の言動は、ある人物が机を叩く事で静寂に変わる。

 北部前線基地総司令官、ロイアス。身体の細い、高齢の軍人である。文官上がりだが、人事や内政において実力を発揮するタイプだ。だからこそ、こうした時の立ち振る舞いには一家言がある。


 「諸君、流言や飛語に惑わされてはならない。我々要職にある者は、確たる情報、確たる事実に基づき行動する事を旨とする。そこの――ああ、そうだ。特務大隊の隊長殿。この様な朝方に、お呼び立てなどしていないが? まして来るなり、確実ではない情報をさも事実の様に申し立てる。それは、正直に困った行為だと思うがね?」


 ロイアスの言は威圧的でこそ無いが、力がある。幕僚達が一斉に押し黙る程だ。

 しかし、アライヴもまた堂々たる佇まいだ。ロイアスと視線がぶつかり合い、そして言う。



 「朝の散歩が日課でね。そして――当方とて何の確証も無く、言の葉を紡ぎはしない。それはロイアス司令、貴方の幕僚達も同じでありましょう」



 アライヴの言は、冷静だ。周囲を納得させる力がある。ロイアスはふん、と息を吐き。



 「何が言いたいのかね?」



 不機嫌に言い放つ。言いたい事があるなら早く言え――そういう言い回しだ。アライヴは理解し、黙って頷く。



「たかが通りすがりの一言を真に受ける程、貴方の部下達はお人良しではないでしょう。不確実ではあったとしても、推論と情報はあった。違いますか?」



 厳つい細面の司令官に、肩を竦めてアライヴ。互いに目は逸らさず、険悪と言って良い雰囲気だ。



 「……むしろ、貴様が何か仕組んでいるのでは、とすら思えるタイミングだな」



 苦々しそうに、ロイアス。嫌味にしても感情が籠り過ぎだろう、とはアライヴ。涼しい顔でそれを受け流し。そして理解する――ロイアスの方にも余裕が無いのだ、と。それはつまり。



 「つまり、終末の獣が現れたのは間違いないという事で宜しいか?」

  「……貴様……!」



 その反応は正解を言ってしまった様なものだ。やはりロイアスの方にも余裕が無い――それを察し、アライヴはずかずかとロイアスの傍まで歩いて行き、作戦司令部の端末を操作し始める。ロイアスが何かを言おうとするが、それよりも早く。



  「時間が惜しいので、失礼」



 アライヴはどこの情報をポップアップするか、当たりを付けていた。そして、その情報は――アライヴの悪い予感通りの状況であった。気象衛星からの、地上の情報――そこに、はっきりと写されている。第一艦隊の壊滅した場所に、大規模な黒雲が発生していた。



 「巨大な黒雲――終末の獣に間違いありませんね」



 断言するアライヴ。しかして、ロイアスは尚も抗弁する。



 「まだだ。第一艦隊の被害状況を調べてからだ!」



 ある意味で、正解でもある。現状を理解するという行為は、間違いではない。だが、今はそれでは駄目だ――アライヴは嘆息する。



 「……終末の獣を迂回して、第一艦隊の損害を調べろと?」

 「ぬ……う……!」



 それは確率論というより、最悪の事態の想定だ。だが、この言い方は刺さった。ロイアスが呻く。そして、更に。



「第一艦隊が終末の獣と戦ったのは、この辺り――終末の獣の現在地より、もう少し向こう側。つまり終末の獣は既に、こちらに向かって動いているという事です」



 場が騒然となる。それは、先程も議論されていた事柄であり。この場に居る者の大半が信じたくはない、最悪のケースでもあった。



 「こちらに向かっている――確証はあるのか⁉ 確証も無しにその様な詭弁は、認めんぞ!」



 ロイアス司令は、紅潮していた。しかし、アライヴは涼しい顔だ。



 「方向はまあ、こちらの方ですね。それは些末な事ですが……どのみち、これ程近い位置に終末の獣が居る。となれば、備えるのが自然でしょう」

 「う……ぬ……!」



 しばし、アライヴと司令官は睨み合う――というか、一方的にアライヴが睨まれているだけなのだが。しかして、しばらくもすれば。



 「……どうすれば良い。お前は、理解して居るんだろう」



 ロイアス司令は、典型的な文官だ。第一艦隊司令官のラドックに上手く乗せられた、というのが正しいかもしれない。ある意味では凄く幸運な人材であり――そして。



 (……自分にその才が無い事をきちんと理解している。それは、得難い才能でもある)



 誰しも、プライドがある。それに拘って生きるのが人間であり、それを曲げるのも人間だ。司令官という重圧は、人の命を握るモノであるが故に、プライドが無ければ務まるものでは無く、そして判断をするというのは重い事なのだ。

 アライヴは静かに頷くと、モニタを操作し始める。



 「まずは、当方の意見に耳を傾けていただき、感謝します。それで、当方の策ですが――」



 そのあまりの内容に。北部前線基地作戦司令部は――「はあ⁉」という言葉の大合唱となった。





 北部前線基地は、上を下への大騒ぎとなった。司令部から発出される情報、命令。その全てが終末の獣出現を裏付けるモノだったのだ。

 ここ、戦艦キュイラス――その甲板上も大わらわである。



 「武器弾薬、運び込め!」

 「相手は雷雲だって⁉ どこ情報⁉」

 「第一艦隊の通信記録が残っていたんだよ! 根性で解析したってさ‼」 

「ファスさんが、絶縁シートと帯電塗料、あるだけ持って来いって! 早い者勝ちだってさ‼」

 「あああ、やっといい男引っかけたのに‼ 化粧を落とす間もなく塗料まみれ‼ 何このブラック企業⁉」



 正に大混乱である。だが――誰もが自分で思考し、少しでも効率を上げようとしている。一分一秒が、生死を分ける。その瀬戸際に居るのが嫌でも判るからだ。

 その雑踏を掻き分け、走り抜けるかのように、プリスやエスタ、アヤも戦艦キュイラスに戻ってくる。私服だったり奇抜な格好なのは――半舷上陸後だから止むを得ない。その格好のまま、ずかずかとプリスは艦橋に向かっていく。とにかく現状を正確に把握する必要がる。



 「ファス! どうなっているの⁉」

 「どうもこうも無い。遂に終末の獣がやってきた、という事だ」



 艦橋、作戦指揮室。他のメンバーは既に集まっていた。プリスはアライヴを探すが、「大将なら北部の指令室だってよ」とのチャックの言に、露骨に肩を落とす。だが、すぐに深呼吸をし――凛として、言を紡ぐ。



 「ならば、現場指揮はあーしが。状況を報告して」



 隊長、艦長不在の場合はその副官が全権委任となる。その気概がプリスの背中に芯を通す。

 相対するファスもその意気や良し、という顔だ。



 「良いだろう。昨日未明、第一艦隊が消息を絶った。状況からして全滅――生還無し、という極限の状態だ。仮想敵は終末の獣、そのものであるとほぼ断言できる」



 ファスは第一艦隊の通信記録から得られた情報、そして気象衛星から得られた情報を元に解析された現状をモニタに映し出す。仕事が早いわね、とはプリス談。



「終末の獣は第一艦隊の通信記録から――雷撃を操るとの情報を得た。故に、戦艦キュイラスの装甲に絶縁シート貼付などの防備を指示した。なお、第一艦隊の即応部隊が雷撃で多数屠られている事も確定しているので、各隊員用に絶縁スーツも発注。とはいえ部隊全員分の数は揃えられないと思うので、装備者には優先順位を付ける。最優先は即応部隊、次いで士官クラス、後はそれ以外の順だ。とりあえずここまでしか手を打ててはいないが――何か不備、質問はあるかい?」



 つらつらと、ファス。ここまで何もかもやってあったら、あーしの仕事が無いんじゃないかな……と、プリスも怯むが――すぐに思い直す。今この状態では、ファスが有能である事の方が有難い。



 「充分よ、ファス。ありがとう。戦艦キュイラスの出撃準備はあとどの位かかる?」

 「さっき甲板長が悲鳴上げてたぜ。荷物ドカ置きで良いなら二時間後だってよ」



 これはチャック。相変わらず色んな部署に顔が効く男である。プリスは全員の顔を見回し、強く頷く。



 「よぉし! アライヴが戻ってくるまでに、出港準備を終わらせるわよ!」

 「うむ」「あいよ」



 大人達が、それぞれの仕事を果たしに動き出し。そして、エスタとアヤは。



 「……終末の獣……」

 「終末の獣、ね……」



 虚空を見据え――無機質な瞳が、しかし。或いは揺らいで見えていた。

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