第11話【第十章 黒雲】


 誰の目にも、恐怖は無く。

 誰の心にも、後悔は無く。

 ああ、それは何なのか。争いに向かう者に、感情は不要だろうから。なるほど、それは一理あるのだ――極限であればあるほど、冷静さで勝るモノが勝ちやすいのだから。恐れず、弛まず、命を実行する。それは、ある意味では理想の兵士ではある。



 「敵、『終末の獣ルドラ』――エーカム=タイプと認定されました」

 「各砲座、対応開始。即応部隊、順次出撃」

 「拝命。各部隊、独自に稼働開始せよ。勤めを果たす様に」



 命令は、それだけで良い。決まった事を、決まった様に。何故か。武器や装備、配置――それにより、部隊に求められる仕事や役目は決定しているからだ。戦略や戦術を知れば、自ずから理解する事柄であるだろう。

 そして、それはつまり。現有戦力に寄る最大の効率化――言い換えれば、現状思い付く、最良の方法である、という事である。必勝の構えであるという事だ。

 では――その場合において。部隊が、戦力から。片端から塵芥の如く蹂躙される、等という事があった場合、どうなるのだろうか。



 「即応部隊第一陣、全滅しました。帰還無し」

 「自走砲部隊、壊滅しました。ブルドーザーで強引に排除、次の部隊を……いえ、ブルドーザーも破壊されました。瓦礫の上に自走砲を向かわせますか? 六十パーセントの確率で擱座すると思われます」

 「移動防壁、損耗率七十……いえ、九十パーセントに上昇。突破されます」



 ああ。それは、戦闘とは言えない。戦争とは言えない。

 それは――ただ。巨大なモノが、蟻を踏みつぶしているだけの作業だ。終末の獣=エーカムと呼ばれた代物は、一体何なのか。城壁を越えてまろび出てきたその異形は、おおよそ人が想像できる姿ではない。

 それは、黒雲。そうとしか言いようがない。ガス状の身体に、体内には暴風、そして大雨。黒雲の中心には目――なのだろうか。眼球の様な、そうでない様な。目では無いのに、目だと思わせる何かが鎮座する。そして、その目が――終末の獣=エーカムに挑む者達を見据えていた。

 雨が、降る。濃硫酸の雨――それが、次から次へと、あらゆるモノを溶かして、壊して、殺していく。その行為に何らの目的があるのか、それすらも判らない。

 ただ、判るのはこれだけだ――その場所は、終わるのだ。それだけは、誰にでもわかる。



 「もはや、これまで。我等が首都パシフィックにも、終末の獣=エーカムの攻撃が届きつつある。我等の武器弾薬は、終末の獣=エーカムの進撃を数秒留めるのが精一杯であった――可能な攻撃、理想の戦力を持ってしても。我等は『神』に、一矢も報いる事が不可能であると証明された」

 「……司令官、無念です」

 「かくなる上は、潔く自決しよう。反応弾の準備は出来ているな?」



 首都パシフィックに、終末の音楽が流れる。場違いな程の、厳かなレクイエム。誰もがその意味を知っていて、そして――上から流れてくる濃硫酸の中に飲み込まれていく。恐れを知らぬからこそ、誰もが知ってしまうのだ――勝てない、という事を。

 それでも、反応弾が爆発するまでの間。人々と武器は無為に散っていき――そして。その場には閃光と爆風、熱風が吹き荒れる地獄と化していた。





 その様を、遠くから見ていた者が居る。いや、一人では無かった。



 「パシフィックも、これで終わりか」

 「思ったより長く続いた。感情を手術や洗脳で極力排除し、反乱分子を抑え込めた事が、功を奏した……そんな所か」



 それらは、人の姿をしている様に見えた。だが、明らかに人という範疇ではない。人影は全部で七人――七賢、と呼ばれる集団だった。



 「アニマ=スフィア――『人』には、過ぎるモノでは無いのか?」



 誰かが、呟く。それに対して、誰かが答える。



 「そう言うな。もはや本来の意味である『人』なぞ、何処にもいない」



 それは、議論ではない。決まっていた事を、決まった事を相互に認識し合う儀式の様なモノだ。だから、この様な会話となる。



 「『アレ』は人ではないと?」

 「それは論証する気になれんよ」



 それは何者なのか。果たして、世界を管理するモノで良いのか。実際として、管理できているとは言い難いが。



 「『人』ね――己が造り出した『終末の獣』に勝てぬ。それで『人』と言えるのか?」



 だが、傍観者ではあるようだった。ただ見ているだけの、記録者であるようだった。即ち、興味は有れど、何もする気のない人々であるようだった。

 だから――どこまでも他人事になれる。良くも悪くも。



 「勝てぬ事が理解できているのならば。無為な行為に、意義は見出せん――『人』として、それは正しいのでは?」

 「ふむ……」



 この世は、事実と結果により成り立つ。そして、事実と結果を求める為に、過程を犠牲、或いは軽んじる事が往々にして在りうる。だが、本当にそれだけで良いのなら――随分とつまらない世の中だろうな、とは思う。

 それは、七賢の何人かもそう思った様で。



 「エド。お前の研究はどうなっている?」



 露骨に話題が変えられた。呼ばれたエドという男は、不機嫌そうに答える。



 「何の用だ。これでも忙しい身分でね」



 その場に居るが、気持ちはその場にない。そういう状態の様だった。他の者にも、それは不遜に映るものだったらしい。



 「ガラクタを直す事が、か? 時間をもっと有意義に使った方が良いのではないかね?」



 辛辣な言動だ。だが、エドもさして変わりがない。



 「生憎と、思考実験だけで満足できる様な高尚さは無くてな。俗物な位が、丁度いい」



 険悪な空気だ。彼等は何度、こうやって議論を繰り返したのだろう。状況や回数、その時のメンタリティにより議論とは方向が変わる。即ち、同じ議題に対して違う回答が発生しやすい。その時点で、正解という言葉は有り得ないものとなる。

 ――だが、それはこの場において、関係のない事柄だ。



 「お前の実験はどうなっている。意外な事に、まだ続いているようだが……おおよそ、すぐに自滅するだろう。そう思っていたんだがね」



 これは、しかし好奇心から来る問いだ。そしてまだしも好意的な言だろう。とはいえ、別にエドという個体が、彼等と仲良くする必要性も言われも無い。



 「そう思っているなら、それでいいだろう。実験は結果だ、過程は記録するモノで予想するモノじゃない。俺が正しいとも、正しくないとも――俺は、それを求めない」



 エドの言は、ある意味で無責任だ。だが、それだけでもない。



 「……ずいぶんと、無責任ではないのかね?」



 だから、そう言われたとしても。こう答えられる。



 「全てを知っている全能気取りには、なれんよ。恥ずかしくてな」



 険悪な空気が流れる――七人の中で、エドは嫌われ者であると同時に、無視することの出来ない存在であるらしい。エドはその場を去ろうとして――しかし、無視できない言葉を聞く。



 「良い事を教えよう、エド。お前の街に終末の獣=アシュタが向かっているぞ」

 「そいつはどうも。誰の差し金だ?」



 いよいよエドの声音が厳しくなる。だが、他の者達はまるで世間話をしているかのようだ。



 「お前も知っているだろう。終末の獣は動いているだけだ。その導線にいる全てが破壊される――ただそれだけの存在なのだよ。かつての人類が造り上げた、最高峰の兵器さ」

 「そうそう。アレはしかも、誰の制御も受け付けない。出来るのならとっくに自慢しているよ――エド、君以外はね」



 言葉の刃、とはこういうものか。だが、エドも反撃する。



 「笑えない話だ。誰かが関わっている事は、知らんぷりか?」



 温度が、下がる――だが、その言葉には誰も答えず。喋っていた姿が、一つ二つと消えていき――最後に、エドだけがその場に取り残される。エドはようやく会合が終わったと、安堵しながらも。



 「終末の獣=アシュタだと……?」



 終末の獣は、巨大な兵器だ。自立する思考を持ち、自分の意志で決定する。壊す相手を、自分で選択するのが終末の獣なのだ。そして、それが首都セントラルに向かっているとすれば。



 「エスタ……」



 試練――その時が、迫りつつある。





 北部前線基地第一艦隊は、エリート集団という肩書きが付いている。

 何故か。対抗馬が「あの特務大隊」だからである。



 「大体が、だ! あのクソ偉そうな小娘が、仕切っている事がまず気に入らんのだ!」

 「アライヴ殿ですか。小娘、という年齢ではないのでは?」

 「知らん! 知りたくも無いわ‼」



 北部前線基地第一艦隊司令官、ラドックは小太りの男だ。程よい筋肉もあるが、恰幅の良さの方が際立っている。横に立つ副官は、ちょび髭を引っ張って伸ばすのが癖なのか。ずっと髭を撫で付けている。



 「それにしても司令。わざわざ第一艦隊を出撃させる必要は無いのでは?」



 現在、北部前線基地からは四隻の艦船が出港している。それを総称して第一艦隊、となるのだ。そしてどこに向かっているのか――先日アライヴ達が爆破したガープマンタの巣、その近郊である。作戦後の実地調査、というのが目的の一つではあるが。



 「あのクソ小娘が、反応弾なんぞ使わなければな!」

 「ああ、なるほど」



 反応弾クラスの兵器は、おいそれと使って良いモノではない。おいそれと使っちゃうから、特務大隊の悪名が広がるのだが――それはともかく。



 「通常艦隊ですら手こずる相手だから反応弾を使ったと。そういう事ですな」

 「そういう事だ!」



 つまるところ、政治交渉であった。事実としてはアライヴ率いる特務大隊がガープマンタの巣を殲滅したのだが。さりとて、手柄が欲しい人種というモノは居るモノである。手柄はくれてやるから、自由と兵器を寄こせというのがアライヴの主張であり、それはラドックには欲してやまないモノであった。人間、生き延びるには理由が居る。ラドックの様に名誉欲で生き延びるタイプも、それはそれで優秀な証明ではある。



 「それにしても。そろそろ見えて来ても良いんですが。反応弾を使った後ですから、地形そのものが変質している筈なんですがねぇ」

 「……ふむぅ……」



 ラドックと副官は不思議がっていた。北部前線基地を出発したのはかなり前で、実際問題としてもう見えて来ても良い筈なのだ。しかし、見えるのは黒雲だけで……。



 「……おい、まさか……」



 大分遅まきながら、ラドックが気付き――次の瞬間、衝撃が来ていた。





 〈――旗艦、テムジン被弾! 大破、炎上中!〉

 〈あの黒雲だ! あれが……あれが⁉〉

 〈馬鹿野郎! 言われなくても動け‼ もう終末の獣の射程範囲だぞ‼〉



 真っ先に司令塔が狙われた事で、混乱に叩き込まれたが。それはそれとして即応部隊はきちんと動く。訓練は行き届いている証左である。そもそもが、初陣を生き残ったメンバーで構成されているのが第一艦隊なので。訓練の意味と必要性は、各自が認識していたのだ。



 〈雷雲に近づきすぎるな! 散らせ、散らすんだ‼〉

 〈グレネード効く⁉ 効いた……ぎゃあっ⁉〉

 〈おい、グレネード効いたって! 持ってけ‼〉

 〈はい!〉



 次から次へと、死地へ、死地へ。しかし、彼等の目には迷いはない。いつか来ることだ、いつか挑む事だと、誰もが理解していたからだ。『終末の獣』に。



 「ここで会えたのは幸いだ、首都セントラルに向かわせるな!」



 即応部隊の隊長が激を飛ばす。そして、それは皆の総意でもある。



 〈ええ、そうです!〉

 〈この時の為に!〉



 どうして、死ぬのだろう? 撃たれるから、食われるから、斬られるから――殺されるから。

 では、どうして死にに行くのだろう? 勝てないと、勝ち目が薄いと、認識しているにも関わらず。



 「……知らねぇよ。だが、セントラルがクソみたいな所だったら、俺は逃げていたよ」



十五年間。つまらない勉強も、意味の無い競争も。ランチの奪い合いも。

あるいは、あるいは、あるいは――どれもがくだらなくて、でも大事な、大事に思えた、思い出のカタチ。あの日々があるから、あったから……ここで命を張っても『アレが、守れるんなら』と思えるのだ。



 「何とか、奴の向きを変える! セントラルに向かわせるな‼」



 それに何の意味があるのだろう。だけど、それだけを胸に。

 終末の獣=アシュタは雷を操るらしく。即応部隊が次から次へと落とされていく。だが、黒雲に多数のグレネードが撃ち込まれ、その部分は霧散していく。そして――人々は、それを見た。雷雲の中に不可思議な『目』が、存在するのを。



 「あれだ! あれを!」



 誰かが、叫んだ。その誰かも、この世から消えるが、しかし。



 「誰か一人でも‼」



 あらゆる手持ち火器が、あらゆる兵士が。撃ち込み、撃たれ、消えゆく。消し炭になり、或いは四散し、そしてそれは兵士達だけではなく。



 〈主砲、撃ち込め……ぐわっ⁉〉



 戦艦が、一隻、また一隻と爆ぜる。黒煙を上げながら、しかし砲台を動かし、砲撃を加える。誰もが、戦っていた。誰に言われる事も無く。



 「あの『目』まで、辿り着ければ――いいんだろ!」



 即応部隊の一人が突っ込んで行き、消し炭になる。だが――人々の流れが、止まらない!



 「おい、お前ら……死んでくれるか」



 即応部隊、隊長が言う。集まったのは、四人。だが、答えは同じだった。



 「死ぬ時は、一緒だ――でしたよね?」

 「ああ。俺もすぐに逝く」

 「じゃあ、悩む必要ないじゃないですか」



 それは、策とも呼べない。隊長を中心に、周囲を兵士が固め。隊長の代わりに死んでいく、というだけのもの――錐の陣、である。



 「逝くぞ!」

 「おう!」



 それは、死に行く者の目であり――挑む者の瞳。

 次から次へと、人が死ぬ。落ちていく。血が弾け、誰もが綺麗ではいられない。だが――誰も、止まろうともしない。



 「こんなでっけえ相手に挑むんだ、あの世で自慢しようぜ!」

 「「おう‼」」



雷鳴が響く。命が散り、命が散り、命が散り。

だが――それを、背負い続けた者が居た。

 最後に残ったのは、一人。銃弾も尽き、持つのは槍一本。だが、それが良かった。まるで、何かに押される様に。誰かに背中が押された様に――それは、突っ込んで行く。或いはその者は、既に死んでいる筈であったのに。



 「うらあ……あああああ‼」



 それは、届いていた。

 黒雲の中、その目に。槍が、一本突き刺さり。

 だが――そこまでだった。

 第一艦隊、その総員の命を尽くして。最後の一人に至るまで、死兵と化して。それでも――それが、戦力差。終末の獣と、それ以外の。

 槍を握っていた手。それが、槍と共に、黒い塵となって、消える。

 そして……その場から、生者が居なくなった。

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