第10話【第九章 日常】
――誰かが言った。大人になるという事は、『諦める』事が出来るという事だと……。
歓楽街といい、繁華街という。本来の意味はそれぞれあるが、盛り場という意味で使われる事が多い。そして、その特徴は――行政や指導で造り上げられたものではなく、自然発生して整備された、という事例が多いのが特徴だ。
例えば規制されて、そこでしか生業や商いが出来なかった。
市街地では色々な問題があり、そこに集中した。
或いは、集まれる場所が近場にはそこにしかなかった――似たり寄ったりで、かなり違う事情から、歓楽街というモノは発生する。発生してしまう、という方が正しいか。
「……結局のところ、ストレス解消。それが理由よ」
「ストレス?」
「心理的外傷のこと?」
「ちょっと違うかなぁ……何ていうか、そうさね。パーッと騒ぎたいんよ」
苦笑しながら、プリス。運転するセッターの後部、荷台に座る二人の『なぜ』『なに』攻撃に辟易しながらも、どこか嬉しそうに。微笑みながら対応する。
「大きく分けて、北部前線基地は三層に分かれているわ。最上部の一層は戦闘区域に指定されているから、即応部隊が駐留しているけれど……二層と三層は、一般開放されている区画があってね。そこに、歓楽街が出来ちゃっているって訳よ」
「……それ、自然発生って言います? 最初からそういう風に作っているんじゃないですか?」
これはアヤ。エスタの思考、言動に比べて理知的な所がある。エスタに比べれば、ではあるが。
しかして、その問いはプリスも感じたものだからか。好ましい、という思いが先に来る。
「ところが、そうでもないんよ。本来のショッピングモールもあってね。それは別な所に造ってあるんよ。それなのに、そこじゃない別の場所で、歓楽街が出来上がっちゃったって事」
「……なんて無駄な……」
呆れるアヤ。すると今度はエスタが覗き込んでくる。
「じゃあさ、じゃあさ。つまり歓楽街って何なの⁉」
その問いに答えようとして――しかし、プリスは直ぐに思い直す。見てもらった方が早いからだ。だから、黙って指を指した。
「見えてきたよ。あれが――これからあーし達が行くところ!」
そこは、確かに正規の場所ではない。狭いビルの間の様な場所に、良くもこれ程の人が集まるものだと思える。倉庫街の片隅、大型コンテナの間を縫う様に造り上げられた、行政側も黙認せざるを得ない規模――俗称、トラフィック歓楽街。それが、その場所の名前だった。
入り口前にセッター置き場があり、そこに駐車し。プリス、エスタ、アヤの順で歩いていく。そこは正に歓楽街といった風情で。人、人、人――坩堝である。
「凄い人⁉」
「エスタ、アヤ。離れないでね。見失ったら入り口で合流……って、アンタ達じゃ無理かな。ほら、このハンドバック持って付いておいで」
「はい」「はーい」
プリスの持っていた肩掛けのショルダーバックを伸ばし、その両端を二人が握る。犬か猫か、或いは親子か。とはいえ背に腹は代えられない。人の波を掻き分けて進む様は、正にこうした場所でしか見られない光景でもある。
見渡せば、倉庫の壁という壁を利用して、露天商の様な形態で様々なものが販売されている。服、食料、酒、貴金属、宝石、アクセサリー、果ては怪しげな薬まで。おおよそ、まともな物もあるが、まともでは無いモノもある。そんな状況だ。エスタとアヤはどれを見て良いのか、さっぱりわからない。きょろきょろとしているのをプリスが気付いたのか、語りかける。
「とりあえず、アンタ達の服を見に行こっか」
服屋と言っても、どれの事でしょう。エスタの偽らざる心境である。アヤが少しズレながらも、上手く心境を言葉にする。
「すごい量と規模……セントラルの洋服店より凄いかも……」
プリスはその言葉に、微笑む。会話とは相手の理解が及ぶ事柄であれば、連続性が発生するモノだ。つまりはお互いに興味があれば、上手くいくのである。
「あっちとか、北部前線基地の公用服屋はさ。偉い人が『こういうのでいい』っていう判断で卸しているからね。ちょいとお上品が過ぎるんだよねぇ」
「はやー……」
感心するアヤ、言語能力が無くなりつつあるエスタ。プリスは水を得た魚の様に、あちこちと動き回る。エスタとアヤは必死で付いていくのみだ。しばし歩いて――プリスはある一点に狙いを定めた様だった。
「あった、あそこに場所変えてたんだ。あそこに行くわよ、アンタ達の服も見繕ってあげるから」
「へ?」
「エスタ、あっちだって」
「う、うん……へぶっ⁉」
強引に動くから、結果として通行人にエスタが両側から潰され。改めてここは恐ろしい所だと、エスタとアヤは認識していた。
そして――時間が加速する。
エスタとアヤは、そうとしか思えない状況を味わっていた。
「こっちの方が似合う?」「いえいえ、こちらも」
「あー、これいいかも」「じゃあリボンをお付けしましょう」
「エスタは足のラインがいいから、ショートパンツの方が良いかな」「良いですな、健康的ですぞ」
エスタとアヤにとっては、呪文の応酬にしか聞こえない。プリスは店のマスターと懇意であるらしく、意気投合――以心伝心、だろうか。ともあれ、エスタとアヤにとっては「ひええええ」としか言いようもない事態であった。
鏡を見て、カーテンを開けたり閉めたり。色んな服を着て、自分に合う装い――というか、プリスのお眼鏡に適う服を探して。無論楽しくない、という訳でもない。のだが。
「……疲れた……」
「……なんで私、お人形さんみたいに……」
「ロリータファッションだっけ? アヤっち」
「エスタはストリートファッションだっけ。ストリートってどこ?」
「……さあ?」
ぐだぐだである。
「ありがとう、良い買い物できたわ」
「いえいえ、毎度御贔屓に」
取引されていたキャッシュの額をレジスターで確認して、エスタとアヤは顔を見合わせる。それに気が付いたのか、プリスは微笑みながら言う。
「アンタ達、出世払いにしてあげるから。稼ぎなさい」
「……どう思う?」
「何年くらい勤めれば返せるかなぁ」
エスタとアヤは、顔を見合わせていた。
さて、その店を出ても。別に服屋だけが歓楽街ではない。ゲームセンターやダンスホールなど、娯楽施設は目白押しである。色とりどりのライトと音楽に、人々は魅了され――エスタとアヤにとっては「宗教行事かな?」とまで悩む代物もあったが。
「エスタ、ダンスバトルだって。行ってみなさい」
「へ⁉」
エスタとアヤは、察していた事がある。今、この場所で。プリスの言に逆らう訳にはいかないのだ、と。何故かはさっぱり分からないが、とにかくそう思わさせる何かがある。
「ええい! エスタ、いきまーす‼」
勢い全振り、全力で回転するしかないエスタの奇怪なダンスが会場を沸かせ。
「アヤ、カラオケバトルだって。行ってみなさい」
「は、はい⁉」
カラオケと言われても。何を歌えと――止む無く、唯一知っていた歌を歌う。
「え、ええと……じょ、情熱の、赤いバラ~」
とまあ。恥の上塗りというか、これ以上落ちる場所が無いというか。
エスタとアヤは、八面六臂――ではなく、七転八倒の活躍を見せ。その度に爆笑しているプリスの顔を見ながら――二人で顔を見合わせるも。
「でも、まあ。何だか楽しいから……いいのかな」
と、呟いていた。
とっぷりと日が暮れて。太陽が夕闇を創り出す頃――プリスは二人を連れて、北部前線基地は外壁近くのカフェテラスに来ていた。
「ありがとね、アンタ達。嫌な顔せずに付いて来てくれて」
「いやいやいや⁉」
「嫌な顔はしていましたよ⁉」
素直な二人ではある。そんな二人を見ながら、プリスはまた笑う。ちなみにプリスはビールをジョッキで何杯か空けており、完全に出来上がっていた。
「ごめん、ごめん。ただ……何だかね。ここに来ると、羽目を外したくなっちゃってね」
「プリス副長だけじゃなかったけどね……」
「……っていうか、ここに居る人、皆そんなもんじゃない?」
エスタやアヤの見た人々――それは、必死で生きているというより。何かを忘れたい、その思いで懸命に盛り上がっている節があった。アヤはそれを素直に口に出し、プリスは神妙に頷く。エスタは注文したオレンジジュースに集中しており。
そんな二人の顔を見ながら、プリスはビールを飲み、嘆息する。
「アンタ達、よく見てるね。そう……ここにいる人達は皆、羽目を外したい人達。だから、この街が出来たんだとも思う――やるせない思いを抱えたまま、生きるのって辛いしね」
「やるせない?」
「やり場のない、っていう意味でしょうか」
プリスは、頷く。「そんな意味だったかな。何でもいいや」と言いながら。
「……損耗率ってさ。随分前から高くてね。あーしの友達は皆、旅立っちゃってね。残ったのは、アライヴだけ。そんなの無いよ、って何度も思った……」
ビールを飲み、置く。見ているモノはエスタやアヤであり――正確にはそれではない。
「なんであーしが、生き残っちゃったのか。アンタ達にも判るでしょ――貴重品だから、最前線には置けないって。それが理由だよ? ふざけていると思わない? 生まれ持ったものだけで、生き延びちゃった――友達を皆、犠牲にしてまで、生き延びたくなんかないって、何度思っても。現実は、何にも変わっちゃくれなかった」
もう一度ビールを持ち、飲み干す。何かで喉を潤したかった。喉を何かが通る、その感触が欲しかった。
「生きて、生きなさいって。皆が言う――馬鹿げているわ。あーしが思った訳じゃない。他の誰かが、他の誰かの為に、あーしを守って死ぬ。あーしを活かす為に死ぬ。それがさ、あーしを苦しめたいんじゃない……解ってるけどさ。あーしは……さ」
プリスは、必死に上を見ていた。何かを、零してしまわない様に。
「明日なんか、来ないじゃん。明日なんか、見えないじゃん。何のために――誰の為に、苦しみ続けにゃいけないんよ……そう、思うんよ……」
「副長……」
エスタが何かを言おうとして――アヤが黙って首を振り、制す。「言わせてやれ」と言わんばかりの表情で。
その仕草を気が付いたのだろう。プリスは真面目な顔に戻る。
「ありがとうね、二人とも――こうやってたまに発散しないとさ。仕事に支障が出ちゃうんよ」
「……支障?」
「そうさね、機動防壁の展開に支障が出ちゃっていい?」
「いや不味いです」
ふふ、とプリスが微笑む。その瞳には諦観が――しかし、慈愛と冷静さが戻る。
「付き合わせてごめんね。これがあーしのルーチンなのさ」
「ルーチン?」
エスタのその問いに、少しだけプリスは間を置いて、答える。
「『日常』――そう、言い換えても良いさね。任務が終わって、色々疲れて……でも、何処でも良いんよ。こういう場所でも、そうでなくても。世の中辛い事ばっかりだけど。こうやって馬鹿やって、皆で楽しくやれば、さ。嫌な事が待っていたとしても、きっと生きていける。そう、思うんよ」
プリスの脳裏には、輝く人が居る。今の様な話をした時に、黙って聞いてくれていた人が。その人は、この様に言った。
「明日など、来るか来ないかではない――時間が経過すれば、明日は来るものだ。時は止まるものでは無いからな。だが……もしもその様に悩むのなら、当方を見ていろ。当方は、その様な事に惑わされん。そして、もしも当方が倒れる時が来たら、それを見て逃げれば良い。だが、先に言っておくが……当方はしぶといぞ。中々死にそうにないからな、楽しみに見ていろ」
その姿を思い出し、プリスの頬は赤く染まる。その時から――いや、何時からだったのか。プリスがアライヴから目を逸らせなくなったのは。
それは、プリスにとっては思い出話であり、酔った先での雑談である。だが、エスタにとっては違う話であった。
(――『日常』?)
エスタの脳裏には、違う考えが渦巻き始める。それは、整理という意味合いでもある。
(ルーチンとしての『日常』? 日々管理ではなく、週間での、或いはミッション単位での日常?
ああ――そうか。そうなんだ。これが、大人になった時の……新しい『日常』。エドが教えてくれた『日常』ではなく――そうか、これが……!)
エスタの脳裏には、鮮明な記憶が蘇る。まるで録画の様な、記憶が。
「……お前は、『日常』を学習しろ。繰り返される日々を理解し、そして動け。お前が欲している常識、判断基準は殆どがそこから抽出できる。お前が世の中を知りたいと、理解したいと思うのならば、それが最も早道だ。良いな、エスタ?」
エドのその顔は、子供に向けるものでは無い。命令をする大人の顔だった。
そして、その眼前に立つ――小さなエスタも。
「はい、エド」
……おおよそ、子供の姿をしていたが。子供の顔をしていなかった。
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