第9話【第八章 北部前線基地】



 「全鑑、防疫開始!」



 アライヴの命で、戦艦ランドシップキュイラス内は高温となる。ありとあらゆる暖房器具を使用して、艦内の温度を引き上げるのだ。何のためにするのかというと――防疫である。防疫とは、疫病を防ぐ――つまり、未知のウィルスや既知のウィルスを消毒滅却する為に行う事柄だ。どの時代、どの世界においても。人類が最も恐れ、死亡率が高い事柄と言えば。こうした病原菌、またそれに類するパンデミックにより発生する混乱であり。その対策を行う事は、どの時代、地域においても優れた施策と言えるだろう。他の災害や事故と違って、人類の目には病原菌は捉えられないので、この様な作業であり施策は有意義なものなのだ。

 戦艦各所の隔壁は閉鎖され、少しでも温度上昇がしやすい様に配慮される。搭乗員全員の協力が必要不可欠な施策、という訳だ。



 「艦内温度、七十度に上昇。維持を開始します」

 「各自、バイタルチェックを。機能不全を起こした者は申し出る様に」



 低温殺菌、という言葉がある。煮沸消毒等に代表される温度を上昇しての殺菌は、大体百度越えで数分間行われる。だが、百度を維持するのが難しい、もしくは他の計器に影響が出てしまうという場合は、六十度から七十度程度の温度で三十分維持をすれば、充分な消毒が行う事が可能だ。現代社会においては牛乳を消毒する場合に使われる事が多い、とされている。



 「毎回の事だけど、キツイわ……」

 「頑張れ。これをしないと、北部前線基地には入れないからな」

 「あーうー……」



 艦長席に座るアライヴと、横に控えるプリス。とはいえ、プリスの方は大分ぐだぐだである。



 「そりゃあ判るよ? 未知の病原菌が居たらいけないって。とはいえ、これはどうなのよ……?」

 「生鮮食料品があったらできない作業だ。帰港する時に行うのは、理に叶ってはいる。おお……コーヒーがホットになった」

 「なんでこういう時まで楽しそうなん、アンタちゃんってさあ……」



 そもそも、義体アヴァターラであるからして。高温だろうが低温だろうが、耐えきれるのは当然である。しかして、それが不快指数に係わるかどうかというのは、個人の裁量に委ねられる事項で。プリスにとっては我慢ならない状況には違いなかった。

 三十分――長くも無く、短くも無く。時間経過後、戦艦キュイラスの窓という窓が開かれる。砂漠の昼は暑いというのに、それよりも高温の空気が一気に放出され、プリスの様な高温が苦手な者達がふらふらと出てくる。

 その中には、エスタとアヤの姿もあった。



 「あっつー……」

 「科学的だけど非化学的だわ……」

 「……何が言いたいのさ、アヤっち」

 「別に。口から愚痴が出てくるだけだよ……」



 とりとめもない会話。生産性などもなく。しかして、人はそうした会話こそを楽しむモノだと思う。贅沢な時間だと、思えるからだ。髪をかき上げ、髪の中に残る温度を放出して。ようやくの涼しさを謳歌しながら、周囲を見渡す。見渡す限りの砂漠の中――ふと、エスタがそれに気が付いた。



 「アヤっち! あれ見て‼」

 「……何よ、エスタ。あれって……アレ⁉」



 エスタが指差した先。砂漠――その、遥か先。ぽつんと、砂漠の真ん中に、人工のモノがあった。まだ遠いから大きくは見えないが、そのドーム状の建物こそが。

 二人は顔を見合わせ――破願する。



 「あれが‼」

 「……北部前線基地‼」



 それは、巨大な威容であった。

 円形のドームの様な形状。天井に当たる部分は開閉できるのか、硬質の装甲が段差を持って構築されている。そして、戦艦キュイラスと比べるべくもない大きさ。これで基地だと言われても、これでは首都セントラルに匹敵する大きさだ。



 「エスタは見たことあるんじゃないの⁉」

 「オイラの時は、人が減り過ぎて、途中で帰っちゃったから……‼」



 川に流れる笹船と洗濯桶、戦艦と基地の対比はその位か、いや言い過ぎか。しかして、北部前線基地と戦艦キュイラスの縮尺比は、圧倒的ではある。回転移動する城壁を越えて、戦艦キュイラスは北部前線基地の艦船ドックに入港していった。





 さて。北部前線基地は、その名の通り最前線ではある。とはいえ、この基地単体で『終末の獣ルドラ』と戦う、という訳では無い。どちらかといえば軍港、と言う方が正しいだろう。北部前線基地には常に一個艦隊が駐留しており、これが即応戦力という事になる。因みにこの世界においては戦艦一隻に搭乗する総数を持って一個大隊としており、一個艦隊はこの戦艦が複数である場合の呼称となる。基本は四隻以上で艦隊となり、ここ北部前線基地には計六隻の戦艦が待機、駐留しているのだ。



 「それ故に――ここには、大規模な娯楽スポットがある‼」



 チャックの雄叫びが響き渡る。己を貫き通す美学(?)がそこにはある。



 「そう、つまり――美味い酒‼ 美人のねーちゃん、そして……旨いツマミ‼」



 チャックには、友達は居ない。だからなんだ、という事ではあるが。しかし、彼は止まらない。誰からも白い目で見られようと、北部前線基地に着いたからには――愉しまずには、いられない。



 「あまり羽目を外すなよ、チャック」

 「……トリガーのとっつあんに言われるたぁ、俺もヤキが回ったかな……」



 そういうトリガーが何をしているのか。彼は一つ一つの弾薬にガンパウダー(火薬)を詰める作業をしていたのである。もはや個人でやる事ではなく、専用の機械に装填すれば勝手に行ってくれる作業なのだが。



 「うむ。心が健やかになれるというのは良い事だ」



 悟りとは、こういうものだろうか。トリガーの無我な顔を見て、チャックは思い悩む。とはいえ、チャックは怯まない。顧みない。どうしようもない。



 「半舷上陸――やあってやるぜ‼」



 ちなみに、一連の事例は遠巻きに皆が見ていたのだが――特に言う事も無いだろう。





 戦艦キュイラス、医務室にて。



 「はい、バイタルチェック完了。念のため、目と耳、喉は直診するよ。はい、あーん」

 「あーん……むぐっ⁉」



 思い切り喉の奥に、器具が押し込まれる。エスタが蒸せるが、ファスはお構いなし。



 「はい、いいよ……健康、問題なしと。次、アヤちゃんおいで」

 「は、はい⁉」



 ファスは、様々な技能を習得している。本人は「趣味の範疇」と言うが。博士号、医療免許、その他様々な危険物取り扱いの免許も所持している――ので、大抵の事は出来るのだ。そう、医者の真似事、というか医者にもなれる。



 「はい、問題なし。午後は半舷上陸だろ? 北部前線基地、楽しんでおいで」

 「はい……」「はーい」



 アヤとエスタの声が響き。彼女達はそそくさと医務室から出ていく。それを見届けてから、ファスは彼女達のカルテにもう一度目を通す。



 「……各種の数字、バイタルの状態は平均的なものとほぼ変わりなし。彼女達が特に変わっている、というポイントは……やはり、ここか」



 それは、写真。彼女達の背中を写したものだ。検査にかこつけて撮影していたのである。



 「アニマ=スフィアとの接続器……我々にもあるものだが……」



 接続器は、背中の脊髄、肩甲骨付近に設置されている。ここだけは金属器がむき出しになっており、背中を露出するデザインの服も多い。勿論、外付けの器具で強化する場合もある。この接続が切れた瞬間、義体は当然動かなくなる――文字通りの生命線なのである。

 そして、この接続器。殆どの場合デザインの変更はない。そもそも誰が作っているのかも不明であるのだが。

 だというのに、エスタとアヤの接続器は。



 「球体ではなく、円筒形……?」



 ふむ、と頷き。ふむむ、と唸り。しかして、約束は約束だ――写真をシュレッダーに放り込む。



 「余計な詮索はするな、か。理解しているよ。私もまだ、死にたくはないのでね」



 どのみちこれだけでは、何も判らないんでね――そう、ファスは独り言ちた。まるで誰かに聞かせるかのように。





 半舷上陸。

 軍船、軍艦では基本となる休息方法である。寄港地に着いた軍艦は、補給の為に来ているからして。搭乗人員にしっかりとした休息を取らせるのだ。搭乗人員のストレス解消や健康促進は、そっくり戦艦、艦船の士気に関わる為である。しかして軍艦たるもの、何時いかなる時も動けるようにしておかなくてはならない。その為、搭乗人員は交替で上陸――休養を取る事になっているのである。

 だから、つまり。



 「はあ……」



 アライヴは隊長で、プリスは副官。戦艦では艦長であったり副艦長であったり。どこの陣営でも言える事ではあるが――トップ二人が同時に休む、等という事は普通有り得ない。よって。



 「じゃあ、アライヴ。あーし、お買い物行って来るね」

 「ああ、楽しんで来てくれ」

 「……はい、はい」



 北部前線基地は老若男女が混在する首都セントラルと違って、従軍する者達向け――つまり、若者向けの街、レクリエーション施設が存在している。プリスとてショッピングは楽しみにしていたし、新しい服を買いたいという欲求もある。とはいえ。



 (……どうやっても、アライヴとは一緒に行けないんだよなぁ……)



 仕方のない、事ではある。とはいえそれは分かっていた事でもある。だから、こういう風に己を奮い立たせざるを得ない。



 (今度こそ、アライヴが目を離せない様な服を!)



 こないだのカクテルドレスは、成功した部類だと思う。しかして、あれ以上に露出を増やすべきなのか。あまり露骨では下品ではないのか――等々。

 プリスは動きやすい、お出かけ用の服に着替え。丸くて可愛らしいサングラスと大きめの帽子を被り、戦艦キュイラスから下りる。タラップを降りている姿は副官という要職にある者の姿ではなく、何処にでもいるティーンエイジャーの姿である。



 (さて……どこから回ろうかな。まずは美味しい物を食べてから……移動はセッター借りて、と……)



 セッターとは一輪駆動、電気動力の乗用物である。多くは一人乗りで、それほど速度は出ないが街中での移動用として広く愛されている乗り物だ。手の甲を近づけ、ID登録が完了すれば利用できる。さて、乗るか――そう思った時。



 「な、ん、で! 動かないのさ⁉」

 「気合よ、気合が足らないのよエスタ!」



 周囲に響き渡る、良く通る大声。精一杯綺麗に表現してその様な有様。



 (見たくないなぁ……折角の休暇なのに……)



そうプリスは思った。が――わずかばかり残っていた使命感と年長者の意地が、そちらの方向に舵を切らせていた。ぎぎぎ、と音を立てるかの様に強引に首を回転させ。事態を目視、把握し――溜息と共に言う。



 「……何、してんのアンタ達……?」



 なるべく静かに。己の平静を保つ為に。どうせロクでもない事態なんだろうから――その様に身構える様は、流石は特務大隊を率いる副官だけはある(?)。そして、その対応、防備は正しかったのだと、今回もまた思い知っていた。



 「あ、プリスさんだ‼」

 「副長、どうしたら良いんです⁉ これ、壊れてません⁉」



 その言は、想像が出来ていた。壊れている事は有り得る。それは仕方ないんだから、他のを使いなさい――そう、言おうとして、絶句した。彼女達の格好が想像の範疇外だったからだ。



 「アンタ達……なんて格好しているの……?」



 それは、常識が違うという事でもあり。日常が違うという事でもあり。即ち。



 「これ? オイラが昔使っていたジャージだけど」

 「ああ、この服ですか? 私が武道の修練をしていた時に使っていた道着と袴です」



 プリスの視界、そこに映るは若者達の街。ファッションは最新、響く音楽も上品。文化の発信地として申し分ない場所であり。プリスはそこに行く時には『恥ずかしくない格好をしなければ』と自問する様な場所なのだ。なのだが。



 「……それしか服無いの?」

 「うん」「はい」



 ……プリスは視界を掌で覆い隠した。何故か自分が――すごく気恥ずかしかった。何故かも何もないが。

 紆余曲折。苦悩と懊悩、その果てに――深い溜息。そして、決意。



 「……アンタ達の疑問や悩みは、よーくわかりました。判ったから……あーしが服を選んであげます!」

 「え? でも……」「迷惑じゃないかな?」



 顔を見合わせるエスタとアヤ。しかして、この二人を放置するのは悩ましいし、まして問題を起こした後に回収に向かうのも苦悩ではある。ならば、面倒を見るしかないのでは――そういう風に思考が出来てしまうから、特務大隊の副長を勤め上げる事が出来るのだろう。ある意味残念な話ではあるが。

もっとも、この場に居たのがあの三人であれば、「煮るなり焼くなりお好きにしてください」と言って放置したろうが。



 「いいから。こういう時は、先輩に付いてくるもんよ」

 「おお! 先輩風だ‼」

 「それ褒めてないよエスタ」



 一瞬、ぴくっとするが。この二人に限って悪意は無いのだろうと直ぐに思い直す。色んな事は、これから教えていけば良いだけの事で――そう思う事も贅沢なのではないか、と思い直すも。ただ、生きていればそういう事もするだろうし。いつ死ぬのか分からない日々だから、後悔だけはしない様にしたいものだ。



 「ええい、良いから行くわよ」

 「はい」

 「でも、セッター使えないですよ。やっぱり」

 「ふむ?」



 そう。この二人、どうやってもID登録が出来ない。仕方ないわね――そう呟き、プリスは自分のセッターを戻すと、違うセッターを登録する。ファミリー向け、或いは大荷物搬送用の籠付きセッターだ。後ろで籠を引き、進むタイプである。



 「ほら、乗りなさいアンタ達。今日はアンタ達に買い物の醍醐味を思い知らせてあげるわ!」

 「おお!」

 「楽しそうですね!」



 という訳で。プリスに率いられて。エスタとアヤは、北部前線基地の歓楽街へ向かったのである。





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