第2話【第一章 現状】



 〈――人々には、生きる意義が! 生きる権利があるのです!! それを、国は守る義務があるのです‼〉

 〈そうだ、そうだ‼〉



 戦艦ランドシップキュイラスは、食堂に設置されたモニタから伝わってくる熱気――それは、悲鳴とも取れる叫び。それを聞き流しながら、食堂の主、中年の女性は溜息を付く。



 「……誰が、誰に。誰を、誰が。義務ってな……結局は、そういう事だろうねぇ……」



 肌の艶はもう、若いという年齢ではない。

 煙草を、止められなくなって久しい。何時から吸っているのだろう。自分は、闘いに出る事はない。適性検査をパス出来ない様な状況――どうやっても義体アヴァターラの片足が動かない有様であれば。猫の手でも借りたい状況でも、武器や装備を無為にするよりは、と。そう断じられてしまえば、諦めるしかないだろう。

 今しも、モニタの向こうで叫んでいる者達も。戦場に向かえない、向かわなかった人々の姿だ。何時だって、蛇の道は蛇。抜け道などあるという事なのだろう。

 では――皆の為に、皆の意志を汲んで。最前線に歩み逝く若者達の思いは、それとリンクしているのか。どうにも違うねぇ、と煙草を吸うモノは思う。



 「あたしは、ここであの子たちの食事を作る。それだけの為に生きている……」



 それは、文句を言っても仕方がない。文句を言う相手もいない。

 何度も見て来た。艦が首都セントラルに入港して、新兵が食堂一杯に雪崩れ込んで来て。そして――今しもセントラルに帰る時。食堂にまばらにしか座っていない若者達の姿を。



 〈出兵した新兵達の損耗率は、実に七割強‼ これを政治の怠慢と言わず、何といいます‼〉

 〈そうだ、現政権は退陣せよ‼〉



 自分達の事を、誰かが議論している。だというのに、当の若者達は誰も見向きも、興味も示さない。それが誰のためのモノか、そしてそれがどれ程意味を成さないのか、分かってしまっているからだ。

 若者達は、出された食事を懸命に口に運ぶ。義体は、出来る限り人間の生体に似せて作られている。食事がストレス解消に役立つのも、再現されているのだ。咀嚼そしゃくし、飲み込み、栄養に分解される――それは、義体でも変わりない。だから、彼等は噛みしめる様に食べ続ける。せめても、その位はやらねばならないと思うからだ。



 「おばちゃん、オイラにも頂戴」



 ふと、食堂に一人の若者が入って来ていた。現在の即応部隊、唯一の生き残り。エースパイロット――そう呼ばれても、全く嬉しくないだろう――の少女だった。名前を、何といったか。どうせ、直ぐに居なくなるから、あまり覚えられないのだ。

 メニューは、一つきり。ありあわせの野菜と、肉を煮込んだカレーのみ。だが彼女はそれを貰うと、食堂にいる他のメンバーの様に、部屋の端に行くのではなく。カウンター直ぐのテーブルに座った。そして、特に惑いもせず、食事を口に運び始める。思わず、頬が緩んだ。



 「旨そうに食べるじゃないか、アンタ」

 「……別に。普通でしょ」



 何かを、憂うのでもなく。何かに依存するかの様に、携帯端末に依存するのでもなく。ただ、よく噛んで食べる――それのみに集中する姿は、新鮮でもある。



 「アンタ、実家は?」

 「……セントラルの南、ダウンタウン。どうして?」

 「へぇ。あそこは今、お祭りやってんじゃなかったかい?」

 「そうだっけ。そういえば、そんな時期だったっけな。学生の頃は、楽しみにしていたけどね……」



 懐かしんだのか、顔が綻ぶ。だがそれは、直ぐに違う感情に変わる。きょとんとした顔だった。



 「おばさん、オイラは一度名乗ったけど、覚えてない?」

 「……さてねぇ。歳も歳だ。人の名前を憶えなくなっちまってね」



 嘘だ。覚えたくないだけの事だ。その心を、知ってか知らずか。



 「エスタ。また、帰って来るから。覚えといてね」

 「……ああ、わかった。忘れないよ」



 首都セントラルに戻れば、全員に休暇が与えられる。皆、実家に戻ったり、思い思いの時間を過ごすのだろう。中には、何としても逃げ出そうとする輩もいる。それは、気持ちとしては解る――だが、逃げて、逃げて――どうなるのだろう。そう思う人間は、そうはならないだろうが。

 否。或いは――判断が出来なくなるほど、壊れてしまったのか。それは『死』と同義である位に。



 「ごちそうさま。ありがとう」



 エスタと名乗る少女は、そう言って去っていった。ただ、それだけなのに。

 彼女の意志は、視線は。まだ何も諦めていない。そう語りかけるかの様だった。





 首都セントラルは、人類にとって、実質上の最後の砦だ。

 ここでしか、人類という種は生育できない。ここで生育し、旅立っていくしかない。そこまで人類は、世界から追い込まれていたのだ。

 何故か。現在の世界は、気候変動が激し過ぎるというのが一因だ。昼は炎天下、夜は氷点下。ただでさえその状況なのに、夜ともなれば『終末の獣ルドラ』達が活性化する。その状況下で身を隠す場所が無ければ、壊滅するだけなのだ。

 様々な要因から、人類は脆弱な肉の身体を捨て、『義体アヴァターラ』と呼ばれるバイオテクノロジーの粋を尽くした体に移行した。そして、肝心の脳はどうなったのか。ここ、セントラルの中心部に設置されたアニマ=スフィアと呼ばれる建物に安置されている、とされる。

 アニマ=スフィアから、人々は己の義体にリンクし、身体を動かす。脳波は千里を越え、身体の感じた事を、ダイレクトに伝えてくる。そういうシステムがここ、セントラルには存在している。

 それ故に――世界の大部分が『終末の獣』達のテリトリーになっていたとしても。人々は義体を失うというリスクのみで、日々を生き抜く事が可能となっていた。

 もっとも……それもいつまで持つのか。そういう状態ではあったのだが。





 ショルダーバックを持ち、戦艦キュイラスのタラップを降りる。久方ぶりのコンクリートを踏みしめ、エスタは「よし」と、口癖のように呟く。そこで待っていてくれていたジープに生き残った者達は乗り込み、港湾施設併設の駅に向かう。首都セントラルの大部分は地下に存在しているので、交通機関は限られる。車か、電車か、徒歩か。一般の市民においては、首都セントラルで使える移動手段は殆どこの地下鉄なのである。

 地下鉄に乗ると、それは長い距離を走りながら下っていく。そしてある個所になると、周囲が見渡せる、ガラス張りの様な場所を通り始める。その光景は、エスタにしても楽しみの一つだった。



 「セントラル、久しぶり……!」



 眼下には、様々な建造物。中央には巨大なタワー……アニマ=スフィアだ。行政府や組織はその周辺に存在しており、学校もその近郊に存在している。学校はエスタの目にも、酷く眩しく――懐かしいモノとして映る。そこだけは、輝く様に笑える人が多いからだ。



 「あ……」



 この世界では、義務教育が必須項目だ。義体とはいえ、教育は後天的に行われる。データをフィードバックするやり方では、『知識』は得られても『知恵』が得られない――つまるところ、知っていても使い方が解らない。そういう事象が散見されたからだ。そして、効率と生存性を少しでも高める為に、十五年間、人々は生まれてから学校で生育され、実戦配備されていくのである。

 生まれてから五歳まで幼年部。

 六歳から十二歳まで、初等部。

 そして、十三歳から十五歳までが中等部。そして――本来はその後に高等部がある筈だった。それは専門分野教育になり、戦闘技能には必要が無いという事で。実戦に出る者達は中等部で終了、一部のモノたちだけが高等部行きとなる、早い話、そこまで時間が掛けられなくなった、とも言う。真の意味での学徒動員だったのである。

 とはいえ。長い様で短い学園生活は、しかし。あらゆる生徒達に、消えない思い出を提供する土台となっていた。

 幼年部ではよちよち歩きから、あらゆるモノへの好奇を育み。

 初等部では好奇を知識に、運動を通じて体の基礎的な動きを学び。

 中等部では知識を使う力を育み、身体は合理を学んでより実践的に。

 ――それらを学んだ場所で、今は。別の子供達が、学びを続ける。



 「ずいぶん遠くに……なったなぁ……」



 それは、郷愁だったのだろうか。もはや戻れないあの頃の事を思い起こしながら、エスタは列車の窓から、それらの光景をただ、眺めていた。





 ダウンタウンに列車が着くと、大抵の人々はそこで降りる。家や宿舎は殆どがそこにあるし、遊ぶスポットも、結局ここに集中している。視界の端では、生き残りを迎えに来た家族の姿も見える。嬉しそうに抱き合っている姿を見て――エスタはもう一度周囲を確認する。左手の時計を確認し、そして駅に付いている時計をも確認し。更にもう一度大きく首を振り確認し、最後にもう一度確認する。そして目的の人物の姿が居ないのを理解し、憤慨した。



 「あのクソ親父。フツーさあ、娘が帰ってきたら、駅まで迎えに来るのが筋でしょ⁉」



 居なかった、のである。





 首都セントラルは南――ダウンタウン、倉庫街。

 輸出入の主役であったのは、今は昔。既に流通等は無く、倉庫という存在そのものが生活必需の保存用途以上は必要無くなり。さりとて遊んでいる倉庫を壊すにも金と労がかかるのであれば。低所得者層やらに安く賃貸、ないし払い下げるのは、理に叶う事である。結果として治安の程はお察しレベルになるのだが、それを気にする様な者は、そもそもこの場所に住もうとは考えないだろう。

 その様な場所の路地を抜けて、抜けて。突き当りのどんずまりに――エスタの家がある。正確にはエスタの保護者であるエドの家だ。



 「はい、こちら修繕屋エド。借金取りなら、後にしてくれ。これから修繕品を卸してくるから……」



 じりりりり、という耳障りな音が響き、がちゃりと受話器を受けて。骨董品としか思えない電話機を、エドは好んで使う。というか、部屋の調度品は時代錯誤も甚だしい骨董品の坩堝(るつぼ)だった。その一角に、不自然な位に掃除が行き届いた場所があった。白い、医務室に良くある様なパーティションで区切られたベッド。そこに所狭しと置かれたぬいぐるみは、誰の趣味に寄るものか――それは、勿論。



 「エド! なんで迎えに来てくんないのさ‼ せっかく『ただいま、お父さん』って台詞まで用意していたのに‼」



 ずかずかと歩いて、がらりと扉を開いて。このいささかズレた思考回路を持つ者が、ここの住人である。当然の如く、エドも言い返す。



 「忙しいと、理解しろよ! このバカ娘!」

 「任地から帰ってきて、一言目がそれ⁉ 普通こういう時、『よくぞ帰った、愛しの娘よ』とか言うのが親ってもんでしょうが‼」

 「自分で言うか、それ⁉」



 手を止めずに、エド。何かを直していたのか、ドライバーの動きは淀みない。エスタの方もエスタの方で、荷物を整理して片付けながら、やいのやいのと言い争っている。部屋の中を一瞥して、エスタは手早く机の上を整理した。何かをするにしても、ここしか食べるスペースがないからだ。



 「何か作る?」

 「……作り置きのシチューがある。お前、先に食べてろよ」



 冷蔵庫を開くと、小鍋にシチューが入っていた。珍しい事もあるものだ、とエスタは言おうとして。



 「……へぇ、ちゃんとオイラの好きなもの作ってくれてるじゃん」

 「うるせぇ、さっさと食べてろ」

 「うん」



 小鍋を取り出し、コンロに掛けようとして。エスタはふと、気が付いた。



 「ただいま、エド」

 「……お帰り」



 素直ではない、親子である。義理であったとしても。





 さて。食事も済み、諸々の話も終われば。



 「お前が寝てる間に、義体のチェックはやっておく。しっかり眠れよ」

 「はーい」



 この世界における親の役割とは、義体の調整である。本来の意味で親子という概念は既に消失しているのだ――アニマ=スフィアによって義体と結びついた者が、国によって選定された保護者の元で十五年間の義務教育を受ける。このプロセスが親子関係という事になる。

 だから、エドとエスタの関係に血の繋がりは無く。十五年間、共に過ごした思い出だけが、親子の絆という事になる。



 「……大分あちこち、痛んでいるな。後で点滴と、投薬が必要だな……」



 だが――殆どの場合において、この試みは良好な結果を残している。何より、義体に郷土愛というモノを植え付ける事に成功しているからだ。良くも悪くも。

 エドという人間にしてみても。



 「……全く。警戒心のない、馬鹿面して寝やがって。昔っから変わらんなぁ、コイツは……」



 今のエドはおおよそ、家族というモノに縁が無い。時代が違えば、一人でのんびりと、寂しくも過ごしていただろうに。

 だというのに。今は、掃除だけは欠かさなくなっているのだから。



 「お前だけは、生き延びろよ。俺は、その為に……」



 ――全てを、賭けたのだから。その言葉は、口に出される事は無かった。




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