アヴァターラ

アリス

第1話【プロローグ】


――むかし、むかし。

ある村に、一人の悪ガキがおりました。

その悪ガキは、本当にたちが悪く、あらゆる人々に迷惑を掛けていました。そして白い神様が、その村を通りがかった時もそれは変わりませんでした。

村の人々の願いを受けたその白い神様は、その悪ガキを懲らしめ、一本の白い木に変えてしまいました。



「しばらくはその姿で反省すると良い。しっかりと反省したら、元に戻してあげよう」



悪ガキは泣いたり喚いたり。とはいえ、後の祭りでした。

何年も、何百年も。悪ガキは反省し、謝りました。でも、一向に白い神様は現れません。

これは――忘れられたかな、と悪ガキは思いました。神様には良くある事だからです。

最後には諦めて、膝を丸めて。悪ガキは眠りました。

もう、それしか出来る事が無くなったからです。





でも、ある日。

今度は黒い神様が、通りがかりました。

膝を丸めた白い木は、通るのに邪魔でした。



「これは良くない」



そう言うと、黒い神様はその白い木を、持っていたハンマーで叩き割りました。

とはいえ、どう間違えたのか。

木を斬り倒すというより、中心から真っ二つに叩き割ってしまったのです。

通るには通れるけれど、という有様でした。

すると、どうでしょう。結果オーライだったのです。



「おや、お前は人の子であったか」



悪ガキは、もう人の寿命など尽きていました。だから、木の人として生まれ変わっていたのです。二つに叩き割られた木は、二つの木の人になりました。



「これからは二人仲良く、良い事をして暮らしなさい」



黒い神様はそう言い残すと、その場を去りました。

残された二人の木の人は、双子として生きていく事を決めたのです。



――それは、遥か昔の物語。

今を生きる人には関わりなく。

しかし……そうであれ、と願いを込められた物語――












 ――日常、とは何だろう。

 変わらない日々を、毎日のループを。それを日常と言うのなら。

 それは、時として大きく変わる筈だ。引っ越しや転勤、進学や結婚。人生の節目で、大きく変わるものである筈だ。

 ただ、変わったとしても――それは、新しい『日常』と理解される。変わったとしても、大きくは変わらぬ日々を確認する為に。

 だから。これも『日常』だと思う。変わってから、これが毎日続いているのだから。



 〈……敵影確認! スクランブル、スクランブル‼ 即応部隊は展開後、応戦を開始! あらゆる武器を使用し、敵を殲滅せよ‼ 繰り返す、即応部隊は展開後、応戦を開始せよ‼ 何としても、本艦を死守するのだ!〉



 雑音交じりのアナウンスが戦艦ランドシップキュイラス内に響く。周囲に磁気嵐でもあったかな、とも思う。大きく息を吸い、吐く――どうでもいい。思惟を振り払いながら、立ち上がる。もう一度、頭の中で自分の役目を確認する。『日常』を始める為に、だ。



 「……はいはい。即応部隊、出撃しますよ……」



 当直の時間までは、まだ少しあった。だが、兵員が減っているのは間違いない。『日常』を越えられない者が出てきているのだから、仕方のない事でもある。眠たい目を擦りながら、ぼさぼさの髪を軽くまとめて立ち上がる。肩までの長さの銀髪――櫛を入れればすぐに真っすぐになる自慢の髪だが、もう適当に切ろうかな。そうも思ってしまう。邪魔になるのでは仕方がないからだ。

 立ち上がり、肌着だけになる。そして、部屋の端に無造作に投げられていた戦闘服に着替える。全身を包み込むタイプのものでは無いが、着ると着ないでは、生存率は大きく変わる。その事は、ここ数か月の間に、事実としてよく理解していた。



 「よし!」



 両頬を叩き一言、気合を入れる。宿直室を出ると、外は騒然としていた。既に何人かの犠牲が出ている様だ――防空圏は既に突破されているらしい。



 「何人、生き残ってるやら……ねぇ!」



 少女の名前はエスタ。今年でようやく十五歳――この戦艦に乗っている殆どの年齢層と、同一である。戦艦キュイラスに乗っている兵士は殆どの人間が初陣だった。今回は補給任務だけで、前線に出るルートでは無かったからだ。その状況の戦艦が敵に襲われたらどうなるのか。少なくとも最悪の事態は、想定しなければならないだろう。

エスタは踵を返すと、悲鳴と怒号、鉄と火の匂いを感じながら。理由と事例でごった返す通路を飛ぶ様に駆け抜けていく。誰もがそうである様に、こんな場所で死ぬのは御免だという思いもあった。『日常』は、生き延びてこそ――そうした思いがエスタを急かしていたのだ。

 目指すは、上部甲板近くの弾薬庫。そこに空戦用の装備一式があるのだ。





 武器を、装備を着用するのは――安堵すると同時に、身の引き締まる思いがする。『風の靴』と呼ばれる金属製のごついブーツを履き、モニタと通信機を兼ねるバイザーを被り。太腿に大型ナイフをベルトで固定する。そして、己の愛銃――自分よりも大きな、回転式重機関銃。ガトリングガンとも呼ばれる代物を持てば、準備は完了となる。

 脚部に意識を向ける。すると『風の靴』が反応し、圧縮空気を放出し始める。それを使って、エスタの様な即応部隊隊員は、空を自由に駆けるのだ。そして今更ではあるが。ごつく、重いガトリングガンを軽く片手で保持するエスタの姿は、見た目通りの少女から連想される姿ではない。



 「義体アヴァターラ、及び武装――オールグリーン。即応部隊所属、エスタ――行きます‼」



 もしも生身であれば。耐えきれない加速、耐えきれない衝撃がエスタの義体に掛かる。だがエスタは顔色一つ変えず、大空の戦場に飛び出していった。

 蒼い――どこまでも蒼い空。地平の端まで続く、砂漠と岩山。そこをホバークラフトで進む戦艦から、エスタは飛び出していた。





 視界がぐるりと回転する。地表がまるで、一条の線の様に。玩具で出来た地面の様に、真っすぐに見える。捻りを加えながら出撃したのだから、そうもなる。既に防空圏内を突破されているのだから、回避運動をしながら出撃する行為は必須だ。エスタは周辺に敵影が居ない事を目視確認し、次いでバイザーに集中する。バイザーに映る敵影は三つ、味方は――今、最後の光点が消えたところだった。



 「また全滅⁉ ちゃんと義務教育、終わらせたんでしょ⁉」



 エスタが毒付くが、後の祭りである。新兵だけの即応部隊が、そもそも役に立つのか。軍事とは常日頃から最大、最高のパフォーマンスを要求される。それ自体は理想だろうが、事実としてそれは望むこと自体が間違っているのだ。理想で戦争は出来ないし、現実は常に悪化を想定しておかねばならない。勝つか負けるか――それはその後に論じられる事であり。それが最初から分かるのなら、戦略や戦術は進歩などしない。

 敵影。それをエスタは見据える。まるで海の中を進むエイの様な奇怪な姿――ガープマンタ。『終末の獣ルドラ』――人類の敵。そして、今や地上を制覇した相手の名前。そして、ガープマンタとは終末の獣の眷属に過ぎない相手。大きさは二メートルを超える個体が多く、だというのに音速に近い速度で飛び回る。現在の人類にとっては目下の敵であり、抗する相手であった。

 近くのガープマンタが、エスタに気が付いた。そして、方向を変えて向かってくる。エスタは空いている方の手、そして手足を広げて。吹きすさぶ風を体で受け止め、軌道を変える。広げた指が逆関節方向に逸れ、痛みと共に。しかし――だからこそ。エスタは風を利用して、スピンする事が出来ていた。



 「獲物を見つけて、襲いに来るのが、早すぎるから!」



 ガープマンタが、エスタの後方から前方へ――通り過ぎる。いや、エスタが強引な回転でいなしたのだ。そこへ。



 「この距離なら!」



 数秒の射撃。ガトリングガンの威力は絶大だ。それで、ガープマンタは原型を留める事が不可能になる。ガープマンタが墜落していくのを確認すると、エスタは再び軌道を変える。ガープマンタは直線的に動くが、常に体の上下、向きを変えずに飛ぶ。スライド移動をするだけで、旋回などはしない――出来ないのだ。何度か戦えば、理解もする。ガープマンタはこちらの横回転に付いて来られない。それが分かっていれば、戦い様もあるというモノだ。



 「せえ、のっ‼」



 横回転の後、そのまま宙返りに移行する。視界が面白い様に、或いは酔いを誘発するかの様にくるくると変わる。だが、それは必要な事だ。

宙返りはガープマンタにとって、攻撃しやすい軌道らしく。何人もの即応部隊が撃墜された軌道でもある。だが、使わなければエスタ側にも攻撃のチャンスが訪れない。空戦のコツは相手の背後を取る事が基本で、それがほぼ全てなのだから。

 宙返りの最中、見えた――残り、二匹。一匹は墜落していく同僚を食い散らかしていた。そちらに憐憫の視線を一瞬向けるが。「チャンスをくれたのだね、ありがとう」と思いを変える。生きた意味が、生きた甲斐が。せめてもあって欲しいと思いながら。

 ならば。今は、一対一で戦える。同僚と共に降下していくガープマンタの他に、もう一匹。視界の端に捉えると、エスタはそっちに向き直り、一気に突っ込んで行く。



 「正面なら‼」



 ガトリングガンは連射性に優れた武器で、弾幕を張ったり、高速で動き回る敵を追随して射撃する事に向いている。その集弾性は広い面をカバーできる代物で、真正面から避けられるモノではない。ガープマンタは奇怪で独特な軌道で動き回るが――そうした場合に対応しきれる武装がガトリングガンである。

ガトリングガンの斉射で、二匹目のガープマンタはあっという間に穴だらけになり。肉片を散らばらせながら墜落していく。



 「後、一匹!」



 最後のガープマンタを視界の端に――収めようとして。エスタは軌道を変えた。さっきまで同僚に襲い掛かり、食らい付いていたガープマンタが居なくなっている事に気付いたからだ。悪い予想は当たるもので、思った通り。エスタの頭部に齧(かじ)りつこうとしている!



 「食いつく速度だけは、こいつら‼」



 再び大きく捻り、ガープマンタの突進を避ける。

ガトリングガンの斉射で、ガープマンタは簡単に死ぬのだが。獲物に襲い掛かる時だけは、ガープマンタは音速を超える機動を行って来る。エスタがガープマンタの突進攻撃を上手に避けているのは、ガープマンタが獲物の頭部を集中的に狙って来る、という特性を事前に知っていたからだ。とはいえガープマンタの生態については義務教育のカリキュラムにあるので、他の新兵達も知っている筈なのだが。知っていても出来るという訳では無い、という事か。

エスタは瞬間、悩む。無理な軌道での回避になったので、ガトリングガンを向けられそうもない。だが、距離を取ろうにも。近づかれている場合は、背後を見せる事になる。非常に攻撃が避け辛くなるのだ。そうなれば何時までも回避できるものではない。一度でも噛みつかれれば、それで終わりだ。



 「だったら!」



 脚部に装備された『風の靴』は、外気を取り込んだ後、加圧圧縮を内部で行い、圧縮空気として放出、その推進力を利用して飛翔を可能とする装備だ。個人携帯で音速に近い速度を保証する優れモノの装備である。であるが故に、脚部から膝、身体に掛かる負担はかなりのものになる。通常の人間では、とてもではないが扱い切れる代物では無い。だが、エスタの身体は――義体は。恐ろしく頑丈な造り物であるのだから。

 膝を曲げても――強引に圧縮空気の方向を変えても。身体を支え切り、強引に回転を生み出す事が可能となる。つまり。



 「突っ込んでくるなら、蹴るだけだ‼」



 高速で動き回る相手に、こちらも高速で動き回り――蹴り込む。そんな真似は、ガープマンタは想定すらしていないだろう。そして噛み付くという行為。攻撃の瞬間は、どんな生体であっても死角が発生しやすい状況でもある。或いは避けられる攻撃が、避けられず。エスタの蹴りを食らったガープマンタは、大きく怯んだ。そして、それは戦闘の終わりでもあった。

 エスタのガトリングガンが火を噴く。ガープマンタ最後の一匹を肉片に変えた時――即応戦闘は、ようやく終わったのである。





 「…………」



 エスタは、考える。戦艦キュイラスに戻りながら。戦闘は終わった。だが、日々は終わらないし、『日常』もまた。

 生きる――生きて。

 生きて――生きる。

 たったそれだけ。自分は、人々は、それだけをするだけなのに。それだけをしたいだけなのに。

生きる価値も、権利も――言葉だけ。

生きる事は――生きる為に、生き残る為に。



 「……次に、セントラルに戻れたら。沢山、野菜を食べよう。干し肉ばっかりだと……ね」



 他にも、やりたい事がある。浮かんでは消える、下らない事。或いは、拘りたい事。

 だが――全ては、今日を、明日を。生き延びるから、出来る事なのだ。エスタは俯く様に、己の母艦、戦艦キュイラスに戻る。どうせ、明日もまた――戦いがあるのだろうから。



 「次の寄港で、補充要員が来なきゃ、流石に終わりかな……」



 遠くに、中央都市セントラルが見える。そこまであと何日掛かるのかな――エスタは溜息と共に、思惟を振り払っていた。





















  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る