第八章  逆転への活路

「月島礼愛が共犯者という可能性はある」

 大牟田は逃げることも忘れて呆然と呟いた。

 周囲では毒々しいくらいに赤いアラートと警告音が巡っている。立体的な血色の色彩の文字に、嫌悪感も焦燥感も抱く。けれどそれ以上に目の前の事実に歯噛みする。

「彼女は政府に公認されたハッカーだ。しかしその活動の中で、ERUDENのハッカーと接触、何らかのやり取りを経て寝返った可能性は否めない」

 海斗の痛ましい表情を見やり、大牟田は天を仰ぐ。

「考慮すべきだった。VR世界を利用しようとする集団が、患者の中に一員を忍び込ませる可能性を。いや、管理部には考慮した者もいたのかもしれないが、彼らは私たちの想定も上回っていた」

「そう、ですね」

 海斗の呟きに大牟田は顔を手で覆って考察する。言葉にするだけで心臓に軋みが上がるようだ。胃の腑が翻るような嫌悪感。

「……おそらく、彼女は最新鋭の技術を有している。例えば、MST――自分の体に最新のマイクロチップを埋め込み、外部との通信を行っていたとか。……VR世界に潜る際は、検査などもあったはずだが……別の協力者によってすり抜けたのかもしれないな。――全ては推測だけどね。彼女だけが潜入員かもわからないが、彼女が主なバックドア役だったことは、おそらく事実だ」

「バックドア……? それって、内部に侵入するための……」

「そう。ハッキングなどをする際、設置する扉のようなものだよ。そこからERUDENは外部から干渉。本来は独立したこの施設へ潜入を可能にした」

 大牟田は、そこまで語ると、ぎょっとした顔つきで総身を震わせた。

「まずいな。これが事実ならば、奴らが第4層で足止めをくらっていること自体、偽の情報の可能性もある」

 大牟田の声は、恐怖と絶望に駆られていた。


 ――地下、第三八階層。

 管理室の内部は、まるで蜂の巣をつついたような喧騒に襲われていた。

「各階層のシステム! スキャンを再試行! ――駄目です、通信途絶!」

「第1、2、3、4階層の防衛隊との連絡、断絶! 繋がりません!」

「第5から第13までの階層、全て通信が遮断されています。復旧は不能!」

「第14階層の防犯カメラ、完全に沈黙しました。同じく第15、16、17階層も!」

「防衛隊から複数の支援要請。敵影との戦闘中! しかし防衛機構が作動しないと――」

 青ざめる職員。顔を真っ赤にして叫ぶオペレーター。矢継ぎ早に指示を飛ばす参謀各位。

 騒然とする管理室の中央、巨大な光学モニターを前に、祇園司令は拳を強く握っていた。

「やられたな。偽の動画で時間稼ぎをされた……」

 今から数分前。各層をモニターする画像の一部に、ブレが生じたことに気づいた祇園司令。念のため彼は監視カメラの精査を行った。

 すると、映し出されていた第4階層の交戦の映像がダミー映像だと判った。少なくとも一時間前には本当の映像と差し替えられ、偽装されていたことが判明。

 そして発覚する想定以上の事実。第4階層はとうの昔に突破されており、現在はどこまで賊が侵攻しているか不明。少なくとも第17階層までは制圧されたことがわかった。

「実践テストでは8階層までしか破られなかったこの施設。それが、17階層も突破か」

 すでにその先、20階層くらいまでは突破されていると見ていいだろう。

 報告されているものの中には、19階層で交戦している映像もあった。事態は急速に、そして想像以上に悪化している。

 ――奴らはいま、どこまで侵入している? ここから巻き返せるか? そう祇園司令が歯噛みしつつ、今後の方針を模索している最中――。

「司令、出ました! 最新の各階層の戦況データです!」

 一人のオペレーターが、歓声を上げ大きく手を上げ立ち上がった。祇園がすかさず問いを投げかける。

「どこまで潜入されている? 各階層の被害状況は? 防衛隊は?」

「はっ! 現在の状況は――」

 言いかけて、大声を張り上げていたオペレーターは、画面を見たまま凍りついた。

「ほ、報告によると……だ、第35階層まで……侵入されています……」

「なんだと!?」

 管理室にいた全ての人間が、騒然とした。

「ぼ、防衛機構は、ほとんど無力化されています。防衛隊員は……壊滅、しています……」

 その場にいた人間たちが驚愕し、次いで絶望と恐怖の声が広がっていった。


「第35階層!? すぐ上じゃないですか!」

 36階層。中央付近。もたらされた情報に、海斗は怒鳴り声にも似た声を上げていた。

「そうらしい。すでに防衛隊は壊滅。ドローンやAIによる設備はハッキングで無力化されている。中枢が制圧されるのも時間の問題だ」

「でも、じゃあ柚葉は!? あいつだけでも避難させないと……っ!」

「落ち着いてくれ、海斗くん。今は自分の心配を。君が無事でなければ、妹さんと会うことすら出来ない」

 そのとき、背後でバキンッという不穏な金属音が聞こえた。

 驚きと共に二人が振り返る。今まさに扉を破壊し、廊下に現れた武装集団が銃器を構えた光景が見えた。

「――先遣隊!? くそっ、もう36階層にまで侵入を……!?」

 叫ぶ大牟田。急いで海斗の体を引っ張って走る。二人に向かって、灰色の装甲服を来た刺客が、鈍い光を放つ銃口を向けてきた。


「35階層、通信繋がりません!」

「すでに制圧されかけている模様。司令、これでは……っ」

 祇園司令は騒然とする管理室の中、凛然と言い切った。

「――35階層には緊急用の別回線がある」

 その声は混沌としかけていた現場をかろうじて繋ぎ止めていた。

「外部との通信とは別系統のシステムだ。今なら賊が36階層に向かう途中で始末出来る」

「し、しかし患者は……っ」

 オペレーターの一人が緊張を飲み込んで尋ねた。

「35階層と36階層は、医師と患者が暮らす階層です。彼らの避難が終わらない限り、攻撃は不可能では?」

「すでに35階層全ての退避は終わっている。熱源は敗れた防衛隊だけだ。――使うなら今しかない、緊急用機構を」

 管理室は水を打ったように静けさに満ちた。

「しかし、それは……」

 緊急用の機構。それは34階層までとは違い、明確に殺傷力を高めた装置だ。重火器、徹甲弾、手榴弾、その他、明らかな殺人を目的とした兵器群。本来であれば、むやみに決断してはならない殺傷兵器だ。

「……メイヴTP5はどうするのですか? 緊急機構を使えば巻き添えで、破損も……」

「36階層の物があれば問題はない。賊がメイヴをコピーする機具を使っている可能性もある。それが完遂されれば、あちら側に仮想技術が行き渡ることになる。それで良いのか?」

 誰も反論は上げなかった。事ここに至って祇園司令の言う通りであり、ここが最後の分水嶺だ。それは全員が理解していた。ここで可能な限りの抵抗をしなければ、全てが終わってしまう。

「――了解。緊急用機構の、発動準備に掛かります」

 オペレーターの一人が応じると、次々と別のオペレーターたちも声を上げて追従する。

「第二制限、解除。続いて第三――」

「第五と第六の起動を確認」

「発動シークエンスの六までを終了しました。続けて第七を――」

 多くのモニターに専用の画面が映し出された。三五階層の様子。すでに十九名の侵入者が確認出来る。敵の本隊だろう。

 参謀長が確認のため、祇園司令のそばに寄り立った。焦燥を顔に滲ませている。

「よろしいのですか? あれらを使っても」

「政府の連中は文句を言ってくるだろう。だがここで終わらせなければ最悪に繋がる」

「……厄日ですな。私も、あなたも」

 参謀長は苦笑する。祇園司令も頷いた。

 今回の件、どう足掻いても処罰は免れないだろう。問題はこの被害が、施設内に留まるか、世界中にまで広まってしまうか、それのみに尽きる。

「共に監獄行きだな。――機構の発動を許可する。――第一機構。RS催涙弾、準備!」

 防衛を司る者として最悪の結果だけは許してはならない。そんな祇園司令の決意のもと、指示は下される。オペレーターたちが端末を操作する。

 一部復帰したモニターの中、35階層の各所の壁が可変。内部から機関銃じみた装置が飛び出す。映像の中、ERUDENの人間たちが驚いたように身を引いたのがわかった。不鮮明な映像だが、その場所や動きだけならなんとか分かった。

「RS催涙弾――放てぇ!」

 間断ないマシンガンのような掃射で、画面中が銃撃音で満たされた。実弾ではない。火薬無しの弾丸には最新の催涙ガスが含まれており、微量でも象を失神させられる。

 わずかにでも呼吸器官に入ったなら、人間なら半月は昏睡状態になる。副作用で身体障害が残ることもあるため、使用にはいくつもの許可証が本来なら必要な兵器だ。

 それを祇園司令は緊急措置として全てカットして使用している。モニター内で鮮烈な映像が映し出された。煙幕に弾丸が放たれる発射音。衝撃でガラスが震える音。

「オペレーター。RS催涙弾の効果は?」

「――て、敵影に支障なし! 催涙弾、効いていません!」

「なんだと?」

 オペレーターの悲鳴じみた報告に、祇園司令は目を細めた。馬鹿な。あれを防いだ? どのような手段で?

「――効いていない、だと? ――対策をしているのか。では電磁機銃、掃射!」

「了解……PH電磁機銃――掃射!」

 濁流のような、雨のような音と共に掃射機具から猛射される。

 PH電磁機銃。通常のスタンガンの何倍もの威力を備える機構であり、分厚い服越しでも対象を気絶させることが可能。

 覚醒するには専用の薬剤が必要、ここ数年で暴走した猛獣を捉える際、幾度も成果を叩き出した切り札の一つである。

 ――しかし、それも。

「PH電磁機銃、効果なし! 全ての敵影、健在!」

「……これも効かない、だと?」

 祇園司令は即座に確認した。いくつかの機器を操作し、自らの手でモニターに映す。考えうる可能性を考慮し、映像をピックアップする。――敵影は全員が健在だ。

「偽の映像の可能性は?」

「ありません! リアルタイムの映像です!」

「ハッキングで、銃の威力阻害などは?」

「通常とは別回線の兵器です、不可能です!」

「――では防いだというのか。獣でも気絶する攻撃を? 奴らはそれ以上の化け物だと?」

 オペレーターたちが不安そうに祇園司令を振り向く。祇園司令はぐっと気を張り詰め、不安を払拭するように矢継ぎ早に命令を飛ばした。

 まだだ、ここで動揺は見せられない。部下たちが秩序を失ってしまう。

「FSレーザー掃射装置起動。続いてMKYG(有毒ガス)。続いてTG閃光弾を発射! さらにKL徹甲弾を掃射せよ!」

 可能な限りの対人装置を立て続けに猛射させる。モニター内では閃光や爆音の嵐。不鮮明な映像がさらにノイズ混じりとなる。

 爆風が吹き荒れ、メイヴTP5のうち、いくつかが巻き添えを受けて破壊されていく。

 衝撃波、閃光弾、毒ガス、レーザー照射による攻撃。視覚や嗅覚、内蔵、骨格、それぞれを無力化あるいは粉砕するための装置は、滞りなく発射された。

 濛々と立ち込める噴煙。弾けるメイヴTP5の残骸の音。壁や強化ガラスが崩落する音。

 それらが四散する光景。ひび割れた床の被害。そして悪夢は何度でも繰り返される。

「無傷、だと……?」

 祇園司令は、今度こそ大きく目を見張った。

 十九名いた全ての敵影が、数秒後には立ち上がっていた。荒い映像だが負傷しているようには見受けられない。猛獣すら数十匹は容易に始末できる兵器がまるで効いていない。

「どういうことだ? 奴らは一体……」

「――映像、鮮明度の向上に成功! 現在の280パーセントにまで引き上げます!」

 別の命令で、視覚化の向上に努めていたオペレーターが大きな声を上げる。

 不鮮明だった映像がかなりの解像度で映し出されていく。19名の侵入者の装備、銃器の種類までもが分かるほどに最適化されていく。

 だが、その鮮明化した映像を前に、管理室の誰もが息を呑んだ。祇園司令の拳が血で滲むほどに握られる。

「あれは――まさか」

 ほぼ全員が、薄い装甲服の装備に身を包んでいる。それは、通常の軍用服より遥かに頑丈で、強固な装備。現時点で最高位に匹敵する軍事装備だった。

「強化外骨格(エクサスケルトン)!? どこで手に入れた? 馬鹿な!?」

 ――強化外骨格(エクサスケルトン)。常人を何倍にも強化する装備の一つ。パワードスーツ。その発展系だ。

 全身を薄い装甲で覆うことで耐爆、耐圧、耐水、耐刃など複数の攻撃に適応し、さらに専用のバイザーや呼吸器を併用することで催涙弾や毒ガスをも無力化。装甲の強度は対物ライフルすら貫通は難しく、2044年現在、白兵戦に限って言えば最高峰と言える装備である。

「武器商人どもが! 死神に武器を売ったな!?」

 祇園司令がこれまでの冷静さをかなぐり捨て、司令机に拳を叩きつける。

 オペレーターたちが絶望の表情を浮かべる。――無理だ、あれではもうどうしようもない。あれは現在の軍事装備としてはほぼ最高位に位置するものだ。映像からは最新版ではなく、準最新といったところだが、戦闘力はさほど変わらない。

 欠点としては、排熱にネックがあり、長時間の使用は不可能。最大で八時間ということくらいしか挙げられない。

 しかし、この施設を制圧するには、それだけでも十分な戦力と言うしかない。

「第四世代の強化外骨格(エクサスケルトン)……あれではこの施設の機構では防衛は不可能だ。応援を待つしかない」

 海底の中にあるこの施設では、過度の破壊兵器は自滅に繋がる。外壁に傷でもついた場合、水流や水圧で施設もろとも崩壊するためだ。

 よって最新鋭の装備でも威力が小さいものを使うのは道理だった。

 しかしそれでは今回の賊は倒せない。これでも通常の対人装備としては過剰なはずだったが、敵はそれらを防ぐ装備をまとっていた。

 一つ揃えるだけでも、小国なら苦労するはずの強化外骨格(エクサスケルトン)。それを敵は数十名分、用意していることになる。

「敵も必至だな。……いやVR世界は、今や多くの国にとって、垂涎の的と言うことか」

 各国の精鋭を集めて技術を結集したVRメンタル研究。しかし敵も各国の総力を密かに集めて集らせた精鋭の武力集団が来た。

 執念と理念。金と欲望の衝突。時間だけが味方だった。強化外骨格(エクサスケルトン)の排熱限界を狙う。それだけを目論むしか、もはや研究所側に活路はなかった。


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