幕間  裏切りの少女

 ハッキングが、唯一の趣味だった。

 強制覚醒されたメイヴTP5から目覚め、医師と共に通路走る礼愛は、ぼんやりした頭の中で思う。

 いつも幼い頃から、電子世界で活躍するのは好きだった。両親は褒めてくれた。不幸にも両親とは六歳のときに生き別れてしまったけど、養父になってくれた『彼』と出会えたことは、幸運と言える。

 拾ってくれた恩を返すためにも、ハッキング技術をさらに磨き、養父のために活躍した。

 ホワイトハッカーとして政府と契約を交わし、正式に自分の技術を活かす事に費やした。

 楽しかった。充実していた。どんなときでも自前の能力で養父に恩を返すため、活動している自分。やっと自分の居場所が出来た。それは何よりも代えがたい光景だった。

 養父は、どんなときも自分を愛してくれた。子供が出来ない体だった彼は、本当の娘のように、礼愛という少女を可愛がってくれたのだ。

 けれど、それが彼女にとっての絶頂期だった。死神(リーパー)という男が、ある日訪れた。彼は礼愛の幸せを、修復できないほど破壊した。


†   †


『いやだ! お義父さん、お義父さんっ! 逃げて!』

 泣き叫び、全身を震わせて絶叫する自分の過去。それは忘れがたい光景。

 家に忍び込まれた養父が、ERUDENを名乗る連中に拘束された光景。手錠をかけられる養父。叫ぶ自分。蛮行を成したのは黒い装甲服を来た男だった。

 ソレは団欒の時間を楽しんでいた月島家に現れると、いきなり発砲した。

 養父は足を撃たれた。呆然とする礼愛をも即座に拘束すると、養父の頭にソレは銃口を突きつけた。

『――月島礼愛、選べ。このまま我々に撃たれるか、それとも計画に加担するか』

 ハッキングとは閉じられた窓を開けるような作業だ。ゆえに、たまに同業者とすれ違うこともある。それが自分と同格か、それ以上が相手だった場合、一方的に後をつけられることもなくはない。

 自分が世界で、最も優秀なハッカーという自負はなかった。

 それでも、上位十指くらいには入るのでは? そう思っていた。

 それが事実か謙遜かはわからないが、少なくとも一番ではなかったと礼愛は思っていた。

 だから自分を特定し、住所を突き止め、養父との関係まで調べ上げた相手が――世界で最も優秀なハッカーだったと言われれば、納得はする――するしかない。

 そして後悔も。

 ハッキングという手段は常に危険と隣合わせだ。

 たとえ政府公認のホワイトハッカーだとしても、いつ自分に危害が及ぶがわからない。

 それを理解していて、けれどハッキングだけが養父に恩を返す手段だと思っていた。そのときになって、礼愛は深く後悔する。

 ――ああ、こんなことなら、もっと真っ当なことで、養父へ恩返しをしておけば良かった。どうしてわたしは、この道を選んだのだろう――。


†   †


〈――こえるか。聴こえるか。礼愛。応答しろ、礼愛〉

 意識は現在に。耳に埋め込まれた、マイクロチップ越しに聴こえる調整された声――死神(リーパー)の問いかけに礼愛はうんざりと応えた。

「聞こえてる。何度もその名で呼ばないで。死神」

〈では通称を使わせてもらおう。呼び名は正確に使うべきだな。進捗はどうだ、《ジョーカー》〉

 礼愛は喚き散らしたくなる気分を必至に抑えた。

 いつも不快な思いにしてくれる男がほざいてる。うんざりとした顔つきをやめないまま、礼愛は短く嘆息をつき、小声で応じる。

「さっきも行ったけど、同行者に医者がいる。他の患者も。ろくに動けない」

 もうあんな死神とは手を切りたい。でも自分が裏切れば養父が撃たれてしまう。組織の拠点で監禁されているのだ。人質を取られては逆らえない。

 生きていれば、いつか幸せになることがある。それを信じて、最後まで養父と生き残るために、礼愛はERUDENへ協力することを選んだのだ。

「すでに姿勢内の七割のシステムは制圧した。ここが落ちるのは時間の問題」

〈それは素直に称賛しとう。だがジョーカー、お前にはもう少し奮戦してもらいたい〉

 クソくらえだ。礼愛は内心で毒づいた。わたしと養父の命を弄ぶ大罪人。地獄に落ちてしまえ。

 内心でそう罵倒しながらも、それでも礼愛は養父の命を握っている相手には言いなりになるしかなかった。

「……わかったわよ。それで? この後はどうすればいい? あなたの言う通り、VR機器をハッキングした。わたしのへ認識は誤認させた。――VRメンタル治療がどのようなものか実物を見せるために、楠木海斗と柚葉、あの兄妹の世界へ干渉して、あなたたちに実際の映像も見せた。――それ以外に何が必要?」

 通信越しに、黒い死神は低く笑ったようだった。

〈お前はこれから、患者の立場でシェルターへ向かえ。可能な限り、途中で施設内の構造を送信しろ。渡したマイクロチップなら連中に気づかれない〉

「最後までわたしはバックドア兼、案内役なのね」

 静かに溜息をもらした。

「いいわ、これが終わったらわたしを始末するんでしょ? 罪悪感で死んじゃいそう」

 リーパーが小さく通信越しに笑った。

〈残念だが、お前を始末する予定はない。お前の技術は必須だ。この任務が終われば、一週間くらいなら養父に会わせてやろう。『上』はそう言っている。お前は大層気に入られているからな。温かい時間を過ごしたいだろう? そのためにもう一仕事しろ〉

 内心で、ぐっと礼愛はこらえた。毒づいて、悪罵をついて、罵ってやりたい気分だった。

 どこまでも自分と養父を拘束する。最低の奴らに恨み言を叫びたい。けれど内心で罵倒しながら、表面上は従うフリをするしかなかった。

「はいはい、罪悪感さえ我慢すれば、今の状態は天国だものね。精々これからも楽しむわ」

〈その意気だ。――次の階層への到達も間もなくだ。ジョーカー、お前の働きに期待する〉

「……切るわ」

 その寸前、銃撃がして通信を終了する。

 防衛隊との交戦をリーパーが再開したのだろう。リーパーたちはすでにかなりの階層にまで潜り込んでいる。おそらくこの施設は制圧される。

「(でも……だからって、わたしには何も出来ないけれど……)」

 ふと思う。一緒に通路を走る医者や患者たちを横目に見ながら。

「(……海斗さん、怒るかな。柚葉さんは……悲しみだろうな。わたしがこいつらの犬ってわかったら)」

 やるせなさが胸に満ちる。全ては欺瞞だった。約束された裏切りの日々。罪悪感すら抱かせる暇のない殺し屋に利用される自分。それに苛立ちながら、礼愛は消沈する。

「(もう終わりにしたい……こんなもの……)」

 自分を案内する医師が、やや離れた位置で、自分を叫んでいる。いっそ、全部をぶちまければいいのに。そう強く思うが、所詮は夢だ。礼愛の脳裏に養父の顔がちらつくのに苦悩しながら、礼愛はシェルターへの道を進んでいった。


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