第四章  妹を狙う愛好会

 ――仮想世界。――メンタル治療。

 ――大牟田医師。――被験創造物。

 それら現実での記憶を一端封じ、海斗は再び創られたその世界へと戻ってきた。意識が浮上すると共に飛び上がり、勢いもそのままに周囲を見渡す。

「……兄さん?」

 目の前には携帯電話。柚葉のファンクラブとかいう変態どもの文字。

「待っていろ、柚葉、俺が助けてやる!」

 バンッ! という荒々しい音と共に、海斗は家のドアから飛び出していた。

 記憶の一部が封じられていても、これだけは忘れていなかった。許さない。許せない。こんな仕打ちをするストーカーども。俺が成敗してやる。決死の形相で駆け出す海斗。蹴破るように出口のドアを開け、一気に家の外へと向かう。

「待って兄さん!」

 背後で妹の柚葉が何か叫んでいる。しかし戻る気はない。時間がないのだ。あと二時間で愛好会どもから柚葉の画像が世界中に晒される。そうなれば彼女が危ない。

 あるのはただ、切実な想いだった。

 なぜ柚葉がこんな目に遭うのだろう? 納得できない。一人の少女が立て続けに嫌な目に遭いかけている。今まさに人生の瀬戸際にいる。そんな現実、全てふっ飛ばしてやる。

 必死に走る。その行く先は決まっている。そう、あの自販機だ。あの謎であり不可思議な自販機を使えばそれで済む。

「はあ……はあ……はあ……っ」

 走るペースなど考えない疾走に体が苦しい。やがて、自販機の前にまで来る。肩で息をして海斗はその前にまで向かう。

 相変わらず、自販機はただそこに在った。海斗の心臓がうるさい。ドッドッドッ――内側から食い破られそうだ。けれど海斗はそんな自分の体に構うことなく、自販機の商品名の欄を覗いた。すると――。


『石動斎人』

『菅原亜季菜』

『三好康介』

『朝倉麻里奈』

『二階堂明』

『佐木島雄一』

『三島悠平』

『高垣綾瀬』

『本庄若菜』

『岩倉光輝』

『左近壱乃助』

『岩渕喜四郎』

『柏木宏太』

『歌川春光』

『郷田弘人』

『小笠原裕二郎』

『如月悠真』

 ets……

「…………なん、だ、これは……」

 海斗は思わず呆けた声音を発する。

 嘘だろう? これは。こんな数、とても捌ききれない。想定外の数だ。いくらなんでもこんな。一人、二人、三人、四人、想像以上に、数が多すぎる。

「そんな……」

 海斗は、がくりと膝を地面についた。尋常でない汗が垂れてくる。こめかみや額、頬、様々な箇所から発汗し、塩辛い液体が唇に流れてくる。

「こんなに……人数が……」

 自販機に書かれていた名前は、膨大な数だった。見渡す限りの名前、名前、名前。どこを見ても見知らぬ名前ばかり。一つくらいは見知った名前があるのかもしれないが、どうでもいい、ニュースで見たことがあるような気がするがわからない。

 それらを把握することはできそうにない。物理的に網羅しきれないのか、駅の電光掲示板のように、自販機の商品欄の部分が、定期的に新たな名前を書き連ねている。

 それはつまり、自販機の欄にも収まりきらないということだ。多くの人間が、《柚葉たんエンジェル同好会》なるものに関わっている。

「――くそっ、どうすれば!」

 海斗はすぐに顔を振り乱して思考を落ち着かせる。駄目だ、慌てるな。最善の一手を。もう時間がない。海斗は急いで財布を取り出し、硬貨を取り出した。

「……足りない」

 すぐに海斗は気づいた。財布の中、硬貨はわずかな量だった。七枚の百円玉と一枚の千円札。それが海斗の所持金の全てだ。

 さすがにこの数の相手を裁くには足りない。自販機の商品欄には、見た限り千人以上の名前が表示されている。十万円以上の金がなければ始末しきれない。

 全体の人数がどれほどがわからない。ここにある金だけでは、たった十七人しか始末できないのだ。


「――困っているようでしたら、助けてあげられるかもしれませんよ?」


 不意に声がした。海斗はすぐ横の公園、茂った草木へと視線を向ける。

遊具の多い公園だ。ブランコ、滑り台、一通りのものは揃っている。その中の一角、やや草木の多い場所に、ほっそりとした少女が立っていた。

「――はじめまして。お兄さん」

 白い珠肌の美しい少女だった。人懐っこい目つき。服装は白いパーカーにフード、可愛い花柄のスカートを履いていて、その手はポケットに手を突っ込まれている。

学生服にパーカーという衣装だが、起伏ある女性的な体だとひと目見てわかった。声は甘く、髪はそれなりに長めで、肩と腰の中間くらいにまで伸びている。

 見た目だけなら、柚葉にも匹敵する可憐な少女だ。

「……誰だ? 俺は用があるから早く帰りたいんだけど」

 海斗は内心の動揺を抑え、冷たく応じた。少女はくすくすと笑い、小さく体を揺らす。肩より長い髪がわずかになびく。

「その前に、わたしからの質問です。あなたは不思議な力を持っていますね?」

 海斗は不審そうな目を向けながらも応じた。

「……なぜそんなことを? 意味がわからない」

「ふふ、想定内の反応です」

 少女はフードの中でにこりと笑みをこぼした。魅力的な、人を惑わせる笑顔だった。

「海斗さん。――『ハッカー』って知っていますか?」

 瞬間。海斗は少女に飛びかかっていた。公園の草むらに少女を押し倒し、その手首や脚を固定する。

 抜け出そうとする少女だが海斗の方が強い。あまりの差に敵わない。

「あはは! 痛い。草むらに押し倒して何する気です? もう、そういうのは合意の上で」

「……ふざけるな。なぜそこでハッカーと名乗る?」

 茶化されて、冷静になった。思えばおかしかいのだ。なぜ柚葉の携帯に知らないアドレスからメッセージが届いたのか?

 それはネットに詳しく、専門的な技術を持つ者が関与しているからだ。

「答えろ。お前が柚葉を嵌めた奴らの一人か」

 少女は、押さえつけられた両手首をわずかに動かした。海斗の心臓の音が、高く鳴り響く。嫌な風に。海斗は凍りついたまま少女を見下ろす。彼女はにこりと笑っていた。

「違いますよ?」

 少女は心外な、というように眉を寄せて応じた。

「いくらなんでもこの状況でそれは馬鹿すぎませんか? 犯罪を起こした関係者が呑気に話しかけるなんて。アホの極みです」

「……じゃあお前は何だよ。どうして事件を、柚葉のことを知っている」

 少女はもう一度だけ逃れようとして、無理だと諦めた。短く、吐息をして応える。

「えっとですね。最近の防犯カメラって、ネットワークで繋がっているんですよ。で、わたしは趣味がハッキングでして。日頃からテキトーな場所にアクセスして、凄い資料とかやばい現場とか覗いているわけです」

「……それが、どうした?」

 あごで海斗が促すと、少女は友好的な笑みで口を開き続ける。

「わたし、偶然にも見ちゃったんですよ。海斗さんがあの日、『自販機』に硬貨を入れて、コンビニ強盗を殺害するところを」

「――」

 衝撃が海斗に走った。見られていた。あの日、あの瞬間を。

少女は乱れたフードの奥で楽しそうに笑っている。

「妹さんを放って、何をするのかと思ったら、バイト先の先輩と通話してるじゃないですか。あなたのことは、つい興味で眺めていただけなんですけどね。予感がしたんですよ。面白そうな、ね。そしたらあなたが自販機に何かをした。――すごい形相で。まるで、これから人を殺すみたいに」

「……」

 無言の海斗に、少女はにこやかに笑みを浮かべながら続きを語る。

「そうして、しばらく見てみたら、なんと! ニュースでコンビニ強盗が死んだとか報道されてるじゃないですか! これはさすがのわたしもびっくりです。――まさか自販機で人を殺せるなんて」

「……妄想のしすぎだ」

 一蹴した。少なくとも感情のゆらぎは感じさせたつもりはなかった。けれど少女は薄笑いをやめない。

「いいえ。妄想ではありません」少女はきっぱりと言い切った。「興味が出たのであなたを少し調べさせてもらいました。――楠木海斗さん、あなたは数日前、相原宗吾という男性も殺していますね?」

「……っ」

 海斗の全身が怖気で硬直した。

「理由は暴力。そして妹への暴行を示唆されたからため。……すみません、ハッキングしてあなたの携帯や周囲の防犯カメラから色々見ました。これ、すごい成果ですね。状況的に、あなたは自販機を使って相原宗吾を殺したとしか思えない」

 海斗は後悔する。あのとき、つい口に出して、色々とこの自販機について言ってしまった。けれどもう取り返しはつかない。彼女は全て話していく。

「通行人に確認の声もかけてましたよね? ――それもあって確信しました。あなたは自販機で人を殺すことが出来る」

 何も海斗は言えない。彼女の瞳は好奇心で溢れていた。

「驚きましたよ。ファンタジーじゃないですか。原理は知りませんが、遠隔で殺人できるとか。――何か間違っていますか?」

 海斗は押さえつけていた力をそのままに目を閉じた。そして軽く息を吸うと、ゆっくりと吐き出す。

「それを聞いて、どうする?」

「ただの好奇心です。せっかく二週間も張り込んだのですから、答えは知りたいじゃないですか。わたしの二週間は何だったのか。時間返せこのやろーと。色々と知りたいです」

「……外れだよ。俺はそんな大それたこと、出来るわけがない」

 海斗はすぐさま吐き捨てた。

 少女はむふふ、と目を細める。まるで獲物を見つけた悪魔のような。

「――《柚葉たんエンジェル同好会》をどうにかしないと、いけないのでは?」

「……それは」海斗の体が強張った。

「あと一時間半くらいで、大変な目に遭うんですよね?」

「……っ」

 海斗は逡巡した。こいつは今すぐ始末するべきだ。脳裏に警戒心が募っていく。

けれどそれとは反対に――何か利用できないかと思う。今はどんな手段も味方も欲しい。贅沢を言っている暇はなかった。

「あ、まさかとは思いますけど、わたしを消せば終わりと思っています?」

「……何か、対策を?」

 海斗は目を細めた。少女は猫のように目を細めた。

「そりゃまあ。さすがに殺人犯の前に出るのに無策はあり得ないですよ。わたしの身に何かあれば、ヤバいデータが散布されるようにしてあります。携帯、パソコン、その他アナログな手段も。全部で二十個ほど。それで平気だと言うのなら、どうぞ始末してください」

 少女はにこにこと、自分の首を差し出すように体を仰け反らせる。他者をとろけさせるような声で。喉元に刃を添えるかのような言葉を告げてくる。

「……何が望みだ?」

「理解が早い人は大好きです。――えっと、海斗さんに頼みたいことがあってですね」

 眉を潜め、海斗は少女を見つめ返した。

「じつは、父がヤバい場所に捕らわれていまして。そこから助けてほしいなーって」

 海斗は眉をひそめた。予想よりもずっと切実な頼みだった。

「お前の、父が……?」

「はい。それで救援の依頼を。防犯カメラをハッキングしてたのも、本当は父親の足取りを掴むためです」

 海斗は鼻白んだ。嘘か、それともでたらめか。判断がつかない。

「……自分で出来るだろう。ハッキングをすれば」

「のんのん。――世の中、全部がネットで繋がってるわけじゃありません。世の中にはアナログが大好きな、ふるーい人間も結構います」

「……理解は、出来るが……」

「で、うちのアホ親父はそんな野郎に捕まったみたいで。わたしではどうにもなりません」

 海斗は無言を貫いた。彼女の言っていることは事実だろうか? ――嘘にしては込みいっている。ここまで手間暇かけるだろうか。構わず少女は続けていく。

「結論として、ハッキングしか能のないわたしでは太刀打ちできないんですよ。ですからあなたの不思議能力で、どうか手を貸して頂けませんか?」

 海斗は目をつぶり、嘆息をして再び目を開けた。殺すべきか、生かすべきか。結局、協力するしか道はないのだろうと悟る。

「……俺が、もし断った場合は?」

「お互いにとって嫌な結果が待っている、ということは確定でしょうね」

 やはりだ。海斗は苦虫を噛み潰したような顔を浮かべ、はあ、と小さく息を吐く。

「わかった。ストーカー集団は一時間半で柚葉を不幸にする。――解決できるか?」

「あは。三十分あれば楽勝です♪」

 少女は、これまで一番魅惑的な笑顔を浮かべた。


 ――二十四分後。彼女は携帯を操作し終わり、ポケットにしまった。

「さて。では自己紹介しますね。わたしは月島礼愛(つきしま れあ)と申します。どうぞお見知りおきを」

 少女――礼愛は、にこやかに笑顔を振りまきながらそう名乗った。

 どうやら本名らしい。協力するからには偽名などは無しだそうだ。半ば脅迫しておいて面の皮の厚い女だと海斗は思ったが、彼女は和やかな声音で提案してくる。

「あの、移動しませんか? 道端で行う話でもありませんし」

「そう、だな」

 礼愛の手際は驚嘆ものだった。あの後、海斗が手を離した直後、彼女は手持ちの端末からいくつかの操作を行うと、あっという間に終わらせてしまったのだ。

 ハッカーというのは嘘ではない。にやりとした笑みを向け、礼愛が成果を自慢してくる。

「とりあえず、速攻でウイルス五つぶち込んでおきましたから。今頃柚葉たんエンジェル同好会とかいう変態たちは、機器が破壊されて阿鼻叫喚ですよ」

 無言の海斗が、複雑そうな顔つきをしていたのだろう、礼愛は防犯カメラをハッキングした映像を見せてきた。動画から阿鼻叫喚な映像が端末から流れてくる。

「これで信じてもらえました?」

「まあ、それは」

 業腹だが、礼愛の腕は本物としか言いようがない。危険分子を簡単に無力化できる実力、その腕前だけ信用に値する。優秀なハッカーだった。

「すごいもんだな、魔法みたいだ」

「まあ自前のウイルスと相性良かったので。あと防御もお粗末でした。運もありましたよ」

 謙遜なのか何なのか、彼女はそんな風に評する。

 やがて協力することを受けた海斗は、電話して柚葉に少し遅くなることを伝えた。夕飯は一人で食べてもいい、バイト先で忙しくなったと適当な理由まで柚葉に伝えて移動する。

「行きつけのカラオケ店があるんです。そこへ行きましょう」

 礼愛の提案した礼愛の後をついていき、仕方なく海斗はその店へと向かう。

 さびれた商店街を通り抜け、裏道をいくつか進んで、やや大きな道に出る。周囲から微妙に隠れた、カラフルな城のような建物がいくつか見えてきた。

「……おい。ここは、歓楽街か?」

「ふふ。ラブホでえっちいことでもします? お礼の前払いで?」

 海斗が無視して明後日の方向を見ていると、礼愛は唇を尖らせた。以外と子供っぽい。

「冗談ですよ。お約束じゃないですか」

 何かどうなってそうなるのか、わからないが、本気でないことだけは確かだった。

 礼愛がさらに裏路地を通ると、やがて大きなカラオケ店が現れる。

「馴染みの店です。――で、早速ですけど。中で相談しちゃいましょう」

 適当な部屋を選んでから、海斗は礼愛と共に個室に入るなり、彼女はそう言った。注文した飲み物を一口飲む。炭酸らしい。美味しそうに喉に流し込んだ後、礼愛は続ける。

「わたしの家、数年前から貧乏なんです」

 彼女はそう言って切り出した。口の端に飲み物が少しついていたのに気づき、ぺろりと舐める。

「父は、何か怪しい商売に手を出していまして。で、それでしばらくは上手くいっていました。まあ娘が一人育つくらいには稼げていたんですけど……問題が生じたんですね」

 彼女は細い眉を困ったように寄せる。カラオケの曲名を適当に打ち込んで、それをキャンセルして、と数度繰り返す。

「会社のお偉いさんの私物を壊してしまったみたいなんです。それで逆鱗に触れてしまって。家に帰って来れなくなりまして」

「……大変な事態じゃないか」

 礼愛は思わず身を乗り出した。顔が近い。それと、大きな胸が視界に入って海斗は無言になる。

「そうなんです。一ヶ月前にどこかに監禁されてしまって。それからは音沙汰なしです」

「……なるほど」

「娘のわたしとしては育ててもらった恩もあります。だから絶対助けたいです。……先程も言った通り、相手はアナログ主義なので。わたしではどうにもなりません。そこで海斗さんの出番です」

 海斗は嫌そうに吐息をついた。思えば貧乏くじを引かされたものだ。裏社会の人間に関与するなんて、柚葉には絶対に聞かせられない。

「あの自販機を使って、手助けをしてほしいというわけか? お前の代わりに」

「ビンゴ! さすが海斗さん、大正解!」

 シャンシャン、と、なぜか持ち込んでいるタンバリンを鳴らして礼愛ははしゃいだ。

 これは演技なのだろうか。不安や恐怖を押し込めるための、彼女なりの防衛か。

そう考えると、同情が湧かないでもなかった。

「それで、ここからは細かい相談なんですが。……海斗さん、例の『自販機』って、どこまで出来ます?」

「……というと?」

 礼愛はタンバリンをテーブルの上にことりと置いて続けた。

「ん、色々あるじゃないですか。お金を入れてるってことは、少なくともノーリスクっていうことはないですよね?」

「まあ、そうなるな」

「限界とか、あとはルールがあるのかと。もし何でもありの力ではないのなら、スペックを知りたいです」

 頷ける話だ。礼愛としては父親の無事を確保したいのだろう。そのために協力者の情報はどんなものでも把握しておきたいはずだ。

 海斗は無造作にテーブルの上の飲み物を手に取り、渋面をしつつ飲み干した。

「……あれは、人を殺すしか出来ない自販機だ」

 テーブルにコップを置いて、海斗は語り出す。

「お金を入れて、始末したい相手がいれば、顔を浮かべる。そうすれば商品欄に名前が載る。後はボタンを押すだけだ」

「うわー、エグい凄さ」

 礼愛は心底驚いた顔つきで目を見張った。

「え、本当ですか? え。……他に条件とかは? わたしでも使えます?」

「無理だと思う。今のところ、俺以外で使える人は見たことがない。詳しいことは知らないが……ただ、相手の特徴を知るだけでも殺すのは可能だ」

 礼愛は驚きと畏怖を半分ずつ混ぜたような顔つきをした。

「それは……また。ヤっバい自販機ですね」

 改めてとんでもない自販機だと海斗も思う。実際に使ってなければ与太話としてか思えない。

 礼愛はいくつか独り言を呟きながら色々と思索しているようだった。

「確認ですけど。それ、海斗さんにしか使えないんですよね?」

「たぶんな」

「そうなると……お礼はどうしよっかな。軽いものだと失礼ですよね」

 鼻で息を吐いて、海斗は応じた。正直どうでも良い話だ。

「何を今さら。……お前、俺を脅迫しているようなものだろ。そんなもの期待していない」

「いいえ、お礼は大事です!」

 礼愛は突然立ち上がり、声を大にして叫んだ。

「そして誠意は見せます。どんな経緯があったとしても、お礼だけはしないと! でなければ、誠意も感謝も伝わりません!」

 数秒後、ハッとして彼女は自分の口元を抑え込んだ。自分が予想外に大きな声を出してしまったことを恥じたのか、小さく微笑んでソファに座り直す。

「すみません、興奮しました」

「別に、いいよ」

「肝心の報酬ですけど、きちんと支払います。お金で……だと味気ないですかね? まあ自販機用としては妥当ですか。……あ、適当な旅行券の詰め合わせはどうです?」

 興味がない。――というより余裕がない。思わず海斗は顔をしかめる。

「……残念だが、殺人をした報酬で出かけるのは嫌だ。柚葉にも渡せない」

「まあそうですよね……無神経ですみません」

 すぐさま目をつぶり、あーでもない、こーでもないとつぶやく礼愛。

「海斗さんの性格、少しわかりました。……では、わたしとの性交渉で良いですか?」

「ねえよ」

 飲んでいた炭酸ジュースをこぼしかけた。テーブルに飛沫が少しだけこぼれていく。

「なぜそうなるんだ。ビッチなのか?」

「ほら、ちょうどカラオケ店ですし。密室ですし。どんなことされても構いませんよ?」

 海斗は目頭を揉んで、大きく溜息をついて、途端に不機嫌を隠そうともせず呟いた。

「知り合って間もない相手、それもハッカーの女となんて嫌すぎる。俺にだって選ぶ権利くらいあるぞ」

すると礼愛は背中を折って爆笑した。

「あはは! ですよね。わたしも思います。自分で言っておいてですけど。でも、じゃあどうしましょう? 報酬なしは嫌ですよ? タダ働きはノーサンキュー、わたしも相手も苦労したら、その分見返りを。これゼッタイに譲れません」

 しっかりしているんだか狡猾なのか、よくわからない娘だ。備え付けのタオルでテーブルを拭いて海斗は仕方なく応えることにする。

「別に何でもいいけど。期待してるものなんかない。別にキスでもハグでも構わない――」

 瞬間、礼愛はいきなり身を乗り出すと、海斗の頬に唇を押し付けた。

 硬直して動けない海斗の前で、礼愛はにひひっ、と口元を覆ってみせる。

「……おい。何を」

「前払いです。とりあえずほっぺにチューでどうです? 唇だとさすがに嫌だと思ったので、ほっぺにしておきました」

「なにをしてるんだ……。このアバズレ」

 咄嗟にハンカチで頬を拭き取ると、礼愛は残念そうな顔を浮かべた。取り合わず、海斗はソファの上で距離を取る。

「今から俺の二メートル以内に近づくな」

「ひどーい! 別にタダでするわけないですよ。前払いですよ、報酬の一環。……だって人殺しをさせるわけでしょう? 何でもいいから、お礼はしないといけません」

「……」

 律儀ではある。ただの酔狂ではなさそうだ。だが破天荒な面もある。読めない女だった。

 とはいえ、このまま断るわけにもいかない。彼女の力は本物で、柚葉を救ってもらった恩もある。はあ、と海斗は内心で溜め息を吐いた。

「……金でいい。それが一番無難だろう」

「ですね。それでは詳しい日程を決めましょう。海斗さんにも日常があるでしょうし」

 海斗は頷いた。ようやく本題に入っていける。

「『自販機』を使っても問題ない日を決めてください。あ、出来るだけ早めにお願いしますね。うちの父、監禁されてもう一ヶ月なので。さすがに早く助けないと、やばいです」

 まくしたてるようにしてそう言った彼女は、けれど、笑顔の裏に焦っているものを感じさせた。

 父。つまりは家族だ。海斗にとっては柚葉。おそらくはそれと同等程度の大切な人。

ふざけているが言葉の端々に不安は感じる。おどけているだけの馬鹿な娘ではない。

だからだろう。合って間もない娘に協力することを、本気で拒まなかった。

「――そうだな。今夜、決行する」


 夜半。柚葉が自室で眠ったのを確認し、海斗は礼愛へとメールを送ると、了解の返事がきた。

 礼愛は念の為と言って、確かめてきた。さすがに急な日程とは彼女なりに思っているのだろう。

『いいんですか? わたしとしては助かりますけど』

『速い方が良いと言っただろ?』

『……ありがとうございます』

 礼愛の文章からは戸惑いが感じられた。けれど本心では安堵しているのも感じ取れる。通信アプリの、ふざけたスタンプから彼女なりの照れや感謝もわかる。

 あの自販機は人殺しの兵器だ。『その心の準備は良いのか?』と、問われているように海斗は感じた。

 しばらく間が空く。礼愛から再びメッセージが届いてくる。

『了解です。自販機の前で落ち合いましょう』

『ああ。変装はしてこいよ』

 夜半だが、学生にしか見えない二人が夜に出歩くのを不審がる者もいるだろう。海斗は昼のうちに買っておいたウィッグを被って、静かに家から出た。


「なんですかその髪型? 変装にしたってもう少しなかったんですか?」

 自販機前に向かうと礼愛は開口一番、お腹を押さえて爆笑した。七三分けのウィッグだったのだが、たしかに自分でも似合わないと海斗も思っている。

「うるさいな。そういうお前こそなんだそれ。ツインテールでピンク髪とか。コスプレか」

 礼愛はどうみてもコスプレ会場かコミケでしか見ないような格好をしていた。ドヤ顔だが非常に絵になるのがまた悔しいところだ。

「あは。こういうのは原型留めてなければ良いので。先ほど見てたメイドアニメの影響で」

「……そういうのもハッキングで見放題とか?」

 礼愛は少しばかりむっとして眉を歪めた。

「何でもかんでもハッカーが違法行為してるわけないですよ。普通に買って見ることはあります。メイド服は趣味です、趣味」

「趣味かよ」

 面倒くさいにも程がある。これも冗談の可能性もあるが。

「……試しに挨拶やってくれないか。お帰りなさいませ、ご主人さま。とか」

「お帰りなさいませー、お兄ちゃん様☆」

「うぜえ」

 と海斗が言うと、礼愛が慌てて謝りだした。

 くだらないやり取りをしつつ、周囲の様子を伺う。特に怪しい人影も何もなかった。

「――さて。世間話はこのくらいにして始めましょう。準備は出来てます?」

「大丈夫だ。お前から話を聞いて、父親を監禁してる人間を思い浮かべるだけだ」

 礼愛が乾いた笑みを浮かべた。「改めて聞くと、すごい能力ですよね……」

 海斗もそう思う。けれど、事実なのだから仕方ない。

「確認する。お前の父は、見た目は平均的な四十代。白髪は多めで物静かな印象。サラリーマンで、灰色縁のメガネをかけていて声はややバリトンに近いんだな?」

「はい。それでいて、大体は曖昧な笑みを浮かべている――まあ、どこにでもいる中年ですよ。……でも、わたしにとっては唯一の肉親です」

 その言葉には確かな重みがあった。肉親に抱く愛情、信頼、そして絆。それが失われかけている、恐れ。

「……続けるぞ。体型は中肉中背。昔ボクシング部に所属していた影響で、耳が若干潰れている。他には特筆すべきことのない、中年男性」

「はい。……あの、たったこれだけの情報で、本当に監禁されてる父の犯人を、始末出来るんですか?」

「できる。それだけは確かだ」

 庇護すべき人間の大まかな情報だけでも、『守りたい』と思うくらいで可能だ。ましてや今回は肉親である礼愛が隣にいるのだ。『救わなければ』という想いはより強くなり、成功は容易い。

 やがて、自販機の商品名に人名が列挙され始めた。

『佐渡玄朗』

『渡邉龍則』

『鈴藤純平』

『音田与士郎』

『糸部徹』

 通算で五人の名前。それが、突然に商品欄の項目に現れていく。

 瞬間――礼愛の顔色が、さあっと変わる。緊張が見て取れる。興奮も瞬時に現れ、凝視する。

「――見えませんけど、何となく感じます。いま、名前出てますか?」

「そうだ。――たぶん、暴力団か何かの人間だろうな、五人だ」

 礼愛が無言でその名前の部分を睨んでいる。

 海斗は財布から百円玉硬貨を取り出した。他にも大量始末が必要な場合に備え、紙幣も用意している。しかし、たった百円玉五枚で片付きそうだったため、拍子抜けだ。

「……それを入れて、ボタンを入れたら、この五人は……終わるんですよね?」

「そうだな」

 礼愛は迷うような目をして、何秒か辺りを見渡した。

「平気なんですか? 人を始末することに。抵抗とか。なんだったらわたしが――」

「無理だ。これは俺にしか見えないし、俺でないと発動しない。――始末はあくまで俺が認識して、金を入れ、ボタンを押す。これは決められた手順だ」

 礼愛は怪物でも見るような目を向けてきた。

「これを……海斗さんは繰り返したんですよね?」

「……そうだ。お前と動機は一緒だよ。妹を、『家族を救うため』に。そのために、俺は使った。動機としては真っ当だろ?」

「……すみません」

 礼愛は頭を下げた。その瞳に塊根が浮かぶ。

「わたし、話半分でやっていたところがありました。海斗さんがあのニュースの惨状を引き起こした張本人で、その手段がこの自販機だということも特定して。……けれど、頭のどこかで『あり得ない』というか、自分の間違いだと思っていて」

「……当然だろ。誰もこんな自販機なんて信じない。俺だけが使えるなんて思わない」

「それもそうですけど。海斗さんに、無用な事をさせようとしているのが、申し訳なくて」

「……別にいいよ」

「手段はどうあれ、人を……消すわけですし。責任とか、重そうだと」

 海斗は鼻で息をついた。責任? 冗談だ、今更そんな。馬鹿にするように口角を上げる。

「見たこともない他人にそんなものは感じないよ。どうでもいい。柚葉との生活を阻害するなら、消すのに躊躇いもない」

 礼愛は、小さく「それは随分……いや、言っても野暮ですね」と呟いた。

 隣にいるため大半は聞こえてしまったが、海斗としては今さらな話だった。

 今回は家族や恩人には関わらないが、依頼されて相手の名前もわかった。このまま決行するのが最善だ。

「じゃあ、いくぞ」

「……はい。お願いします」

 海斗は、『佐渡玄朗』という人物から順番に、五人分、ボタンを押し込んでいった。

 その様を、固唾を飲んで礼愛が見守っている。最後の『糸部徹』を押すまで、一分も掛からなかったはずだ。それでも礼愛には、何時間にも等しい時間が流れているのだと、海斗はなんとなく横で感じられた。

「……終わったぞ。後はどうする?」

「ネットにアクセスして、情報がないか調べてみます。監禁場所はデジタルから隔離されていますけど、周りの人間が同じではないでしょうから。何か変化があるはずです」

「わかった」

 海斗は周囲を見渡した後に、提案をした。

「今日はもう帰ろう。警官にでも見つかったら面倒だ」

「はい。……あの」

「なんだ?」

「――助けてくれて、ありがとうございました」

 礼愛は一瞬だけ、ためらってから頭を下げた。いつもははしゃぎ気味の声音も、今だけはとても真摯なものに見えた。


『――進展がありました!』

 というメールを受け取ったのは、それから八日後の朝だった。柚葉と朝食を取り、さて登校しようかと鞄を持ち上げたとき。適当に学校を休むことを柚葉に伝え、自室の中でメールの返信を打った。

『どうなった?』

『四つ隔てた県に、父が監禁されていたようです。――付近の住民によると、腐敗臭を感じて警察に通報したら、五人の遺体が発見されたと』

『お前の父は?』

『そこで発見されました。今は病院にいるそうです』

 海斗は急いで、待ち合わせの場所を決めて家を出た。以前に向かったカラオケ店を指定し、待ち合わせ場所で合流。学生服から私服へと着替え、海斗は急いで赴いた。

合流するなり、礼愛はすぐに駆け寄ってきた。今度は彼女も私服だ。

「病院の人曰く、面会はまだ無理みたいです。監禁先で栄養はチューブで自動補給されていたみたいですけど、かなりひどい乱暴をされたみたいで。話はまだ無理ですけど、見るだけなら、と。これから特急に乗って向かいます」

 そう言って、一枚の切符を寄越してきた。

 特急の中、礼愛はほぼ無言だった。一度だけ柚葉のことを聞いてきたが、適当に話をでっちあげて家を出たと応えると、「嘘もほどほどにしてくださいね」と笑みを返してきた。

 そのときは悪戯っぽい笑みだったが、それからは無言だった。何か言った方がいいのだろうか。けれど口下手気味な海斗には気の利いたことも言えない。ハッキングへの恩義はある。けれどそれに報いきれない自分を歯がゆく海斗は思った。

 それでも時は進む。降りる駅につくと、ドアが開くのももどかしく礼愛たちは走った。

 そこは、大きな病院だった。病床何百とあるのが伺えるような大病院。地元の小さな病院くらいしか見たことのない海斗は、それだけで圧倒されてしまった。

 その感情は礼愛も共通のようで、真面目な顔つきのまま走ると、受付で自分の名前と、要件を病院のスタッフへと告げた。

「電話で予約をしている、月島礼愛です。父の容態を確認しに参りました」

 受付のスタッフに簡単な説明を受け、対応する別のスタッフに引き継いでもらう。

 海斗と礼愛の二人は、病院の中を歩いていった。広い病院だ。すれ違う医者や患者の数からも大きな場所だとわかる。同時に、このような大きな病院に移送された事実。

 それだけ悪い状態なのだと、嫌な予感ばかりが脳裏をよぎる。

「少しショックを受ける光景かもしれませんので、覚悟しておいてください」

案内してくれた病院のスタッフは、そう小さく言った。礼愛も海斗も頷いた。廊下をさらに進む。そしていくつかの部屋を通り過ぎた後、その場所はあった。

「…………っ」

 個室だ。清廉な白亜の病室に、白髪交じりの中年男性が眠っている。痩せてはいるが見た目上は命に別状はなく、静かに眠っている。それだけを見るならば、ここにいるのは少し大げさに思えるものだった。――全身に、包帯が巻かれているのを除けば。

「おとうさん……」

 礼愛は唇を噛み締めた。様々な感情が彼女の中をよぎり、激情を必死に耐えているのが隣の海斗にはよくわかる。病院のスタッフが説明してくる。

「発見されたときから、あの状態だったようです。……あまり良くない人に監禁させられていたようです。そのときに負わされたものらしく」

 礼愛が何か言おうとして、その寸前で押しとどまった。大きな吐息をついて、天を仰ぐ。

「……でも、また会えて、本当に良かった……」

 礼愛の拳が小さく震えている。その言葉に万感の思いが込められている。それ以上はどんな言葉も出ない。嗚咽の声が聴こえる。彼女は眠る父親の前で静かに涙を流し続けた。海斗と病院のスタッフは、そっと部屋から退出した。


「――わたし、父とは血が繋がっていないんです」

 病院の外。屋根のある駐車場、その傍らのベンチにて、礼愛は滔々と語りだした。

「そう、だったのか」

「元々、わたしは水商売の母と、客だった実父の間に出来た子で。施設に預けられていました。悪ガキとして有名で、院長とかにも迷惑かけて。それでも引き取ってくれたのが、今の父なんです」

「……優しい人だったんだな」

 礼愛は顔を伏せながら頷いた。

「はい。わたしにとって、養父は本物以上の家族でした。家族は捨てたり、拾ったり出来る間柄。永遠なんてものはない、仮初めの枠組み。そう思っていましたけど、養父……お父さんは、わたしのことを愛してくれた。ごく普通の服を買ってくれて、ごく普通の家に住まわせてくれました。普通のご飯を食べて、ごく普通に夜に眠る。それだけの幸せをくれたんです」

 海斗にはよく分かる。それは平凡そうに見えて、本当は宝物のような日常だ。

「当たり前に両親がいる人からは、想像できない幸福。わたしにとって、お父さんはすごく大切な人。だからなくしたくない。――だって、世界の半分と言ってもいいですから」

 幼い頃に捨てられた少女は、ベンチで足をぶらつかせ、小さく頬を緩める。

 その瞳には長い時を過ごした思い出が映っていた。

「でもそんなわたしを育てることに、お父さんはずいぶんと苦労したみたいです。元々がお人好しですから。どこかで馬鹿な知り合いに引っかかったのでしょう。違法な話に巻き込まれ、こうなってしまった。わたしは――」

 礼愛は、小さく、本当に小さく、吐息をもらした。

 彼女にとって、養父とは自分を普通に育ててくれた恩人であり、最も身近で大切な人だ。それがどんな理由であれ、以前とは違う状態で戻ってきた。悔しさと虚しさで、胸が張り裂けそうなのだろう。

「礼愛……」

「まあ、今は医療も進んでいますしね。平気でしょう」

「……それは、どうだが」

「それに、命があるだけ幸いです。――もう、会えないかもと思っていましたから」

 感情に無理矢理ケリをつけた口調だった。

 礼愛は、いきなりその場から立つと、真っ直ぐな目をして、海斗を見上げた。

「今回は、ありがとうございました。海斗さんのおかげで、父を救えました」

「……俺だけの成果じゃない」

 少し恥ずかしそうに返事をする。紛れもない本音ではあるが。

「お前の努力が前提だ。二人の成果だよ」

「ですね。ありがとうございます。本当に……本当に……」

 礼愛は笑った。お世辞でも嬉しいらしい。

 そしてその場で崩れ落ちると、はじめは小さく、やがて声を上げて泣き出した。

 出会ってからそれまで、ずっとこらえてきたのだろう。けれど、もうそんな必要もなくなった。しばらく、嗚咽と、「お父さん……お父さん……」という声だけを礼愛はもらしていた。


「――お礼、何にしましょうか」

 ひとしきり感情を吐き出した後、礼愛が切り出したのはそんな話題だった。

「金が無難だと言っただろう。大層なものは受け取れない」

「それはそうですけど。でも味気ないですよ。万札渡して終わりとか。つまらない」

 礼愛がベンチに座りながら足をぶらつかせた。

「じゃあ、どんなお礼なら相応しいと思うんだ?」

「そうですねぇ。やっぱり、子作りとか良いんじゃないか?」

「そういうのはもういい」

 海斗が呆れるように嘆息を漏らすと、礼愛がくすりと笑った。

「じゃあ、こうしましょう。――柚葉さんの家庭教師をやる、というのはどうですか?」

 海斗は思わず彼女を見返した。

「……家庭教師? なぜ?」

「話を聞く限り、学校にトラウマを持ってますよね? 今後も行く算段はついていない」

「それは、まあ」

「なのでわたしが少しでもお手伝いすれば、お礼になるかなー、と」

 海斗は戸惑った。そんなことでいいのか? そもそも柚葉に何と説明すれば良いのか、色々と聞かれそうだ。若干の面倒臭さと戸惑いを感じる。

「……まあ、そんなことでいいのなら。えっと、本気なんだな?」

「本気ですよ。海斗さん、物欲はないみたいですし。妹さんのお手伝いが最適です。――あと、万一、《柚葉たんエンジェル同好会》が活動を再開しても、ハッカーであるわたしなら防げます」

 海斗の心臓が大きく鳴った。そうだ。まだそれは終わってない。礼愛が強制的に、中断させているだけだ。物理的に接触を困難とさせているだけで、いつかは何かの、アクションを起こしてくる可能性は高い。

 ハッキングを特技とする人間がいるのは、何より頼れる味方になる。

「わかった。それでいい。――柚葉の力になってくれ」

「はい。約束です。海斗さんが、わたしの父を守ってくれたように。わたしは海斗さんの大事な家族を、守ってみせます!」

 まるで雨上がりの陽光のように、にこりと微笑んで、手を差し出した。その笑顔は眩しすぎるものだから、少しばかり照れ臭かったが。

海斗は、ゆっくりと、その手を握り返したのだった。


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