第二章 恩人からのSOS
――状況が変わったのは三日後だ。
『宗吾くん、助けて』
そういうタイトルで送信されてきたメールを見て、海斗は硬直した。
送り主は、笠原だ。宗吾によってバイトをクビになった元同僚。気さくな女子大生の、元バイトの先輩。宗吾がまだいた時、苦境に立っていた海斗を何度も励ましてくれた人だ。
その恩人からのメールを開き、海斗は硬直し驚いた。
『今、コンビニで働いているんだけど、【強盗】が現れたの。
店長が脅されて、私はスタッフルームに隠れてメールしてる』
海斗は顔が強張った。――どうして? 宗吾が終わったのに、よりによって今度は笠原さんが?
困惑している暇もない。笠原は混乱しているのか、誤字脱字したメールをその後もいくつか送ってきた。要約すると、内容は以下のようなものだった。
『どうしよう』『強盗が何か叫んでる』
『店長が脅されてる』『店の品が落とされてる音がする』
『金属の棒が何かで叩く音』『助けて。海斗くん』
海斗は急いでメールを送り、状況を把握しようと務めた。
〈今、どこのコンビニですか? 現在地が判るアプリとかあります?〉
気が動転しているのだろう、笠原は一分くらい経ってから、画像つきのメールを送ってきた。海斗は思わず唸りを挙げる。アプリで詳しい行き方を調べた。
「(かなり、遠いな……)」
三つも県を隔てた都市だ。とても海斗がすぐに助けに向かうことは出来ない。警察を呼ぶ時間も厳しい場所だった。
その後も笠原からしきりに、メールで『怖い』『店長の涙声が』『強盗が叫んでる』『助けて』『助けて』『怖い』と送られてくる。
これはもう一刻の猶予もない。海斗は行動を決意した。
「すみません、妹が体調を崩したので早退します」
もっともらしい理由を作って、海斗はバイトの職場を離れた。急いで電車に乗り、すぐさま携帯を取る。レールが揺れる感覚が迫る。遅いと感じる。その間に携帯を確認すると、笠原からのメールは二十件を超えていた。
不意に携帯が鳴る。笠原からの電話だ。
『海斗くん! どうしよう、店長が! 殴られて血がっ!』
「とりあえず救急車を呼んで下さい。ううん、俺が呼んでおきます、警察も呼びますね」
笹原の返答は混乱してよく聞き取れない。海斗は矢継ぎ早に指示を出した。
「笠原さんは店長の看護を。頭を打たれたなら動かさないで。それ以外に傷があるなら、包帯とか医療具を」
『わ、判った! ――店長、大丈夫ですかっ』
通話を切るのも忘れて、笠原は看護をし始めた。海斗は救急車を呼び、警察も呼び出した。その間にも、自販機への移動は続いている。
早く電車着け! 遅い! と呟きながら罵倒すると、やがて最寄り駅に着いた。急いで下車し。走って自販機のもとへと急ぐ。
ふと気づく。海斗は強盗犯の名前を知らない。顔すら判らないのだ。この場合、あの自販機は使えないのでは?
どうすれいい。どうすれば。――やがて視界に自販機が見えてきた。考える余裕もなく、海斗は自販機の前に立つ。
そこには――とある文字が記されていた。
『相澤宗十郎』
「――」
その時の海斗の気持ちを、どう表現すればいいだろう。
安堵? 歓喜? 恐怖? あるいはその全部か。けれど、これはチャンスだった。知らない名前だったが、確信がある。この名前の主――こいつが、笠原と店長を危機に陥らせた元凶だろう。そうに違いない。
「――笠原さん」
海斗は未だ通話状態だった笠原へと声をかける。声音はわずかに震えていた。
「強盗犯の名前、判りますか?」
『え? 名前は……その、一昨日までうちに勤めていた人なの。バイトしていて、六十代の人で』
「うん、それで?」
『名前は――相澤宗十郎という人なの。それが……なに?』
奇妙な高揚感と安心感が、海斗を包み込んだ。総身が歓喜で打ち震えていく。同じだ。これは――同じだ。海斗は内心で笑っていた。これで救える。もう何も問題はない。
「……一応聞いておきます。暴力とか、問題のある人だったんですか?」
『え、ええ……』
笠原は、言いにくそうに声音を低くし、その先を告げた。
『その、一昨日、店長と時給のことで揉めて。それで暴力振るって辞めたの』
「判りました。いま、警察を呼んだので、対処してくれると思います」
『ありがとう……海斗くん』
笠原は、警察が対処することを信じた。そして改めて、海斗は目の前の殺人自販機――そこにある名前を見上げる。
『相澤宗十郎』
偶然ではない。あるべくしてこの名前はここにある。海斗は、思わず全身が身震いした。静かな足取りで自販機の目前で呟く。
「まさか、直接会った事がなくともいいなんて。『そうするべきだ』と思うだけで、相手を特定出来るなんてな」
どういう原理で判明させたのか、それは誰が行っているのか、海斗には判らない。
けれど、いまは笹原を救うことが重要だ。彼女を不幸に陥らせた者の名が、『相澤宗十郎』という名前。それを知れたことは朗報だ。
海斗は決意を固める。――バイトの身で乱暴を行った。強盗を行った。相当な乱暴者だったのだろう、話して解決出来るような人物ではない、改善の余地はないと判断する。
「念の為に聞いておきます、笠原さん」
『なに……?』
「その相澤って人、誰かに慕われてますか?」
『え? それは……ないと思う。私が前に、ここでバイトしていた時から横暴で』
「なるほど」
笹原は戸惑いながらもそう返してくれた。
『話を聞く限り、どこでも乱暴だったらしいわ……それが、どうかしたの?』
「いえ、特に深い意味はありません」
海斗は思わず苦笑し、電話を切った。これで必要な情報は得られた。もはや躊躇する理由はない。静かに息を吸い、ゆっくりとその名を告げる。
「運がなかったな、相澤宗十郎」
海斗は、財布から一〇〇円玉硬貨を取り出した。手を伸ばし、ゆっくりと自販機の投入口へ入れる。一瞬だけ海斗は目を瞑り、心の整理をした。
――笠原さんは、俺が困っていたら助けてくれた。
――だからこれは天誅ではなく、『恩返し』だ。
――結果として、『誰か』が巻き添えになっても、それは天命のようなものだ。
100円玉が、自販機の中に飲まれていく。冷たい音を奏でて。
海斗は、『相澤宗十郎』と名が書かれたボタンへ、ゆっくりと手を伸ばした。
――翌日。早朝、海斗の家のリビングにて。
『昨日、○○県、☓☓市内でコンビニ強盗事件が発生。同二十三時、犯人の死亡が確認されました』
『犯人は相澤宗十郎。六十二歳。勤め先のコンビニで店長を暴行し、逃亡。金品三十五万円を強奪して車で逃走』
『その後、カーブで崖から墜落し死亡。車の中から、免許証や本人の保険証などが発見された模様です』
『事件当日、勤めていたアルバイト店員によれば、容疑者は以前から暴力を振るう傾向があり、問題視されていたとのこと。以上から余罪があるとみて、当局は――』
テレビニュースのアナウンサーの声を耳にしながら、海斗は対面の席の柚葉に語った。
「物騒な世の中だよな。まったく世も末だ」
「本当だね。怖いよ、兄さん。でも笹原さんが無事で良かったよね」
「そうだな。善人は助かって、悪人は裁かれる。そういう世の中になって欲しいよ」
言いながら、海斗は高揚感に包まれるのを自覚していた。
あの自販機は本物だ。あれが、どういう手段で行われているのか判らない。しかし効力は紛れもないものだ。あれが科学の粋を集めて作ったのか、それとも専門家の計らいなのか、それは不明のままだ。
けれどアレが目標の人間を抽出し、100円を入れるだけで消せる――夢のような自販機なのは間違いない。
もちろん濫用する気はない。法の執行者を気取る気はないし、悪人全てを裁くつもりもない。あくまで自分や妹、親しい人を守るのに使っただけだ。
今後は使うつもりはないし、そもそも自分は死神でもその代行人でもないのだ、好んで使うわけがない。そう思い、海斗が朝食を片付けようと思った――その瞬間だった。
「……あれ? わたしの携帯が鳴ってる」
柚葉のスマホがバイブを起こし、わずかにテーブルを揺らしていた。
「ん、学校の友達か?」
「わからない。知らないアドレスみたい。誰からだろう?」
柚葉は、送信者の名前がないそれを、開かないまま見た。冒頭の数十文字だけ書かれたそれを見て――驚愕し、すぐに全文を閲覧する。
そこには――。
『はじめまして。楠木柚葉さん。
あなたの素敵な写真を手に入れました。これからSNSにアップします。
止めたい場合は、現金二百万円を指定口座に振り込んでください。
期限は二時間後。それが過ぎたら、あなたの素敵な写真は全世界に公開されます。
送信者:あなたのファンクラブ 《柚葉たんエンジェル同好会》 より』
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