三一章 もう遅い

 「おい、育美いくみ!」

 国枝くにえだ大悟だいご

 斉藤さいとう海路かいじ

 今村いまむら聡美さとみ

 上条かみじょうゆい

 チーム・ハクヨウのメンバー四人がそろって四葉よつば家へとやってきたのは、それから数日後のことだった。全員『血相をかえて』という表現がピッタリくる興奮しきった、そして『ほんとか、おい⁉』という驚きに満ちた表情だった。

 「なんだ、みんな。どうしたんだ、そんなにあわてて?」

 四人とは対照的に、応対に出た育美いくみは『のんびり』と言ってもいいほどの態度だった。その姿はもはや、完全に女性。長い髪をたなびかせているが、一年かけて伸ばしたのですでにカツラではない。自前の長毛である。顎と言わず、頬と言わず、ひげもすべて永久脱毛したし、毎日のスキンケアも姉妹と一緒に欠かさず行っているので、顔もツルツル。

 ジーンズにサマーセーターという中性的な格好だが、希見のぞみたちの指導により『女性らしい仕種』を身につけているので――この点に関しては、志信しのぶは『よけい、男っぽくなるから』と、指導役にはさせてもらえなかった――きちんと女性に見える。と言うより、もはや、女性にしか見えない。

 志信しのぶゆずりのパッドを入れてふくらませた胸にもなんの違和感もなく、ごく自然なプロポーションに見える。その姿は大学時代からの付き合いである大悟だいごたちから見ても自然なもので、むしろ、かつての『男としての育美いくみ』を思い出す方がむずかしいぐらいだった。

 ――本当に、女性になっちゃったのね。

 と、ゆいは一抹のさびしさと共に不思議な思いに駆られた。

 「どうしたじゃないだろう!」

 大悟だいごが叫んだ。血相をかえて、唾を吐き散らしながら。そんな旧友の態度に顔をしかめるあたりもいかにも『潔癖症の女性』という感じ。ゆいの感想通り、すっかり女性化している育美いくみであった。

 「お前たち、国際NGO団体と協力して国際的なプロジェクトを手がけるそうじゃないか!」

 「ああ、そのことか。耳が早いな」

 育美いくみはそう言ったが、実際には『耳が早い』と言うほどのことでもない。そのことは四葉よつば工場のHPに書いてあるのだ。ちょっと覗けば誰でも知ることができる。ただ、育美いくみが意外だったのは大悟だいごたちがわざわざ四葉よつば工場のHPを覗いている、という点だった。

 ――うちのことは見下していたし、興味ないと思ってたんだけどな。

 それが、育美いくみの正直な感想。

 事実、大悟だいご四葉よつば工場にも、育美いくみにも、興味も関心もなかった。関心をもってこまめにチェックしていたのはゆいただひとりであり、今回の件もゆいが発見して皆に知らせたのだ。しかし、そこまでは育美いくみには知るよしもない。

 大悟だいごは他人に取り入るための愛想笑いと、恩を着せるための表情と、さらに、儲け話を聞きつけた山師の顔とを絶妙にブレンドさせた表情で笑って見せた。

 「おいおい、水臭いじゃねえかよ。おれたちの仲だろう。そんなデカいヤマを手がけるんなら一声かけろよ。おれたちも協力するぜ」

 要するに『お前だけそんな儲け話に乗るなんてズルい! おれにも分け前よこせ』というわけなのだった。

 育美いくみはそんな大悟だいごを前に無言で両腕を組んだ。さりげなく、胸のふくらみの下で腕を組み、胸のふくらみを強調する仕種も手慣れたもの――ちなみに、このあたりの『男を誘う』仕種に関しては、心愛ここあが全面的に指導役を受けもった。

 その心愛ここあが乗り移ったかのような無表情なクール顔で、育美いくみはかつての仲間たちに言った。

 「断る」

 「なんでだよ⁉」

 大悟だいごが叫んだ。怒鳴った。露骨な不満顔になった。大悟だいごの後ろでは海路かいじ聡美さとみのふたりも、大悟だいごほどではないがやはり、不満そうな表情をしている。不満を顔に浮かべず、憂うような表情を浮かべているのはゆいただひとりである。

 「おれたちは仲間だったろう! 大学時代から皆で協力してやってきたんじゃないか。仕事がないときには仕事もまわしてやった。それなのに、裏切るのか⁉」

 大悟だいごははっきりと『恩着せがましい』表情を浮かべてそう怒鳴った。

 ――裏切ったのは、あたしたちでしょう。

 ゆいは心にそうつぶいやたが、そう思ったのはゆいひとりであって、海路かいじ聡美さとみも多かれ少なかれ大悟だいごと同じ思いを抱いていた。

 育美いくみはそんな『仲間だった』四人に向かってきっぱりと言いきった。

 「たしかに、君たちは仲間だった。仕事がないときには助けてもらった。そのことには感謝している。ありがとう。もし、今後、君たちが苦しい目にあったならできるだけの力になるつもりだ。でも、それとこれとは別だ。今回の件に君たちを関わらせるわけにはいかない」

 「だから、なんでだよ⁉」

 「大悟だいご海路かいじ聡美さとみゆい。君たちはすでに『理念』よりも『金』を選んだ人間だろう」

 「うっ……」

 「今回の話を持ち込んできた国際NGOの瀬戸口まどかさんも、四葉よつば家の姉妹たちも、皆、『金』よりも『理念』を選んだ人間だ。自分の思いを貫くために自ら利益を手放した人間たちだ。この件は人々の未来のために、世界の明日のために、そんな人間たちによって行われるものだ。自分の思いを貫くための、非営利の巨大事業なんだ。そこに、『金』を目的とする人間を参加させるわけにはいかない。私たちが必要としている仲間とは、あくまでも自分の思いを貫こうという人間なんだ」

 「け、けど、金は大切だろう。金がなくっちゃなんにもできないのが現実なんだ。その金にこだわる人間だって必要だろう。おれたちは仲間だったんだし……」

 「そうだ。大悟だいご。君の言うとおり、私たちは仲間『だった』。つまり、いまはもう仲間『ではない』と言うことだ。そうしたのは他でもない。君自身だろう。大悟だいご

 「うっ……」

 まっすぐな瞳で淡々と事実を指摘され、さすがに大悟だいごも言葉に詰まった。その後ろでは海路かいじ聡美さとみも気まずそうな表情を浮かべている。

 ――だから、言ったのよ。育美いくみを追放したのはあたしたち。そのあたしたちがいまさら仲間面して参加させてもらおうだなんて。虫がいいにも程があるわ。

 ゆいはただひとり、胸のなかで仲間と、そして、自分自身の行いを非難した。

 「そう言うわけだ。大悟だいご。今回の件に君たちを仲間として迎え入れることはできない。よりを戻そうとしてももう遅い。いまの私は君たちの仲間じゃない。四葉よつば家の姉妹なんだ」

 「……チッ。わかったよ」

 大悟だいごはとうとう言った。育美いくみの態度を見れば引きさがるしかないのは明らかだった。未練たらたらの表情に悔しさとやっかみと、ついでに『潰れちまえ!』という思いをぶち込んで吐き捨てた。

 「せいぜい、理念でも、理想でも振りまわして良い子ぶっているがいいさ。いずれ、現実を思い知って、痛い目を見るだけなんだからな!」

 大悟だいごはそう吐き捨てると地面を蹴って身をひるがえした。見るからに『頭にきている』という肩を怒らせた姿勢で帰って行く。海路かいじ聡美さとみがあわててそのあとを追った。ただひとり、ゆいだけがその場に残り、女となった育美いくみを見つめていた。

 「……もう、あたしたちの知っている育美いくみじゃないのね。もうすっかり、四葉よつば家の姉妹なのね」

 「ああ。そのとおりだ」

 「たしかに、あたしたちはあなたのことを、あなたの語る思いを信じることができなかった。『もう遅い』と言われても仕方ないわね」

 「ゆい。それはちがう」

 「えっ?」

 「君たちが信じなかったのは私じゃない。自分自身の思いだ。思いだしてみるといい。大学時代、私が誘ったときには君も、大悟だいごも、海路かいじも、聡美さとみも、皆みんな、『空飛ぶ部屋を作ろう』と盛りあがっていたじゃないか。その思いに向けて全力を尽くしていたじゃないか。でも、君たちはその思いを捨てて金に走った。それが現実だと言って。それは、君たちが君たち自身の抱いていた思いを信じられなかったと言うことだ。『裏切り』という言葉を使うなら、君たちはかつての自分自身を裏切ったんだ」

 「……そうね。その通りよね。たしかに、あたしは自分自身の抱いた思いを信じられなかった。いつの間にか、忘れ去っていた」

 ほう、と、ゆいは溜め息をついた。

 「……帰るわ。あたしはあたしで、仲間たちと一緒にいまのチームをもり立てていかないといけないから」

 「ああ。でも、なにか困ったことがあったら言ってくれ。そのときは本当に、できるだけの力になるから」

 「ありがとう。あなたたちもね。もし、なにかあって、あたしたちの力が必要になったらなんでも言って」

 「ありがとう。頼りにさせてもらうよ」

 「ええ」

 そうして、ゆいは身をひるがえし、仲間たちのもとに帰っていった。その背に敗北感を背負った堂々とした足取りで。

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