三〇章 世界からの誘い
「はじめまして。国際NGO『お菓子の家』の代表。
「は、はあ……」
尋常の二乗どころか、異常の二乗と言えるいそがしさのなか、どうにかこうにかスケジュールを調整して――
Tシャツにジーンズという軽装の、まだ三〇そこそこの若い女性だった。しかし、細いなりにしっかりした体付き、日に焼けた肌、いかにも意志の強そうな目付き、と、まさに『現場からの叩きあげ』といった迫力のある人物だった。
「その
「わたしたちに協力していただきたいのです」
「協力?」
「はい。わたしたち『お菓子の家』は、
それらの仕事のために、女性たちの一日の大半が費やされます。そのために教育も受けられず、生活を改善するきっかけすらつかめない。そして、そのような人たちはほとんどがわずかな畑を耕して生活している家族経営の農家です。ですが、貧困地域には交通網が発展していません。道路は悪く、移動手段はロバぐらいしかなく、せっかく作物を作っても市場に運ぶことができず、金銭にかえることができないのです。
そのことが、貧困地域の発展を阻害し、人々の生活向上を阻んでいるのです。わたしたちはその状況を改善したいと取り組んできました。住居の提供に太陽電池とバイオガスプラントの設置、交通網の整備に取り組んできたのです」
まどかは熱烈にそう語った。
そのあまりの熱の入り方は熱血さでは負けないはずの
まどかはつづけた。
「ですが、そのためには膨大な資金が必要です。残念ながら、わたしたちのような小規模なNGO団体では、必要なお金のほんの一部さえ工面できません。使命を果たせないことに悩んでいたところに『空飛ぶ部屋』のことを聞いたのです」
「空飛ぶ部屋がどう関係するのでしょう?」と、
まどかはズイッと身を乗り出して言った。心からの訴えだった。
「空飛ぶ部屋はすべてを解決してくれるのです! 燃料電池を搭載し、電気・熱・水を自家生産できる空飛ぶ部屋があれば、貧困地域の人たちでも健康で文化的な生活を送れるようになります。空飛ぶ部屋があれば交通網なんて関係ありません。いつでも空を飛んで、新鮮な作物を市場に持ち込むことができるのです。しかも、航続距離が長いからいくつもの市場を調べて、もっとも適した場所に持ち込めます。空飛ぶ部屋が普及すれば、世界中の貧困地域の人たちの暮らしは格段に向上するのです!」
「で、でも……」
まどかのあふれんばかりの情熱に気圧されながら、
「あなたの熱意はわかりました。為されていることも素晴らしいと思います。私としても人々の生活改善には協力したい。ですが、空飛ぶ部屋はきわめて高価です。そんな貧困地域の人たちが買えるようなものでは……」
「『ワン・ラップトップ・パー・チャイルド』をご存じですか?」
「ワン・ラップトップ……?」
聞き覚えのない言葉に
「ワン・ラップトップ・パー・チャイルド。『子どもひとりにラップトップ一台』の意味。世界の最辺境に住む子どもたちにも教育を届けることを目標とする団体。そのために、一〇〇ドルのラップトップパソコンを作った」
「一〇〇ドルの⁉」
信じられない価格に
まどかがうなずいた。
「そのとおりです。よくご存じですね」
言われて
「ワン・ラップトップ・パー・チャイルドにおいては、低価格を実現させるために国そのものを相手にしています。各国政府から五〇〇万台の注文があってはじめて生産を開始するのです」
「五〇〇万台……」
その途方もない数字に
「それが、充分に価格を引きさげることのできる最低限の数だからです。大変な数に思えるでしょうが、世界人口七〇億から見たらほんのわずかです」
「そ、それはそうでしょうけど……」
「わたしたちも同じ手法を考えています。個人や企業ではなく、各国政府を相手に活動する。国から充分な数の大量依頼を受けることで価格を引きさげ、世界中の貧困地域にも届けられるようにしようとしているのです」
「な、なるほど……」
「もちろん、そのような貧困地域を抱える国は国自体が貧しい場合がほとんどです。ですが、空飛ぶ部屋が普及すれば国中を覆い尽くす膨大な交通網を整備する必要がなくなる。維持・管理のための手間と費用もかかりません。交通網を整備するより、空飛ぶ部屋を大量購入した方が安上がりです。貧しい国だからこそ、空飛ぶ部屋を導入する動機があるのです」
「貧困国の多くで固定電話の段階を跳び越えて、携帯電話が普及したようなものですか」
「そうです。それに、国民が豊かになれば税収も伸びる。国民が豊かになれば国自体が豊かになるきっかけをつかめる。世界の貧困国にとって、空飛ぶ部屋を導入する理由は充分にあります」
「たしかに」
「ですから、各国政府から大量購入を申し込まれることは確信しています。ですが、それだけでは不充分です。ワン・ラップトップ・パー・チャイルドが一〇〇ドルラップトップを実現できたのには三つの理由があります。
1 マーケティングや流通の機能をもつ必要がなく、非営利。
2 低価格で高性能なディスプレイ技術の開発。
3 ウィンドウズではなく、リナックス、つまり、オープンソースOSの利用。
このうち、1に関してはわたしたちも同様です。それだけでも、通常の企業が扱うよりずっと低価格にできます。そして、第二、第三の点に関して、あなた方の協力をいただきたいのです」
「どういう意味です?」
「低価格で高性能の技術開発。これは低価格化に欠かせません。その点で開発者であるあなた方に技術開発に関わっていただきたいのです。そして……」
と、まどかは少々、言いずらそうにつづけた。
「……少々、心苦しいのですが、空飛ぶ部屋に関する技術をオープンソース化していただきたいのです」
「それはつまり、特許をとることなく誰でも利用できるようにするという意味ですか?」と、
「はい。そのとおりです。虫のいいお願いだとは承知しています。ですが、低価格化のためには、どうしてもその条件が必要なのです。だから、こうしてお願いにあがったのです。どうか、ご協力ください。世界中の人々の未来のために」
まどかはそう言って深々と頭をさげた。
その夜。
「まず、オープンソース化だけど……」
長女である
「わたしとしてはまったく構わないわ。空飛ぶ部屋を作ったのはもともと『誰も災害で死なない社会を作る』ためであって、お金のためではないもの」
「その通り」
と、
その姿を見ればやはり『こいつ、男だろ!』という声が出るのも無理はないと思えるのだった。ともかく、
「金なんて、他の仕事で稼げばいい。『災害を打ち負かす』という目的のためなら無料で誰でも使えるオープンソース化はむしろ、望むところだ」
「同じく」
「あたしもそれでいいと思う」
四人それぞれの意見を聞いて、
「私も同感。空飛ぶ部屋が世界中の人々のために役立つというならこんなに嬉しいことはない。こちらからお願いしたいぐらいの話だ」
「でも……」
「そんな大量生産に関わるとなったら親父とお袋の残した工場はどうなる? とても、小さな町工場でやっていられる規模の話じゃない。もっと大きな工場に移って、親父とお袋の工場を手放す……なんて言うのは、オレは……」
いやだ。
『世界の人々の暮らしを改善する』というあまりにも立派な目的の前では、そんな個人的な思いを口にするのはばかられる。
その思いが
その思いを口にしたのは長女の
「わたしたちにとって、両親の残した工場を守るというのは『誰も災害で死なない社会を作る』というのと同じくらい大切な目的だもの。両親の工場を手放して大量生産に関わる……なんてことはできないわ」
キッパリと、とは、とても言えない遠慮がちな言い方ではあったが、そこには揺らぎない意思が込められていた。
姉の言葉に
「皆の気持ちはわかっているつもりだ。ご両親の残した工場を手放す必要なんてない。うちの工場では富裕層向けのオーダーメイド品を作ればいい」
「オーダーメイド品⁉」
「富裕層向けの⁉」
「そうだ。高度なAIを備えた完全自動運転で、しかも、日本伝統の蒔絵や彫り物も施した超高級品、それこそ、一機で何億もするような代物だ。それなら一年に一機、作っただけでもお釣りがくる。うちの工場としてはそういう高級品を作って、一方で大量生産に協力すればいい」
「お、おいおい、ちょっとまてよ。金持ち向けなんて、それこそ空飛ぶ部屋の趣旨に反するんじゃないのか?」
「なぜ? 金持ちだって災害には遭うよ」
「それはそうだけど……」
「それに、金持ちならではの危険もある。いつ、強盗に狙われかも知れない。そんなとき、さっさと空に飛んで逃げられれば安全だ。金持ちだからって命を軽く扱っていいわけではないだろう?」
「それは、もちろんですけど……」
「それに、金持ち相手に売るのは幾つも利点がある。まずは技術開発。金持ち相手の高級品を作るとなれば、技術開発のための資金もたっぷり用意できる。その資金を使えば安くて高性能な技術開発もやりやすくなる。それに、金持ちたちがこぞって空飛ぶ部屋を購入したらどうなると思う? それは一種のステイタスとなる。
そもそも、車が普及したのも、『車をもつ』ことがステイタスだったからだ。休日には家族でドライブ。それが『豊かな暮らし』の象徴だった。車を手に入れることは『金持ちの仲間入りする』ことだったんだ。だからこそ、多くの人が車を欲しがるようになった。そのことが大量生産につながり、車を普及させた。
空飛ぶ部屋も同じ。富裕層が購入することで『新しい豊かな暮らしの象徴』となれば、金持ちの暮らしに憧れる多くの人たちが欲しがる。その利便性が知られれば、各国政府だって導入を考える。そうなれば、まどかさんの言っていた『各国政府からの大量受注』にもつながる。金持ち相手の高級品を作ることは、空飛ぶ部屋を普及させるためのもっとも手っ取り早い方法になるはずだ」
「なるほど。それならたしかに、両親の工場を守ることと大量生産とを両立できるわね」
「そういうことだ」
「よし、わかった! そういうことならオレも全力で高級品作りに励む」
「AIはわたしに任せて」
「
「
「……さすが、規格外だな」
「蒔絵や彫り物はあたしにやらせて!」
「機械のことはよくわからないけど、美術は得意なの。きっと、一流の職人になってみせるわ」
そう言う瞳がキラキラ輝いている。
これで自分も空飛ぶ部屋作りに関われる。パパとママの残した工場を守る役に立てる。
その思いが胸のなかで弾けているのだ。姉妹たちの声を受けて――。
「よし。やろう。私たちの手で世界をかえるんだ」
「おおっー!」
全員が力の限り腕を突きあげた。
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