二〇章 天使の食卓

 「さあ、召しあがれ」

 多幸たゆは天使のような笑顔を浮かべると、両手を広げて明るい声でそう言った。

 四葉よつば家の朝食風景はいつも華やかだ。それぞれにタイプはちがえど、いずれもいますぐに芸能界入りできそうな美女四姉妹が顔を並べている。それだけでもう、ファンタジーアニメの一シーンのよう。そのなかに自分も加わっている。そのことがもう信じられない思いで、すっかり馴染みになった異世界転移などよりよほど幻想的な出来事に思える。

 おまけに朝食そのものも色鮮やか。真っ赤なソースの上に乗った白身がプリプリした目玉焼き。グリーンサラダ。バターをたっぷり塗った厚切りトースト。赤と白と緑のコントラストが目にまぶしい。

 ちなみに、四葉よつば家の食卓にマーガリンやファットスプレッドが登場することはない。常に、必ず、なにがあろうと『乳から作られた』本物のバターだけが並ぶ。

 芳香を漂わせる色鮮やかな朝食風景に育美いくみは、感動さえ覚えていた。

 以前のチームにいたときには五人が持ち回りで作っていたし、料理が得意と言えるのは上条かみじょうゆいただひとりだったので、こんな立派な朝食にお目にかかれることはそう何度もなかった。それが、四葉よつば家に居候して以来、毎日がこの華やかさ。育美いくみとしては嬉しさのあまり、涙がちょちょ切れそうになる。

 「毎日、こんな朝食が食べられるなんてなあ。多幸たゆちゃん、まだ小学生なのに本当にすごいよ」

 育美いくみがそう言ったことには他意はない。断じて、決して、これっぽっちも、志信しのぶの黒焦げ料理と比べようなどと言う意図などなかった。それでも、志信しのぶとしては聞き逃せないものを感じたらしい。ムッとした口調で食ってかかった。

 「なに、小学生相手におべっか言ってんだよ」

 「いや、おべっかなんかじゃないって。本当にすごいと思ってるよ」

 「へへー、ありがと」

 と、多幸たゆは天使の笑顔で答える。

 「心愛ここあちゃんも仕事を手伝うことになったから家事はあたしの担当だからね。家のことはあたしに任せて、育美いくみちゃんたちは仕事に専念してね」

 いまどき、こんなことをやさしい笑顔と声で言ってくれる女子なんて世界中に何人いるだろう。しかも、それがアイドル級の美少女。育美いくみはあまりのありがたさに思わず両手を合わせて拝みたくなった。

 ともかく、朝食がはじまった。

 「いただきま~す!」

 と、明るい四姉妹+1の声が響き、作り手が喜ぶ旺盛な食欲を発揮した。

 育美いくみは赤いソースを一口食べて目を丸くした。

 「えっ? これって、リンゴ?」

 驚きのあまり、そう尋ねる。

 作り手である多幸たゆが自慢そうに胸を張った。

 「そう。トマトとリンゴとマッシュルーム。さいの目に切ったリンゴをさっと炒めて取っておいて、カットトマトと粗みじん切りにしたマッシュルームを煮込んで、水分が飛んだところでリンゴを戻して、お皿に盛って、その上に卵を落としてオーブンで焼く。コツとしてはリンゴはあくまでさっと焼くことね。熱を通しすぎると甘くなりすぎて食事には向かなくなるから。あと、赤いリンゴより黄色いリンゴの方がいいみたい」

 得々とそう語る姿は『将来は料理研究家か』と思わせる貫禄だった。

 育美いくみはますます感心した。

 「へえ。リンゴを煮込んだりするんだ」

 「日本ではリンゴは生で食べることがほとんどだけどね。他の国では料理にもよく使うのよ。とくに、地中海沿岸ではね。煮込み料理の他、ピラフとかにも普通に使うし」

 「へえ。それは知らなかったな」

 「多幸たゆは研究熱心だものね。いつも、おいしい料理を作ってくれて、本当にありがたいわ」

 長姉にそう言われて、多幸たゆは自慢そうに胸を反らした。

 「多幸たゆオリジナル。リンゴの巣ごもり卵」

 心愛ここあがいつもながらのクールな声で、料理の名前を告げた。

 「『トマトが赤くなると医者が青くなる』と言われるトマトと、『リンゴの木のある家には病人が出ない』と言われるリンゴは、植物界最強のコラボレーション。そこに、完全栄養食と言われる卵も加わって、まさに栄養無双。これはもう、現実世界のエリクサーと言っても過言ではない」

 「それは、過言だから」

 と、三女の解説にすかさずツッコミを入れる多幸たゆだった。

 「あっ、それから、君は崩してソースと一緒に食べた方がおいしいよ。それと、パンに載せて食べてもおいしいよ」

 育美いくみは言われたとおり、トロリと半熟の黄身を崩してソースに絡め、まとめて口に運んだ。

 「……おいしい」

 思わずそう呟いた。さらに、バターをたっぷり塗った厚切りトーストに載せて丸ごとかじると……。

 これがもう感動もののおいしさ。思わず目を閉じて天を仰ぎ、身を震わせるほど。それほどに、味わいの交響曲が口のなかいっぱいに広がる。

 ――こんなおいしいものがこの世にあったのか!

 思わず、そう感動してしまうほどのおいしさだった。

 「ふふ。ありがと。でも、気をつけてね。オーブンで焼いたからソースがすごい熱いから。冷まさずに食べると口のなか、火傷しちゃうよ。なんなら、フーフーしてあげようか?」

 「い、いや、そこまではしなくていい!」

 育美いくみはあわてて断った。そんなことまでされたら、多幸たゆ抜きでは生きていけない体にされてしまいそうだ。

 「小学生相手にデレデレしやがって。みっともないぞ」

 と、こちらもリンゴの巣ごもり卵をたっぷり載せたトーストをかじりながら、志信しのぶがムスッとした様子で言った。

 朝食が終わり、心愛ここあ多幸たゆを学校に送り出したあと、希見のぞみ志信しのぶ、それに、育美いくみの三人は、希見のぞみの運転する車に乗って出かけていった。

 今日は注文された部品を納品する日。車のトランクいっぱいに部品を詰め込み、いざ出発。普段なら志信しのぶも昼間は大学に通っているのだが、

 「今回はオレも行くからな。現場責任者として、相手がどう評価するかは知っておかないと」

 そう言い張って同行を主張した。

 「もっともだね。せっかく作っても相手が気に入らなかったり、予定がかわったりで全部、突っ返される……なんて言うことは、この業界では普通にあるわけだし。相手自身のことを知っておくのも、相手の評価を聞くのも、現場責任者として必要なことだ」

 育美いくみもそう言ったので、希見のぞみも今回ばかりはなにも言わずに同行を認めた。

 相手方が部品をチェックしている間、ドキドキしながらまっていた三人に向かい、相手の部長はにこやかな笑みを向けた。

 「うん、素晴らしい仕事だ。これだけの量を、この短期間で作るだけでもすごいのに、この品質。どれも丁寧に作ってあるのがよくわかる。素晴らしいの一言だよ。いや、本当に助かった。ありがとう」

 そう言われて、三人は大喜びだった。

 自分たちの技術に自信はあってもやはり、他人にこうして認めてもらえるのは嬉しい。人前でなければ歓声をあげて飛びあがり、抱きあうぐらいはしていたかも知れない。

 「なにか、ご不満な点はありませんか? あったらぜひとも言ってください。我が四葉よつば工場は、どんなご要望にもお応えしてみせます」

 志信しのぶがドン! と、城壁に似た胸を叩きながら熱心に言った。

 相手方の部長はそんな志信しのぶを微笑ましそうに見つめながら首を横に振った。

 「いやいや、不満なんてなにもないよ。見事な仕事ぶりだからね」

 「でも、なにかありませんか?」

 「そうだね。まあ、強いて言えば……」

 「はい!」

 と、志信しのぶはスマホを取り出し、部長の言うことを細大漏らさずメモしていった。

 ――さすがに本気度が高いな。

 亡き親の残した工場はオレが守る!

 そんな志信しのぶの強い意志が感じられて、感銘を受ける育美いくみであった。


 帰りの車のなかでもはしゃぎ振りはかわらなかった。

 「いやあ、今回の仕事はうまく行ったなあ。『またなにかあったら頼むよ』とも言ってもらえたし」

 助手席の志信しのぶが嬉しそうに言うと、希見のぞみもうなずいた。

 「そうね。この分ならお得意さんになってもらえるかも」

 「志信しのぶさんの熱心な姿勢には、向こうの部長さんも感心していたからね。その可能性は高いだろうね」

 後部座席に乗っている育美いくみもそう口を添えた。

 そう言われて嬉しかったのだろう。志信しのぶはかの人らしく、豪快に笑った。

 「いやあ、未来は明るいなあ! ところで、姉ちゃん、どうだい? 久しぶりにまとまった金が手に入ることだしさ。たまには、どこかの店でパアッとやるってのは?」

 「あら、いいわね。近所のファミレスでも予約する?」

 『パアッとやる』と言われてファミレスを思い浮かべるあたりが、苦しいやりくりを強いられてきた四葉よつば家の悲しい現実なのだった。もっとも、この田舎町ではファミレスぐらいしかない、と言うさらに悲しい現実もあるのだが……。

 後部座席の育美いくみが身を乗り出した。

 「ちょ、ちょっとまって。お祝いなら、私は多幸たゆちゃんに作ってもらいたい」

 「多幸たゆに?」

 と、ふたりの姉は同時に、意外そうに言った。

 育美いくみは真顔でうなずいた。

 「そう。多幸たゆちゃんはいつも家事を頑張ってくれてる。それなのに、お祝いの席はどこかの店でって言うのはちがう気がする。多幸たゆちゃんを家事から解放してあげるのは別の機会にして、お祝いのときには多幸たゆちゃんに任せるのが筋だと思う」

 「な、なるほど……」

 「それも、そうですね」

 志信しのぶが感心したように言うと、希見のぞみもうなずいた。

 「確かに、多幸たゆにはいつも世話になってるもんなあ」

 「ええ。料理だけじゃなくて、洗濯や掃除も毎日してくれているし」

 「それじゃ、育美いくみの言うとおり、今回は多幸たゆに頼む?」

 「ええ。そうしまょう。多幸たゆへの日頃の感謝も込めてね」

 「おう! それじゃあ、多幸たゆに頼むとしよう! きっと、張り切って用意してくれるぞ!」

 そう言って拳を突きあげ、思わず車の屋根に拳を叩きつけてしまう志信しのぶであった。

 「気をつけて! 車の屋根に穴が開いちゃう」

 そんな長女の叫びを乗せて――。

 車はお祝い目指して走るのだった。

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