一六章 お姫さま抱っこでラブホまで

 その頃――。

 夜の路上では育美いくみがライトの明り頼りに車を直そうと奮闘中だった。ボンネットを開けてエンジン部分をチェックしている。技術屋の娘であっても経営専門で機械オンチの希見のぞみは手伝うこともできず、車のなかをのぞき込む育美いくみの手元をライトで照らすのが精一杯。心配そうに尋ねた。

 「どうです? 直りそうですか?」

 「……駄目だ」

 育美いくみは顔をあげて絶望の声をあげた。

 「部品に細工されてる。かわりの部品がなくちゃどうしようもない」

 「細工って……いったい、誰がそんなことをするんですか⁉ はっ……もしや、どこかの国の情報部が、わたしたちを亡きものにしようと……」

 「情報部に狙われるとか、どんな大物だ!」

 思わずツッコむ育美いくみの脳裏にはくっきりとある顔が浮かびあがっていた。いつも無表情でクールだが、文句なしにかわいらしい中学一年生の女の子の顔が。

 ――いや、まさかな。この細工はプロの仕事だ。いくらなんでも、中一女子にできることじゃない。

 心愛ここあが実は――様々な意味で――規格外の化け物であることを知らない育美いくみは、ごくごく常識的にそう思った。

 「じゃあ、しかたありませんね」

 希見のぞみは溜め息をついてから言った。

 「保険会社に連絡して引き取りに来てもらいましょう」

 「そうしてください」

 希見のぞみは自分のスマホを取り出したが、

 「あ、あれ……?」

 「どうしました?」

 「……バッテリー、あがっちゃってます」

 「えっ?」

 育美いくみはあわてて自分のスマホを取り出したが、こちらも完全にバッテリーがあがっていた。

 ――まさか、心愛ここあちゃん、こんな細工までしていたのか?

 アイドル並のかわいい顔が、すべての獲物を計画通りに絡めとる地獄のクモに見えて、思わず背筋の凍る育美いくみであった。

 「ええと……車は直せない。どこにも連絡つかない。それじゃ、どうしましょう?」

 「どうしましょうと言われても……車中泊というわけにもいかないだろうし」

 「ですよね。じゃあ、仕方ありません。どこか、適当なところに泊まりましょう。その程度のお金はあります。そうすれば、スマホも充電できます。朝になったら保険会社に連絡して、タクシーも呼んで帰りましょう」

 「まあ、そうなりますよね……」

 ――しかし、と言うことは希見のぞみさんと一晩、ふたりきり……。

 そう思い、育美いくみは思わず頭を振った。

 ――いやいや、なにを考えている! どこかに泊まるからって同室のはずがないだろう。その辺のビジネスホテルで別々に泊まればいいだけだ。なにもない、なにもない……。

 なにもない、なにもない、と、呪文のように必死に自分に言い聞かせる。

 そんな育美いくみの顔を希見のぞみがのぞき込む。

 「どうかしました?」

 いきなり、キスするぐらい間近に顔をよせられて、心臓が後方二回宙返り一回ひねりを演じてしまう育美いくみであった。

 「い、いや、なんでもないです!」

 あわてて叫び、横を向く。夜の暗闇のせいで顔が真っ赤になっていることを見られずにすむのが救いだった。

 「そうですか? それじゃ、行きましょう。都会とはほど遠い田舎町ですけど、歩いていればホテルぐらい見つかりますよ」

 そう言って、

 「レッツゴー!」

 と、元気よく両手両足を振って歩きだす希見のぞみであった。


 そして、ふたりしばらく寄り添って歩いたのだが――。

 田舎町のこととてそう都合良くホテルが見つかるはずもなく、いつの間にか時計の針は一二時を過ぎてしまっていた。人通りの少ない田舎町。街灯の数も少なく、夜はどんどん深みを増していく。

 そんななかを妙齢の美女――それも、巨乳――とふたりきり。さすがにこのシチュエーションでは男としての本能が刺激されずにはいない。

 ――い、いやいや、なにを言っている! わたしは女、わたしは女。女同士でホテルを探して歩いているだけ。なんの問題もない、なんの問題もない。

 そう必死に自分に言い聞かせる。

 そんな育美いくみの顔をヒョイ、と、またも希見のぞみがのぞき込む。

 「わあっ!」

 「どうかしました? 表情、暗いですよ?」

 「なんで、いちいち顔を近づけるんです」

 「だって、この暗さじゃ近づけないと顔、見えませんし」

 と、いたって常識的な答えをする希見のぞみであった。

 「あ、そうか。お疲れなんですね。もうずいぶん、歩いてますもんね。それでなくても育美いくみさんは朝からずっとプレゼンして疲れているはずですし……」

 「それは、希見のぞみさんも同じでしょう」

 「わたしは体力には自信ありますから」

 と、希見のぞみは腕をもちあげ、力瘤を作ってみせる。その姿がなにやら自分よりもよっぽど頼もしげで、思わず『ううっ……』と、呻いてしまう育美いくみであった。

 「わかりました。わたしがおぶってあげます」

 「それはまずいでしょ⁉」

 「おんぶはいやですか?まあ、おぶわれたら子どもみたいですもんね。それじゃ」

 と、希見のぞみ育美いくみの体に両腕をまわし、軽々ともちあげた。いわゆる『お姫さま抱っこ』の形にされてしまう。

 「ちょ、ちょっと、希見のぞみさん……⁉」

 「これならいいですよね。それじゃ、行きましょう」

 希見のぞみは軽々と育美いくみを抱いたまま鼻歌交じりに歩きだす。もはや、なにを言っても聞いてくれそうにない。

 お姫さま抱っこされているせいで歩くたび、豊かな胸のふくらむが当たる、当たる。

 ――ううっ。女装したまま、年下の女性にお姫さま抱っこされて運ばれるなんて……なにかに目覚めてしまいそうだ。

 イケナイ予感に涙しつつ、そう思う育美いくみであった。

 「あ、育美いくみさん、見てください! ホテルがありました!」

 ほどなくして希見のぞみが叫んだ。

 その建物を見た育美いくみの顔から血の気が引いた。それは確かにホテルであった。ホテルではあったのだが――。

 「あ、あの、希見のぞみさん。ここは……」

 そこは心愛ここあの目論見通り、ラブホテルであった。


 「やっぱり、ダメだあっ!」

 四葉よつば家に天地を揺るがす志信しのぶの叫び声が轟いた。

 あまりの大声に壁はビリビリと震え、天井はパンク寸前。家の悲鳴が聞こえてきそうな轟きだった。ひとり、天を仰いで絶叫する志信しのぶの姿をふたりの妹が並んで見つめている。

 「やっぱり、出た。ご近所さんにもすっかりおなじみ、志信しのぶお姉ちゃんの天地の轟き」

 「いまや近所迷惑を通りこして、近所名物だもんね」

 心愛ここあがクールに評すると、多幸たゆも納得顔でうなずいた。

 「なにを落ち着いてるんだ、お前たちはあっ!」

 そんな妹ふたりに姉の叫びが爆発する。

 「そんな場合じゃない! やっぱり、気になる! オレは姉ちゃんたちを探しに行く!」

 「どこに?」

 「どうやって?」

 妹ふたりが同時に尋ねる。

 四葉よつば家には、車は希見のぞみの乗っていった一台しかない。その他にはバイクもない。心愛ここあが通学に使っている自転車があるぐらいだ。そして、希見のぞみ育美いくみがどこにいるかもわからない。『営業に行ってくる』と聞かされているだけで、いつ、どこに向かうかまでは聞いていない。市内どころか、県内にいるかどうかさえわからない。それでいったい、どうやって探そうというのか。

 妹ふたりの問いはいたってもっともなものであった。しかし、そこで『ぐっ……』と言葉に詰まって考え込むのはただの凡人。志信しのぶは行動する体育会系だった。

 「走って!」

 迷いなくそう答えた。

 「根性で探す!」

 うおおりゃああああっ! と、猛々しい気合いの声をあげて志信しのぶは走り出す。Tシャツにジーンズという軽装にスニーカーを突っかけて、イノシシも飛んで逃げる勢いで夜の町へと駆け出していく。

 「……行っちゃった。ほんとに、どこを探すつもりなんだろ?」

 「だいじょうぶ。志信しのぶお姉ちゃんには獣の勘がある」

 「昔っから『将来、警察犬になれる』って言われるぐらい、捜し物は得意だったもんね」

 残されたふたりの妹は並んで姉の後ろ姿を見送っていたが、心愛ここあが時計を取り出して告げた。

 「あれから、八分四二秒」

 「三〇分以内に出かけていった。賭けは心愛ここあちゃんの勝ちね。これで、あたし、何連敗?」

 「明日のプリン、ゲット! わたしに未来予知の能力で勝とうなんて一〇年、早い」

 グッと拳を握りしめ、力強くそう宣言する心愛ここあであった。

 「でも、さすがにこの速さは予想外。二〇分ぐらいはもつと思っていた」

 「よっぽど、気になってたんだね」

 「希見のぞみお姉ちゃんより、志信しのぶお姉ちゃんのほうが脈あり?」

 「希見のぞみちゃんと志信しのぶちゃんが、育美いくみちゃんを巡って争ったらどうするの?」

 妹の問いに――。

 心愛ここあはグッと親指を立てて答えた。

 「姉妹ハーレム、上等」

 「心愛ここあちゃん、チーレムもの好きだものね」

 「多幸たゆも参加する?」

 「あたしはまだ小学生だからなあ。五年もしたら考えてもいいかも」

 「わたしはいますぐ参加する。中学生という立場を生かして、おとなをからかえるのはいまのうち。特権は使わないともったいない」

 「育美いくみちゃんが捕まらない程度にね?」

 獣のごとき咆哮をあげて夜の町に駆けていく姉を尻目に――。

 妙に呑気な会話を交わすふたりの妹なのであった。

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