一五章 謀略の心愛

 「……姉ちゃんたち、遅いな」

 四葉よつば家の居間で志信しのぶがひとり、呟いた。

 時刻はすでに九時をまわっている。とっくに夕食をすませ、心愛ここあ多幸たゆの妹ふたりはすでに風呂にも入った。

 そんな時刻。

 もちろん、『まわれるだけまわってくるから遅くなる。多分、夕食には間に合わない」とは言われている。だから、七時、八時頃までならとくに気にもしていなかった。だけど、さすがに九時を過ぎても帰ってこないなんて……。

 「いくら、日本の会社が残業大好きだからって、こんな時間だ。さすがにもう、やってないと思うんだけど……」

 そもそも『深夜残業』というのは貧乏クジを引かされた下っ端のやることで、プレゼンの対象となるような幹部連中には無縁のものではなかったろうか。だとすれば、こんな時間まで営業にまわっている理由などどこにもない。

 「……まさか、なにかあったんじゃないだろうなあ」

 志信しのぶはそわそわと落ちつかなげに体を動かした。なにかあるとすぐに体を動かしてしまうのは体育会系のさがというものだろう。しかし、だからと言って、空手の演武にまで発展してしまうのは心愛ここあの言うとおり、

 「志信しのぶお姉ちゃん、いちいちやり過ぎ」

 と言うものだろう。

 その心愛ここあが末っ子の多幸たゆとふたり、居間に姿を現わした。心愛ここあは次女によく似た無駄肉の一切ないスリムボディを、多幸たゆは長女に似て小学生にしては胸のふくらみが目立つ肢体を、それぞれ動物のプリントがいっぱいについたかわいいパジャマに包んでいる。

 「志信しのぶちゃん。どうして、心配するたび空手の演武するの?」

 「それが戦闘民族の魂。生まれついての宿命」

 「戦闘民族、言うな!」

 三女の解説に志信しのぶは怒鳴った。

 ふう、と、息をついて気を落ち着かせてからつづける。

 「心配にもなるだろ。もう九時だぞ。いくらなんでも営業にまわってるっていう時間じゃないはずだ」

 「だいじょうぶだよ、志信しのぶちゃん。ふたりともれっきとしたおとななんだから」

 「おとなだから心配なんだ!」

 とは、さすがに小学五年生の妹相手には言えない。

 すると、心愛ここあが落ち着き払って言った。

 「ふたりは帰ってこない」

 「どうして?」

 「帰ってこれないよう、車に細工しておいた」

 「なんだと⁉」

 目を丸くして叫ぶ志信しのぶに向かい、心愛ここあはグッと親指を立てて見せた。いつも無表情なクール顔に自慢げな表情が浮かぶ。

 「わたしも技術屋の娘。それぐらい、楽勝」

 「お前、いつの間に……って、ちがう! そうじゃない! そんなことしてなんのつもりだ⁉ まちがいがあったらどうするんだ⁉」

 「問題ない」

 「問題ないって……」

 「希見のぞみお姉ちゃんはゴリラの遺伝子をもって生まれてきた女。その怪力の前ではプロレスラーでもないかぎり無理やり、手込めになんてできない。まちがいが起こるとしたらそれは合意の上。合意の上なら『まちがい』とは言わない」

 「そ、それはそうだけど……」

 理路整然とした妹の発言に、志信しのぶはついつい気圧されてしまう。

 「い、いや、だけど、やっぱり、まずいだろ! その……こういうことは」

 「なにがまずい? 独身で恋人もいないおとな同士。合意の上で関係をもつならなんの問題もない。妹ならむしろ『あのゴリラなお姉ちゃんもこれでようやく嫁に行ける』と喜ぶべき」

 「そ、それは、そうなのかも知れないけど……」

 志信しのぶは思わず頭を抱えた。

 絶対に、なにかまちがっている。

 そうは思うのだが、なにをどうまちがっているのか、言葉にすることができない。あまりのもどかしさに頭をかきむしる。

 そんな次女を見て心配になったのだろう。多幸たゆがあわてて言った。

 「落ち着いて、志信しのぶちゃん! 志信しのぶちゃんの力で頭かきむしったりしたら頭、削れちゃうよ」

 「オレの手はミキサーか⁉」

 「とにかく、落ち着いて。ふたりとも、スマホもってるんだから、なにかあったらすぐに連絡つくよ」

 「……あ、ああ、そうか、そうだったな」

 ようやくその単純な事実を思い出し、一息つく志信しのぶだった。

 しかし、そんな志信しのぶの安堵を心愛ここあが叩きつぶす。

 「わたしの計画に抜かりはない。ふたりのスマホも使えなくしておいた」

 再び、グッと親指を突き出し、自慢気。

 「お前なあっ⁉」

 そこまでするか⁉

 と、そう叫ぶ志信しのぶに向かい、心愛ここあはかわることのないクールな口調で尋ねた。

 「問題ない。ちゃんと現金をもって出かけたことは確認済み。どこかのホテルにでも泊まって夜明かしするはず」

 「どこかのホテルって……こんな田舎町じゃいきなり泊まれるホテルなんて」

 「ラブホテルぐらいしかないよね」

 心愛ここあ多幸たゆ、まだ一〇代はじめの妹ふたりにそろってはっきり言われて、志信しのぶのほうが真っ赤になった。

 「それこそ、計画通り。きちんと結ばれたならなにより」

 「なによりって……いや、それはちがうだろ!」

 「妬いてる?」

 「な、なんで、おれが妬くんだよ⁉」

 「志信しのぶお姉ちゃんが追い出さなかった男なんて、育美いくみ男姉さんひとりだし。けっこう、気に入ってるのかと思って」

 「バ、バカ言え! なんで、このオレがあんなか弱い男を気に入るんだ⁉ ただ、親父とお袋の残した工場を守るために必要だから追い出さなかっただけだ!」

 だから、女装させただろ!

 ムキになってそう主張する志信しのぶであった。

 心愛ここあ志信しのぶとは対象的にクールに答える。

 「だったら、なんの問題もないはず。妹として姉が嫁になれるよう応援してあげるべき」

 「そ、それは……」

 ああ、もう! 徒、志信しのぶは再び頭をかきむしった。その勢いたるや、多幸たゆが思わず頭の砕ける予感に身を震わせたほど。

 いかに志信しのぶと言えど、さすがにそこまでの力はなく――これが、希見のぞみだったらわからないが――ショートカットの髪に包まれた頭は無事なままだった。頭をかきむしるだけかきむしって一応、気が晴れたのか、志信しのぶは平然を装おうとして全然、装えていない口調で言った。

 「あー、あー、そうだよ! ふたりともいいおとななんだ。ラブホでもどこでも行って、好きなようにすればいいさ!」

 オレには関係ないからな!

 その一言を残し――。

 ドスドスと足音高く自分の部屋に向かう志信しのぶであった。

 残された妹ふたりはその後ろ姿を見つめたまま言いあった。

 「賭ける? 志信しのぶお姉ちゃんがいつまでもつか」

 「さすがに、三〇分ぐらいはもつと思うけど……」

 「乗った。わたしは三〇分もたずに飛び出す方に賭ける」

 「OK。それじゃ、いつも通り明日のおやつのプリンね」

 「うん」

 自分の知らないところで――。

 かわいい妹ふたりに賭けの対象にされている志信しのぶであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る