一四章 車は夜中にとまった

 次の日から四葉よつば工場の営業ははじまった。

 朝早くから希見のぞみの運転する車に乗り、かつての育美いくみの知り合いを片っ端から訪ねた。小学生の多幸たゆ、中学生の心愛ここあはもちろん、現役大学生である志信しのぶも昼の間は授業があるので、希見のぞみ育美いくみのふたりだけである。

 志信しのぶは両親が死んだ年にはすでに大学一年だったわけだが、

 「大学をやめて親父の跡を継ぐ!」

 と、宣言したものだ。

 それを、希見のぞみが反対し、説得した。

 「なにがあるかわからないんだから、大学はちゃんと卒業しておきなさい。自分たちのせいで、あなたが大学をやめたなんて知ったら父さんは怒るし、母さんは悲しむわよ」

 両親のことを持ち出されると志信しのぶとしてもなにも言えない。しぶしぶ引きさがり、大学生をつづけることになった。

 「大学をストレートで卒業して、堂々と親父の跡を継ぐ!」

 と、そう宣言して。

 いまは、工場の仕事は大学が終わって午後から夜にかけて行っている。

 とにかく、そう言うわけなので、昼の間の営業に出られるのは希見のぞみ育美いくみしかいない。いずれ、きちんと仕事が入ってくるようになれば、育美いくみは工場での作業がいそがしくなるので希見のぞみひとりで営業にまわることになるだろう。

 しかし、いまの時点では『いそがしくて営業に出られない』などというのは夢のまた夢。一日も早くその夢を現実のものにするべく、ふたりそろって営業行脚である。

 まず、出向いたのは、育美いくみの以前の顔見知りのなかでも一番、親しかった大手自動車メーカー。顔見知りも多いし、育美いくみの技術を高く評価もしてくれていた。

 「それに、向こうの技術者の人たちとも空飛ぶ部屋のことはよく話していましたからね。そのことも理解してくれているはずです」

 育美いくみはそう説明した。

 相手は、男の顔見知りが女――それも、なかなかの美女――になって現われたことに驚いていたが、育美いくみとしてはそんなことは気にしていられない。以前のツテを使って強引に頼み込み、上層部相手にプレゼンさせてもらった。

 「残る一生、環境汚染のもとを売っていたいですか? それとも、誰もが災害の被害に遭わず、安全に暮らしていける世界を作りたいですか?」

 大手メーカーの幹部を前にして希見のぞみは開口一番、そう言ったものである。

 『環境汚染のもとを作っていたいですか?』とはなかなかに過激な発言だが、これはもちろんスティーブ・ジョブズの有名な言葉、

 「一生、砂糖水を売っていたいかい? それとも、世界をかえる仕事に就きたいか?」

 の、もじりである。

 思わぬ言葉に面食らった様子の幹部たちを相手に希見のぞみはつづけた。

 「わたしたちの目的はこの災害列島・日本に生きる人々に、どんな災害が起きても被害を受けることのない安全な暮らしを提供することです。その手段として空飛ぶ部屋を作り、実用化しようとしています。空飛ぶ部屋があれば地震が起きようと、津波が来ようと、いつでも、すぐに、空に飛んで逃げることができます。空まで追いかけてくる地震も津波もないのです。道路が寸断されようが、空を飛んでどこにでも移動できます。怪我人でも、病人でも、すぐに病院に運び、治療を受けさせることができます。

 また、空飛ぶ部屋は燃料電池を使用します。燃料電池があれば、電気・熱・水を得ることができます。たとえ、災害でインフラが破壊されようと、明るく、暖かく、いつでもシャワーを浴びることのできる暮らしを維持できます。災害が起きたからと言って避難所に押し込められ、プライバシーもない、シャワーも浴びられない、そんな不便な暮らしで惨めな思いをする必要はありません。住み慣れた自分の部屋で、それまで通りの暮らしができるのです。

 そうなればもう、どんな災害が来ても怖くはありません。人類は災害を克服した新しい世界を作ることができます。わたしたちはそんな世界の実現をこそ目指しているのです。

 わたしたちと組むことは人々を災害から守り、誰もが安全に暮らせる世界を作るという、壮大なる挑戦に参加することです。そんな挑戦をしてみたいとは思いませんか?」

 希見のぞみの言葉を聞いた誰もが面食らっていた。

 驚くのを通り越して『理解できない!』と顔中で叫んでいた。

 名前もなければ、実績もない、二〇代前半の若造――五〇代、六〇代の会社幹部たちから見れば、おしめのとれたばかりの赤ん坊にも等しい――それも、女性からこんなにも大胆な言葉を投げかけられるとは思っていなかったのだ。

 こんな立場の相手なら、ひたすら平身低頭して『仕事をください!』とお願いしてくるのが当たり前だというのに、この小娘ときたら堂々と胸を張って、

 「わたしたちの仲間になれば、素晴らしい挑戦ができますよ」

 と、言ってきたのだ!

 多幸たゆが心配したとおり、名前も実績もない相手からいきなりそんな『偉そう』なことを言われて『仲間にしてください!』などという人間がいるはずもない。

 「……空飛ぶ部屋など、本当に作れると思っているのかね?」

 懐疑的、と言うよりも『小娘のまちがいを教えてやろう』という『おとなの優しさ』からの言葉ではあったが、そんな質問がなされただけずいぶんとマシだと言うべきだろう。問答無用で叩き出されていてもおかしくはない希見のぞみの態度なのである。

 その声に答えたのは育美いくみだった。

 「空飛ぶ車はどうです? 空飛ぶ車だって何十年も前から言われてきたのに一向に実現しなかった。ですが、いまになってついに実用化しようとしている。空飛ぶ部屋も同じこと。本気になって実現しようとすれば、必ず実現できます。ただ、実現するまでの時間がわからないと言うだけのことです」

 そう言ってからさらにつづけた。

 「もちろん、空飛ぶ部屋を作ることは理想だけの問題ではありません。充分な利益もあってのことです。想像してください。誰もが自分の家にある空飛ぶ部屋を使って移動するようになった未来を。それは、自動車のように渋滞に巻き込まれることもなく、身動きひとつできない飛行機の座席に押し込められてエコノミー症候群になる心配もない、そう言う未来です。

 誰もが、渋滞に巻き込まれることもなく、狭い座席に押し込められることもなく、いつも過ごしている部屋のなかでお茶を飲んだり、ゲームをしたり、みんなでおしゃべりしたり……そんなことをしながらいつでも、どこにでも行ける。そういう時代です。

 そんな世の中になれば、誰が車や飛行機を利用します?

 するわけがない!

 誰だって、空飛ぶ部屋での移動を選びます。DVDが登場した途端、誰もビデオなど買わなくなったように、デジタルカメラの登場でフィルム式のカメラになど見向きもしなくなったように、空飛ぶ部屋が実用化されれば誰も、いままでのような車や飛行機など見向きもしなくなる。使わなくなる。

 と、言うことはです。最初に空飛ぶ部屋を実用化したメーカーは現在では車やバス、飛行機、船と言った様々な交通機関を利用しているすべての人を顧客として取り込めるということです。それは事実上、世界中のすべの人間を顧客にできると言うことです。人間は移動する生き物であり、まったく移動することのない人間などいないのですから。

 その事実から得られる利益がどれほどのものか、聡明な皆さんにはおわかりでしょう。そして、もし、この機会をモノにせずに他の誰かに先をこされたなら……その誰かが顧客を独占し、巨万の富を得るのを指をくわえて見ている羽目になる。それどころか、業界全体が破滅し、路頭に迷うことになる。

 かつて、アメリカの鉄道会社は『自分たちは鉄道会社だ』というイメージにとらわれすぎ、『飛行機』という別の移動手段を取り込むことができませんでした。そのために、飛行機会社が設立したとき、顧客を飛行機に奪われ、壊滅の憂き目を見ました。もし、当時の鉄道会社が『自分たちの仕事は、人々に快適な移動を提供することだ』と認識していたのなら、自分たちで飛行機業界を立ちあげてすべての冨を自分のモノにすることもできていたはずなのに。かのたちはそのチャンスをみすみす逃した。

 皆さんの前にも同じ選択肢があります。ひとつは自分たちは自動車会社だとして、あくまでも環境汚染のもとを作りつづけること。そして、他の誰かが自分の捨てたチャンスをモノにして巨万の富を得るのを指をくわえて見ていること。もうひとつは『自分たちは人々に安全を提供する』と言う目的を掲げ、それによって世界的な名声を得ること。『あの人たちのおかげで、自分たちはなにがあっても被害に遭うことなく、安全に、安心して暮らしていられる』と感謝されること。その結果として、自分たちこそが巨万の富を得ること。

 どちらを選びますか?」

 育美いくみの言葉は、成功のイメージと、それを逃したときの破滅を語ることで危機感を煽るという点でなかなかのものだったろう。しかし――。

 育美いくみのその言葉に対して返ってきたのはやはり、『理解できない』という戸惑いだけだった。


 もうすっかり夜になっていた。

 一日かけて何社かを訪れ、そのたびに熱心なプレゼンを行った。しかし、色よい返事をくれたところはひとつもない。なかには露骨に『こいつは気が変だ』という目で見てきた相手もいる。

 塩を撒いて追い出されなかっただけマシ。

 そう言うべきだろう。

 「……ひとつも仕事はとれませんでしたね」

 「そうですね」

 希見のぞみの言葉に、育美いくみもうなずいた。

 ふたりとも、まるで二昔前の年寄りのようなしわがれ声。熱心なプレゼンを繰り返したために、ふたりとも喉がガラガラなのだ。

 それだけやって、ひとつの仕事もとれなかった。

 しかし、だからと言って、ふたりともめげてなどいない。

 「名前も実績もない相手からいきなり『仲間にしてやる』なんて偉そうに言われて、うなずく相手がいるはずない」

 などという、小学生の多幸たゆにもわかることを理解していないはずがない。それでも、あえて、そんな態度に出たのは『使い捨ての下請け』としてではなく『対等の仲間』として認めてくれる相手を探すため。そんな相手と長いながい協力関係を築き、共に『誰も災害の被害に遭わない社会』を実現させるため。

 その目的があるのだ。

 この程度のことでめげてなどいられない。

 「そうです! わたしはこんなことではめげません! 一〇社まわってダメなら二〇社、二〇社まわってダメなら三〇社、それでもダメなら一〇〇社でも二〇〇社でもまわって必ず、仲間となってくれる相手を見つけます!」

 「その意気です、希見のぞみさん。だいたい、こういうことは最後のさいごで見つかるものと相場が決まっているんです。一〇〇社でも二〇〇社でもまわりつづければ最後には必ず、私たちと思いを同じくし、対等の仲間として行動してくれる相手に出会えます」

 「はい!」

 育美いくみの言葉に――。

 希見のぞみは力強くうなずいた。

 が、それとは裏腹に希見のぞみの運転する車のほうはいきなり力強さを失った。急に減速し、とまってしまった。

 「あ、あれ……?」

 「どうしました、希見のぞみさん?」

 育美いくみが尋ねると、希見のぞみは『どうしよう……』という顔を育美いくみに向けた。

 「車……とまっちゃいました」

 夜のなか、ふたりの若い男女は車のなかに取り残された。

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