一〇章 三女と同盟

 こうして、山之辺やまのべ育美いくみの『女として』の人生がはじまった。

 近所の人たちには『希見のぞみの大学の先輩が工場を手伝ってくれることになった』と言うことで紹介された。『育美いくみ』という名前はそのまま女性名としても通用するので、すんなりと受け入れられた。近所の人たちのそんな様子に、

 ――やっぱり、女になってよかったな。

 育美いくみはそう思った。

 男だったらこうはいかないだろう。同じように『大学の先輩』として紹介されたところで、こうもすんなり受け入れられることはなかったはずだ。

 好奇の目で見られるか、もっと悪ければなにかと警戒されたことだろう。なにしろ、四葉よつば家は『頼りになる町工場』と言うことで近所の人たちから人気だったし、その人柄も好かれていた。両親を災害で失ってからは、とくに近所の人たちは四姉妹のことを気にかけていたのでなおさらである。よけいな気を使うことなく仕事に専念できるのはありがたかった。

 そして、女になってみてわかったのが、男が女性の振りをするのは意外と簡単、と言うこと。男が女言葉を使ってスカートをはいていたら変態呼ばわりされるが、女性が男言葉を使ってジーンズをはいていても問題はない。普通に女性として認められる。外見に違和感さえなければ無理して口調をかえたり、スカートをはいたりしなくても女性として通用してしまうのだ。

 一人称にしても仕事の場では『私』が当たり前なので、自分のことをそう称するのも違和感はない。もちろん、立ち居振る舞いは男のままなのだが、なにしろ四葉よつば家には志信しのぶという男前美女がいるので、この点も目立たない。『サバサバした男性的な女性』で通ってしまう。

 と言うわけで、もともと女顔で声も高い育美いくみであれば、長いカツラをかぶり、胸にパッドを仕込むぐらいで、あとはひげの処理にさえ気を使っていればごく普通に女性として通用してしまう。特に苦労もなく、『女性』として四姉妹にも近所にも馴染んでしまった。

 もちろん、男は男なので、家族でもなければ恋人でもない女性との同居には気を使うわけだが、以前のシェアハウスで女性との同居経験があるので慣れている。その点もとくに問題はなかった。

 ゆい一、問題があるとすれば家事の分担。

 「居候の身で家事の手伝いもしないのはやっぱり、気が引けるよなあ」

 と、育美いくみは思うのだが、なにしろ、できることそのものが少ない。

 女性の振りはしていても男は男。女性の下着を見たり、ふれたりするなどできないので洗濯は論外。では、トイレや風呂の掃除と言った力仕事を、と思っても、女性が使ったあとのトイレや風呂を男が掃除するというのもなんとなく微妙。そもそも、『力仕事』ということになれば志信しのぶのほうが背が高くて、力もあるので、心愛ここあ多幸たゆも姉のほうを頼る。育美いくみの出る幕など最初からない。

 なにより、家事担当の心愛ここあ多幸たゆが『家事は自分たちの仕事』と言って譲らないので、育美いくみのできることはほとんどないのだ。

 「家事の手伝いなんて気にしなくていいんですよ。育美いくみさんは居候なんかじゃなくて、住み込みの従業員なんですから」

 希見のぞみはそう言ってくれるのだが、育美いくみとしては『はい、そうですか』と、心愛ここあ多幸たゆに世話されっぱなしというわけにはいかない。希見のぞみ志信しのぶとちがって赤の他人なのだ。

 結局、自分のできることを探した結果『買い物の際の荷物持ち』と言うことで落ち着いた。

 その日も買い物に出かける心愛ここあに声をかけられた。

 「育美いくみ男姉おねえさん。買い物、付き合って」

 「男姉おねえさん?」

 「『男の娘』って言うにはおとなだから、『男姉おねえさん』」

 「……なるほど」

 心愛ここあの答えになんとなく納得してしまう育美いくみであった。

 ――腐女子、ツンデレ、男の娘……。日本語ってなにかすごい。

 つくづくとそう思った。

 ともかく、心愛ここあとふたり、近所のスーパーへ。

 人混みのなかをいつものクールな無表情顔で買い物メモを見ながら歩く心愛ここあのあとを、買い物籠をもってついて行く。

 心愛ここあ多幸たゆも、スーパーに来てから買う物を決めるような真似はしない。事前に近所のそれぞれの店の広告を確認し、綿密な計画を立ててから買い物に挑む。ふたりして何枚ものチラシを並べ、スマホ画面を操作して、少しでも安上がりに買い物をすませようと奮闘する姿はいじらしいほど。育美いくみは見ていて涙がこぼれそうになったほどだった。

 もっとも、ふたりのそんな様子はふたりの姉、希見のぞみ志信しのぶにとっては『自分たちがきちんと稼げないから、妹たちにそんな気を使わせる……』と、落ち込ませる要因でしかないのだが。

 ともかく、心愛ここあは事前の計画通りに買い物を行った。メモから目をはなさず、そこに書いたものだけを籠に入れ、それ以外のものには目もくれない。その姿はまるで綿密に計画された仕事をやり遂げるプロのスナイパーのよう。

 ――まだ一三歳。お菓子やら、かわいいグッズやら、ついつい欲しくなるものもあるだろうにな。

 そこをグッとこらえて必要なものだけを買う。その姿は見ていてホロリとさせられる。

 ――それにしても、やけに豆腐が多いな。やっぱり、貧乏所帯だと豆腐は重要な食材なんだな。

 以前のチームでも上条かみじょうゆいが『貧乏所帯には安くて栄養豊富な豆腐がピッタリ』と言ってよく買っていたので、育美いくみはごく自然にそう思った。

 他人様の家を『貧乏所帯』と呼ぶのも失礼だろうが、事実として四葉よつば家の家計は苦しい。本当に仕事がないのだ。工場は毎日、開店休業状態で収入などほとんどない。亡くなった両親の生命保険と貯金を切り崩して、どうにか生活しているという状態。

 ――成長期の子どもが豆腐ばっかりって言うのもさびしいしなあ。早くなんとかしてやらないと。

 食生活はおいておくにしても、貯金を切り崩しての生活がいつまでもつづけられるはずがない。きちんと工場から収入を得られるようにするのは急務だった。

 もちろん、希見のぞみにしても、志信しのぶにしても、立派に『外見で稼げる』レベルの美女なので、工場経営にこだわらなければ稼げる仕事はいくらでもあるだろう。それどころか、心愛ここあ多幸たゆにしてもアイドル級の美少女。心愛ここあは無表情系として、多幸たゆは正統派アイドルとして、すぐにでもデビューできそうな美少女振り。その気になれば四姉妹全員で芸能界入りして豪遊生活……などと言うことも可能な外見偏差値の持ち主たち。それでも、『両親の工場を守る』という思いを胸に、意地を通している。

 その姿にはやはり、胸を打たれるし、なにより、育美いくみ自身『空飛ぶ部屋を作る』という目的のために工場が必要なのだ。なにがなんでも工場経営を軌道に乗せなければならなかった。

 ――以前の知り合いに連絡して、仕事をもらえるようにしないとな。

 改めて、そう決意する育美いくみだった。

 買い物を終えて帰路についた。その途中、心愛ここあが言った。

 「育美いくみ男姉おねえさん。公園によっていこ」

 「公園?」

 「この近くに大きな公園がある。池もあって、タダでボートに乗れる」

 「へえ、ボートか。それもいいな」

 ――ボートに乗りたいなんて、心愛ここあちゃんにも子どもらしいところがあるんだな。

 育美いくみはそう思って少しホッとした。ところが――。

 心愛ここあはやはり、そんなかわいいだけの存在ではなかった。公園により、ボートに乗ると、すかさず切り出したのだ。

 「育美いくみ男姉おねえさん、希見のぞみお姉ちゃんがいい? 志信しのぶお姉ちゃんがいい? それとも、わ・た・し?」

 「なんだ、いきなり⁉」

 育美いくみは驚きのあまり、オールを落としてしまうところだった。

 心愛ここあはいつものクールな無表情顔で言った。

 「わたしたちの誰かと結婚すれば、女装しなくても普通にうちにいられる」

 言われて、育美いくみはハッとなった。

 「その手があったか! ……って、いやいや、居候を正当化するために結婚するなんて、そんな失礼なことはできないから」

 それに、いまの私は女だし。

 そう言う育美いくみに対し、心愛ここあは言った。、

 「いまどき、同性結婚なんてめずらしくもない」

 「いやいや、それはあくまで法律上のことで、心理はまた別だから」

 「育美いくみ男姉おねえさんのためだけに言っているわけじゃない。わたしは単純にあのふたりのことを心配している。このままだと、ふたりとも行き遅れてしまうから」

 「行き遅れって……そんな心配はないだろう。ふたりともまだ若いんだし、あれだけの美女なんだから。その気になれば結婚相手なんてすぐに見つかるはず」

 「それが、そうでもない」

 「そうでもない? どうして?」

 「たしかに、希見のぞみお姉ちゃんは外見は良い。その外見に騙されてよってくる男は多い。でも……」

 「でも?」

 「筋肉はゴリラ。その事実を知った途端、みんな、はなれていく」

 「……ああ」

 と、育美いくみは納得した。

 希見のぞみに抱き潰されそうになった痛みと、折られかけた背骨の悲鳴を思い出せば、文字通り『骨身に染みて』わかることだった。

 「志信しのぶお姉ちゃんは志信しのぶお姉ちゃんで、わたしたちに対する保護意識が強すぎる。『妹たちを守らなきゃ!』って必死だから、よってくる男はみんな、追い払ってしまう」

 「……ああ」

 それもまた、納得できる話だった。

 「希見のぞみお姉ちゃんがゴリラであることを知ってもはなれていかなかったのも、志信しのぶお姉ちゃんが追い払わなかったのも、育美いくみ男姉おねえさんだけ。あのふたりと結婚できるとしたら育美いくみ男姉おねえさんだけだと思う」

 「……そうか。妹として、お姉さんたちが心配なんだね」

 「うん」

 「この気持ちはわかるつもりだよ。でも、やっぱり、そんなわけにはいかないよ。四葉よつば家に住むために結婚するなんて。そんな失礼な真似はできない」

 「普通に恋愛しての結婚ならいいでしょう?」

 「恋愛って……」

 「お姉ちゃんたちのこと、きらい?」

 「そんなわけないだろう!」

 「だったら、そうなる可能性だってあるわけでしょう? これから、一緒に暮らしていくんだからお互いに知り合うことも多い。育美いくみ男姉おねえさん、結婚したくない?」

 「……いや、したいとか、したくないとか以前に考えたことがないから」

 空飛ぶ部屋を作る。

 それを自分の天命と定めて以来、他のことを考えることなんてなかった。

 「そろそろ考えた方がいい。もう若くないんだし」

 心愛ここあの言葉が胸にグサリと突き刺さる。

 二六歳の身で『若くない』と言われるのはショックだが、

 ――一三歳から見れば二六歳なんて『おじさん』かもなあ。

 と、納得もしてしまう。

 ――そうだよな。おれもいつまでも二〇代っていうわけじゃない。あと四年で三〇になるし、三〇と言ったら世間的にも立派に『おじさん』だよな。真剣に考えた方がいいかも。

 「育美いくみ男姉おねえさんにその気があるなら、わたしは協力する。まずは、同僚からはじめてみない?」

 「そう……だね。希見のぞみさんも、志信しのぶさんも、素敵な女性だし、仕事の面でもピッタリだ。考えてみるべきかもね」

 「それじゃあ」

 と、心愛ここあは右手を差し出した。

 「これから、わたしたちは同盟相手。一緒にがんばろう」

 「うん。よろしく」

 育美いくみ心愛ここあの手をとった。

 心愛ここあが付け加えた。

 「それで、ふたりとも気に入ったら、どっちも嫁にしてしまうのもいいし」

 「なんで、そうなる⁉」

 「いっそのこと、四姉妹全員モノにして姉妹ハーレム作る?」

 「だから、なんでそうなるんだぁ⁉」

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