第10話 思い出して欲しいの


 悠流はるくんの部屋の前に立ち、わたしは今朝目が覚めた時のことを思い出していた——。


 意識が覚醒しゆっくり目を開くとわたしは机に突っ伏している自分に気付く。

 どうやら腕を枕にし、そのまま眠ってしまったようだ。

 

「あれ……?」


 温かな毛布の感触を感じ……。

 誰かがタオルケットを掛けてくれたらしい。

 

 直後、そのを想像し、急速に顔が熱くなる。


 というのも、眠っている間に見た夢を思い出したからだ。


 ベッドで仰向けになり寝息を立てる悠流くん。

 なぜかわたしは四つん這いで馬乗りになっていて……。眠る彼にキスをしようと唇を近づけてゆく……——。


 駄目っ。それ以上は……思い出しちゃっ。

 

 はぁ、熱い熱い。

 わたしは両方の掌でパタパタと頬を仰ぐ。


 というか、まだ会って実質二日目だというのに。

 かなり重症かも。

 

 返すため手に持っていたタオルケットの端を指先からぎゅっと握り締める。


 当初、わたしの目的は最後に彼と会った日に交わした約束を成就させることだけだった。少なくとも悠流はるくんを追いかけ、受験する前日までは……。


 受験の日あの日、颯爽と現れ痴漢から助けてくれた悠流はるくん。

 それを思い出すだけでも十分キュンキュンするのに、昨日だって強引な勧誘や文芸部の部長さんから守ってくれようとしたり、わたしが雨に濡れないように傘を貸してくれて……。

 

 今となってはもう早くも、限りなく好きに近い……気になる、だ。

 というか多分それすら建前だと自分で思ってしまうほどに。


 なのに悠流はるくんときたら。


 わたしってそんなに魅力ないかな?


 たしかに胸はそこまで大きくないよ。でも形は綺麗だってよく言われるし、最近ブラもきつくなってきて、順調に成長してるとは思う。


 一方で脚には少しだけ自信があるから少し露出が多めのショートパンツを履いてみたのに……。まったく響いている気配がない。


 もうこうなったら強硬手段。

 絶対に思い出させてやるんだから。


 そんな意気込みを携え、部屋のドアをノックする。


「佐倉先輩……。起きてますか?」


 念のためドア越しに呼びかけてみるも反応なし。


「先輩、入りますよ? ほんとに入りますからね?」


 もう一度声を掛けてから静かにドアを開けた。

 部屋は薄暗いオレンジ色の常夜灯に包まれていて、カーテンの隙間から朝の光が少しだけ差し込んでいる。


 失礼な言い方かもしれないけれど、部屋は思いのほか綺麗だった。少なくとも足の踏み場が無い、というほどではない。


 悠流はるくんはベッドで仰向けになり腰から下に薄手の布団を一枚だけ被り眠っていた。


 その姿は少し寒々しく映る。

 なるほど、今わたしが手に持つタオルケットが彼の普段使いなのだと理解をし、まさに自分がそれにくるまれていたことを思い出すと、また顔が熱くなってしまう。


「朝ですよ。起きてください」


 声を掛けるも起きず、わたしは二重カーテンの厚手の方だけを開けることにした。直後、朝の光が控えめに部屋を満たす。


 相変わらず彼はピクリともしない。相当深く眠っているようだ。


 こうなったら……。わたしはこの機会を利用することを決意する。


 もし目覚めた時、わたしの顔がすぐ目の前にあったなら、彼はどう思うだろうか。

 まさか同居二日目の赤の他人がそんなことをするなんてあり得ないし、さすがに思い出してくれるかも知れない。


 それにこれも悠流はるくんとわたしが交わした約束の一環だと、広義でなら捉えていいと思う。うぅん……、流石に少し無理やりな気もするけれど。


 でも、逆にもしそれでも思い出してくれなかったら……? 

 その時は……うん、種明かしをしよう。じゃないとただの変態だもの。


 そうと決まれば。

 わたしはベッドに片膝を乗せ、反対の脚で彼のお腹あたりから跨ぐと、次いで両掌を彼の肩越しに置き、四つん這いの体勢で彼を見下ろす。


 会いたかった悠流はるくんの顔がこんなにも近くに……。

 記憶の中では幼かった彼も、もう高校二年生なのだ。当時の面影こそあるものの、その精悍になった顔つきに年月の経過を感じずにいられない。


 なんだかドキドキしてきた。もしかしたら怒られるかもしれない?


 でもここまで来れば、わたしだって引き下がるつもりはない。



△▼ 



「……ん。ん、ん」


 ゆっくり目を開くに連れ、ぼんやりと視界が明らかになってゆき……、直後俺は数度瞬きをした。


 と、いうのもすぐ目の前に天野の顔があったからだ。


「おはようございます、先輩」


 俺の両肩の脇に掌を置き、まるで試すような眼で俺を見下ろしてくる天野。

 今日の彼女は髪を後ろで一括りしているらしく、俺の鼻柱にふわりと垂れ下がる亜麻色のおくれ毛から発する石鹸の香りが脳に刺激を与えてくる。


 寝起きで身体が思うように動かない俺は、まだ鈍い脳から信号を送り、なんとか顔や目の動きだけで状況を把握しようと試みた。 


 仰向けの俺に対し、既に制服に着替えた天野は形の良いお尻を突き出すような恰好で俺に覆い被さっているようだ。まだタイツは履いていないらしく短いスカートから生足が覗く。


 っつうか、なんだこれ。


 起こしてくれたのは分かる。でもただ起こすだけならこんなことをする必要などない。

 まさか昨日やって来たばかりのただの同居人にこんな起こし方をされようとは……。普通に考えれば、距離感がバグっているとしか言いようがない。


 ……と、昨日までの俺ならそう思っていただろう。


 だが、実は既に思い出していた。

 彼女が幼少期を共に過ごした幼馴染であることを。 


 全ては昨日の晩、彼女のこぼした寝言が発端ほったんだ。

 『はるくん』と、あの一言で全てが繋がってしまった。いとも簡単に。


 と言ってもすぐに自力じりきで思い出したわけじゃない。

 妙な引っ掛かりを覚えた俺はあの後、久しぶりに過去の写真を引っ張り出したのだ。すると出るわ出るわ、亜麻色の髪をした蒼い眼の幼子おさなごとのツーショット写真がわんさかと。

 

 実際、始めこそ写真に記憶を補完してもらった感が否めないものの、それでもその後、かなりの出来事を自身の記憶として思い出すことが出来た。


 そうなると逆になぜ彼女に会った時、すぐ思い出せなかったのか、などと思えなくもないが(中学の時を含め)、理由は単純、それが昔のこと過ぎたからに他ならない。


 と、いうのも俺たちが同じ時を過ごしたのは一歳から四歳まで。それを除けば彼女には一度しか会っていないのだ。


 当時お互いの家がすぐ近くだったこともあり、同じ保育園に通っていた俺たちはあすかちゃん、はるくんと呼び合う、言わば幼馴染のような関係だった。

 なんならお風呂にだって一緒に入ったことがあると思う。


 ただ、その後、あすかちゃんは引っ越してしまい。

 そして再会したのは数年後、俺が小二か小一の時だ。


 再会した彼女は病を患い、病室のベッドに伏せていた。


 あすかちゃんは俺が会いに来たことを大層喜んでくれて、そんな中、大手術を前に怯えていた彼女を励ますため、俺は彼女とある約束を交わした。


 そして彼女は元気になったら必ず俺に会いに来ると言い……。

 

 と、まあ……ここまでが昨日思い出したことだ。


 いずれにしても受験の日、必ず会いに来ると言ったのはまさに当時の約束通りだったわけで。

 加えて、昨日部室で俺のことをじっと見つめてきたり、俺がいるからうちに来たんだと彼女が言った理由も理解することが出来た。


 しかも今この状況を見る限り、彼女が気になっている対象が俺の可能性すらあるのだろう。


 まあそれはさておき。


 昨日までの天野ならこんなことは絶対にしなかったろう。

 つまり何かきっかけがあったか、しくは痺れを切らしたのか。いずれにしてもいつまでも思い出さない俺に対し、強硬手段に打って出た、といったところか。

 

 俺は四つん這いで俺を見下ろす彼女に視線を合わせる。


「おはよう。天野が起こしてくれたってことは、母さんはもう出たのか?」


 俺がそう言うと、なぜか天野は口の端をぴくぴくと引き攣らせた。


「そうです、けど……。あの、先輩?! よくこの状況で普通に会話しようなんて思えましたね」


「そ、それもそうか。悪い」


「というか、どうして驚かないんですか。わたし先輩に馬乗りになってるんですよ?」


「驚いてるよ、もちろん。でも、俺に思い出させたいんだろ?」


「えっ?!」


 その時、天野の手がズルっと滑り、彼女は「きゃっ」と前のめりに体勢を崩してしまうっ。


 俺は咄嗟に彼女の脇の下から両腕を背中に回しガバっと抱き止めた。当然ベッド上で抱き締める格好になる。


 下半身こそ布団越しであるものの、その華奢なのに柔らかな彼女の感触を上半身に感じ、同時に絹のようにさらさらな髪が俺の鼻先や頬を撫でる。


 一方、支える腕を失い重力に逆らえなくなった天野は俺に身体を預けざるを得ず、頬が触れ合うような距離で「あ、ぅ……」と可愛らしく呻いていて。

 同時に密着した胸から彼女のどくどくと早鐘を打つ心音が伝わってくる。


 それは逆に天野からしたって同じことだろう。


 俺の心臓だってドクッドクッと大きな音を立てているんだから。




(2章了)



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