第9話 いますよ
天野も急にそんなことを訊かれるなどと思っていなかったんだろう。
硬直しながら数度瞬きをする。
「って、なに訊いてんだろ俺。悪い、今のナシでっ。忘れてくれっ」
慌てて最後の料理を口の中に箸で掻き入れると、俺は急ぎ席を立った。
「いますよ、好きなひと」
自分から訊いておきながら、まさか答えを聞くことになるなど露にも思っておらず……、今度は「えっ」と、俺が硬直してしまう。
そんな俺に向け天野は言葉を重ねてきた。
「どちらかと言えば、気になっている人……の方が正しいかな」
同時になぜか真っすぐ見つめられ、俺の心臓がトクンと跳ねる。
「そう、なんだ……」
なんと返して良いものか表情を作れずにいると天野は苦笑いをした。
「自分でもよく分かってないんです。もしかしたら憧れ? なのかも……。って、すみませんっ、そこまで訊いてませんよねっ」
自分でも驚いたみたいに彼女はかぁっと頬を赤らめながらふいと顔を背け、慌てて席を立つと、テーブルの空いた紙皿をさっさと集め始めてしまう。
「あ、後はわたしが片付けておきますから。先輩はお先にどうぞっ。お風呂も沸いてますし」
「あ、ああ。って、食べたのは俺なんだ、自分でかたすよ。天野は何かやってる途中だったろ」
「それなら大丈夫です、わたしの方はもうほとんど終わってますので」
「そうか……? じゃあ……悪いけど頼もうかな。俺、ちょっと出て来るから。そんな遅くならないとは思うけど、疲れてるだろうし気にせず先に寝ろよ。リビングの電気は消しといてくれていいから」
「出て来るって。こんな遅くに、ですか?」
「ランニング、一応日課にしててさ」
「そうなんですね……。でも夜も遅いですし、くれぐれも気を付けてください」
「慣れてるし大丈夫だよ」
天野から背を向けリビングを出ると、追いかけ背中越しに蛇口から水の出る音が聞こえてくる。
俺なら食べた後の紙皿なんてそのままゴミ箱にポイだが、几帳面なのだろう、彼女はわざわざ洗ってから捨てるつもりらしい。
「結構寒いな」
空は真っ暗で、雨の後だからだろう、やけに肌寒い。
俺は両腕を巻き付けてぶるぶるっと身震いしながら、もうちょっと厚めの服装にしとけば良かったと少しだけ後悔する。だけど戻るのも面倒だとそのままマンションを出ることにした。
幼少期、親父に薦められたサッカーとほぼ同時期に始めた
中学二年の時に膝に大きな怪我を負いサッカー自体は辞めてしまったが、このランニングだけは未だに続けている。ルートは日によってまちまちだが、距離は年々延び、今では往復十キロ近くにもなっていた。
走っている時に考えごとをするのは嫌いじゃないが、走ること自体は正直好きじゃない。
どっちかといや辞めるのが恐いから続けてるといった感じだ。
公園を抜け、街中を走り抜ける。
いつもより遅い時間帯ということもあり、街は別の顔を見せていた。繁華街では酔っ払いの姿が散見され、絡まれでもしたら面倒だと少し速度を速める。
その後三十分ほど走り、いい感じに息が上がってきた中、俺は少し速度を緩めさっきのことを思い出していた。
(なんで俺、あんなこと聞いたんだろ……)
——「あの、わたし絶対合格します。また必ず会いに行きますからっ」
受験日の彼女が言ったことを思い出す。
あの時点ではまだうちに同居することは決まってなかったらしいが、
それに加え今日山田が言ってた噂、わざわざ天野がレベルダウンさせてまで
結局彼女自身の口から真相は聞けてないし、時系列もめちゃくちゃではあるものの、ひとつ仮定を上げるとすれば、俺がいるから
会ったこともないのに。んなバカげたこと、あり得るわけないんだけど……。
好きな奴、いや憧れてる奴か。
もしかしたらそいつが
まあ何にしてもだ。あの天野にそんな風に思われるなんて、どんなスペックの奴なんだろう。そこはちょっと気になるところではある。
(ま、どっちにしろ俺には関係無いことだけどな)
俺はフッと息を吐くと、脳から酸素を奪うべく全力でダッシュをした。
その後、自宅に戻るとリビングの灯りはまだ点いているようだった。
まだ起きてんのかよ。
そう思いリビングに戻る。すると天野はさっきと同じ位置、リビングのローテーブルで斜め座りをしていた。
但し、上半身はテーブルに突っ伏しており、両腕に頭を預けているようだ。つまり眠ってしまったのだろう。
「寝てんのか?」
念のため声を掛けるも返事はなく、覗き込むと愛らしい寝顔ですぅすぅと小さな寝息を立てていて、さらさらの亜麻色髪がテーブル上で放射線状に美しく散らばっている。
どんな触り心地なんだろう。ふとそんなことを思いながら、テーブルの上にある一枚の紙面が目に入った。
思いの
パッと見でこの箇所では声を張ってなど、文面の至る所に吹き出しなどのコメントが添えられており、何度も修正や手直しの加えられた様子が窺えた。
「暖かな日差しと共に~……」
季節の文で開始されたそれに目を通しすぐに気付く。
そうか、明日は新入生と在校生の対面式だったな。
ということは、彼女は新入生の総代に選ばれたということなのだろう。
俺は息を呑む。
つまりそれは同時に成績トップで入学を果たしたことを意味するわけで、なるほど明日は才色兼備のお披露目会となるわけ、か……。
これは益々校内では近寄りがたくなるな。
そんなことを考えつつも、まあそれはさておき。
気持ちよさそうに寝てるところを起こすのも可哀想だが、こんなとこで寝て風邪でも引かれたら困る。
せっかく頑張って作った挨拶文が台無しになるし、というか、責任感の強そうなこいつのことだから風邪を引いてでも学校に行きかねない。そんな気がした。
やっぱ起こすか。
「おい、天野っ。起きろよ、風邪引くぞ?」
少し声を張ってみたが全く覚醒する気配がなく、ゆすろうと思い肩にそっと指を掛けてみる。と、その瞬間、華奢なのに柔らかみも帯びた感触に、気付いたらビクッと指を引っ込めていた。
これは駄目なやつだ。俺が……。
「はる、くん……」
と、突然天野から吐息のように漏れ出た言葉にパチパチと目を瞬かせる。
首を伸ばし確認するもやはり寝ているようだが……。
(今、「はるくん」って……。俺の名前のわけ、ないよな?)
もしかしたら続きが有るかもと少しの間待機してみるも、その後また寝息を立て始めてしまう。
どうしようか。
肩を触るだけでも難儀なのに、部屋へ運び込むなんて無理に決まってる。
結局俺は自室からタオルケットを持ってくると、彼女にそれをかけることにした。
その際、ショートパンツから覗く生足が寒々しく見え、俺は身体に触れないように注意しながらタオルケットを足元にも巻くと、これ以上できることはないだろうとリビングの灯りを消し部屋を後にした。
△▼
「——ぱい、そろそろ——てくださ——」
ゆさゆさと肩が前後に動く感覚を覚え、少しずつ意識が覚醒してゆく。
「もう、やっと起きた」
「……ん。ん、ん」
ゆっくり目を開くに連れ、ぼんやりと視界が明らかになってゆき……、直後俺は数度瞬きをした。
と、いうのもすぐ目の前に天野の顔があったからだ。
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