第8話 その方が好きです
「まだ少し、ドキドキしてます」
「ああ。でもよくバレなかったもんだ。久々にヒヤヒヤした」
俺たちはふたり目を合わせ、クスと笑い合う。
とはいえ、だな。
ここは俺と天野、お互いにとっての地元なのだ。この先こんなことはいくらでもあるだろう。
その度にこんな苦労が待ってるならどう考えても割に合わねえっつうか。当然、今後二人で行動するのを控えた方がいいだろう。
「上手く説明できる理由を考えておかないと、ですね」
言う前に言葉を被せられ、俺はパチパチと瞬きをする。
「きっとまたすぐ知り合いに会うと思いますし。って、どうかしました?」
「え? あ、ああ……そう、かな?」
まさかそっちで来るとは。
惑う俺を見て不思議そうに首を傾げる天野だったが、両手をテーブルにつけるとすっと腰を上げる。
「それはそうと、お腹も満たされましたし。そろそろ行きましょうか。戻って
立ち上がった天野はキャップの鍔に指を掛けクイと位置を微調整すると、さらさらの髪を背中の後ろにさっと流しさっさと歩き始めてしまった。
△▼
「ほんとに手伝わなくてもいいのか?」
「大丈夫です、ひとつずつ片付けるのが性に合ってますし。それより先輩も疲れたでしょ? ゆっくりしてください」
自宅に戻った俺たち。物量を見る限り今日中に作業が終わることはないだろうと助力を申し出たのだが、そう返されれば引き下がる他ない。
「分かった。部屋にいるから、何かあったら呼べよ」
衣類をハンガーに掛けながら「ありがとうございます」と、にこっと笑顔を付け加える天野に少しだけ後ろ髪を引かれながら俺はドアを静かに閉じた。
実は荷解きを手伝いながらさっきの続きを話そうと思ってたんだけどな。
思惑の外れた俺は自室に戻り、仰向けでベッドにドカッと身を放り出す。
直後、グイングインと心地の良い弾力が体と脳を揺らし、昼食後ということもあり頭がぼーっとしてくる。
——「お前、まだあのこと引きずってんのかよ」
二年も経ってんのに……まだ引きずってる俺がきっと変なんだ。
だけどなんだろ、今でも思い出すと胸ん中がモヤモヤするっつうか……。
ベッド上でごろりと半身になった俺はぐいと机に手を伸ばす。そして、ふっと一息吐き出し決意を固めると、そっと引き出しを開けた。
寝ころんだまま首をぐ~っと伸ばし引き出しの中を覗き込むも見えず、結局ごそごそと指先で物色しつるつるとした手触りを確認すると、お目当てのものをひょいと摘まみ取り出す。
そのまままたベッドでごろりと仰向けに戻った俺は、両手でそれの両端を持ち、天井に向け
目に映るのは一枚のプリントシール写真。
終始棒立ちではにかみ笑いしか出来ない俺と愛らしくピースサインなどをする笑顔の
(なに嬉しそうな顔してんだよ……)
写真に写る二年前の俺。自分なのだから当時の心情は当然分かる。
って、あほくさ。
いつまでこんなのを大事に取ってるんだって話で。どれだけ未練がましいんだよ、俺。
でも別に好きだったからとかじゃない。
そう言う意味じゃなくて……きっと俺は。
もう一度ごろりと半身になりベッド端の脇にあるゴミ箱へ
直後、視界が遮られ、同時に急激な睡魔が襲ってくる……——。
「はぇ?」
覚醒しゆっくり目を開くと、当初うつ伏せだったはずが今は仰向けになっていて。
どうやらそのまま寝てしまっていたらしい。
俺は口の端に垂れたヨダレを手の甲で拭うとぼんやりとカーテンに視線を移す。
閉め切られたカーテンの隙間から一切光が差し込んでなかった。
「やべっ、何時だ!?」
寝ころんだまま慌てて頭上に腕を伸ばしスマホを探し取ると画面に表示された数字に息を呑む。
「マジかよ……」
なんと時刻は夜の十時を廻っていて。普段寝覚めの悪い俺はダラダラとしてから起き上がるのが常だが、さすがにこの時ばかりはすぐに身体が動いた。
とはいえ時間も時間だ。自室ドアをそっと開け、俺はまず玄関を確認する。
母さんの靴は……あるみたいだな。どうやら帰っているらしくホッと一息つく。であれば天野の夕食は確保されているだろう。
次にリビングへ視線を向ける。まだ灯りが点いていた。
静かに入る。すると天野がひとりリビングのローテーブルで斜め座りし、ペンを片手になにやら紙面?とにらめっこしているようだ。
音で気付いたのか、彼女は座ったまま顔だけをこちらに向ける。
「あ、起きたんですね」
「悪い、めっちゃ寝てた。母さんは?」
「さっきまで起きてたんですけど、かなりお酒が回ってたみたいで。明日も早いから寝るって」
「そっか。でも、なら天野はなんでこんなとこにいんだよ」
「それは……まあ。実はわたし、自分の部屋にいる習慣がなくて」
そう言うと、困ったように眉尻を下げる天野。
そういえば天野は中二で転入してくるまで長らく海外で暮らしてたんだったか。そういう意味で文化の違いもあるのかもしれない。
などと考えていると突然腹から「グ~」と音が鳴った。
「お腹、空きましたよね。すぐ準備しますから」
形の整った腰回りを少し突き出すように軽やかに持ち上げると、天野は俺の目の前をトタトタとすり抜けキッチンへと向かう。
「先輩は座っててください」
ぼけっと突っ立っていた俺に着席を促しつつ、予め取り置きしてくれていたのか、天野はパスタやチキンなどが取り分けられた紙製の小皿数枚を食卓テーブルへと次々に運んでくれる。
その様子からは当初のお客様ムードは感じられず、早速母さんにこき使われたであろう様子が窺えた。
「母さん、結構強烈だったろ。がさつだし」
椅子を引きながら配膳中の彼女に問いかけると「そうでもないですよ」と微笑み返される。
「事前にチャットや電話でやり取りしていた通りでした。はい、お水」
「何から何まで悪い。寝起きはちょっと頭がぼーっとしててさ。なかなか戻んないんだ」
俺の入室時はリビング側で座っていた天野だが、一旦俺と一緒に食卓テーブルで座ることにしたらしい。
「荷解きは終わったのか」
「はい、なんとか。でも思ったより時間が掛かっちゃいました」
合間にパクパクと食事を口に運び、流石に口に入れながらは失礼だと呑み込んでからまた話し始める。
「そっか。話は変わるけど、長らく海外に住んでたんだよな? 何年くらいいたんだ」
「うーん、八年くらい、でしょうか。一番長く居たのはドイツで、あとフランス。オランダにも少しだけいました」
「へぇ。じゃあ英語も話せるんだ」
「ほどほどに、ですけど。先輩はヨーロッパに行ったことはあるんですか?」
「ドイツには行ったことがあるかな。つっても弾丸ツアーだったし観光なんて少しも出来てねえけど。でも街は綺麗だったのを覚えてる。あとフライト時間がめっちゃ長いんだよな」
天野は同感とばかりにうんうんと頷く。
「あっちに友達がいるんだろ。寂しくないか?」
「そうですね、少し。でも今でも連絡は取り合ってますし、それに今は環境も整ってますから」
そう言うと、天野はローテーブルにおきっぱのスマホへちらと視線を投げる。
たしかに。あれがあれば顔を見ながら話も出来るもんな。
「そういえば、久しぶりに日本に戻って来ただろ。なにか驚いたこととかってないの?」
俺の質問を受けた天野は人差し指をちょこんと唇につけると「そうですねぇ」と宙を見上げる。
「強いて上げるなら告白文化、ですかね。あっちではそういう慣習がないので。すごく驚きました」
「え、じゃあ告白しないってこと? ならどうやって付き合うんだ」
「それは……わたしも付き合ったことがないので詳しくは分かりません。でも、少しずつ関係を深めていっていつの間にかそういう関係になってる、みたいな感じだと思います」
「いや、でも結局は伝えなきゃ分かんないじゃん」
「お友達に紹介する時とかに分かったりするみたいですよ? この人は僕の彼女ですって紹介されて、ああそうだったんだ、とか」
「なんだそれ。すごいな」
告白がない、か。だったら俺みたく嘘の告白をされる奴もいないわけだ。
「そうでしょうか。わたしはそっちの方が好みですけど」
「まあ、告白されまくってる天野からすればそうかもな」
茶化すように言うと天野は白い頬をプクと膨らませながら困ったように眉根を寄せ、恨めしそうに俺を見つめてくる。
「そ、そういう意味で言ったんじゃありません。……でも、深く知りもしない人に告白する気持ちも、やっぱりよく分かりません」
たしかに天野くらいにもなれば、全く話したことの無い奴から告白されることもあるだろう。
「ちなみに……。天野って、好きな奴とかいないの?」
何の気なく言ってから後悔する。
ただ、気付いた時には既に口をついて出てしまっていた。
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