第7話 お前のファンなんだ


 その後、結局俺たちは公園に隣接するカフェで昼食を摂っていた。


 店内はある程度席が埋まっていたものの、平日の昼間ということもあり俺たちの座るテラス席は閑散としており、まるで貸し切り状態だ。


 知り合いに会わないように、というのがこの席を選んだ理由ではあるもののの、生憎あいにくとして連れはどこまでも目立ってしまう美少女。

 念のため、天野にはキャップを被ってもらっている。


 そんななか、正面に座る彼女はリラックスムードで両手にグラスを持ち、すぼめた桜色の唇をストローからちゅっと離すと思い出し笑いを始める。


「でもまさか……お米まで無いなんて、ふふ」


 当初我がに一切の食材が無いことに大層驚いた天野だったが、一周回って可笑おかしくなったらしい。


「悪かったな。せっかく作ってくれようとしたのに」

「いえ。ただそうなると、普段先輩の食事はお惣菜や冷凍食品が中心、ということですよね?」


「たまに出前も頼むけど、まあそうなるかな。ちなみに天野は料理が得意なんだっけ。普段から作ってるのか」


「はい。両親が共働きですし」


「いや、それはうちもなんだが」


 じとっとした目を向けると、天野は失言だったとばかりに掌で口を覆い隠した。


「そ、それはともかく。なにより栄養の偏りが心配です。きっと先輩のことだから好みのものばかり食べてるんじゃないですか?」


 この短期間で早くも俺の一面を理解してしまったらしい。

 さっきの反撃とばかりに見透かすような半眼を向けられ「うっ」となる。


「仕方ないだろ。金を払うんだ、わざわざ嫌いなものなんて選り好まないのが普通だろ?」


「それを普通と思うかどうかは意識の問題です」


 ピシャリと正論を言われてしまえば返す言葉もない。


「病気になってからじゃ遅いんですよ? 何をするしても身体が資本なんですから……って、どうしてそこで笑うんですかっ」


「いや、ごめん。なんかうちの親より親っぽいと思ってさ」


 中学時代、高嶺の花だった天野。

 そんな彼女の庶民的な一面が垣間見え、親近感が湧くと同時に笑いが込み上げてしまった。当然笑われた天野は不服そうに頬を膨らませているが。


「分かった。これからは気を付けるよ。それでいいか?」


「はい。ただわたし的には栄養確保のためにも夕飯で再チャレンジ、と言いたいところなんですが。今日はまだ荷解きも残ってますし……」


「いいよ、晩飯はさすがに母さんが何か準備してると思う。っつうか、マジでそんな気を遣わなくていいんだからな。天野は大事なお客さんなんだ」


「そういうわけにはいきません。これからお世話になるんですし、わたしだって少しくらいは役に立たないと」


 堅物かたぶつとまでは言わないものの、これまでのやり取りから彼女が真面目な性格であることは間違いないだろう。


 と、ふと思い出し気になった疑問を訊ねることにする。


「話は変わるけど。部室で演技してた時のあれ、なんだったんだ?」


「あれというのは、つまり……これのことですか」


 言うや天野はキャップの奥から視線をぶつけてきて、同時にその大きく蒼い瞳に俺が映し出される。ただあの時は何かを思い出せそうだったが、今は何ひとつ浮かんでこなかった。


 そんな俺を少しの間見つめていた天野だったが、ふっと軽く息を吐くと小さく肩をすくめる。


「いいんです。特に深い意味はなかったので」


「そっか……。なら、いいんだけど」


 その後、少しのが生まれ。

 そのこそが何らかの存在を示唆しているように思えたものの、当の本人が何もないと言ってるんだ。こちらから追及することではないのだろう。


「でも、不思議です」


「なにが?」


 彼女からぽつりとこぼれた一言に俺は首をかしげる。


「こうやって、先輩と普通に話せてることが、です」


 俺から視線を外した天野は優し気に目を細め遠くを見つめていて、その表情はなぜか感慨深げのようにも映った。


「あっ、佐倉さくらじゃん!? おーい、佐倉ぁっ」


 突然、通りから俺を呼ぶ声が聞こえ、互いに顔を動かすことなく天野と目を合わせる。


 横目に見遣みやると、地元の連れの一人である山田やまだがこちらに向け手をぶんぶんと振っている姿が見えた。


「(誰ですか?)」


「(中学の時の連れ。これがまた運の悪いことに、あいつ、お前のファンなんだ)」


「(ファン?)」


 言われ目をぱちくりとさせる天野。

 当然だ、ファンというのは本来特定のアイドルや俳優、選手などに向けられる言葉。とはいえ、中学における天野はある種偶像崇拝される存在だったし、そういう意味において山田は確かに天野の愛好家ファンだった。


 早速到来した試練に内心で盛大に溜息を吐き出しつつも、いつかは来ることだと腹を括る。

 ただ一点救いがあるとすれば山田が気のいい奴、というところか。


 山田はわざわざ歩道から俺たちの座るテラス席へと向かってくるようだ。

 本来であれば俺が歩道に出て迎え撃ちたかったところだが……タイミングを逃した今となっては仕方ない。


「(キャップ帽子、深く被って)」


 俺は天野に一声かけるとテーブル席に腰掛けたまま山田の方へ体を向き直す。


「久しぶりだな、山田」


「まじでな。にしてもお前、見ない間に髪伸びたなぁ。ってかもう学校終わったのか?」


 相変わらず愛嬌のある素朴な笑顔は健在だ。ちなみに私服の俺に対し、山田は制服である。


「ああ、今日は入学式もあったからな。お前は今帰りか?」


「そうそう、このまま遊び行こうかと思ってな。吉田、覚えてるだろ? 今からあいつと映画観に行ってくるわ」


「吉田か。懐かしいな」


「ていうかお前んとこ入学式だったなら、もしかして会ったんじゃねえの」


「会ったって、誰に」


「決まってんじゃん、天野明香天野さんだよ、天野さん」


 話題にのぼらぬことを微かに期待しつつとぼけてみたが、どうやら駄目だったらしい。同時に天野の肩がぴくりと動く。


「お前んとこに進学したの。聞いてないのか?」


「逆にどこで聞くんだよ。そんな話」


「ん? それもそうか。ちなみに補足だけどなんで彼女が秀明館なんかに行ったんだって、先生らの間では話題になってたみたいだぜ」


 秀明館うちはこの辺りでは有名な進学校の一つだ。

 その高校を「なんか」扱いとなると、つまりそれは天野が全国模試トップレベルの成績保持者だった、ということになるが……。

 一瞬天野へ視線を移すも、ふいと顔を逸らされてしまう。


 そんななか、山田も元から気になっていたのだろう、天野を一瞥すると俺に疑問を投げかけてくる。


「この子は? もしかして彼女?」


「んなわけないだろ」


「まあ、そうだよな。っつうかお前、まだあのこと引きずってんのかよ」


「おい。そのこと、今はいいだろ」


「あぁ、だな。悪ぃっ。でも……じゃあ誰だよ?」


「誰って……。俺も知らねえし」


 言った直後、キャップ越しにじろっと鋭めの眼光を感じた気がしたのは気のせいだろうか。


「は? 知り合いでもないのになんで一緒の席に座ってんだよ。っつうか……、この子のシルエット、どこかで見覚えが。それに髪の色も……やけに天野さんぽいんだが」


 シルエットで分かるとかお前怖いよ。

 驚く俺を他所よそに山田は天野の顔を見ようと腰を折り覗き込み、対する天野はキャップのつばに指を引っ掛け下にくいっと押し下げる。


「おい、失礼だろ。すみません変な連れで」


 天野に向け頭を下げると、俯いたまま「いえ、大丈夫です」と返される。

 その際、彼女なりの配慮だろうか、普段と異なる微妙に高めのその声質が妙にツボってしまい、俺は一瞬吹き出しそうになるも寸でのところでこらえた。


「つうか……えと、相席、そう、相席させられてるんだ。ガラガラに見えるかもだけど実は予約で埋まってるらしくてさ」


「予約?」


「海外からの団体客が来るらしい」


 我ながら苦しい言い訳だ。だけどこのまま押し通すしかない。

 一方の山田は不可思議な表情を浮かべながらも、「なるほど。そういうことか」となぜか納得しつつある様子?


 信じ難いが非常に助かる。

 そう思い、俺は早々に話を切り上げることに決める。


「それより急がなくていいのか? 吉田が待ってるんだろ」


「あっ! そうだった。いや、マジで久しぶりに会えて嬉しかったわ。また連絡するから皆で集まろうぜ。あとそっちの女の子も、なんか邪魔してすみませんでした」


 そう言うと手をぶんぶんと振り、足早に走り去って行く山田。


 そんな山田を遠目に眺めながら、俺たちは目を合わせた。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る