第2章

第6話 相手が女子ってだけで


 別に告白されたわけでもあるまいし、何をドキッとしてんだ俺は。

 そもそも天野は礼がしたいって、ただそう言っただけだ。


 こいつだって家族とひとり別れて心細いだろうに、信用してくれたのなら尚更しっかりしねえと。それに彼女の親御さんに対してだってそうだ。大切な娘さんを預けてくれたわけだから。


 ただひとつだけ引っかかるとすれば、じゃあ天野は俺のことをいつから知ってたのかってことだが……。まあそこはさして重要でもないか。


「そっか。じゃあこっちも期待に応えられるよう頑張らねえと。っつうかこんなとこで突っ立ってても何だし、行こうぜ」


 そもそも立ち止まったのは俺なんだけどな。

 と、内心で自虐ちりつつ。すんなりとついて来てくれる天野を横目に歩を進めることにした。


 ほどなくして自宅のマンションが見えてくる中、俺たちは敷地外に隣接された公園を通り抜けてゆく。


 ただ家に帰るだけならここを通る必要も無かったが、この公園には再開発を経てカフェなども併設されており、引っ越してきたばかりの天野からすれば好奇心をくすぐられるのではないかと思い、敢えて案内することにした。


「なかなかいい場所だろ。休みは人で溢れ返るけど、夜に考えごとしたい時とか俺もたまに来るんだ」


「緑も多くて素敵ですね。緑地とまでは言い過ぎですけど結構広めの作りですし」


「つっても大した遊具もなけりゃグラウンドもないけど。で、この先に見えるマンション、3棟並んでる内の左がうちな」


 階数を指で数え始めた天野に12階建てだと教えてやる。

 

 その後、エントランスでキーロックの解除操作を手短に教え、母さんから預かっていたスペアキーを天野に手渡す。彼女が住んでたマンションも似たセキュリティ形式だったらしくどうやら問題は無さそうだ。


 そしてエレベーターで10階に降り立ち、一番奥、つまり角部屋がうちの家にあたる。俺は手早く鍵を開けると、天野を招き入れた。


「ちょっと待ってて。すぐタオル取ってくるから」


 まだ半乾きの靴を脱いだ俺は指先で摘まみ剥いだ靴下を脱いだ靴の穴に捻じ込み、膝立ちのまま玄関左脇にある洗面所から大きめのタオルを二枚取ってきて一枚を天野に渡す。


「助かります。実は靴の中が気持ち悪かったんですよね」


「ちょっととはいえ、すごい雨だったからな。……って、悪い。俺がいたらタイツそれ、脱げないのか」


 手持ち無沙汰にしている天野に気付く。

 彼女は薄手の黒いタイツを履いており、靴の中が濡れているのだから当然タイツも脱ぐ必要があるだろう。


「俺、奥のリビングで待ってるから。あ、鍵閉めといてくれる?」


「分かりました。わたしもすぐ行きますね」


 廊下を歩きながらふいに天野がタイツを脱ぐ姿を想像してしまい、なにを馬鹿な想像してんだと自戒しつつ。ただ、同時に今のとこ上手くやれてるんじゃないだろうかと思い至る。目もギリギリ合わせられてるし。


 そうだ。この際、彩音あやねさんと接してる時みたく天野を男だと思い込むってのはどうだろうか。だったら何の問題もなくなるはずだ。


 ……ともあれ今は飯だな。

 母さんから金は預かっている。ただ、一旦帰ったし冷凍でもいいか天野に聞いてみよう。そう思い冷凍室のドアを開けた俺は愕然とする。


(嘘……だろ。何も入ってないんだけど!?)


 いや、厳密には母さんが酒を割る時に使うクラッシュアイス(氷)が入ってる。でもまさにそれだけだった。

 野菜室に野菜がなければ、米もないのは我が家の常識。となると残すは冷蔵室だけだが……。


 さすがに友達の大切な娘さんを招くわけだし、歓迎用のケーキとか何かを準備してたとしてもおかしくはないはず?

 そんな一縷の希望を抱き冷蔵部のドアを開けるも、そこには想像を超える酒とジュースの類い現実が待ち受けていた。


——「悠流はる。今日は少し遅くなるから。悪いんだけど、分かってるわよね?」


 なるほど、あれは金だけ渡して俺になんとかしろって意味だったのか。ごめん、分かってなかったわ。

 と、もはや変な汗が出始める中、玄関の方から「お邪魔しまーす」と鈴の鳴るような声が聞こえてくる。


 ほどなくして姿を現した天野は脱ぎ立てのタイツとタオルを両手に抱えており、引き締まっているのに柔らかみも帯びた白く綺麗な脚が露わになっていた。


 そんな彼女を視認した直後、俺はついさっきの自分に謝罪する。

 ごめんさっきの俺。こんな天使みたいな子を男と思うなんてさすがに無理だと思う……。


「スリッパも出してなかったのか、ごめんな。あとそれ、俺が洗濯機に入れと」


 と、言いかけてやめる。当たり前だ、天野が脱いだばかりのタイツを預かるなど出来るわけがない。


「けねえから、悪いんだけどまた玄関に戻ってくれるか。ついでに浴室とかお前の部屋も案内するから」


 くっ、相手が女子ってだけでこうも勝手が違うものか。

 正直侮ってた。俺は悔い改めながら天野を玄関横の洗面所へと連れて行く。


「このカゴ、お前専用で使っていいから」


「助かります」


「基本洗濯は俺がやってるんだけど……天野のはどうしよう。タイツとかそういうのや手洗い類もそうだし、あと下着だってあるもんな」


 母さんの下着と彼女の下着では話が180度変わって来る。

 逆に俺も天野に自分の下着を洗濯されるのは嫌というか、そもそも申し訳無さが過ぎるわけで。

 

 なるほど、これだけに限らず他にも色々とありそうだ。

 母さんが帰って来てから相談だな。


 とりあえず一旦別にけてもらうことにし、部屋の案内に移ることにする。

 と言ってもたかだか4LDKの間取りだ。案内もすぐに終わり、俺たちは天野の部屋に移動していた。


「元々姉貴が使ってた部屋だから綺麗だと思う。届いた荷物はそこに積んであるから」


「ありがとうございます。うわぁ、カーテン可愛い」


 無邪気に顔を綻ばせる天野を見ているとついついこっちの頬まで緩んでしまう。

 と、カーテンの隙間から外を眺めていることに気付いた。


「ここから外に出られるんですね」


「ああ。出てみるか?」


 間取り上、天野の部屋と隣にある俺の部屋、あとリビングからはベランダへ出られる構造になっている。

 スリッパを履きベランダへ出た俺は天野に隣接する俺の部屋を外から案内する。と、いってもカーテンは閉じてあり中は見えないが。


「すごい。きれい」


 雲間から太陽が顔を出し始め、たしかに今の景色はなかなかに幻想的だ。

 同時にさらさらの髪をなびかせ目を細める天野が加わり、さらに絵になっている。


 そんな彼女を横目に、これから当分のあいだ彼女がここにいるのだと思うと、やはりまるで現実感が湧いてこなかった。


「そろそろ飯にするか。先に着替えるだろ」


「そうですね。そうさせてもらいます」


 自室に戻りカッターを取ると彼女にそれを手渡す。


「ありがとうございます」


「ハンガーはクローゼットに掛かってるの使えよ。じゃあ俺も着替えてくるから」


「はい、またあとで」


 かなり乾いたとはいえ、俺の場合は下着まで濡れていた。

 と、洗面所で上着を脱ごうとして思いとどまる。いつもみたく裸で自室まで移動というわけにはいかないだろう。そう思い一旦自室で着替えを取ってくることにした。


 俺は脱いだ制服を洗濯カゴに入れながらふと考える。


 たしかにとんでもない可愛さではある。

 でもなんつーか、素直だし、とっつきやすいし。さっき考えてたみたく男と思うのはさすがに無理があるとして、妹くらいならどうだろうか。


 などと考えていると、急に扉が開いた。


「きゃあっ!」


 直後、悲鳴と共にバタンと勢いよく閉まる扉。

 咄嗟に股間を両手で隠していた俺は鏡に映る自分の姿を見て安堵する。上半身こそ何も着ていなかったものの幸いにも下はちゃんとジャージを履いていたからだ。


 急ぎトレーナーを着て洗面所から出ると、天野は透き通るような肌をほんのり蒸気させながら俯き加減で立っていた。

 生足が眩しいもののショートパンツにパーカーを合わせたラフな格好のようだ。


「ごめん、入ってくると思わなくて。言っときゃ良かったな」


「わたしこそ急に入ったりしてごめんなさい……。もっと、注意するべきでした。次からはノックします」


 それにしても上半身裸の男くらい見たことがないわけでもないだろうに。男への耐性が低いのだろうか。


 そう思いつつ、もし逆だったら初日から大変な騒動になるとこだったと冷や汗が出ないでもないが。


「あ、あの。それよりお昼なんですけどひとつ提案が」


「提案?」


「料理は得意なほうなので。キッチンを使わせてもらえるのなら何か作りたいなって」


 そう言われ、「あぁ……」と口をつぐむ。そんな俺に「どうしたんですか?」と不思議そうな顔を向けてくる天野。


「い、いや。ありがたい提案なんだけど、今からは無理だと思ってな」


「それは、食材が足りないという意味ですか? だったら大丈夫ですよ、有り物で何とか出来ると思いますし」


「いや、そういう問題じゃないんだ。まあ念のため見てもらえば分かると思うけど」


 その後、天野に冷蔵庫の中を見せることにしたのだが、


 当然さっきの俺同様、彼女が愕然としたのは言うまでもないだろう。



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