第5話 わたしがお願いしたんです


 まさかのご息女そくじょだったとはな……。


 せめて名前くらい聞いとくんだった。

 面倒臭がって後回しにするのはマジで俺と母さん俺たちの悪い癖だ。早めに直しとかなきゃいつか痛い目に遭うのかもな。いや、もう遭ってるのか。

 

 でも、なら天野こいつ俺の居場所ここを知ってたのも納得というもの。


「話自体は聞いてたんだ。けど、ちょっとした情報の行き違いっつうか。なんにせよ、気付いてやれなくてごめんな」


「いえ、わたしのほうこそ写真くらい送っておけば良かったんです。ややこしくさせたみたいでごめんなさい」


「ねぇ、そこ? 二人してなに謝り合ってるのさ」


 小狭い部室で会話が漏れ聞こえたのか、少し離れた位置から恵光えこうが首を伸ばすようにこちらを覗き込んでくる。


 咄嗟に目で天野に合図する俺。彼女もこくりと頷き返した。


「な、なんでもねえよ。なぁ」


「そ、そうですねっ」


 俺も大概人のことは言えないが、さっきの演技力はどこへやら、なぜか目を泳がせる天野。


 少々わざとらしさが過ぎたのだろう、「なにそれ、怪しいなぁ?」とじろじろ俺たちを窺ってくる恵光えこうだったが、ゆるフワキャラに見えて勘はいい奴だ、それ以上踏み込んでこないとこを見ると何かを察したのかも知れない。


 まあ恵光こいつにだけは早めに話しとくべきだろうな。

 そう思いつつ、ただし今じゃない、と内心で付け加えておく。


彩音あやねさんもノッてきたみたいだし。俺はそろそろ帰るけど。お前はどうする?」


「もちろん僕も移動するよ。あの人と二人きりは流石に無理があるでしょ」


 奥に座る彩音あやねさんをチラ見した恵光えこうは苦笑いを浮かべた。


「移動って、みなと先輩は帰らないんですか。おうち、同じ方角ですよね?」


 天野の疑問も当然だ。


「ああ、こいつ最近こっちに引っ越したんだ」


 しかも恵光えこうはここの部員じゃない、そんな言葉を継ぎかけてやめる。


 まるで実感が湧かないもののこれから天野とは一緒に暮らすわけだし、必要があればまた説明する機会も訪れるだろう。



△▼



 まだ初々しい下級生と彼ら彼女らの勧誘に勤しむ上級生で溢れかえる騒がしげな廊下をすり抜けてゆく。

 当然一際存在感を放つ天野だ。話しかけたいと狙う者は後を絶たないが、隣に俺がいることで声を掛けられずにいる模様。その表情からは内心の舌打ちが聞こえてきそうである。


「天野は部活どうするんだ。やっぱ演劇部か」


「一応候補には。明日も早く終わりますし、色々見て廻ろうかなって」


「別に今日でもいいけど。なんなら俺、どっかで時間潰してるし」


「いえ、今日は。荷解にほどきも早めに済ませておきたいので。それより雨、降ってますね」


 不安げな表情の天野に釣られ、俺も窓の外へと視線を移す。たしかにぱっと見では分からない程度ではあるものの、ぱらぱらと小雨こさめが落ちているようだ。


「どうしよう、傘。先輩持ってます?」


「ああ、たしか教室に置きっぱのがひとつあったと思う。取ってくるから下で待っててくれよ」


 その後、一旦別れた俺たち。誰もいない教室に戻り手早く傘を取った後、昇降口で靴に履き替えると、天野は出入口にある雨避あめよけの下で重めの雲に覆われる空を眺めていた。


 周りは生徒で溢れている。

 なのに一目で彼女だと分かってしまうのだから、その存在感に舌を巻くばかりだ。 

 今日は入学式で誰もがうわついてるからいいものの、今後日常が始まれば校内で接触しない方がいいかもな。


 などと考えつつ、彼女だって今日が入学式なのだ。当然下ろしたての制服には皺ひとつ見当たらない。


「ほら、傘。取ってきたぞ」


 俺はなかば押し付けるように天野に傘を受け取らせた。


「駅は分かんだろ。改札の前で待ってるから、あとで来いよ」


「え、それってどういう……先輩?」


 既に走り始めていた俺は背中越しにひょいと手を挙げた。

 別に格好つけたいとかじゃない。ただ一人用の折り畳み傘に二人も入ったんじゃ、どっちも濡れるのなんて目に見えてる。


 だったら幸いの小雨こさめだ。

 普通に歩いて駅まで十分弱、走れば当然かなり短縮出来る。濡れたとてどうと言うこともない。


 そう思い、勢い良く駆け出したはいいものの、途中で急激に雨脚が強まり……。

 遭遇したのは実質数十秒なのに、駅へ駆け込んだ頃には前髪からボトボトと滴る雨水で視界が遮られるほど濡れてしまっていた。


 当然がさつな俺がハンカチなど常備しているはずもなく(一応鞄の中は探したが)、濡れた手で濡れた顔をぬぐうとただ肌の表面で雨水をこすり合わせているだけという悪循環に陥ってしまう。

 

 そんな中、目が隠れるくらいまで伸びた前髪を軽く握り水を絞り出す。

 こういう時には邪魔だな。

 そんなことを考えていると、なぜか突然天野が視界に入り、思いのほか早く姿を現した彼女に目をぱちくりとさせる。


 走ってきたのだろう、肩で息をしているようだ。ただ、雨は上手くしのいでくれたらしく安堵する。


「先輩、脚速過ぎ。全然追いつかないんだもの」


「っつうか、なんで追いかけんだよ」


 俺がこぼすと、天野は俺にスマホの画面を差し向けてくる。

 映るのは現在地から雨雲の情報が分かるアプリだった。なるほど、事前に雨が強くなるのに気付き、俺を追いかけてくれたらしい。


「言おうと思ったのに、先輩走って行っちゃうから」


 そうぼやく天野だったが、だったら尚更良かった。下手に追いつかれてたら共倒れになるとこだったわけだ。


「もう、こんなに濡れちゃって。これどうぞ、使ってください」


 ため息混じりに天野がタオル生地のハンカチを差し出してくる。

 女の子らしい花柄の刺繍が施されたものだった。


 たしかに使わせてもらいたいところではあった。ただ……。

 躊躇ためらう俺に天野は首を傾げる。


「どうしたんですか?」


「いや。俺が使ったのなんて、また使いたくないだろうなって」


「なに馬鹿なこと言ってるんですか。わたしのせいで風邪を引かれるのは困ります。自分で拭かないなら、わたしが拭いちゃいますよ?」


 言うや真顔で腕を伸ばしてくるものだから、俺は慌てて天野からハンカチをかっさらった。


「馬鹿は風邪ひかねえんだよ。でも……サンキュ。ちゃんと洗って返す」


 早速腕や顔をぬぐっていると、何を思っているのか、じっと俺を見つめる天野に気付く。


「なんだよ」


「い、いえっ。なんでも……。というかお礼なんて言わないでください。こちらこそ、何度も助けてもらってますから。ほんとにこんなのじゃ、全然足りませんから……」


 すぐに顔を背けてしまい、その表情は見えなかった。ただ、彼女は俺が思っている以上に律儀なタイプらしい。



 その後電車に揺られ。

 幸い俺たちが地元に戻る頃には雨もんでおり、それどころか雲間から一部太陽が見え隠れしているまである。


 ちなみにもう昼だ。

 本来なら駅前で昼食でも、と言いたいところではあったが、まだ服も乾ききってなかった為、一旦帰宅することにした。


「親御さんの仕事、急に決まったんだな」


 駅から家までの道中。大きな通りを車が走り抜ける脇の歩道で、俺は今回同居に至った経緯を天野に尋ねることにする。


「そうなんです。でも今回は短くて、多分夏ごろまで、かな」


 確証はない、そんなニュアンスを含む物言いだった。


「突然でご迷惑をおかけします。ただ高校も決まってましたし、ひとり暮らしは両親りょうしんが嫌がったので」


「まあそりゃそうだろ。で、うちの両親おやに白羽の矢が立ったってわけか。でもなんつうか、嫌じゃなかったのか?」


「嫌? どういう意味です?」


「親がそうなだけで、俺たち自身は別に知り合いでもないし。言っても年頃の男子がいる家だ。それにもし俺が変な奴だったらとか、考えなかったのかなって」


 俺の質問を受けた天野は言おうかどうか悩んだのか少しのを挟み続ける。


「実は……わたしがお願いしたんです」


「え」


 彼女の答えを聞いた瞬間、俺の脚は止まっていた。


 天野も数歩先で立ち止まると、俺に向け振り返る。


「受験の日、助けてもらったお礼もきちんと出来てませんでしたし。もしどこかへお世話になるのなら先輩のところがいいなって」


 そう言うと、天野はうかがうかのような視線を俺に向けた。



(1章了)


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