第6話


 確かにシュカが言っていた。ヨモリ族には、身体から火を出す奴がいると。


 だが、噂に聞くのと実際に見るのではワケが違う。


「マジかよ……」


 ヨモリ族の青年、フェルドのてのひらの上で、煌々と輝く緑色の炎。


 無から生じた火が、何もない空間で静かに浮遊し続けている。


 目を疑う景色だ。あれが《天恵》――人智を超えた神的な力であることは疑いようもない。


 ただその場合、一つの疑問が浮かぶ。


「さっきの馬鹿速い拳は、《天恵》じゃなかったのか?」


 その疑問をふと口に漏らすと、フェルドが驚いた表情を浮かべた。


「へぇ、《天恵》を知ってんのか。なら話は早いな。この美しく燃える炎が、まさしく俺の《天恵》だ――そして、さっきの世界一速い拳もまた、俺の《天恵》だ」


 ということは、つまり……


「……《天恵》とか言う化け物じみた力を、おまえは二つも持ってるってことか?」


 顔をしかめた俺とは対照的に、フェルドは自慢げに笑った。


「そういうことだ。理解の早いおっさんに、特別に教えてやるよ。そもそも《天恵》にはな、《タイの天恵》と《シンの天恵》って二種類があんだよ」


 フェルドは胸を張り、ふん、と鼻を鳴らす。


「まず《タイの天恵》は、文字どおりに関する天恵だ。体の一部が異常に発達し、他人の数百倍の能力を発揮できるようになる」


「さっきの拳が、そうか」


「あぁ。まさに、あの最強の殴打が俺の《タイの天恵》だ」


 相変わらず鼻につく言葉遣いで説明するフェルド。会話するにつれて、その傲慢ごうまんな口調にもだんだんと慣れてきた。


「この《タイの天恵》は、ヨモリ族ならば全員が生まれつき持ってるもんだ」


 それに対して――と、フェルドは手元の炎をかかげる。


「《シンの天恵》は、さらに選ばれた一部の俺みたいな天才のみが、後天的に手に入れる――その能力を一言で表せば、《強いに呼応した超常の力》だな」


「感情に、呼応?」


 聞き慣れない言葉に首をひねっていると、フェルドは突然、苦虫を噛み潰したような顔になり、


「俺はな、嫉妬深いんだよ」


 低い声で、吐き捨てるように言った。


「は? いきなりどうした……」


「俺には、俺より少しだけ出来の良い兄がいる。俺は何かするたびに、兄と比べられては劣化版の烙印を押されてきた。その兄に、俺はずっと嫉妬心しっとしんを抱いてきた」


「……もしかして、、ってことか?」


「その通りだ。この炎は、兄に対する俺のだよ」


 フェルドの言葉にするように、一段と激しく燃え上がる炎。


 強い嫉妬心が、本物の炎として現実に生じる――あまりに話が奇想天外すぎて考えるのをやめた俺を置き去りにして、彼は一人語りを続ける。


「そんなわけで、俺はついに《シンの天恵》を手に入れた。強さを得た俺は決闘を繰り返し、《狩人》での位階も一桁まで登りつめた」


 口調に熱がこもり、手元の炎も再びゴウッとたけり出す。


「この時点で、実力では兄に並んだといっていい。あとは任務を請け負い、実績を積んでいくだけ……そんなとき、アイツがヨナト国を脱走した」


 気を失っているシュカを指差して、フェルドは獰猛どうもうな笑みを浮かべた。


「つまりこれが、記念すべき俺の初仕事ってわけだ。ただ任務をこなして終わりじゃつまらねぇだろ? せっかくだから盛大なものにしたい。だから――」


 そこで言葉を止めたフェルドは、燃え上がった右手を無造作に振り抜き――


 緑色のほむらが音もなく投げ出され、部屋の壁に着弾した。


 静かに、されど確かに。一点にともった種火が、壁にまとわりつくように広がり始める。


「おっさんを、この建物ごと燃やすことにした。俺の初任務の成功記念だ、光栄に思えよ」


「……おまえ、イカれてんな」


 ハハッ、と笑うフェルドの右手から立て続けに炎球が飛び、俺の周りで次々と火の手が上がる。


 それから数分も経たずして、俺を囲うように緑色の炎海が出来上がった。


「あっつ……」


 炎色は緑だが、普通の炎と変わらない熱波が皮膚を焼く。


 あちこちで逆巻き、熱波を生む炎。地獄絵図だ。


 この光景を目の当たりにすると、妖魔という名もあながち的外れではないなと感じてしまう。


 そうして俺の逃げ道を完全に絶ったフェルドは、シュカを軽く片腕で抱え、こちらに向き直った。


「おっさん、最期に言いたいことはあるか?」


 余裕綽々よゆうしゃくしゃくに問いながら、右手に一灯の炎をともす。


 それを当てられたら、俺の命は終わり。


 しかし、避けようにも逃げ場はない。


「もう、どうしようもねぇな……」


 俺は覚悟を決め、最後になんとなく部屋を見渡す。


 俺とフェルドの周囲を除いて、部屋はすっかり火の海に包まれてしまった。


 アマンダから買った食料も袋ごと炎に飲み込まれ、もはや見る影もない。


 今の俺にかろうじて残っているのは、砕け散った鞘、鞘を失った剣、そして、近くに転がる徳利とっくり――


 が視界に入った瞬間、俺は半ば条件反射のように手に取り、フェルドにたずねていた。



「なぁ、死ぬ前に酒飲んで良いか?」




―――――――――――――




「はぁ……生き返る気分だ。まあ、もうすぐ死ぬんだけどな」


 駄目元で望んだ、死ぬ前の一杯。


 断られるかと思ったが、意外にもすんなりと許可された。


 フェルドいわく、酒を含んだ身体のほうが気持ちよく燃えてくれるのだとか。


 狂っている奴で助かった。おかげで俺は、最期に最高のひとときを楽しむことができる。


「やっぱりこの酒は美味いな。最高だ」


 残り少ない美酒を一滴一滴味わうように、舌で転がしてから嚥下する。


 至福の時間だ。周りでは翡翠色の炎が音もなく燃え盛り、正面からはフェルドが退屈そうに見てくるが、今の俺は、気にもならない。


「あぁ、そういや。おっさんに伝言があったのを忘れてたわ」


「ん……伝言? 誰からだ?」


 唐突につぶやかれた言葉にも、よく考えずに返す。


 この瞬間に、飲酒より大事なことなどない。誰からの伝言か知らないが、酒を楽しみながら適当に聞き流して――


「平民街の《情報屋》だ。そもそも俺がこの部屋に来たのは、そいつに聞いたからなんだよ」


「………は?」


 俺は酒の手を止め、顔を上げた。


 情報屋。その存在は知っている。独自のルートを使って得た情報を他者に切り売りする稼業だ。


 俺は、今まで関わったことすらない。一人も面識がない。


 眉をひそめた俺を見て、フェルドもまた怪訝けげんそうな顔をする。


「おっさんの知り合いじゃねぇのか? そいつがな、金貨二枚くらい払ったら教えてくれたんだよ。『妖魔のガキなら貧民街の広場にいるか、ある男の部屋を訪れてるかもしれない』ってな」


ってのが、俺のことか」


「そうだ。ご丁寧に地図まで描いてくれたぜ」


 つまり、その情報屋は俺の住所まで知っているわけだ。


 それを知っているのは、大家のおっさんか、あるいは……


「で、その情報屋からの伝言だ。『ごめんなさい、契約満了ね。結局はカネなの』だってさ」


 欠片も似てない声真似ですら分かる。


「おまえのは、情報屋だったのか……」


「なんか言ったか?」


「いや、ただの独り言だ」


 彼女は、あくまで情報屋としての仕事をこなしただけだ。


 しかし、約五年間の関係が金貨二枚に勝てなかったこともまた事実なわけで。


 徳利を置き、ため息をつく。飲酒欲もすっかり失せてしまった。


「酒はもう終わりで良いか?」


「ああ。最後に水を差されたのは不満だが、まあ満足できた」


「そうか。じゃあ死んでくれ」


 何のためらいもなく、フェルドはその右手から、俺に向かって炎を解き放った。


 迫りくる炎球。並行して、酒に浮かされた脳内を走馬灯が駆け巡る。


 俺は、戦うために生まれてきた。親には武功を挙げることだけを望まれ、幼くして戦に駆り出された。


 放り込まれた戦場で、俺はがむしゃらに剣を振り、あらゆるものを斬り続けた。


 幸い、俺には剣の才覚があった。道を塞ぐものは、すべてひとりで断ち切ってきた。それが、たとえ無形物であったとしても――



 フェルドの放った炎が、目前に迫る。


「斬れるな」


 その炎を見て、漠然ばくぜんと思う。


「俺なら、斬れる」


 ひどく懐かしい感覚だ。そうだった。俺に斬れないものなどなかった。


 抜き身の剣をスラリと構え、炎球に向ける。そして、俺は気のおもむくままに剣を


 何の変哲もない鉄剣が、炎のなかを通り抜ける。当然、手応えなど一つもない。


 だが極論、そんなものは一切必要ない。


 この世のモノにはすべて《核》がある。人間であれば心臓。家屋であれば大黒柱。


 火もしかり。だから、そこを斬ってしまえばいい。


「簡単なことだ」


 俺の剣が、炎球の《核》を寸分違わず断ち切る。


 存在の核を失った炎球は、その場で不安定に揺らいだあと、空気に溶けるようにき消えた。


「……てめぇ、何やった?」


 睨みをきかせるフェルドに、無言の笑みを返す。


 何をやったと言われても、ただ炎の《核》を見つけ出して斬っただけだ。その感覚は、言葉で説明できるものではない。


 剣を持ち、立ち上がる。周囲から迫る火炎も、同じように《核》を見極めて斬り払った。


「おいおいおい、調子乗ってんじゃねぇよ!」


 いかれるフェルドの右手から、炎球が息つく間もなく吐き出される。


 相変わらず異常な《天恵》だ。その一つでも喰らえばすぐに焼け死ぬだろうが、


「喰らう前に、斬ればいい」


 俺は淡々と剣を振り、襲いくる炎球の《核》を切り裂いていく。一つ斬るたび、半歩ずつフェルドへと前進する。


 無言の攻防。二人の間で生まれては消える炎。距離が近づくたび、フェルドの顔色が悪くなる。


 そして遂に、俺は炎の結界を脱した。と同時に、剣の間合いがフェルドに達する。


「なっ、なんなんだよ……クソッ」


 一歩後ずさったフェルドは、抱えていたシュカを床に転がし、今度は拳を握った。


 その拳もまたフェルドの切り札であり、近接戦では炎球よりも遥かに脅威だ。目で捉えられない速さの拳など、どう頑張ったって斬りようがない。


 憤怒と屈辱で顔を染めたフェルドは、握り拳を半身に構え、


「くたばれやぁ!」


 大声で叫びながら、爆発的な速度で拳を突き出す――よりも先に。


 俺の剣が、フェルドの《核》を静かに貫いた。


「……あ?」


 拳を突き出す寸前の格好で、フェルドの動きが止まる。


 首をかしげ、視線を落とす。自分の胸に深々と突き刺さった剣を、ひどく訝しげな顔で眺めながら――最後の最後まで死を悟ることなく、フェルドは命を手放した。


 見えないほど速い拳――そんな攻撃は、そもそも打たせなければいい。打たれる前に仕留める。先手必勝は戦闘の基本だ。


 脱力したフェルドの体に手を当て、剣を無造作に引き抜く。安定を失った死体が床に崩れ落ち、ドサリと鈍い音を立てた。


「思ったより、あっけない終わりだったな」


 今まででも指折りの難敵相手に、五年ぶりの戦闘。それにしては、あっけない幕切れ。


 助かったのは、フェルドが終始していたことだ。


 彼はおそらく、命をかけて戦った経験に乏しい。俺を警戒して拳を構えたあとも、自分が斬られるわけがないという慢心があった。


 その慢心が致命的な隙を生み、俺の剣を《核》に届かせた。


 もし彼が実戦慣れしていたら、死んでいたのは俺だったかもしれない……


「まあ、なんにせよ。フェルドとやらは倒した。あとは……」


 背後を振り返れば、静かに燃え広がる炎の海。


 俺は着流しのすそを掴み、剣にベットリとついた鮮血を拭ってから、無数に輝く炎の《核》を一つずつ斬り払っていく。


 面倒だが、単なる流れ作業だ。《核》を見つけ、剣を振り、眼前の炎を斬って、斬って、斬って、斬って、斬って、斬って……


「……なんか、腕が重いな」


 久しぶりに剣を振って疲れたせいか。急に重くなった腕を無理やりに動かして、剣を振り下ろす――途中で。


 両腕が、ぴたりと動かなくなった。


「ん?」


 力を入れても、びくともしない。完全に固まった腕と、燃え続ける炎を交互に見て、俺は驚いていた。


「斬れないな。斬れるわけがない」


 炎を斬る?


 無理だ。俺は剣を振ることすらできない。


 まして、炎を斬るなんてできるわけがない。


 けれど、ついさっきまで俺が剣を振り、フェルドや彼の炎を斬っていたのも事実。


 どこか他人事のようにも感じるが、心臓を刺し貫いた感触は確かに覚えている。


 少しも動かない剣先を見て、考え込む。


 炎を斬り、フェルドを斬ったとき、懐かしい気持ちを覚えた気がする。


 なにか、すっかり忘れていた感覚が一時的に戻ったような――


「おにいさん、火がっ!」


 叫び声に、思考がさえぎられる。正気に戻った俺の鼻先を、緑色の外炎がチリッと焼いて、


「よけてっ!」


「うおっ」


 俺が慌てて飛び退いた――のとほぼ同時に、ザバンッと大量の水が床に撒き散らされた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る