第5話
シュカが旅立つ直前に現れた、ヨモリ族の青年。
彼の「見つけた」という言葉。
そして、ひどく青ざめたシュカの顔。
事情を知らない俺でも分かる。この青年は間違いなく、シュカが言っていた《追っ手》の一人だ。
警戒を強めた俺に対し、青年はわざとらしく胸に手を当ててお辞儀をした。
「どうも。俺はヨナト
顔を上げた青年――フェルドの眼に明確な殺意が宿る。
全くもって意味が分からないが、どうやら彼は勝手に玄関を壊して部屋に侵入した挙げ句、理由も告げずに俺を殺すつもりらしい。
どうすればいい? 頭が真っ白だ。あまりの想定外な展開に、思考がうまく働かない。
しかしその間も身体はひとりで動き、気づけば俺は剣を拾い上げ、鞘を払わずに構えていた。
向けられた殺意に対する、無意識の防御反応。長年の戦闘経験のなかで染み付いた条件反射――それがまだ残っていたことに自分でも驚いていると、
「へぇ、見た目のわりに結構やりそうだな」
フェルドがにやついた笑みを引っ込め、目を細めた。さっきまで緩みきっていた顔に、若干の警戒感が
この構えが
「ま、待って!」
その進路を阻むように、シュカが立ちふさがった。細い腕を精一杯に伸ばし、全身を恐怖で震わせながら、彼女はフェルドと相対する。
「わ、わかった。アタシはおとなしくヨナト国に帰る。だから、このおにいさんは見逃してほしい」
「おい、何言って……」
「おにいさんは黙ってて!」
突き放すような強い言葉に、俺は思わず口をつぐんだ。目の前の小さな背中から、その真意は痛いほど伝わってくる。
庇っているのだ、俺を。シュカは俺がまともに戦えないことを知っている。そして恐らく、フェルドとやらの強さも知っているのだろう。
震えが止まらないほど怖いのに、俺を庇って立っている。驚くべき勇気だ。
対して、年端もいかない少女に庇われる元剣士の、なんと情けないことか……
俺とフェルドが押し黙るなか、シュカが震える声で懸命に言葉を紡ぐ。
「あなたの目的はアタシで、おにいさんは関係ないでしょ? 安心して、ヨモリ族の秘密とかは、いっさい何も喋ってな――」
「おいおい、何言ってんだ?」
今度は、フェルドの呆れ声がシュカの言葉を遮った。きょとんとする彼女に、フェルドは嘲笑を向ける。
「まさか、ほんとに知らねぇのか? てめぇはなぁ、
「えっ……」
「てめぇの存在そのものが、ヨモリ族以外に知られたら都合が悪いってことだ。だから
「そんな……じゃあ……」
「おっさんが死ぬのは、
「あっ……」
シュカの下顎付近を、右手で軽く払うように動かしたフェルド。それだけで彼女は体勢を崩し、ふらりと床に倒れ伏した。
「おいっ、大丈夫か!」
「安心しろよ、おっさん。あいつは気ぃ失っただけだ」
シュカに駆け寄ろうとした俺の前に、フェルドが立ちはだかる。とっさに剣を構えるも、彼はニヤついた表情を変えない。
「俺さぁ、気づいちゃったんだけど。おっさんのそれ、ハッタリだよな?」
「……なんのことだか」
「不自然なんだよ。剣の間合いに入っても、構えからまったく動かねぇしさ。構えだけは一丁前だけどな。あれだろ、脅しでしか剣持ったことねぇんだろ?」
確信した様子のフェルドに、俺は顔をしかめた。
相手は戦士だ。最後まで
彼は俺の真正面に立ち、わざわざ大きな伸びをしてから、
「おっさん、最期になんか言いたいことはあるか?」
半笑いで、見せつけるように右拳を握った。
俺くらいなら素手でも殺せるというのか。どこまでも舐め腐っている奴だ。
「俺はまだおっさんじゃねぇ、おにいさんだ。あと他人の最期を勝手に決めるな」
今の
「じゃあな、おっさん」
刹那。ぞわりと鳥肌がたつ。俺は本能のままに体を動かし――
次の瞬間、全身を壁に強く叩きつけられていた。
「ぐぁっ……」
視界に火花が散り、激痛が骨の髄にまで走る。一拍遅れて、脳が事態を理解する。
殴られて、吹き飛んだのだ。
その拳を、目で追うことすらできなかった。とうてい人間業とは思えない。明らかに、あれはフェルドの《天恵》だ。
玄関扉を破壊したのも
まともに喰らえば、誰だろうと即死を免れない必殺の拳。
そう、俺もまともに喰らっていたら死んでいた……
「へぇ、今のに反応するんだ。ちょっと見直したぜ」
フェルドが驚いた顔で手を叩く。直後、俺の両手から
フェルドが拳を放つ直前、ひどく嫌な予感を覚えた俺は、とっさに剣を引いて身体の前で強く握りしめ、本気の防御姿勢をとっていた。
そのあとに何が起きたかは分からない。認識すらできていない。
しかし、木っ端微塵に砕け散った鞘、両手に残る痺れ、そして、俺が生きているという事実――これらを考えるに、俺は間一髪、剣の防御で死の拳を防いだのだろう。
といっても、ただただ運が良かっただけであり、しかも衝撃までは殺せず派手に吹き飛んだわけだが。
「おっさん、誇っていいぞ。俺の初撃を防いだ奴は、ヨモリ族以外で初めてだ」
部屋の中心で、偉そうに拍手するフェルド。
あの《天恵》を経験した今、その傲慢な態度にも腹は立たない。怒る気力も
「まっ、次は守らせねぇけどな」
自信に満ちあふれた表情で、ふたたび右手を握ったフェルド。
まだ距離はある。俺は立ち上がろうとして、背骨の痛みに片膝をついた。
壁に激突したときにヒビでも入ったか、下手に動くと耐え難い苦痛に襲われる。
そんな俺の事情を、しかし相手が汲み取ってくれるわけもなく。
どんな武器よりも恐ろしい握り拳を誇示しながら、フェルドはこちらへと一歩踏み出して、
「いや、やっぱ別のことするか」
突然、何かを思いついた顔で立ち止まり、ぱんっ、と手を叩いた。
「俺の拳を防いだ褒美だ。特別に良いもん見せてやるよ」
笑みを深めたフェルドが、今度は
「あの殴打以外に、まだ何かあるのかよ……」
いったい何を見せられるのか。少なくとも、あいつにとっての良いことが、俺にとっての良いこと
呼吸を整え、背中の痛みを抑える。
大丈夫だ。あの《天恵》以上に驚くことはきっとない。
俺は、彼が掲げた右手を注視して―――
ボウッ―――
「………はっ?」
そこに、
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