第4話

 俺が断りの言葉を告げてから、数秒経って。


「そっか……」


 肩を落としたシュカが、ぽつりと呟いた。


 室内に重い沈黙がおりる。いたたまれない空気に頭をいていると、


「それって、ここを離れたくないから?」


 ためらいがちに問われた質問に、俺は首を振る。


「いや、そうじゃない」


「じゃあ、やっぱり……アタシがヨモリ族だから?」


 ふたたび首を振る。


「それも違う。もっと単純な理由だ。俺は――んだよ」


 言葉で説明するより、直接見せるほうが手っ取り早いだろう。


 「どういうこと?」と首をかしげるシュカを前にして、俺は傍に置いた剣を手に取り、静かに立ち上がる。


 そして流れるようにさやから抜き払った剣を、ぴたりと正面に構えた。


 視線の先、シュカがおびえた顔で後ずさる。


 当然の反応だ。今まで会話していた相手にいきなり剣を向けられたのだから。俺が狂ってしまったと思われたかもしれない。


 そのうえで、俺はさらに正気を疑われそうな発言をする。


「俺はこれから、この剣を全力で振るつもりだ」


「えっ!?」


「だが安心しろ、俺の剣がおまえに届くことはからな」


「ちょっと、なんで――」


 その言葉を待たず、俺は全身に力を込めた。


 最初の構えから腕を引き、溜めをつくる。慣れた動作だ。五年前まで、何千、何万と繰り返していた基本の動き。


 意識するまでもなく、身体に染み付いた型をなぞるように剣を振ろうとして――


 直後、金縛かなしばりにあったかのように身体が固まった。


「ぐっ……」


 いくら力をいれようが、ぴくりとも動かない。型を変えても無意味だ。剣を振ろうとした瞬間、突如として身体が言うことを聞かなくなる。


「えっと……何やってるの?」


 そりゃ、そう思うだろうな。シュカから見れば、俺は剣を振る直前で動きを止め、苦しそうにうめいている変な奴でしかない。


 だが、まさにそれが俺の見せたかったものだった。


 構えを解き、剣を鞘に戻す。床に座り直した俺は、不可解な表情をする彼女に笑みを向けた。


「今、俺は本気で剣を振ろうとしたが、振ることすらできなかった。分かるか? これが俺の実力だよ。護衛なんてできっこないだろ?」


「剣を、振ることすらできない……?」


 困惑するシュカに、あぁ、と頷く。


「おまえがその鼻で感じ取ったとおり、確かに俺は長いあいだ戦場を駆け回っていた。剣一本で大勢の敵と渡り合うこともあった。剣士としての強さにはそこそこ自負もあったよ。けどな……」


 それもの話だ、と俺は言葉を繋ぐ。


「五年前、俺は追放処分を受けて、王国民としての権利を剥奪された。そのとき同時に、剣を封じる《呪い》をかけられちまったんだ」


 それは、反逆を防ぐため。肯定的に言えば、俺の剣が国家への脅威になりうると認められたわけだが、肝心の剣を二度と振るえないのだから皮肉なものだ。


「剣を振ろうとしたら、身体がまったく動かなくなる。剣士にとっては最悪の呪いだよ。追放されたあと、それこそ護衛でもして生きていこうかと考えてたんだけどな。結局なんもできず、このザマだ」


 剣を振れない剣士なんて雇うくらいなら、そこらの不良ごろつきでも使った方が数段マシだ。


 自嘲気味に笑った俺を、シュカが悲しそうな目で見る。


「他の武器は、使えないの?」


「残念ながら、俺は剣以外はなんだ」


 もしかしたら槍や弓矢は《呪い》の対象外かもしれないが、そもそも俺は根っからの剣士で、他の武器の腕前は凡人以下だ。人を守る仕事が務まるはずもない。


「そんなわけで、俺に護衛はできない。わざわざ訪ねてきてくれたのに申し訳ないな」


 シュカにとって、出会って二日の俺を頼るのは相当そうとう勇気がったはずだ。


 依頼を断るのは心が痛むが、俺ではどうすることもできないし、他に頼めるような人脈アテもない。


 力不足を恥じて頭を下げると、彼女は「ううん、大丈夫」と笑みを浮かべた。


「アタシこそごめんね。おにいさんに嫌なこと思い出させちゃって」


「それは気にしなくていい。俺はとっくに現実を受け入れてるからな」


 受け入れたというより、諦めたというべきか。


 もう五年経った。どうすることもできない事実を、今さら嘆いても仕方がない。


 それにしても……と、俺はシュカを眺めやる。


 自分が今まさにつらい立場に置かれているにも関わらず、俺に気遣わしげな目を向ける彼女。純粋で、心根が優しいのだろう。


 助けてやりたいという思いが、徐々に強くなる。


 なにか策はないだろうか。俺でも役に立てるような、なにか……


「うちに隠れ住む……ってのはどうだ? 追っ手の目につかないように、おまえをこの部屋に匿って……」


「それじゃダメなの」


 俺が出した渾身こんしんの案は、しかし悲しくも却下された。


「追っ手の匂いがだんだん近づいてる。きっと、アタシがこの街にいることはもうバレてると思う。だからアタシ、今夜のうちに街を出るつもりなんだ」


「そう……なのか」


「でも、ありがとね。アタシのために色々考えてくれて。出発前におにいさんを訪ねて正解だった」


 シュカは嬉しそうに笑って、ひょいと立ち上がった。酒樽を背負い直し、ローブを深く被りなおす。


 今から出ていくつもりなのだ。この街を、たった一人で。


 やけに大人びた顔で「じゃあね」とだけ残して背を向けたシュカに、俺は自分の無力さを痛感する。


 何もできないまま、ゆっくりと遠ざかっていく後ろ姿。すぐに玄関に達した彼女は、その小さな手を玄関扉に伸ばし――



 ドンッ―――


 突如、雷でも落ちたかのような強い衝撃が扉を揺らした。


 シュカがびくりと震え、後ずさる。いったい何事か……と俺も身構えるなか、立て続けに同じような轟音が響き、


「おいおい、嘘だろ……」


 うちの玄関扉が、ゆっくりと倒れていく。


 その先に、呆然と立ちすくむシュカ――


「危ない!」


 素早く立ち上がって彼女に駆け寄り、細い腕をつかんで後ろに引き戻す。


 直後、扉が眼前を通り抜け、ドタンッと盛大な音を立てて床に倒れた。


 地面が揺れて、ホコリが舞い上がる。一呼吸おいて、シュカがハッとした表情で振り向いた。

 

「……あ、ありがと」


「あぁ、間に合ってよかった……」


 五年ぶりに本気で動いたせいか、足の筋肉が悲鳴を上げている。


 今すぐにでも座り込みたいが、どうやらそうはいかないみたいだ。


 扉の失くなった玄関から、一人の年若い男が入ってくる。


 黄緑色のギザギザヘア。両耳に垂れた複数のピアス。


 そして、少女と同じに、


 薄緑の外套がいとうを羽織り、両足に木下駄を履いたそのヨモリ族の青年は、みるみるうちに顔色を失っていくシュカを面白そうに眺めて、にやりと笑った。


「見つけたぜ、クソガキ」

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