第3話


 酒売り少女の、思いがけない来訪。


 俺は困惑しながらも、ひとまず彼女を室内へと招き入れた。


「あぁっと……とりあえず、そこら辺に座ってくれ」


 あいにく、室内には椅子の一つすらない。


 床を指差して座るように言うと、少女はこくりと頷いて腰を下ろした。


 続いて俺も向かい合うように座り込む。


 心なしか緊張した様子の少女と視線が合い、つかの間の静寂。


 脳内に次々と浮かぶ疑問を整理しながら、俺はおもむろに沈黙を破った。


「いろいろ聞きたいことはあるが……まず、なんで俺の部屋を知ってるんだ?」


 俺がここに住んでいることは、大家とアマンダしか知らないはずだ。


 だが少女は、間違いなく俺目的でここまで辿り着いている。


 誰かに教えてもらったのか、と聞くと、彼女は大きくかぶりを振った。


「誰にも聞いてないよ。アタシはおにいさんのを追ってきたの」


 えっ、匂い……


「俺、そんなに臭かったのか」


 自分の匂いを気にしたことなどなかったが、まさか通り道に残り香をただよわせるほどだったとは。


 軽くショックを受けていると、少女が慌てたように手を振る。


「あっ、ちがうちがう。おにいさんがくさいとかじゃないよ。う~ん、説明がむずかしいんだけど……アタシね、んだ。一度会った人なら、その匂いを追跡できるくらい。もちろん、どこまでもってわけじゃないけどね」


 鼻がすごく良い。人の匂いを追跡できる。


 それらの言葉から、ふと脳裏に閃くものがあった。


「それ、もしかして《天恵テンケイ》ってやつか。ヨモリ族だけが使えるとかいう……」


「なんだ、おにいさん知ってたんだ」


「いや、噂に聞いたことがあるくらいだけどな」


 《天恵》――たしか、種族であるヨモリ族だけが扱える、人智を越えた力――だったか。


 以前どこかで、そういう話を聞いたことがあった。


 噂に尾ひれのついた与太話だと思っていたが、あながち嘘でもなかったようだ。


「その《天恵》って、人によって違うのか?」


「うん。アタシは鼻がいいだけ……なんだけど、たとえば、身体から火を出せる人とかもいるよ」


「なんだそれ。もはや人間じゃないな」


「《天恵》は神様からの貰い物だからね」


 だとしても、生身から発火する奴なんて常識を逸しすぎだ。


 大切な酒に着火されたら困るし、個人的にもあまりお近づきにはなりたくない。


 まあ、そもそもそんなヨモリ族の異才とは未来永劫みらいえいごう関わることすらないだろうが。


「すこし話が脱線したな。ともかく、おまえが来たかは分かった。その異常に鋭い嗅覚で、この家まで俺の匂いを追ってきたってわけだな。ただ問題は――」


来たか、でしょ?」


 被せるようにそう言った少女に、俺は無言でうなずく。


 いくら考えても、彼女の真意がさっぱり読めない。


 わざわざ匂いを追ってまで、俺を訪ねてきた目的はなんなのか。


 疑問の目を向ける俺に対して、少女はその場で居ずまいを正し、今までよりも真剣な表情を見せた。


「アタシはね、おにいさんに護衛の依頼をしにきたんだ」


「護衛の、依頼?」


「そう。おにいさんさ――これから一年間、アタシの護衛をしてくれない? アタシのお酒をあげるから、代わりにアタシを守ってほしいの」




―――――――――――――――




「アタシね、今追われてるの」


 《依頼》を聞いてなお、まだその全容をつかめていない俺に、少女がいきさつを語り始めた。


 いわく、彼女――シュカ、という名前らしい――は今現在、とある事情からヨモリ族の追っ手に追われているという。


 差し向けられたのは、ヨモリ族のなかでも戦闘に長けた《天恵》を有する精鋭たち。


 シュカにとっては当然、戦って勝てるような相手ではなく、今まではその嗅覚のみに頼って逃げ延びてきたのだという。


「だけど、ひとりで逃げ続けるのはもう限界でさ。アタシ、今まで一度も《ナハト国》を出たことなかったから、ここら辺の地理とか全く分かんないし。それに……」


「ちょ、ちょっと待ってくれ」


 流れるように出てきた知らない国名に、思わず口を挟む。


「《ナハト国》ってなんだ? そんな国の名前、今まで聞いたこともないぞ」


 俺の知るかぎり、この世界に存在する国は四つだけだ。


 世襲の王族と貴族が平民を支配する身分制国家、アングリス王国。


 その王国の南に位置し、実力主義のもとに成り立つ軍事大国、ヤヌス帝国。


 帝国のさらに南にあり、神への信仰によって統一された宗教国家、ヴァヒトール神聖国。


 そして、帝国と神聖国の境界に横たわる《大樹海》のなかに存在するという、妖精エルフ族の小規模国家、アドレア公国。


 これらの国々は陸地上でひしめき合うように国境を接しており、ナハト国なる国家が存在する余地はどこにもない。


 しかし、シュカは当たり前のようにさらりと答えた。


「ナハト国は、《神の壁》の向こう側にあるだよ」


「……は?」


 いったい、何を言っているのだろうか?


 訳が分からなすぎて、酒が飲みたくなってきた。


 俺は無意識に徳利へと手を伸ばしかけて、慌てて引っ込める。


「えーっと……おまえは、『ヨモリ族の国』があるって言ってるのか? ヨモリ族は国を持たない放浪民族だろ?」


「ううん、違うよ。たしかにナハト国を出て放浪しているヨモリ族も多いけどね」


 脳内で、常識の崩れていく音がする。


 しばらく頭を整理する時間が欲しいが、ここで話を終わらせるわけにもいかない。


 なにせ、まだ大きな疑問が一つ残っている。


「その《ナハト国》が《神の壁》の向こう側にあるってのは、どういうことだ? そんなのあり得ないだろ?」


 《神の壁》とは。このをぐるりと囲むようにそびえる、巨大な壁のことである。


 いわば、を示す境界線だ。


 神が世界を守るために創ったと言われており、あらゆるモノの干渉を拒む絶対不可侵の壁。


 つまり、通り抜けることはおろか、触れることすらできないはず――なのだが。


 シュカによれば、その《神の壁》を通り抜けた先に、ヨモリ族の暮らす国があるという。


 ということは、彼女は『通れないはずの壁を越えてきた』わけで。


 俺が知らないだけで、壁のどこかに穴が開いていたり、通路が通っていたりするのだろうか――などと考えていると、少女がくすりと笑った。


 どうやら無意識に考えが口に出ていたらしい。


「《神の壁》には穴も通路もないよ。でもね、ヨモリ族だけは壁を通れるんだ。このツノがね――」


 シュカは額のツノを指差し、何かを言いかけて――ハッ、と口に手を当てる。


「……あっ、これも秘密だったかも……ごめん、忘れて?」


「そのツノが、なんなんだ?」


「ごめん、忘れて?」


「そのツノが――」


「忘れて?」


「その――」


「忘れて!」


「………分かった」


 ヨモリ族の額に生えたツノの謎。かなり気になるが、これ以上教えてはくれないらしい。


 ただ、今までの話からシュカの背景は理解できた。


 母国である《ナハト国》を抜け出した彼女は、《神の壁》を通り抜けてアングリス王国に入国した。追っ手の目をくぐりながら貧民街ここまで辿り着いたものの、このまま一人で逃げるのには限界があり、護衛を求めている――といったところか。


 常識とかけ離れすぎていて、にわかには信じがたい内容だ。かといって、シュカがそんな嘘をつく意味もない。


 いったん、彼女の話がすべて正しいとして、


「話をまとめると、おまえは今、化け物じみた能力を持つ奴らに追われてるってことだろ? 俺に護衛が務まるとは思えないんだが……」


「えっ、でもおにいさん強いでしょ?」


「……どうして、そう思ったんだ?」


、だよ。おにいさんからはね、長いあいだ戦場にいた武人、みたいな匂いがするの」


「……匂いだけで、そんなことまで分かるのかよ」


 おまえの《天恵》もじゅうぶん化け物じみてるじゃねぇか、と心のなかでぼやく。


「それにおにいさん、『おまえが酒売りやっている間は、俺が毎日買ってやるよ』 って言ってたでしょ? だからアタシのお酒を報酬にすれば、依頼を受けてくれるかなって」


「あぁ、確かに言ったな……」


 軽はずみな発言が、最終的にシュカの行動を後押ししてしまったらしい。


 お願いします、と真剣な顔で頭を下げる彼女を見て、俺は一つ息をく。


 正直、助けたいという気持ちはある。出会って二日しか経っていないが、自分でも不思議なほどに彼女への情がわいていた。


 それに、彼女の美酒を飲みながら旅をする生活はかなり魅力的だ。


 とくに貧民街への愛着もないし、食料調達さえできれば他の場所でも生きていけるだけの金は持っている。


 そんなことを考えながら――俺は、首をゆっくりと振った。


「すまないが、俺にはだ」

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