第2話

 ヨモリ族が《妖魔》と呼ばれる所以ゆえんは、その特徴的な外見にある。


 色白な王国民とは対照的な浅黒い肌に、燃えるような赤い瞳。


 とりわけ異様なのは、ひたいの中央に生える小さなツノだ。


 まるで王国の昔話に出てくる“鬼”のような、異質で面妖な見た目。


 そのせいであやかしや魔物の類いだとみなされ、王国民から迫害されているわけだ。


 そのためヨモリ族は、大きな布などで全身を隠していることが多かった。


 実際、視線の先にいる酒売りの少女も、黒いローブを頭まで深くかぶり、小さな膝を抱え、軽くうつむいて座っている。


 まるで、自分の存在を消そうとするかのように。


「せっかく美味い酒つくるのに、下手に呼び込みもできねぇとはな……」


 もったいない話だ。彼女がヨモリ族でなければ、一日にしてこの市場の人気者になれただろうに。


 ――と、そのとき。俺の近づく気配に反応したのか、少女がゆっくりと顔をあげた。


 黒いフードから、珍しい白銀の髪が幾筋いくすじかこぼれる。


 そして俺に気づくと、少女は小さな口をぽかんと開き、深紅の瞳を丸くした。昨日の客が再来したことに驚いたようだ。


「おい、また買いに来たぞ」


 手を挙げて声をかけると、目の前の少女はみるからに表情を緩ませた。


 俺に話しかけられただけで笑顔になるとは、よほど寂しい思いをしていたのだろう。


 どうせなら酒を買うついでに積もる話でも聞いてやるか――などと考えていると、


「髭のおじさん、今日もアタシんとこに来たんだ。へへっ、アタシの酒、気に入っちゃった?」


 にやり、と笑う彼女を見て、俺は考え直した。


 こいつ、ちっとも寂しそうじゃない。


 そもそも俺の記憶が正しければ、昨日の彼女はもっとおとなしそうな少女だったはずだ。


 子どもらしくない楚々そそとした仕草と丁寧な口調で接客されたのを覚えている。


「俺はまだおじさんじゃない、だ。――てか、昨日の今日で態度が変わりすぎじゃないか?」


 急に生意気になった少女にそう文句をつけると、彼女は、やれやれ、と言わんばかりに首をふった。


「もっと子どもらしく話せって、おじ……おにいさんが言ったんじゃん」


 そうだったのかもしれない。が、残念ながらまったく記憶になかった。


 残念ながら、昨日の暴飲のせいで一部の記憶が飛んでしまっている。


「まあ俺は気にしないからいいが、他の客にはやるなよ?」


 つい口走ってから、しまったと後悔する。


 人との会話が減ったせいで、俺は空気すら読めなくなってしまったらしい。


 意図せず言ったことだが、客に困る少女に“他の客”とは、もはや皮肉にしか聞こえない。


 しかし彼女は、落ち込むそぶりすら見せずに返した。


「他の客なんて来ないよ。おにいさんも分かってるでしょ?」


「あぁ、まあな。いや、だが、おまえの酒はうまいからな………」


 なんと言えばよいか分からず、しどろもどろになる。そんな俺に、少女はからりと笑った。


「あはは、おにいさん気遣きづかうの下手だね。でもありがと」


 年は十四、五くらいに見えるが、やけに達観した子だ。


 生意気そうに振る舞いながらも、言葉や表情にはどこか子供離れした落ち着きが見られる。


 その背景には、きっと何かしらの深い事情があるのだろう。


 周囲に親どころか同族の一人さえいないことからも、俺のように何かを抱えて貧民街に流れ着いたのだと推測できる。


 ただ、さすがの俺もそれを詮索すべきでないことは分かっている。


 余計な思考を振り払い、俺は彼女の前に置かれた酒樽を指差した。


「これ、昨日と同じ酒か?」


「そうだよ。あっ、でも昨日より熟成が進んでるから、さらに美味しくなってるかも?」


「おお、そいつは朗報だな。じゃあそれを、この徳利に並々入れてくれ」


 そう言って徳利を酒樽の隣に置くと、彼女は嬉しそうに微笑みながら樽の蓋をはずした。


 途端、ふわりと魅惑的みわくてきな香りに包まれて、俺は思わず喉を鳴らした。両目が自然と酒樽に吸い寄せられる。


 樽のなかは、昨日と同じとした乳白色の液体で満たされていた。


 少女はそれを柄杓ひしゃくでゆっくりと混ぜてから、静かにすくい、俺の徳利へと注いでいく。


 まるで神聖な儀式のような、清廉せいれんとした彼女の動作に釘付けられながら、俺はふと違和感を覚えた。


「そういや、俺が今まで見てきた樽酒売りはみんな、粗布かなんかで酒を絞ってた気がするんだが、おまえはしないんだな?」


 よく絞らんと口当たりが悪くなる、だったか――


 三年ほど前、職人かたぎの酒売りに教えてもらったうろ覚えの教訓も合わせて伝えると、


「あぁ、それはもろみしてるんでしょ。アタシはしないけどね。めんどくさいし、美味しい部分までなくなっちゃうし。それに、濾さなくてもアタシの酒は飲みやすかったでしょ?」


 そう言われて、俺は、あぁ確かに、と頷いた。


 彼女の酒は、確かに今までの酒よりもとろみが強かったが、決して飲みにくくはなく、むしろ喉ごしはすっきりとしていた。


「なんか工夫してるのか?」


 話の流れで、そうたずねる。


 軽い質問のつもりだったが、彼女は少し動きを止めた。


「えっ……あぁ、そうだよ。おにいさんには教えないけどね!」


 一瞬だけ、彼女の表情が歪んだ気がした。が、すぐに満面の笑みで、ひみつ、とつぶやく彼女に、気のせいだったかと思い直す。


「別にいいよ、俺は作らないし。飲みたいときは買えばいいからな」


「そんな考え方してたら、すぐにお金なくなっちゃうよ?」


 なけなしの金で酒を買ってしまう、駄目な大人――伸ばしっぱなしの無精髭ぶしょうひげにぼろぼろの着流し姿で酒を買う俺は、少女の目にはそんな風に映っているのかもしれない。


 まあ、”駄目な大人”である点は間違っちゃいないのかもしれないが。


「幸い、俺の懐はあったかくてな。おまえの酒だったら、半年――いや、丸一年は毎日買い続けられるぞ」


「……それ、ほんとに言ってる?」


「ああ、嘘じゃない」

 

 脳内で貯蓄を計算しながら、そう応える。


 五年前まで趣味もなく仕事に没頭していた俺の懐には、まだ金貨が五枚残っている。


 財産没収をかいくぐって持ち出したものだから大っぴらには使えないが、アマンダに頼んで両替してもらえば、少なくともあと一年以上は酒に浸って暮らせるはずだ。


「だから、俺の金を心配する必要はない……って、おい、聞いてるか?」


 少女はいつのまにか柄杓を持つ手を止め、なにかを考えるような姿勢で固まっていた。


「……へっ? あぁごめん、おにいさんがそんなにお金持ってるって聞いてさ、驚いちゃった」


 へへっ、と照れ笑いを浮かべながら、彼女は再び酒を入れ始める。


 すでに八分目くらいまで入っていた徳利は、すぐに溢れんばかりの酒で満たされた。


「はい、言われたとおり満杯までいれたよ」


「おう、ありがとな」


 昨日の俺を酔い潰した美酒が、ついに手に入る――


 いてもたってもいられず徳利を手に取ろうとした瞬間、小さな褐色の手が目の前に差し出される。


「さきにお代でしょ。銅貨三十枚ね」


「あぁ、そうだったな」


 目の前のお酒に気を取られて、金を払うことすら失念するとは。俺の頭もいよいよ末期かもしれない。


 徳利に伸ばしていた手を引き戻して、懐から硬貨袋を取り出す。


 じゃらじゃらと鳴るその袋から銅貨をきっかり三十枚数えだし、その小さな手に乗せた。


「よし、これでいいな」


 あらためて徳利を手に取り、きっちりと栓を閉める。ついでに紐で固く縛った。


 俺にとって酒は命だ。一滴もこぼすわけにはいかない。


 そんな気持ちが顔に出ていたのか、少女は俺を見ておかしそうに笑う。


「そんなにアタシの酒が大事なの?」


「ああ、今の俺はおまえの酒で生きてるからな」


「じゃあさ……もし明日からもずっとアタシの酒を飲めるとしたら、嬉しい?」


 何の気なしに問われた質問。その意図は何だろうか――と少し考えてから、はっと思い至る。


 彼女は恐らく、明日も俺が来るのか知りたいのだ。


 来るか分からないまま待ち続けることが不安で、ただ直接聞くのは気恥ずかしい。


 そんな年相応の複雑な心情が手に取るように理解できて、俺は思わずうなずいた。


「もちろんだ。だからおまえが酒売りやっている間は、俺が毎日買ってやるよ」


 そう言うと、少女の顔にまぶしい笑みが花開いた。




――――――――――――




 「ちょっと安請け合いしすぎたか……」


 夕刻。酒気のこもった自室で酒をちびちびと啜りながら、俺は少女への言葉を自省していた。


 毎日買ってやる、は言い過ぎたかもしれない。


 たしかに今はこの酒以外考えられないぐらい気に入っているが、いずれ別の酒を飲みたくなる日も来るだろう。来るはずだ。


 いや、果たしてそんな日が来るだろうか……


「どっちにしろ、あいつもいつかここを離れるだろ。それまでの付き合いだ」


 ヨモリ族は総じて、ひとところに定住しない。


 それが迫害を避けてなのか、それとも別の目的があってなのかは分からないが、ともかくあの少女もしばらくすれば別の土地へと移動するのだろう。


「この酒がいつか飲めなくなるって考えると、惜しいな」


 徳利のなかを覗き込んで、思わずため息をつく。


 飲み口ぎりぎりにまで入れてもらったはずの酒が、もう十分の一も残っていなかった。


 加減して飲んでいたつもりだったが、無意識にペースが早まっていたようだ。


「あ~あ、これじゃあ夜中までもたないな……」


 一升徳利を空けても、なお飲み足りない。かといって、今から追加で買いにいくわけにもいかない。


 俺が酒を買う『闇市』は、夜になると『盗品市』へと姿を変えてしまうからだ。


 盗賊や闇業者が我が物顔で入り浸り、荷馬車などから強奪した高級品を、お忍びで来た悪徳貴族や商店に売りさばく。


 それが『盗品市』の実態だ。


 ときには、人攫いや殺し屋が裏取引の場にすることもあるという。


 酒も少しは売っているだろうが、さすがにそんな治安の悪い場所に買いに行く気にはなれなかった。


 それに、盗品市には個人的な因縁もある。なにせ俺は――


「あぁ、やめだ、やめ。せっかくの酒が不味くなる」


 よみがえりそうになった過去トラウマに、慌てて蓋をする。


 今は大事なお酒の時間だ。それ以外のことは考えたくない。


 嫌な気分を振り払うように、酒を一気にあおる。すぐに、口いっぱいに広がる幸せ。


 そして、そのまま酒の快楽へと身を任せようとした――ところで。


 コンコン、と。扉を叩く軽い音が耳朶を打った。


「……誰かきたのか?」


 徳利を持つ手を止めて、耳をすませる。再び扉を叩く音。空耳ではなさそうだ。声はなく、コンコンという音だけが響く。


 もし俺を訪ねてきたのだとすれば、可能性があるのは二人だけ。


 一人は、このボロ家の所有者を名乗る小太りのおっさんだ。


 不定期にふらっと来ては賃料を要求して帰っていく怪しい男で、こんな迷惑な時間帯に突然来ることもあった。


 ただ今月はすでに家賃を払っているし、彼が家賃以外の理由で来たことは一度もなかったはず。だから恐らく彼ではないだろう。

 

 考えられるもう一人は、アマンダだ。


 そもそも大家のおっさんとの契約を仲介してくれたのが彼女なので、俺がここに住んでいることは当然知っている。


 しかし、彼女がわざわざ俺を訪ねてくるとも思えなかった。


 というのも、彼女はもともと『平民街』に住む平民であり、貧民街には趣味で作った酒を売りに来ているだけに過ぎないからだ。


 本職は別にあるとも、生活の場は平民街にあるとも言っていたから、この時間はすでに壁の内側に戻っているだろう。


 となると、外にいるのは一体誰なのか。俺は徳利を置いて立ち上がり、玄関へと静かに近づいた。


 神経をはりつめて、扉越しに気配を探る。


 暴力的な気配は感じないが、夜盗の類いかもしれない。念のため、玄関の隅に立て掛けてあった片手剣を手に取った。


 どうせ今の俺にはまともに使えやしないが、手ぶらよりはマシだろう。


 剣柄をぎりりと握り、呼吸を整える。そして玄関扉をかちゃりと解錠し、慎重に引き開けた。


 外の暗闇とともに、来訪者の姿が露わになっていく。


 俺の肩にも満たない小さな身体。その全身を包む黒いローブ。少し露出した浅黒い肌。白銀の長髪。こちらを見つめる紅色の双眸。


 そして、背中に背負われた大きな酒樽――


 「えっ…なんで……」


 予想外の正体に思わず声を漏らした俺の前で、その正体――酒売りの少女は、今日一番のいたずらっぽい笑みを浮かべた。


 「へへっ、きちゃった」


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