第15話 異界 ③


 此処に居た筈の『浄瑠璃蜘蛛』の成長個体は一体どこに消えたのかだとか、どうして賀茂領で目撃例のない鬼系統の怪異が唐突に現れたのかだとか、不明な箇所は多くあるけれど、今は出来ることを一つずつやっていく必要がある。

 鬼系統でC級以上の怪異と予想されるこの異界の主を討滅するために、私と怪斗はこの禿山と化した大山の斜面を上に上に走っていた。


 怪異の展開する異界は表面的な地形や環境こそ大きく様変わりするが、もっと大枠の部分での空間まで変化することはほとんどない。

 今回の異界を例に挙げれば、元々は豊かな木々に覆われた大山の山肌は見る影もない荒地と化しているが、あくまでそれは禿山となった大山のままである。山が急に平地や谷になる事もないし、異界の中の面積が元の大山の面積以上に拡張されているなんてこともない。

 つまり、物理的に地形を変えない限りは、異界内での地理関係は既存の地図である程度補えるという話だ。


 また、異界は基本的に主を中心として円形に展開される性質を持つ。よほど高位の怪異でない限り、主は異界の中心から大きく動くことはできないので、主の居場所は特定がしやすい。

 この異界は大山をぐるりと囲うように展開されているので、主は山頂付近に居座っていると予想されるため、私たちはこの大山を山頂目掛けて登っているわけだ。


風神流ふうじんりゅう 初伝しょでん "刃風じんぷう"」


 私は目の前から涎を垂らして襲い掛かってくる餓鬼達の首を、横薙ぎにした魔刀から放たれた風の刃で斬り落とした。餓鬼が残した瘴石を拾うこともなく、生物の息吹を感じない死んだ大地を駆ける。


 最初こそ疎らに襲ってきた餓鬼であるが、山を登るにつれて襲撃の頻度は高くなり、一度に襲い来る餓鬼の数もそれに比例するように増えてきている。

 襲い来る餓鬼も成人の男の背格好の餓鬼だけでなく、女形の餓鬼や子供の餓鬼も襲ってきた。

 私の知る限り、餓鬼という怪異は最初に出会った男型の餓鬼が普通であって、女や子供型というのは聞いたことが無かった。


風神流ふうじんりゅう 初伝しょでん "刃風二連じんぷうにれん"」


 前方から私を囲むように飛び出してきた5体の餓鬼を、2連の風の刃で切り刻む。4体は致命傷を負ってその場で瘴気となったが、左の肩口を浅く切り裂くに留まった残りの1体が私の至近まで迫り、無事な右手を大きく振り上げた。

 餓鬼の手足は枯れ木のように細いが、その見た目に反して鬼の名を関する餓鬼の膂力は驚異的だ。

 私も常に維持している"纏風まといかぜ"によって身体能力を向上させているが、餓鬼の腕力を正面から受け止めれば大きく吹き飛ばされてしまう。

 加えて餓鬼の爪や牙には毒があるため、掠り傷が命取りとなる。だからこそ、餓鬼を相手にするときは一撃で仕留める事が重要なのに、仕損じてしまった。

 

「ーーっ!風神流ふうじんりゅう 中伝ちゅうでん "廻風かいふう"!」


 身体を鋭く回転させると私を中心に風の刃が渦のように噴き出し、目の前の餓鬼は全身を切り刻まれて消失した。

 それを横目で確認すると、額にじわりと汗が滲むのがわかった。


 ーー風神流ふうじんりゅう 中伝ちゅうでん "廻風かいふう"。

 全身から無数の風の刃を渦を巻くように周囲に展開することで、敵の攻撃を防ぎながら切り刻む攻防一体の技。

  『風神流』の中でも習得には相応の修練を必要とする中伝の"廻風かいふう"は、間合いまで敵に接近された際に周囲を死角なくカバーし発動速度にも優れる優秀な技だが、その性質上マナを大きく消費するのが唯一の欠点だ。


 既に異界に突入してから30分ほど経過しているが、その間ずっと"纏風まといかぜ"は展開し続けている。

 マナの節約のために燃費のいい初伝の "刃風じんぷう"を多用しているが、それでも残りのマナは全快の半分に近いし、走り通しのため体力も消耗していた。

 しかし、常に走って位置を移動させなければ途端に餓鬼達に囲まれる恐れがあり、足を止めるわけにはいかなかった。


 さらに、この濃霧が消耗を加速させる大きな要因となっていた。

 麓付近では10メートル辺りまで見通せた霧は、頂上に近づくにつれ濃さを増していき、今では5メートル先までしか見ることは適わない。それに加えて、この霧は視界や感知を阻害するばかりか、音までも覆い隠してしまう恐ろしい性質を持っていた。

 そのため、直前まで餓鬼の接近に気付くことが出来ず、結果として常に奇襲を警戒する極度の緊張状態を維持する必要があった。


「ほいっと」


 この厳しい環境と気の抜けない怪異との連戦において、私が未だに無事でいられるのは、間違いなく私の後ろで今も気の抜けるような声と共に、一蹴りで3体の餓鬼をまとめて消し飛ばした怪斗の力であった。


 この男は白い半袖のTシャツにジーンズ姿というちょっと近所まで出掛けるような気軽な格好で、ポケットに両手を突っ込んだまま、一蹴りで襲い掛かる餓鬼達の群れを鼻歌交じりに塵にしていく。

 それも、怪斗は私の死角になりやすい左右と後方まで全てをカバーしていた。一度も私に敵を近づけることなく。いとも簡単に。

 お陰で私は自分の前方の敵のみに集中できるので、ここまで無傷でこれた。彼がいなければ、とっくに私は死んでいるだろう。


 何より恐ろしいのは、今の怪斗は一切の強化をしておらず、素の身体能力のみでこれを実現しているということ。

 鉄くらいは簡単に引き裂くほどの膂力を持つ餓鬼。そんな化物を彼が蹴り一つでとき、私は思わず自分の目を疑った。

 ハイペースで山道を走りながらこの悪環境で連戦に次ぐ連戦、だというのに未だに汗一つかいていないということは、怪斗にはまだまだ余裕があるという証。もはや、私の理解の範疇を超えている。


 もちろん、高位の異能士の中でも肉体強化に特化した戦士ならば同じような芸当はできるだろうが、それはあくまで能力有りでの話だ。能力なしでこんなことをやってのける人間は、きっと日本中探してもこの男だけだ。


(怪斗の本気は、一体どれくらいのものなのかしら)


 今も左側の餓鬼の群れを蹴り飛ばしたと思ったら、次の瞬間にはいつのまにか反対側の餓鬼の群れを蹴り飛ばし終わっていた怪斗の姿を視界の隅に捉えながら、私はそう思わずにはいられなかった。


 少なくとも、この男の実力は私程度が推し量れる領域に無いことは間違いない。怪斗の戦いは一見するとただの身体能力によるごり押しにも見えるが、そこには膨大な戦闘経験に支えられた戦士の粋を感じる。それこそ、熟練の老戦士に匹敵するような。


(私より1つ歳上の、まだ18歳の青年がこれほどの戦闘経験を積むなんて……)


 どれだけ、険しい道を歩んできたのだろう。

 怪斗の召喚時、直近の怪我こそヒルメが治したが、彼の鍛え抜かれた身体には、戦いによるものとみられる古傷が至る所に残っていた。


(それに、彼の称号欄がどうしても気になる)


 ーー孤高の勇者。怪斗のステータスに記載された、彼の称号だ。

 なぜ彼がそう呼ばれるに至ったのかはわからないけれど、いつも飄々としている怪斗は、私にはどこか寂しそうに感じられて……


「ここは戦場だぞ。集中しな、賀茂嬢」


 いつの間にか私の真横に立っていた怪斗。目の前には濃紫の塵になっていく餓鬼の姿が。本来私が担当していた前方の餓鬼を、彼が代わりに倒してくれたようだ。

 極度の緊張状態と度重なる襲撃による疲れで、思考が目の前の戦いから大きく逸れてしまっていた。


「ごめんなさい、気を付けるわね」


 怪斗に対して気になるところはたくさんある。しかし、それは今考えることではない。

 私は一度思考を切り替えるために両の頬を叩き、気合を入れ直した。


「それと、助けてくれてありがと」

「これくらいはお安い御用だ」


 少なくとも、歯を剥き出しにして凄絶に笑うこの男が、私が想像していたよりも遥かに頼りになるのは間違いない。

 ならば、私は賀茂家の人間として、出来ることに注力しなければ。


「このふざけた異界の主を、討滅しましょう」

「おう」


 今この場所に怪斗頼りになる男が居てくれる幸運にそっと感謝しつつ、私はこの霧の先にあるはずの山頂に向けて、力強く足を踏み出した。


+++


後書き

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