第4話 帰ってきた元勇者
*
ーーこれは夢だ。今俺が見ている光景が夢であると、俺ははっきりと自覚することができた。
いわゆる、明晰夢ってやつ。
しかし、この光景は夢だが、同時にそれは俺の過去でもあった。
幼少期のほとんどを過ごした、祖父母の家。もう築何十年だよって勢いの木造の家は歩くたびに床はみしりと軋むし、田舎故、虫は多いわ大きいわで鬱陶しかった。
それでも。畳独特の香り。いらないって断っても必ず淹れる日本茶。豆腐とわかめの味噌汁の味。お祝いの時は、いつも俺の好きなオムライスを作ってくれた。
俺はばあちゃんから、愛情を学んだ。
しかめっ面を浮かべて、不愛想だったじいちゃん。
それでも、俺に大事なことを教えてくれたのは、いつもじいちゃんだった。
俺が道理から外れたような事をしでかした時は、思い切りぶん殴って𠮟ってくれた。
トラックに引かれたって傷一つ付かないようなふざけた身体だ、年寄りに殴られたところで俺の身体には一切響かない。
むしろ、俺を殴ったじいちゃんの拳の方が無事じゃ済まなかったくらいだ。
それでも、心には響いた。
「筋の通らねぇことだけはするな。女と子供は守れ」
生まれながらにして怪物のような力を持ったこの俺が、それでも心まで怪物にならずに居られたのは、間違いなくじいちゃんの教えのお陰だった。
俺はじいちゃんから、人の道を学んだ。
俺に優しい笑顔を向ける二人が、ずしゃりと目の前で血の海に沈んだ。
「……怪物が」
次の瞬間には、俺は仇となるヤクザの若頭の首を捩じり切っていた。
俺の両手は、血に染まっていた。
「カイト。私の、私たちの勇者様」
次に浮かんだのは、【聖女】テレサ・ル・アルカディア。
この俺を勇者として召喚した異世界の、アルカディア王国第三王女。
そして、俺の初めての恋人。
女は互いに後腐れなくが常だったこの俺が、初めて隣に置いても良いと、隣に居て欲しいと願った女。
怪物と言われた俺を決して恐れることなく。居場所を与えてくれた女。
「お主は本当に手のかかる弟子じゃの」
【賢者】のマリウス。
エルフ族の卓越した魔法使いにして、俺の師匠。
一国の王であろうと慄かせたこの俺を、明確に弟子として下に扱う唯一の存在。
しかし、なんだかんだ言って面倒見のいい性格で、特異な体質を持つ俺に合った"術理"を懇切丁寧に叩き込んでくれた。
「友よ!お前と飲む酒のなんと格別な事か!」
【聖騎士】のユークリアス・フォン・リベルタ。
リベルタ伯爵家の次期当主にして、大盾術の名手。生粋の愛妻家で、俺の初めての友人。
俺を、怪物でもなく。勇者でもなく。弟子でもなく。
一人の友人として、接してくれた男。
テレサ。マリウス。ユークリアス。
全員が、俺にとって初めてできた仲間であり、大切な居場所だった。
だから、俺の大切な奴らが守りたいと願った世界を、民を。
この俺が守ってやろうと、確かに誓ったのだ。
ーー俺は、間違えた。
俺の目の前に、大切な3人の首が、ころり、ころりと転がり。
光を映さぬ3人のその無機質な瞳が、俺を責めているように見えた。
次の瞬間には、俺は【参謀】の頭を握り潰し、俺達を、そして人類を裏切った帝国の貴族どもを縊り殺し、魔王の心臓を貫いていた。
俺の両手は、どす黒い血に染まっていた。
ーー俺は、間違えた。
守れるなどと。救えるなどと。
俺は壊す事しかできない、"怪物"なのだから。
ーーー
意識が覚醒していくのを自覚する。
ゆっくりと目を開ければ、少し年代を感じる木造の天井が見えた。
どうやら俺はベッドに寝かされていたようだ。
あちらの世界では無かったような清潔な白いシーツに、体重を分散して受け止めてくれる柔らかなマットレス。そこにはカビも埃も見当たらない。
「まさかベッドの質で日本に帰ってきたことを実感するとは……」
ビバ日本。清潔って素晴らしい。
身体を起こして周囲を見回す。そこはベッドと簡素な家具がいくつか置かれた、生活感に乏しい部屋であった。
当然ながら見覚えのない部屋であり、窓からは西日が差し込んでいた。
「しまった。絶好の機会を逃してしまった」
物語で定番の「知らない天井だ……」が実現できたというのに!
なまじ身体が規格外に丈夫なもんで、ぶっ倒れるなんて機会に乏しく、失念していた……
「あ!起きられたんですね!!」
あまりのショックに頭を抱えていると、部屋の扉の方から何やら声が届いた。
そちらを見れば、一人の女が驚いた様に手を口元に当て、こちらを覗いていた。
その女は規則正しく切り揃えられた黒髪ーー日本人形のような髪型と言えば伝わるだろうかーーで割烹着に身を包む、どこかぽやぽやとした印象を受ける20歳半ば辺りに見える美女であった。
何より目を引くのは、その割烹着を窮屈そうに押し上げるその大きな双丘だろうか。ちょっとあんまり見ないレベルの巨乳ってやつだった。
「お身体の方はいかがでしょうか?」
男が巨乳に惹かれるのは自然の摂理だから、と自分を正当化しつつ堂々とその二つのマウント富士を眺めていると、胸が喋った。
いや、胸は喋らんか。どうやらまだ少し寝ぼけているらしい。
質問に答えるために、ひとまず自身の身体の状態を確認する。
「身体ね。お陰様で快調だわ」
「そうですか。それはよかったです……」
というより、快調過ぎないか?
俺の身体は軍やら魔王やらとの連戦でそこそこ死に体だったと思うんだが、古傷はともかく体の不調を一切感じない。完治していると言ってもいい。
それこそ【聖女】クラスの回復魔法でも使ったのならともかく、現代日本の医術で治せる範疇は超えていたと断言できる。
その巨乳女は安心したように胸を撫でおろすと、次にはカッと何かに気が付いた様に目を見開いた。
「あ!こんな事してる場合じゃなかったです!お嬢様!お嬢様~!!」
その割烹着の女は、何やら慌てて叫びながらパタパタと駆けていった。
途中どたんっという何かが転んだような音の後に、「ぷぎゅるっ!」という声が聞こえた気がしたが、大丈夫だろうか。
何というか、登場から退場までキャラの濃い、属性過多な女であった。
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