プロローグ(続)

二.この世界は……

「えぇっと……今日、来るんだっけ」

 終始ぼうっとしている速水はやみは欠伸を噛み殺しきれずに言葉を発し、自転車のハンドルに顔を埋めた。そんな青年に苦笑いで呆れながら、容姿端麗な不破ふわは心配の声を掛ける。

「行くから集まってんだろ。ったく、今日はとことん抜けてんな、お前。大丈夫か?」

「大丈夫ですよ、不破!ね、なおちゃん!」

 ぼうっとする青年に変わりお嬢様の勘解由小路かでのこうじが元気に答え、速水の肩に手を置く。手を肩に置かれて顔を上げた速水は微笑とも苦笑とも言えぬ表情で頷き、

「そうだね、勘解。……行こ。時間が来る」

  ——一歩踏み入れると、そこは「魔法使いのお店」。……と勘違いしてしまいます。何故ならばアンティーク調の家具が並んで、所々から煙が立ち自由に揺らめき、様々な匂いが混ざって香りとなって漂う。何にも縛られず背負う全てが解放されていくような空間だからであります。ここは渋谷区道玄坂町にあるステラビル二階、「シーシャラウンジsasameyuki」。

 速水を除く三人は他の客が居ない店のカウンター席に並んで座っている。勘解由小路はメニュー表をあれこれ想像しながら眺め、表情の読み取りにくい物静かな片桐かたぎりは純文学の同人誌を読み、不破は店主と話していた。

「だよな、さっすがはしんちゃんだぜ!」

「はいはい、ありがとなー、太志たいし。お前は相変わらず元気だねぇ。俺みたいな廃れたおっさんは消し飛んじまうよ。……あ、悪いな。ちょっと席外す」

 そこに谷崎たにざきと入れ替わるようにして、店員の制服を身に付けた速水がやって来る。先程までのぼうっとしていた様が嘘のような姿勢で。速水は唐突に首を傾げて、

「……ホント、三者三様だね。この店に皆して来る意味ある?」

「あるぜ、速水。シーシャを求めてってのが一番の理由ではあるが、ここでは立場をあんま気にしなくていいからな」

 自信満々に言い放った不破はくしゃっと幼げな笑顔を浮かべる。だが、それに勘解由小路は如何にも「異議あり」と言わんばかりの勢いで言葉を発する。

「立場を気にしなくて良い、という意見は同意します。ですが、私は不破が立場を意識しているという場面をこれまでに見たことがないですよ。一方の片桐は常に華族然としていますよね。私も見習わなくては……!」

 急に話を振られた片桐は純文学の同人誌を手の中から滑り落とす。だがそれを気にすることなく、ただ弱弱しく首を横に振る。そして小さくなって言葉を発する。

「いや、私のこれは……ただの癖だよ。大したものじゃない」

 速水は拾って埃を払った純文学の同人誌を「あきさん、晶彦あきひこさん」と渡して、深い溜め息を吐き言葉を継ぐ。

「……面倒だから、もう何でもいい。何でもいいから、来たならばお金を落として行ってよ、華族様たち。さて、ご注文は如何いたしましょうか」

 注文の後……水泡が炭火に熱しられガラスの中でボコボコという音を立てる。漂う香り付きの煙がアロマのようでリラックス空間を作り出している。オーダーを届け終えた谷崎は期待と不安を滲ませた表情で煙を吐く不破に声を掛ける。

「それで……どうだ、太志。サクラとチェリーのフレーバーは。恋多きお前にウチからプレゼントだよ。」

「面白い味だ。が、傷口に塩を塗るなよ。……面白い話。最近、お偉い父親に彼女との結婚を反対されて別れた。相変わらず家じゃ姉の婚約者をどうするか、って話しか聞かないぜ」

 谷崎は苦虫を噛み潰したような顔をする不破に苦笑いで、

「何か、ごめん。にしても、華族ってのは大変だね。俺みたいなやつには無縁過ぎるけど」

「まぁいいけどさ。俺よりも、信ちゃんは結婚しねぇの?」

「俺は出来ないの」

 二人の話に耳を傾けていた勘解由小路は谷崎の断定的な発言に鋭い目を向け、

「訳アリ、みたいな言い方ですね。店主さん?」

綾夏りょうかまで言わないでよ。ただ、縛られたくないんだ。結婚なんて、呪いと同義だよ」

「それにしては、華族である尚ちゃんを住み込みさせていますよね」

「尚は別。速水家とは知らない仲じゃないからね」

「華族の速水家と、平民の貴方が知らない仲。ということが怪しいと私は常々思っています。現速水伯に尚ちゃんを任されたりしているんですか?」

「……」

 曖昧な返答を繰り返す谷崎に勘解由小路が刺すような発言をし、谷崎はへらへらとした態度を一変。その瞬間、店内は凍てつく。

 無表情であった速水は如何にも不機嫌そうに持っていた珈琲ポットを大きな音を立て置く。

「あのさ、悪いんだけど。……政治やるなら場所を移せ」

 普段は口にしない圧の感じられる声色で言い放った速水の本心を汲み取った不破。戸惑いながらも、何かを発しようとその場に似合わない敢えての陽気な声で口を動かす。

「……あぁ、だからあれだ。えぇっと……」

 戸惑いを隠しきれていない不破に代わり、片桐が落ち着いた声を発する。

「ここでは立場は気にしなくていい。自分が自分で居られる、そんな場所だ」

「……」

 何か言いたげな煮え切らない表情の速水は足早に店を出て行った。速水が出たと思われる店の奥の扉が大きな音で閉まったのと同時に、人を図る、痛々しい棘が飛び交う、居るだけで何かが抉られそうな雰囲気と店内は化した。

 ——「ごめんね、一瞬理性が飛び掛けた」と謝罪と感謝をする店主に戸惑う、自己批判癖により人間が苦手で内向的のため多くを語ることが少ない片桐晶彦。彼は仏国への留学経験がある二十五歳。自身は気付いていないカリスマ性を持つ、伯爵位の華族である片桐家出身で嫡男。

 ——次に、普段は人が好きで天真爛漫だが、それを疑うほど眉をひそめ何かを考え込む勘解由小路綾夏。世間知らずの純粋で気が遠くなるほどの前向き思考を持つ、學修院大学文学部英文学科二年の二十歳。彼女は自分の理想だけに直向きのため「おめでたい人」と揶揄される、侯爵位の華族である勘解由小路家出身である。

 ——三人目は、先の出来事を引き金に様々な思考が脳内を飛び交う。それらのせいで吸うシーシャの味が分からなり、兄貴肌のさっぱりとした性格が一変して不機嫌になっている不破太志。自分という軸がくっきりし、自分の意志に貪欲な二十二歳。容姿の良さから「王子」と言われている、子爵位の華族である不破家出身である。

 ——最後に、店内で居た堪れなくなり錆びた外階段で煙草片手に深い溜め息を吐く、怠惰な様が目立つ速水尚。本当は強がっているだけで、繊細過ぎるほど繊細な二十二歳。伯爵位の華族である速水家出身で、数年前に起きた事件で兄が亡くなって両親が憔悴し帝都から地方へ移住し没落した今、彼女が速水伯代理である。

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