第7話 妹
さくらが、
「五分前のオンナ」
という発想を思いついたのは、元々、
「自分には、妹がいた」
という話を、以前母親から聞かされたことが最初だった。
母親から、小学生の時、いきなり聞かされたが、その時は、
「ふーん」
という程度で、あまり意識をしていなかったのだが、中学に入って小説を書くようになり、この
「五分前のオンナ」
という発想を抱くようになってから、いろいろ考えるようになった。
「妹がいた」
ということが気になるわけではなく、
「妹って、どんな感じなんだろう?」
という、
「もう少し、遠くから見たような感覚で、客観的だった」
と言っていいのかも知れない。
しかし、母親から聞いた話としては、
「生まれてからすぐに、亡くなった」
ということだけしか聞かなかったので、それ以上詮索しても、何も出てくるわけはないということである。
しかし、それを考えると、
「物心つく前に亡くなっていたんだ」
ということであろう。
さくらの記憶の中に、妹という意識はまったくなかった。ただ、生まれてからすぐになくなるケースというのは、昔ほどひどくはないが、まったくないわけではないので、普通にあることだったのだろう。
母親から妹の話を聴かされてから、何か不可思議な気持ちに陥っていた。
「私の中に、もう一人誰かがいる」
という感覚が芽生えたようだった。
それが、明らかに自分ではないような気がした。その時に思い出したのが、
「ジキルとハイド」
の話だった。
「自分の中にある、もう一つの人格が、何かの拍子に表に出てくるという話で、自分が夢を見ている、要するに眠っている時に表に出てきて、自分の知らない間に悪事を働く」
というお話で、いわゆる、人間がもっているであろう、
「二重人格性」
というものを、叙述に描き出したお話だったのだ。
さくらは、その時初めて、
「自分の中にいる、もう一人の性格」
というものを思い知った気がした。
その性格がどういうものなのか、まったく分からない。
「ひょっとすると、眠っていて夢を見ている時しか、出てこない。つまり、夢の中にしか出てくることができない存在なのではないか?」
と感じたのだった。
そんな自分のことを、さくらは、
「ひょっとすると、もう一人の自分が、その中にいる、さらにもう一人の自分の存在を意識しているのかも知れない」
と思った。
「まるでマトリョシカ人形のようではないか?」
と、
「人形を開けるとその中から人形が出てきて、さらにそれを開けると……」
ということで、
「半永久的に続いていくものだ」
ということを分かっているのではないだろうか?
そんなマトリョシカ人形の永久性というよりも、自分の中のもう一人の自分の、さらに中にあるものだから、それは、自分とは無関係なものだと思いたいという感覚があったのだ。
そんな中において、妹の存在を知ると、
「自分の中にいる、自分ではない、もう一人の自分は、この妹ではないか?」
と思うようになった。
この発想は、小説などでは、結構定番なものなのかも知れないが、実際には、
「そんなことはないだろう。あくまでも、小説のネタでしかないんじゃないだろうか?」
と思っていたのだ。
しかし、そんな定番なものでも、
「実際に自分の身に置き換えて考えてみると、結構大変な発想なのではないだろうか?」
と考えてみると、
「夢というのも、バカにできたものではない」
と感じてくるのだった。
「夢の内容を覚えていないというのは、自分の中にいる自分が見た夢を客観的な、さらにその後ろを見ているのかも知れない」
という思いからであった。
そこで考えたのは、
「自分の中に、もう一人の自分がいる」
ということの派生として、
「そのもう一人の自分というのは、一人や二人ではなく、無数にいるのかも知れない」
という考えであった。
「その無数にいる自分の中の性格が、それぞれにいい影響を与えるから、他の動物にはない、知恵であったり、知能というものを持っている」
という考え方であった。
もっと言えば、
「フレーム問題の解決を人間だけができる」
ということの理屈になるのかも知れないと思うのだった。
ここでいう、
「フレーム問題」
というのは、
「人間が、一瞬一瞬の間に判断すべきことというのは、無限に広がっている」
と言えるだろう。
もちろん、他の動物も、自分で判断するということもあるのだが、それはあくまでも、人間にはない、
「本能の赴くまま」
ということになるのではないだろうか?
人間は、そこまで本能というものが、鋭くないので、
「人間特有の何かの力が働いている」
と言われているが、それが何であるか、解明できているわけではなかった。
基本的にフレーム問題というものの考え方は、ロボット開発にかかわるもので、その対象は、
「人工知能」
つまりは、
「AI」
というものである。
そんな中において、人間が刻一刻と変わっていく目の前のことに対して、適切な判断ができるのは、
「無数の頭脳が頭にあり、それをコントロールできる脳が一つあることで、うまく引き出しているのではないか?」
という思いだった。
コンピュータは、一つの脳ではあるが、その中に、無数といってもいいだけの
「考える力」
というものがあることで、答えを導きだしている。
ただ、それを正確にコントロールできるものがないのだ。それを人間が担っていることで、初めて、コンピュータは作動できるのだ。
そう考えると、
「アンドロイドのように、人間が、脳を作るのではダメだが、サイボーグのように、脳は人間のものを移植し、身体だけをロボットにしてしまえば、コントロールしてくれるということになるのではないか?」
という考えであった。
アンドロイド、いわゆる、
「人造人間」
と言われるものであれば、こちらの問題となるものだ。
逆にサイボーグ、いわゆる、
「改造人間」
と呼ばれるものの中で、
「脳の部分は、人間のものをそのまま使う」
ということであれば、問題はないのだが、サイボーグであっても、アンドロイドであっても、身体の機能すべてをコントロールする脳が、人間からの移植でなければ、この問題は永遠に続くものである。
もし、サイボーグが、
「脳の移植」
ということになるのであれば、問題としては、
「生命の維持」
ということになるのではないだろうか?
昔からいわれている、
「不老不死」
という問題であるが、
「身体だけを機械にしてしまい、脳を移植する形にすれば、人間は、永遠に生き続けられる」
ということになるが、そのかわり、犠牲とするものがたくさん出てくることであろう。
というのは、人間が持っている、
「欲」
というものに対して、満たされることはないだろう。
何と言っても、
「身体は機械」
なのだからである。
もちろん、すべてが、人間という生き物に対しての知識しかないので、
「人間世界がすべてだ」
という発想になるのだろうが、
考えてみれば、
「人間と他の動物との違いは、欲があるかないかと、いうことではないのだろうか?」
と考える。
いわゆる人間の中の欲と呼ばれるものは、
「睡眠、食欲、性欲」
と言った、基本的ないわゆる、
「生理的、本能的な欲」
から、
「征服欲、達成欲、承認欲求」
などと言った、
「心理、社会的な欲」
まで存在する。
後者の欲求であれば、身体が、機械であっても、あり得ることであるが、
「生理的な」
そして、
「本能的な欲」
というものを、満たすことができるのか? ということである。
睡眠、食欲などは、人間として、
「それをやっておかないと、翌日に力が出ない」
ということに繋がるが、機械の身体であれば、消耗はエネルギーだけで、補給さえすれば、半永久的に大丈夫なものだ。
性欲などは、身体全体で感じるものだったり、身体全体の興奮を、身体の一点に集中させることで得られるものだということであれば、機械の身体に、そのような能力があり、その快感をうまく、脳に伝えることができるのだろうか?
それができなければ、サイボーグであっても、
「欲求を満たすことはできない」
という、
「人間としての脳を持っているのであれば、欲求が満たされないことで、どれほどのストレスとなるかということになるのだろう」
それがサイボーグということになるのだろうが、人間の場合は、欲求もすべて満たすことができる。
ただ、自分の中に、
「もう一人の自分がいるとすれば」
ということであれば、どうなるか?
ということを考えていたが、それが一人ではなく、無数にいると考えると、根本から考え方が変わってきて、逆に、不可解だったことの説明がつくことで、
「今まで、理屈に合わないと思っていたことも、解決される」
と考えてもいいだろう。
そんなことを考えていると、
「自分の中に、自分とは違う人がたくさんいる」
と考えた時、妹というものの存在を考えた。
これは、宗教的な問題とも絡んでくるのだろうが、
「死んだ人間の魂が、守護霊として、自分の中で生き続けているのではないか?」
という理屈だった。
だが、その考え方は、正直、
「現実的ではない」
と感じたのだが、その理由としては、
「もし、輪廻転生というものが正しいのだとすれば、命の数には限りがある」
ということになる。
つまり、
「人間は死んだら、どうなるか?」
という考え方で、ここからが、宗教がかってくるのだが、一つの考え方として、
「死んだ人間は、神の世界と、人間に生まれ変わることのできる世界と、決して人間に生まれ変わることのできない地獄のような世界の、三つに分かれる」
というものがある。
この場合、
「人間に生まれ変われる人の数がどんどん減っていっている」
ということになる。
地獄に行って、人間に転生できない人がいっぱいいると考えると、他の動物が人間に生まれ変わることができるという理屈が存在しないと、
「人間の数は、時間とともに、どんどん減っていっている」
ということになるのだ。
これはあくまえも、宗教的な一つの考えであるが、ただ、基本的には、どの宗教も似た考えではないかと言えるのはないだろうか?
それを考えると、
「一人の人間の中に、無数の魂が宿るというのは、現実的な考えではない」
と言えるだろう。
ただ、それも、一人の人間に魂が一つと考えた場合であり、このようにたくさんあり、
「決して減るものではない」
という考えが成り立てば、理論上、考えられないことではないといえるだろう。
さくらは、自分に妹がいたことを知らなかった。そのことが引っかかっていた。
「ひょっとすると、この世には、存在していたことすら誰にも認知されていない人が結構いたのではないだろうか?」
ということを考えてみた。
生まれてからすぐ、一人の人間の身体にたくさんの魂が入り込んで、一人の人間を形成できるだけのものが、時間内に成立できなければ、その後、生きていくことができないということになりはしないか?
と思うのだった。
ということになると、
「実際に生まれてくる人の数は分かっているよりも、ずっと少ないのではないか?」
とも考えられる。
これは、性教育の範囲であるが、
「精子が卵子に付着して、一つの生命が生まれる」
というのが、哺乳類の、
「生命の誕生」
であるが、
卵子は一つであっても、精子の数は、無数にあるではないか。
最初の精子が、卵子に入り込むと、そこで卵子は精子の入り口をシャットアウトして、他の無数の精子は、死に耐えてしまうということになる。
ひょっとすると、その精子が、魂になって彷徨っていると考えれば、理屈に合うのではないだろうか?」
考えてみれば、卵子一つに対して、精子が無数に使われるのだから、一つを除いて、すべてが、滅んでしまうと考えると、理不尽な気がしているのだ。
しかし、それら精子も、
「浮かばれることがある」
ということになれば、理屈的に合うのではないか?
つまりは、
「生命が、輪廻転生するというのであれば、何らムダなものはないのではないか?」
と考えられるからである。
足りないところを補って、一つになるのが、人間にとっての性欲だと考えれば、この理屈もまんざらでたらめではないと思えてくるのではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「人間だけに限らず動物というのは、誰から教えられたわけでもないのに、危険なものなどを最初から分かっている」
と言われるが、それを、理解しようとすると、
「遺伝子」
というもので考えるのではないだろうか?
親や先祖から受け継がれてきた、身体の中に流れる血液、それが遺伝子となって、子々孫々にまで影響してくるというものである。
遺伝子だけではなく、魂というものも、同じように受け継がれていくのだとすれば、子供が生まれた時、すでに魂がいくつも存在し、それが遺伝子のように受け継がれたものだとすれば、
「性癖であったり、性格的なものが受け継がれていたのは、遺伝子だけではなく、魂にもその力が及んでいるのではないか?」
と考えるのだった。
そういう意味では、この世に存在するかも知れない、
「もう一人の自分」
というものが、「ドッペルゲンガーであったり、
「五分前のオンナ」
という発想であったりというものが、
「無数に存在する魂」
というものの終結であるとすれば、あり得ないこともないだろう。
つまり、本当の、
「もう一人の自分」
ではなく、
「似て非なる者」
であり、
「限りなく自分に近い他人」
だといえるのではないだろうか?
それが、
「この世に三人はいる」
と言われる、
「自分に似た人間」
だということになれば、
「ドッペルゲンガー」
のような、真性な、
「もう一人の自分」
というものは存在しないのではないか?
と言えるのではないだろうか?
今まで、
「もう一人の自分」
の存在をずっと肯定してきた、さくらの考え方であったが、よくよく考えてみると、
「もう一人の自分」
という考えを全面否定している自分がいるのだ。
それを考えると、さくらというのは、
「一周回って、この結論に行き着いた」
と考えるようになったのだ。
まさに、
「輪廻転生」
と言ってもいいだろう。
考え方が、カオスとなっているに違いない。
妹がいたという話を聴いた時は、それに対してあまり、深く感じることはなかったが、小説のアイデアを考えた時の方が、妹に対しての思いが強かった。
さくらは、一人っ子だったので、本当であれば、
「兄弟がいればよかったな」
と思うのではないかと思われがちだが、そう感じたことは、ほとんどなかった。
むしろ、
「一人の方がいいな」
と思うようになっていたのだ。
というのも、結構、現実的なところがあるので、
「兄弟いれば、人数分で分けなければいけないので、一人の方がいい」
と思っていたのだ。
一人っ子だからなのか、まわりと競争したりするのは、あまり好きではない。
「平和主義なんだね」
と言われることはあったが、別に平和主義というわけではなく、
「ただ、人と争うのが嫌いだ」
というだけのことだった。
要するに、
「煩わしいことが嫌いで、ものぐさなところがある」
と言ってもいいだろう。
しかし、そんなさくらだったが、急に忘れた頃に、人と敵対する気分になることがあった。
「勧善懲悪」
なところがあるようで、
「理不尽なことや、いい加減なことをする連中は、許してはおけない」
というところがあるのだ。
そんな時は、露骨なほどに、相手に敵対心をむき出しにすることがある。
その思いが、ものぐさな時と比較すれば、
「ギャップ」
という言葉で言い表すには、極端な気がするほどだった。
そんなさくらが、敵対する時というのは、あまり自分のことで怒る時ではない。まわりの誰か、自分の関係がある誰かに対して、攻撃された場合に怒るのだ。
自分ではないことが、
「勧善懲悪に対しての、大義名分」
とでもいえばいいのだろうか。
だから、それが、
「自分の好きになった男性に対して」
であったり、
「家族などの、近しい相手に対して」
だったりすると、敵対心をむき出しにすることがあるのだ。
人によっては、そういう近しい人間を大切にしている人に対して、向こうは向こうで敵対心をあらわにする人もいたりする。
親や家族から、大切にされていなかったり、事情で、親戚をたらいまわしにされ、
「血のつながりなんて、一体何なんだ?」
としか思っていない人もいるだろう。
無理もないことであり、お互いに仕方のないことなので、別に敵対する必要などないのだろうが、それでも敵対しなければいけないその気持ちは、無理なこともたくさんあるのではないだろうか?
だが、さくらは、次第にそんな人の気持ちが分かるようになってきて、最後には仲良くなるのだが、その時には、
「あの人たちの気持ちは、私にはよくわかる」
と感じるのだ。
もちろん、家族や親せきから、ひどい目に遭ったわけではないが、気持ちが分かるというのは、本当のようだ。
疑り深い連中でも、さくらと一緒にいると、皆、
「心が通じ合っているように思う」
と感じているようだ。
それを思うと、さくらも、どんどん歩み寄ってくる。
「きっとさくらの勧善懲悪の気持ちが、相手に伝わるかななのではないだろうか?」
と感じるのだった。
そんなさくらは、勧善懲悪という気持ちを持つことで、
「反骨精神」
が結構大げさになってきた。
特に、自分に敵対する相手に関しては、露骨に嫌な顔をするようになり、
「下手をすれば、そのうちに、嫌がらせをするようになるのではないか?」
とすら思うようになってきた。
そういう意味もあってか、今回の小説に出てくる、二人のオンナには、そんな起伏の激しい感情を持たせないようにしようと思った。それは、男性に対しても同じで、三人とも、感情を表に出さないタイプを演出することになったのである。
しかし、まったく感情を示さないのであれば、何も起こることはなく、話にならないと言ってもいい。だから、どちらかの女に、感情を表に出さないが、その気持ちを内部にためて、その分を、もう一人の女が背負うことになるという物語である。
喜怒哀楽すべてを、
「五分後のオンナ」
に預けることになると、五分後のオンナが、そのうちに、五分前のオンナのことが気になり始めたのだ。
どこか同情的なところがあるのだが、その気持ちが、
「五分後のオンナ」
の性格だったのだ。
「私がすべてを背負った形になってしまって、そのせいで、自分が元々どんな性格だったのかということを忘れてしまった」
と思っていた。
彼女は、自分たちのような影と表を持った人間は、
「自分たちの性格は、自分で熟知しているものだ」
と思っていたのだ。
彼女たちのような
「五分」
などという時間を境にした表と影のオンナは、一定数いるのだった。
そして、
「表と影」
という存在を持った人間は、女性しかいない。
それを、自分たちだけの間で、了承しているというのだった。
彼女たちは、自分たちの世界、いわゆる次元があるわけではなく、他の人間と同じ世界に生きている。しかし、彼女らを見ることができるのは、限られた人間だけで、彼女たちのような存在の人間のことを、口外してはいけないということになっている。
いわゆる、
「見るなのタブー」
の類である。
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