第4話 五分後のオンナ
五分後のオンナというのが、現れた時、最初は、
「あれ? また戻ってきたのかい?」
と気軽に声をかけた。
気軽に声を掛けられるくらいに、すでに彼女と、昵懇になっていたということである。
元々、人見知りのこの男は、ここまでになるまでに、少なくとも数回は、会っていたはずである。
その時は、もちろん、
「五分前のオンナ」
などという意識はなかった。
だから、
「五分後のオンナ」
に対しても、そんな意識があったわけえもないだろう。
それなのに、なぜ、最初のオンナに、
「五分前のオンナ」
という意識がなかったのか?
それはもちろん、最初から、
「五分後のオンナ」
がいたわけではないからであろう。
そう思うと、今では、
「五分前のオンナ」
が消えてしまっても、
「五分後のオンナ」
は、少しの間は、自分の前にいるだろうと思うのだった。
だが、それは、本当のその女がいるのかどうか、正直分かっているわけではなかった。
それも、最初の、
「五分前のオンナ」
というものを、幻ではないかと思っているからで、だから、あくまでも、二人のオンナの両方が存在している世界だけが、正しいと思うようになっていた。
それを考えると、それぞれのオンナの、それぞれの前後、つまり、
「かぶっていない瞬間」
というのは、お互いに幻なのではないかと思うのだった。
だが、こんな風にも思っている。
「お互いのオンナが同一の人間だという確信を持ったのは、いつだったのだろう?」
ということである。
同一人物が、時間差があるとはいえ、二人が図ったように自分の前に現れるということは、俄かに信じられるわけなど、あろうはずはない。
そんなことを考えると、男は、次第に、二人のオンナが同一人物であるように思えて仕方がなかった。
しかし、それは、なぜか、
「五分前のオンナ」
に対してのことでしかなかった。
なぜなら、男は、今まで、
「五分前のオンナ」
に声をかけたことはない。
あくまでも、オンナが喋っていることに対して、ただ、頷いているだけだ。
しかも、表情が変わったとは思っていない。まったくのポーカーフェイスで、ニッコリと笑っているように見えるのが、一種の理性の現れではなかったか。
男の表情から、笑顔が消えれば、オンナは恐怖に顔が歪むのではないかと思うのだ。
女はあくまでも普通の女であり、現れ方はセンセーショナルというだけで、実に普通なのだ。
どちらかというと、その二人が現れた、目の前の男の方が、性格的に変わっていて、
「だから、この男の前に現れたんだ」
という人もいるだろうが、それよりも、もっと単純に、
「この女の、男性の好みが一致した」
ということから、誰によってかは分からないが、選ばれたということなのだろう。
「五分後のオンナ」
が、男に対して接するのも、何ら違和感のないことから、さらに、同一人物という思いを抱かせる。
「それにしても、五分という時間の感覚はどこからくるのだろう?」
という思いであった。
最初に、
「五分後のオンナ」
が現れた時、思わず時計を見たが、その時が、ちょうど五分であり、次の日にもまったく同じシチュエーションがあったので、この時も、また時計を見ると、五分だった。
2度までも見ると、もう3度目はなくとも関係なかった。五分というのは、
「確定事項」
ということだったのだ。
「五分後のオンナ」
というものが、現れて、男は、
「軽いパニックに罹ってしまった」
と言えるだろう。
それは、この男に限らず、誰でも同じことだろう。
「同一次元の同一時間に、同じ空間に、同一人物が存在する」
ということは、
「タイムパラドックスだ」
という理屈は当たり前のことである。
それが、理屈として考えてしまうと、パニックは次第に深くなり、
「俺は気が狂ったのではないか?」
と感じるようになったとしても、それはしょうがないことに違いない。
男は、タイムパラドックスというものに対して、どこまでの知識があるかというと、
「せめて、テレビドラマやアニメでやっている程度だ」
ということで、これこそ、
「その他大勢だ」
と言ってもいいだろう。
時々ある、
「タイムトラベルもののSFチックなもの」
と言ってもいいだろう。
ちなみに、タイムトラベルというのは、大きくわけて、
「タイムスリップ」
と、
「タイムリープ」
に分けられるといってもいいだろう。
タイムスリップという考え方は、昔からいわれている、いわゆる、
「タイムトラベル」
という言葉に総称されるものであり、要するに、
「その人全体が、タイムマシンか何かの媒体を使って、時空を移動する」
ということであった。
しかし、
「タイムリープ」
というものは、理屈が違っているのだ。
「タイムトラベルとするというのは、同じなのだが、今の自分の、身体以外のもの。つまり幽体離脱した魂のみが、時空を超えて、新しい世界に飛び出し、その世界にいる自分の中に入り込む」
という考え方だ。
この考え方に、細かいツッコミどころは満載であるに違いない。しかし、それをどこまで理論づけて言われているかということまではよく分からなかった。
例えば、
「新しく開けた世界の自分に乗り移った場合。元々いた自分の魂はどうなってしまうのか?」
ということであったり、そもそも、
「自分が最初にいた時代の自分が、魂が抜けてしまったのだから、その間はどうなっているのか?」
ということである。
ただ、考えが許されるのだとすると、
「タイムリープは、必ず最後には、元の場所に帰る」
ということが大前提ではないかということである。
タイムリープをしてから以降、新しい時空にどれだけの時間とどまったとしても、最終的に、
「自分が旅立ったその瞬間に戻ることができれば、元の世界では、何もなかったことになる」
ということである。
そういう意味で、タイムリープという考えは、
「タイムスリップでは、タブーとされていることを、理屈として、証明できるようにした、実に都合のいい解釈ができる存在だ」
と言ってもいいだろう。
新しく開けた時空にいる自分の中に入り込むのである。元いた自分は、自分の中で、夢のように、出現できるところが限られているのかも知れない。
そして、自分が、タイムリープしたその先にあるものが、自分だということは、タイムパラドックスでいうところの、
「同一次元同一時間に、同一人物の出現」
ということはありえない。
しかも、
「過去を変えてしまう」
ということにしてもそうだ。
「未来から来たとしても、乗り移った自分は、自分でしかない。何しろ、肉体は同じものだからだ」
と言えるだろう。
それを考えれば、
「やはり、タイムパラドックスが起こらないようにするタイムトラベルを考えた時、タイムリープというのは、あり得ることではないか」
と言えるのだ。
ただ、このタイムリープはあくまでも、
「自然現象」
のようなものであり、人間が作為的に起こさせることはできないということになれば、逆に、
「人間にとって、タイムトラベルというものが実現できないということが、確定したということになるのであろう」
という烙印を押されてしまうに違いない。
だが、そういう理屈もあって、タイムリープという考えが浸透していなかったのかも知れない。
実際に考え方は昔からあったはずだ。主流として語られなかったのは、自分たちでタイムトラベルという発想を、抹殺してしまうようで、忍びないという思いがあったからではないだろうか?
タイムリープした先にいる自分が、
「自分の中で眠らされている」
というような考えであれば、これが、
「夢の中」
と考えると、辻褄が合うのではないだろうか?
夢の世界には、
「もう一人の自分が住んでいる」
ということを感じた人は結構いるのではないだろうか?
このような奇抜で、一見信じがたい話は、普通は誰も嫌がるだろう。
「お前おかしいんじゃないか?」
というのを恐れてのことだろうが、何もそんな話題をわざわざ振ることもないというわけである。
夢の中で覚えている夢のほとんどが、
「もう一人」
の自分が出てきた時。
ということで、
「これほど怖い夢はない」
と思っているからであった。
「もう一人の自分」
というものが怖いという発想は、
「一度自分が、タイムリープしてきたもう一人の自分に乗っ取られたという意識があるからではないか?」
ということからであった。
タイムリープという考えから、夢の中で見る、
「もう一人の自分」
という理屈が分かるというものだった。
しかも、それを意識させないというのは、タイムリープというものを、まだまだ人間としては、解明されていないことが多いので、一介の一個人が、簡単に分かるレベルでも、理屈でもないということで、それ以上、考えないようにしているといっても過言ではないのではないだろうか。
ということになれば、
「夢というものの理不尽な理解不能な部分も、タイムリープという考え方で説明すれば、理屈に合うといってもいいだろう」
ということだ。
タイムリープというのが、
「タイムパラドックスを起こさせないための理屈だ」
ということになると、
「夢というのも、タイムリープによって証明される」
ということだと思うと、
「タイムリープというのは、ただ都合のいいものでも、辻褄を合せるだけのものでもない」
と言えるだろう。
そうなると、
「タイムリープという考え方」
も、まんざら理に適っていないともいえないに違いない。
そう考えると、
「五分後のオンナは、タイムリープなのかも知れない」
と思うと、
最初は、同じ時間に現れないのは、
「タイムパラドックス」
というものに、違反しているからだと思っていたが、そこにタイムリープという考え方が起こってくると、
「それは、当たり前のことだ」
と言えるのではないだろうか。
五分後のオンナが、男にとって、どういう存在なのかというと、答えは出ていない。しかし、ここまで分かってくると、五分後のオンナは、
「五分しか自分の前にいない」
と思っていた理屈が変わってきた気がした。
しかし、あくまでも、まわりから見て、
「五分しかいない人なんだ」
と、思っているに違いない。
もちろん、あくまでも、五分後のオンナだということを分かっていてという理屈つきである。
なので、そんなことの可能性は非常に低いということで、どうしても、考えさせられてしまっているのだった。
そんな中において、
「五分後のオンナ」
との一緒にいる時間が、どんどん長くなってくるのが分かってきた。
というのも、
「自分の感情に合わせて、消えないでいてくれる」
という、こちらも、
「都合のいい」
という存在になってきているようだった。
だから、五分という存在が、今までは、
「短すぎて、何もできない」
という思いから、彼女のことが気にはなるが、結局は、
「幻のような存在」
として、割り切ろうとしていたことだろう。
実際に割り切っているのだし、目の前のオンナは、自分にとって、どのような存在なのかということを、次第に忘れようとしている自分がいるのだった。
正直、
「どうしても気になる」
というほど、タイプの女性というわけではない。
むしろ、今までであれば、
「その他大勢」
という意識の中にいる女性の一人だったはずだ。
何か特徴がなければ、気にすることもないオンナ、その特徴が、
「五分という時間」
だったのである。
時間が、まさかオンナに対しての意識を感じさせるものになろうとは、思ってもみなかった。
それを思うと、
「このオンナの世界に、入れるものなら入ってみたい」
と思うようになっていた。
ただ、戻ってこれなければ、これほど辛いことはない。それさえなければ、今の気持ちとしては、どこまでもついていく。
と思うようになっているようだ。
ただ、この男は、思い込みが激しく、それを自分でも分かっているだけに、余計に、自分がのめり込んでいく姿が想像でき、それをどうすることもできない自分という両局面を示す思いも感じるのだった。
しかし、そんな思いも、
「自分が、どっちも同じオンナだ」
と思っていたのが悪いということに気が付いた。
正直自分では、
「どちらのオンナを好きになるか?」
ということを考えると、
「どこがどう気に入り、どちらが、どのように違うのか?」
ということが分からないということが、分からないということを踏まえたうえで考えてみると、
「五分後のオンナだ」
と感じたのだ。
「五分前のオンナ」
に対しては、一度も、
「オンナとして見たような気がしない」
と思った。
なぜなら、
「五分後にまた同じオンナが来る」
ということが分かっているからであり、そのことが、自分の中で、
「何かの証明」
というように感じるのだった。
そう思って、
「五分後のオンナ」
を意識していると、やはり、そのオンナを意識するようになったのだ。
正直、
「贔屓目に見ているからだ」
という感情があるのも事実である。
今まで好きになった女性とはタイプは違うが、シチュエーションを考えれば、これも、無理もないことだといえるのではないかと思うのだ。
男が好きになる女性というのは、今までは、基本、
「自分を好きになってくれるオンナ」
だったのだ。
つまり、
「好きになってくれそうなオンナでなければ、自分が好きになったとしても、結局は、片思いで終ってしまうのではないだろうか?」
という思いからである。
この思いは男とすれば、まずほとんどの人はそうではないだろうか?
好きになってくれる望みが極小の場合は、好きになっても、辛いだけだということは分っている。
本当は、
「好きだから、好かれたい」
と思うものなのだろうが、実際には、
「好かれたから好きになる」
というものである。
だから、好かれることがなければ、女性を好きになることはない。その思いが、
「草食系男子」
というのを生むのではないだろうか?
昔は、そんな言葉はなかった。
下手をすれば、肉食系が蔓延って、モラルや治安が不安定な時代への警鐘が、マンガなどであった時代が、昭和だったのに、それがいつの間にか、
「恋愛に興味のない男性」
が増えてきたというのか、
いや、恋愛に興味がないのではなく、
「肉体関係」
つまりは、
「セックス」
というものに、興味がなくなっているのではないか?
それは、逆に恐ろしいともいえる。
肉食系ではなく、草食系を装っている人の中には、アブノーマルな人間もいて、
「本当は草食系なのではなく、自分の異常性癖を隠すために、草食系を装っているというわけだ。
それを思うと、
「男の本性を偽ったり、装ったりしようとすると、簡単に本性がバレてしまう」
ということになる。
人がばらすわけではなく、自分からばらすことになるのだ。
それだけ、
「隠すことがへたくそだ」
ということなのか。それとも。
「我慢できないほどのストレスを抱え込んで、自制が利かなくなってきているのか?」
ということなのであろう。
そう考えると、それは、男性に限らず、女性にも言えることではないだろうか?
以前であれば、性犯罪の抑制という意味からも、性風俗業界も、ある意味で、
「必要悪」
というイメージで見られていることがあったであろう。
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