第2話 市松人形
黝が蘆屋家に来て一ヶ月が経った。季節も梅雨から初夏へと変わる。
澄成の助手をやるようになって驚いたのは、澄成が意外にもゲーマーで、超が付くほどの負けず嫌いであるという事だ。
毎朝の稽古のあとで食事も早々に終わらせて、自室に籠もっている。
そこで何をしているのかといえば、それはネットゲーム。オンライン上で全国にいる誰かと闘っているのだ。
「澄成様、まだゲームを続けるのか?」
内心呆れ気味に尋ねてみるものの、返事はない。
澄成の自室は左半分は畳敷き、もう半分はフローリングになっており、そちらのほうにはダブルサイズのベッドがある。すぐ横には巨大なモニター画面が二つ設置してあり、そのうちの一つは寝たままでもゲーム出来るようにベッドの方を向いている。
「澄成様、もうそろそろゲームは終わりにして下さいよ。仕事の時間が迫ってる」
「もうそんな時間なのか、分かった……では、補給を頼む」
黝は澄成が座っている椅子の横に落ち着かない様子でソワソワとしながら座る。
すぐに澄成がやって来て、唇を合わせると思いきや、全然その素振りがない。
「え? 澄成様?」
意外に思って目を開くと、間近に澄成の顔があった。アメジストのような神秘的に光る澄んだ紫色の瞳でじっと見つめられると何だか照れてしまう。
「わぁっ!」
思わず吃驚して声を上げる。
「そんなにじっと見るな」
「怒るなよ。今日はまだ黝の顔あんまり見ていなかったなと思っただけだよ」
「別に顔なんてじっくり見なくていいから! さっさと補給しろよ」
頭に来て顔を横に背けると、その頬にキスされたのを感じ、慌てて顔を戻す。
「じゃあ、霊力を頂くよ」
睨む黝を気にもせず、澄成は今度こそ黝と唇を合わせ、霊力を吸い取った。
* * *
茶色の髪と瞳をしたやせ形の少年。まだ子どもっぽさの残る顔をしている。黒い学ランには誰かに踏みつけられたような足跡や、泥の汚れが付いていた。
いつもは中の様子など気にも止めずに素通りしてしまう、商店街の中にあるおもちゃ屋。だが、今日はどういう訳だか聡は店内が気になり、下ばかり見ていた顔を上げた。
すると、店じまいセール中という張り紙が店の入り口に張られ、店頭には段ボールに入れられた玩具がたくさん入っている。
“こちらのコーナーの物はご自由にお持ち帰り下さい”と書かれている。
段ボールの中にはパッケージがボロボロになった、十年以上昔のアニメキャラクターの玩具や、着せ替え人形、ラジコンなどが入っていた。
聡はその中に入っていた古びた市松人形に目を留める。黒く長い黒髪や、赤い着物は薄汚れていて、ものすごく邪悪な存在感を放っていた。
「怖っ! 魂が宿っていそうだな。持っていたら呪われそうなぐらい。だけど、むしろそれがいいかも。うん、この子を貰っていこう、市子よろしくね」
そう聡が人形に名前を付けた瞬間、人形の瞳が赤く光を放った。
「今日もいじめられた。もう嫌だ……こんな日々が続くのならもういっそ死んでしまいたい。市子はなんで呪ってくれないんだろう」
呪われていそうな雰囲気が漂う市松人形を、連れて帰ったものの、聡が呪われている気配などなく、普段通りただいじめられる日々が続くだけだ。
「自分で自殺しなくても呪い殺してもらえると思ったのにな。なんで呪ってくれないんだよ……しかも、死のうとしても何故か失敗してしまう。死なせてよ」
聡がいくらカッターでリストカットをしようとしても、踏切で飛び込みをしようとしても、いつも寸前で刃が折れたり、誰かが腕を掴んだりして、失敗をしてしまうのだ。
「そうだ、学校に市子を持って行こう。いじめられそうになったら市子を鞄から出して奴らをビビらせてやる!」
翌日、聡は鞄に市子を入れ学校に向かい……そして事件が起こった。
* * *
「この市松人形のお祓いをお願いしたいのです」
蘆屋家の応接室で、澄成の向かいに座った中年の男性がそう言った。
箱に入れられた市子を震える手で置く。
「うわっ、妖気が半端ねーな。魂も宿っちゃってるぜ」
黝は、興味津々の様子で人形を食い入るようにして観察した。
「この人形は確かに魂が宿って妖気も放ってはいますが、今の持ち主である息子さんの聡くんには危害を加えたりはしていないのですよね? されたのはいじめっ子だけだ」
「はい、そうみたいですね。だが、また誰かを怪我させるわけにもいかないし、次は聡や家の者がそうなるかもしれません。こんな不気味な人形を家に置いておくわけにはいきませんよ」
澄成は市子を見て、うーんと唸る。
「一度、人形にも聞いてみましょう、どう考えているのか」
澄成は懐から札と筆を取り出し、さらさらと文字を書いていく。
「
宙に浮かんだ札が市子に張り付くと、市子の体が紫色に光だし次の瞬間それは人間の体へと変化していた。瞳の色も赤から紫になっている。
「やったあぁ! これでボクも喋れるね」
人の体に具現化した市子はウキウキとした様子で喋った。
「うわぁぁあ! 人形が喋った! ていうか、えっ、人になってますよ、大丈夫なんですか、こんなことして」
聡の父親は完全にパニックになってしまい、自分の鞄を握りしめて市子から距離を取った。
「ボクは聡くんを呪ったりしないよ。聡くんはあの店からボクを連れ出して処分寸前のボクを助けてくれた恩人だ。だけど、聡くんは同じ学校の人からずっといじめられているみたいで、死にたいってずっと言ってた。ボクは聡くんには絶対に死んでほしくなんてなかったから、聡くんが死のうとする度に邪魔をした。それで、死ねない聡くんはボクを学校に連れ出した」
「聡を守ってくれたのはありがたいが、あれはやり過ぎだ。クラスメイトの大半が大怪我をして、今も意識不明になっている子もいるんだ。そんな危険な人形をうちに置いておくわけにはいかない。陰陽師さん、この人形祓うなり処分するなりして下さい」
「そんなの嫌だ。ボクは聡くんと一緒に居る! ボクは聡くんを絶対に傷付けないよ」
市子は必死に訴えるが、聡の父親は市子を不気味がり、ブルブルと震えている。
「付喪神具現化の術を使うとしばらくの間は人形の姿には戻れないぞ。どうする? 俺に祓われるか、このままここで暮らすか選ばせてやる。どうやら悪い付喪神ではなさそうだからな。除霊にも役立つかもしれん」
「市子、ここに居ろよ。ここにいて僕の友達になろうぜ。澄成様に新しいご主人様になってもらえばいいと思う」
黝は市子に優しく話しかける。
「ボクは聡くんの所に帰りたいよ」
「大丈夫、ここでも大切にしてもらえるよ。澄成様だって僕だって、市子の事を気味悪くなんて思ってないし。僕、半妖だから、なるべく人に合わないように暮らしてきた。だから友達が出来たらいいなって思っていて、なってくれるか? 僕の友達に」
「……さっき黝って呼ばれていた。黝も友達居なかったんだ。そんなに友達になって欲しいならなってあげてもいいけど」
そのやりとりを聞いていた聡の父親は、これ幸いと、
「では、人形はそちらの方でお願いいたします」
そう述べると、一目散に帰って行った。
その日の夜、入浴を終えて、体の手入れを整えた市子は水色の浴衣を着ていた。
「ボク実は、赤い着物とか女の子の格好とかずっと嫌だったんだよね。人形だから喋れないでしょ。我慢していたんだよ。でも今は自分の気持ちがちゃんと言える。だから、女の子用の服なんてこれからは着ません!」
式神の雅が用意した赤い浴衣は、頑なに着ることを拒否。仕方なく、澄成が昔使っていた浴衣を着ることになったのだ。
トリートメントパックもして艶々になった黒髪に、紫の瞳を持つこの子が、本当は市松人形だなんて誰も思わないだろうなと黝は思った。
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