第1話 半妖の子

 六月の終わり。湿気を含み蒸し蒸した空気が肌に纏わり付く。天気もどんよりとした曇り空で、今にも雨が振り出しそうだった。


「急がなきゃ。もうすぐ日が暮れる。日没までに辿り着くといいけど」


 艶やかな頬にかかる黒髪に、澄んだ青い瞳を持つ青年が呟いた。黒いジーンズを履き、もう暑い気温なのに灰色のパーカーを羽織り、パーカーに付属した帽子も被っている。


 強風が辺りをビュウ! と、唸りを上げて吹きつけた。その風が小桜黝こざくらゆうの帽子を剥ぎ取る。

 頭部の覆っていた部分が無くなると、そこには半透明の黒っぽい猫耳のようなものが顔を覗かせた。


「うわぁ。ヤバイヤバイ。ちゃんと被っておかなきゃ。普通の人には見えなくても霊感がある人に見られたら大変だ」


 黝は慌てて帽子を被り直すと、目的地に向けて急足で向かった。


 * * *


 一般人が住む場所とは違い、深い森の中にある人里離れた集落。蘆屋道満あしやどうまんの血の流れを組む一族が代々住む集落で、大きな屋敷と神社、その回りに家々がいくつも立ち並ぶ。どの建物も和風の造りで、新しく建てられたものはない。


 黝が、一番大きな屋敷の前に立つと、呼び鈴を押してもいないのに門前の木の扉が、ギィーと音を立てて開いた。同時に屋敷まで繋がる道先に蝋燭ろうそくの灯りがぽぅと灯っていく。


 黝は、その様子を見て、術を使ったのだなと思った。

 玄関の前までそのまま歩くと、また自動的に扉が開き、着物を着た女性現れ、黝を一瞥いちべつした。


「いらっしゃいませ。中で当主が待っておりますのでこちらへどうぞ」


「はい、お邪魔します……」


 この女性からは生気が感じられない。式神なんだろうか、そう考えながら玄関を上ると、廊下がずっと先の方まで続いていた。だが、距離がありすぎて一番奥はどうなっているのか見えない。


 そのまま長い廊下を歩き続ける。


 最奥近くにある扉を開け中へ入ると、そこには20畳ほどの広さの和室がある。床の間が壁際にあり、年代物の掛け軸、壺などを見て、視線を奥へ移すと、青年の姿が見えた。

 黝は中で待つ男の目前に立った。すると相手の男も立ち上がる。


 目の前の男は銀髪。肩よりもやや長いストレートの髪と、紫色の瞳が、部屋の照明で妖しく輝いて綺麗に見える。白い狩衣かりぎぬを着ていていかにも陰陽師らしい出で立ちだ。左手首には黒い茨のような印がぐるりと巻き付いている。


 そして、年齢は黝よりも年上に見えた。怒っているのだろうかと思うほど、笑顔は一切なく、不機嫌そうである。


「初めましてようこそ、蘆屋澄成あしやきよなりです。どうぞお座り下さい。今日はどんなご用件で?」


 明らかに歓迎していないであろう口振りに黝は少しムッとしたが、それには反応を示さず我慢して、失礼しますと声をかけて座る。

 そして黒いリュックから手紙を取り出し、青年の前に置いた。


 澄成はその手紙を目にした瞬間、眉根を寄せた。


「青葉姉さん…」


 手紙を素早く掴み取ると、そのまま中に書かれた内容を読み始める。


 そして既に手紙を読み終わった後も、男は黙ったままでさらに先ほどよりも機嫌が悪くなったような気配が伝わって来る。

 黝はその雰囲気に耐えきれなくなり、口を開いた。


「手紙読みましたよね? そこに書いてあることで困っているんだ。助けて!」


「青葉姉さん、いきなり行方をくらましてその結果がこれなのか! 化け猫との間に出来た子ども? お前なんか知らない、出て行け」


「そんな……これを見て下さい」


 パーカーの帽子を取ると、半透明の黒い猫耳が現れた。


「俺、半妖で。でもずっと人間として暮らしてきたし、人間と敵対する事なんて絶対しません。母が妖化を押さえてくれていたけど、一年前に病気で鬼籍に入りました。そしたらだんだん妖の力が強くなってしまって。自分でこれ以上制御出来ないんです。だからなんとかして下さい、何でもしますから!」


「お断りだ。私は猫が大嫌いなんだ。化け猫は特にな。子どもの頃に油断して化け猫の呪いを受けてしまって霊力を普段は封じられている。忌々しい。化け猫など見たくもない」


「お願いします、お願いします。もう自分ではどうしようもないんです。他に霊能者も知らないし」


 ここで断られてしまったらもうお終いだ。人間であり続けることは出来ず、じきに化け猫に変化へんげしてしまうだろう。


 母から渡された守り袋をギュッと握るが、黝のからだから妖気が溢れ出して来る。

 暗くて重だるい気が放たれ、黝は苦しみ出した。


「ううっ……もう、止められないっ、助けて澄成様」


 黝のジーンズ生地をビリビリと突き破り、黒い尻尾が現れた。手の一部も黒い毛に変わり始め、徐々にその面積が増えていく。猫耳も半透明ではなく黒い。


「何でもすると言うのは本当だな、私と契約するか? 私が必要な時霊力を補給させてもらう。その方法はちょっと独特なのだが……」


「契約します! だからお願い!」


「後から嫌だと言われても取り消せないぞ、いいな」


 黝はコクリと頷く。その顔を澄成は両手で上に向かせると、黝と唇を合わせた。


「!」


 吃驚している黝の口を開かせると、そのまま黝の中にある霊力を吸い上げて行く。


 しばらくすると、澄成の左手首にある茨のような黒い呪印がうっすらと消えていき、澄成自身の霊力が解放されていく。それと同時に肩までしかなかった銀髪が腰ほどの長さへと伸びる。


 黝は霊力を急激に抜き取られ意識が朦朧としていった。だけど、その瞳には銀髪が長く伸びて霊力に溢れる澄成の姿が映った。


浄化じょうか 急々如律令きゅうきゅうにょりつりょう


 澄成が懐からお札を取り出し、黝に貼り付けた。


「うっ……」

 畳にうずくまって苦しむ黝だったが、徐々に黒く妖化していた部分が消えていき、人間の姿へと戻っていった。


「黝、お前は青葉姉さんの息子だから一応この一族の人間だ。霊力も高い。これから私が望む時にさっきみたいに霊力を分けてもらう。そして、普段は私の助手をしていろ。いずれまた妖化してしまうだろうから、私がそれを止めてやる」


「さっきみたいにって⁈」


 黝は唇を押さえて後ずさった。澄成様とキスするって事!! 男同士なのに?


「いや、それはちょっと……」


「さっき何でもしますからと私に泣きついてきたのは嘘なのか? 助けてやったのに。私の要求も聞くのが筋というものだ」


 ギロリと澄成が冷たい瞳で睨みつける。


「わかりました……お願いしたのは間違いないし」


「じゃあ契約は完了だな。みやび、私の隣の部屋を整えて黝を案内してやってくれ」


 澄成が、指をパチンと鳴らすと、式神の雅が現れた。


「かしこまりました」


「これからはたまに入る私の仕事にも同行してもらう。陰陽師の修行はしていないようだし、力の使い方も教えてやる」


「はい」


 これから始まる生活を思うと、テンションが下がってしまう。だってまたキスしなきゃいけないなんて最悪だと思ったけれど、それは澄成様も同じだろうからと、口には出せない。


 だけども気持ちの持っていきようがなくて、はぁと、ため息がつい漏れてしまい、澄成に怒りの視線を向けられ、黝は怯えた。

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