ハワード・カーターは砂漠で溺れた彼女を笑わない
紀元前13世紀。預言者は60万の人々を連れて砂漠を歩いていた。しかし、この数は後年の宗教指導者による創作的誇張が大きいだろうと語られており、世界で最も売れているファンタジー小説でも重要であるこの場面は、仮に歴史上の事実であったとしても、その人数はせいぜい数百人だったとされている。
魔物が降らせていた呪いの雨。その恐怖を前に都市を捨て、一路東へと進む一団の人数は600人あまり。目的地との間に広がる小規模な砂漠を歩く中、この集団の中でその名場面を知る人物である二人の男女は、どうにも自分たちを彼らと重ねざるをえなかった。男の名はリク、女の名はシズク。彼らは、西暦2024年の日本から飛ばされてきた異世界転生者である。
現代日本ではそう珍しいものでもなくなったジャンルとしての異世界転生物。その転生者には、所謂「チート能力」を持つというのがお約束である。様々な能力が想像される中、リクが選んだものは主に3つ。イケメン化、ハーレム因子、そして、剣術スキルMAXである。多様性に富む異世界転生物の進歩に逆行した古典的異世界転生主人公の三点セットとも言える能力を持った彼だが、この物語において彼は主人公ではない。一方、シズクが授かったチート能力、それは。
「へい、おまち」
「うぉぉお! こんなうまい食い物と出会えたなんて、街を追い出された絶望をチャラにしてお釣りが来やがる! このぎとぎとの脂! 犯罪的だ!」
「おばあちゃんはこっちね。疲れてるだろうし、かん水なしの全粒粉麺にしてあるよ」
「あらまぁ、ありがたいねぇ。私みたいになっちゃうと、もうあまり脂っこいのは食べられないからねぇ。あらあら、いい匂い。今日は魚のスープなのね」
「姉ちゃん! 俺はヤサイマシマシで!」
「うん、偉いね。バランスよく栄養取ろうね。なら今度は、鶏ガラたっぷりのどろどろ系を試してみる?」
無制限に手からラーメンが出せる能力である。
「かの有名な預言者は、マナなる食べ物を神から無制限に与えられていたというが、俺たちはラーメンおかわり自由かぁ」
「実際、私達の大学の貧乏学生にとって、あの店のラーメンはマナそのものだったでしょ。計算上、一食食べれば翌日まで食事がいらないんだから」
「三田の本店、忘れられないねぇ」
「なら、リク君はそれね」
「アブラマシマシな」
「はいはい」
何故彼女がこんなチート能力を有しているのか。それは、異世界が未知の世界であり、そこではまだ自然界に存在するすべての食料ひとつひとつに対して、これは食べられる、これは毒があるといったような識別が済んでいない可能性が極めて高いと予測されたため。また、どんな厳しい旅の中でも、飢える苦しみと重い食料を背負って歩く労苦から逃れるため。このような合理的判断の末の選択である、と、リクは勝手に思っているのだが、実際は「そんなスキル貰うくらいならラーメン出せる方がマシ」という勢いの冗談で貰ってしまった能力でしかない。
そんな彼女が「そんなスキル」と言って足蹴にした能力こそ、全知である。万物すべての答え、叡智の究極、世の研究者が求めてやまない人類のゴールにして42の宇宙の真実。それを彼女が蹴った理由こそ「自分でたどり着きたいから」というエゴであった。その代わりに彼女が求めたもうひとつの能力、それは。
「ねぇ、聞きたいんだけど。ちょっと雨降りそうじゃない?」
「む、そうだなぁ」
「降るって。まずいよ、どんぶりしまって移動の準備しないと。砂漠で溺死はありふれた死亡パターンだよ」
好奇心の奴隷であるシズクの口癖。それが「ねぇ、聞きたいんだけど」である。これに続いてYESかNOで答えられる質問を行った場合、その回答が得られることがあるというのが彼女のスキルとなる。
ただ、これはウミガメのスープのように「YES」と「NO」での確実な返答を約束するものではない。スキルを使用した場合、「YES」か「無回答」が確率で返される。ここで「YES」が返される確率は、シズクがその答えについてどれほど精度の高い証拠を積み重ねて確信しているかに依存しており、まるでわからないことに対して当てずっぽうで質問した場合、100%で無回答が返されてしまう。今回は、西の空の雲の様子からそうなる確率が極めて高いという予測の元であり、正直能力に頼るまでもなかった状況である。
しかもこの能力、一度無回答が返された質問に関しては、以後何度聞いても無回答が返されるという仕様になっている。つまり、情報識別の重要度が高い状況でいちかばちかに賭けて能力を使うことへの戦略的否定となる。その用途は、ほぼ確実と思われるレベルにまで証拠を積み重ね、それでも最後に1ミリ残った「でも違うかもしれない」という不安を消すためにしかならない。ようは、異世界攻略に全く役立たないはずれチートである。
しかしこの能力は、転生時にシズク自らがオーダーし、彼女の転生担当者をドン引きさせながら設定したものだ。彼女はこれを「最強の追従実験装置」「人間が絶対に消せない不安感情を跡形もなく消滅させる合理主義者の理想」と胸を張り、一方のリクはアインシュタインのE=mc2という「史上最も美しい方程式」というフレーズをオマージュに「史上最も醜いチート能力」と呼んでいる。
「確かに、聞いたことがあります。砂漠で恐れるのは溺死であると。砂漠は降水量の少ない地域になりますが、その反面で砂は水はけが極めて悪く、一度雨が降った場合、猛烈な鉄砲水が起きるということですね」
「そういうこと。イルマは詳しいね」
23歳の大学院生であった二人よりもひとまわり小さい彼女の名はイルマ。本人曰く17歳であるが、この世界の数学は12進数であるため、実は19歳である。この世界の生まれでありながら、光の魔法を活用した結果として世界の誰もがまだ気付いていないミクロの世界の理を独学で理解し、この世界でも猛威を振るう黒い悪魔、ペスト菌に対して、カビを利用したペニシリン医療に至った天才少女にして本物のマッドサイエンティストだ。
「まずい! 降ってきやがった! 砂丘の上まで走れ! できるだけ高いところへ!」
雷鳴が轟きつつの夕立に怯えるキャラバン。この集まりは元々、浴びれば数日後には死亡する呪いの雨から逃げて移住をしているのだ。
「大丈夫! もうだいぶ離れているから、呪いの雨じゃない!」
怯える一同を勇気づけるシズク。彼女は、呪いの雨の正体に気付いていた。ウラン235を含んだ粉塵による急性放射線障害である。そして、その原因を作っていた鉄の魔物、魔王が配下「七難」の1体である岩窟王フェラーは、実は彼女の活躍によって既に打ち倒されているのだ。尤も、それを知るのはリクとイルマの二人だけであり、倒したところで付近の放射能汚染も、そしてなにより、呪いの雨に対する恐怖もすぐには半減しないため、この移住となっているわけである。
「鉄砲水だ! みんな! 身をかがめて、周りの人と手を繋げ! 砂丘の上から落ちないように踏ん張るんだ!」
「おばあちゃん大丈夫? がんばって……うわぁ!」
「シズクぅぅ!」
「シズクさん!」
リクとイルマの手が伸びるが、砂に足を取られたシズクは一人砂丘から落下。アリジゴクの巣のような流砂と、そこで今まさに渦を巻く大量の水へと飲まれていった。
「こりゃぁ……助からないな……」
「シズクさん……」
やがて夕立はやみ、水は引いていく。幼稚園からの幼馴染を、自分に様々なことを教えてくれる先生を、それぞれ失ったリクとイルマは大きなため息をつく。
「シズクさん、とっくに溺れて亡くなっていますよね」
「だな。おぉい! もう生きてるかぁ!」
眼下に向かってそう呑気に声をかける2人の後ろから、服の袖を絞りつつシズクが現れる。
「はぁ……ほんとに砂漠の死因上位は溺死なんだね……苦しかった……」
「ごめんなさい。即座に始末できればよかったのですが、晴れていなくては魔法が使えず」
「イルマ、どんどん言動がサイコパスになってくな。あんまりあいつから悪い影響受けるなよ」
本来使用できるはずだったチート能力のキャパシティ上限。それを、くだらない能力2つであとはもういいと言い張り、それは困るという転生担当者に対して「私は世界の謎を解き明かしたいだけだから適当に決めて。でも、直接答えを知ることができるものや、すぐに世界がつまらなくなる簡単チートは絶対に嫌」と言って丸投げした結果、彼女に与えられた3つ目の能力。それが、無限蘇生であった。
「もう少し心配してくれてもよくない? 確かに生き返るけど、死ぬほど苦しいんだよ。だって、死ぬんだもん」
「核爆発の爆心地に居ておいてまだそういうこと言う?」
「あの時は即死できたから全然苦しくなかった。むしろ今の溺死はこれまででもかなり上位のきつさ。そういうわけで、私は無敵でもなんでもない。前の七難も、それを理解して拷問めいたことしてきたわけだし、心が折れたらおしまいなんだよ」
「それもそうだよな。そんな能力、俺なら死んでもごめんだ。いや、死ねないのか。もうチートじゃなくて呪いなんだよなぁ。しかし、七難……魔王が計画した人類根絶の8つのプラン、八苦を司るやつら、か」
魔王は人類を根絶しようとしている。その動機こそ不明だが、目的が確定していることはシズクが偶然に能力を発動してしまった際に抜いている。魔王は人類を根絶させるために8つのプランを考え、自身はその中の1つ、経済支配による人類の弱体化を企てる。しかし、魔王の忠臣であった7体の言語を操る知恵ある魔物達七難は、それぞれが魔王の選択は悠長であるとして自分たちがこれこそ至高であると信じたプランをそれぞれ世界のどこかで実行に移しているという。
「1つが放射能汚染だったわけだけど。どんな計画なんだろうね。残りの6つは」
「わくわくした顔すんな好奇心の奴隷。全部ぶっ潰すんだろ」
「無理だよ。前のに勝てたのは、あそこに高濃度に濃縮されたウラン235が満ちていたからで、私は回復魔法を覚えたての、どうしようもなくよわよわな理系もやしだよ」
「回復魔法ねぇ……まぁ、そうなんだが……医療レベルの放射線照射じゃ普通なら魔物を殺すには悠長すぎるからな……なんか納得しきれないんだが……」
この世界に来て、イルマから魔法を教わったシズク。たった1つの属性の魔法しか覚えられないこの世界のルールの元で彼女が身につけた魔法とは、彼女曰く回復魔法。その原理は手から放射線を出しての医療転用である。
「にしても、人類根絶かぁ。イルマが魔王ならどんなプランをたてる?」
「パンデミックですね。ペストよりも強力な病を広めます」
「うん。おそらくそれは絶対残り6つの内の1つだと思うな」
きゃっきゃと人類根絶手段で盛り上がるサイコパス女子二人にドン引きする。まだ完全に収束していない新型感染症に生活をぼろぼろにされた現実世界ではとても出来ない女子トークである。
「それで、リク君は?」
「俺か? そうだなぁ。無敵の超巨大ドラゴン軍団による蹂躙かな!」
やはりドラゴンはRPGの華であり最強のモンスターである。そんなラグナロクを想像したリクに、シズクは冷ややかな反応を返す。
「はぁ……忘れたの? 魔王は魔物を作り出せるけど、強い魔物、賢い魔物ほど作るためのコストがかかって数が用意できない。ありえない。戦いは数だよリク君。ドラゴンを量産の暁には人類などあっという間に殲滅できる、みたいなセリフは本心ではなく、ようやく産まれた娘と別れて数名の部下と特攻するような状況で、自身と部下の闘志を鼓舞するために自然と出てしまった嘘にしかならないよ」
「でもロマンだろ! かっこいいだろ!」
「ほんと、おとこのこってそういうこと言う。最低だよ。キモイ髪型でニヤニヤしていつも斜に構えている恥知らずのロマンチスト。ハードSF考証の扱いも知らないZ世代引きこもりの変態オタクの妄想なんて生理的に絶対無理」
「言い過ぎだろ! ていうかお前、自分はハードSFが好きで、巨大人型ロボットとかSF的にありえないから大嫌いってずっと言ってたのに、なんでそんなに詳しいんだよ!」
濡れた髪をぱたぱたととかしつつ、いたずらっぽく笑って答える。
「チョットデキルだけ」
これは、自称ハードSFオタクのサブカル理系女子が、手からラーメンと中性子を出しながら、世界の真実へと近づく物語である。
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