神も仏もいやしない
夜の屋敷は昼とはまた違った趣きがある。鎖で入れない様にしている門越しに見る屋敷は幽霊が出そうである。いや幽霊は実際出ているのだが。
霊媒師をやっていて如何にもな場所には何度も訪れたが幸運な事に一度も幽霊に遭遇した事はない。だからだろうか夜の幽霊屋敷になんの恐怖も感じない。これも霊媒師に必要なスキルであろう。どちらかと言うと屋敷が老朽化により倒壊するの方が心配である。
ボロボロの正門は開けられないので今回も裏口からお邪魔する事になる。暗いので近所の窓から漏れる光と月明かりだけが荒れた庭を照らしてくれる。
歩いていくとリリーの墓が目についた。昼に見た時は質素な墓だと思っていてたがこれが人間の墓だと言うのだ。死後についての扱いはあまり興味の無い俺だが流石にあんまりだと思う。これでも常識的な感性は持ち合わせているつもりだ。
一応俺は墓の前で手を合わせた。特に祈るわけでもなくただ手を合わせた。墓の主は屋敷に居るのだから、ここでやらなくてもいいが一応念の為だ。
草むらの中をずんずん進みようやく屋敷の前に出た。暗い分昼よりもだいぶ時間がかかった。
玄関の大きな扉を前にして深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。気のせいだろうか扉の隙間から何だか禍々しいオーラが漏れている。このまま放っておけば屋敷を包み込んでしまいそうだ。
俺は腹を括り扉に手を掛けた。
この仕事必ず成功しなくてはいけない。それはこのふざけた世界で生きていく為に。
そして自称神は俺に改心しろと言ってきた。それはこの世界で霊媒師として活躍できなくて後悔させたいのだろう。お前がやってきた事はまやかしだ、本物の霊には無力だと。
やってやるよ。テメー悪用して、利用出来るとこが無くなる程しゃぶり尽くして、俺に喧嘩を売ったことを後悔させてやる。
俺は腕に力を入れて扉を開けた。扉の隙間から一気にドス黒いオーラが溢れ出す。
エントラスホールは月明かりに照らされた。中央には昼とは同じ様にリリーがいた。
「ヴァントル様?」
リリーは俺を見た。こいつまだヴァントルが来る事を待っていのか。
「貴方は誰!ヴァントル様は何で来ないの!」
リリーから更にオーラが溢れ出す。足元が真っ黒なオーラで見ないくらいだ。流石の俺も冷や汗をかいた。こっちの幽霊はマジもんじゃないか。
「リリー様、貴方にヴァントル様について話があります。その為に私は来ました」
そう言うとリリーの表情は少し和らいだ。話が通じた。これならやり様はある。
「そうなのですか?ヴァントル様は何で来ないのですか?」
「ヴァントル様は来ません」
「何故?私はヴァントル様の伴侶なのですよ?」
「ヴァントル様は愛人を作り結婚しました」
「は?」
屋敷は静寂に包まれた。こういう勘違い女はのらくら説得したところで無駄であろう。それに幽霊になるほどだ、その思いは必ず強い。なら回りくどい言い方せず直接伝える方がいいだろう。
ただ一つ予想外な事が起きた。いや、考えが甘まかったと言うかもしれない。そもそも最初からドス黒いオーラを出しているのだ、日本の幽霊とは訳が違う。
「そんな訳ないでしょぉぉぉ!!」
リリーが叫ぶと屋敷がギシギシと揺れ出して、落ちていた燭台や机が宙に浮いた。窓はガタガタと開閉している。
やばい!そんな事とも出来るのかよ。霊媒師としての経験が仇となった。現場でポルターガイストなんて見た事ないから手ぶらで来たがこれはまずい。
リリーの周りを屋敷に散乱していた物が縦横無尽に飛び回っている。確かにこの世界で悪霊を説得する奴がいない訳だ。危険過ぎる。こんな事になるならサッサと光魔法とやらをぶっ放す方がいいに決まっている。
俺は急いで玄関扉の後ろに隠れてリリーの説得を試みた。
「リリー様!もう気付いているのでしょう!ヴァントル様が来ないことを!」
「うるさい!そんな事無い!ヴァントルは私の唯一の家族なのです!」
「じゃあ何で来ないのですか?」
「それは貴族としての務めがあるのです!」
「貴方が床に伏しても見舞いに来ず、亡くなって葬式にも参列しない、貴族の務めとはそれ程までに忙しいのですか!」
扉に掴まっているがその扉も物凄い力で揺れている。
「うるさい!ならヴァントル様は亡くなっているのよ!みんな私を傷付けない為に嘘をついたのよ!」
「みんなって誰ですか?使用人の夫婦二人の事ですか?ネーロ家の夫人なのにこんなボロ屋敷と二人の使用人しか与えらないのにそれでも愛されていると?」
「黙りなさい!」
リリーから更にオーラが噴き出す。そして俺の体が宙に浮いた。何かが俺を宙に浮かせたのだ。そのまま俺は何かに引っ張られリリーの目の前に連れてこられた。
これも聞いていない。アイリスもこんな事が起きるなら先に言えよ。感動してないで忠告の一つくらい出来ただろう。
足が地面に着かないふわふわとした気味の悪い感覚のまま、俺はリリーと対面した。手も足も動かない、頭だけが動かせる。これが金縛りと言うやつか。
リリーは俺を凄まじい形相で睨みつけている。
「どうしました?やっと現実を直視出来ましたか?」
リリーは睨みつけると俺の体はキシキシと音を立てて握りつぶされる様な感覚に陥った。急な締め付けに俺は息が漏れる。
「ぐわぁ!」
「これを見なさい!これはヴァントル様が結婚式でくれた指輪です!」
リリーは薬指つけている指輪を俺の目の前で見せた。その指輪はもう何十年も経ったからであろう錆びついて、宝石は今にも外れそうであった。
こんな物に縋っているとは。
「ほう、本当にヴァントル様がくれた指輪なのですか?」
「そうです!片時も外さず、死んでもこうやって肌身離さずつけているのです」
「よく私に見せて下さい。本物のはずがない。ヴァントル様が渡した指輪ならその証が彫られているはずです」
「何度でも見ればいいわ!この指輪が絆であり、契りであり、愛なのですから!」
リリーは俺の目の前で指輪を見せつけてきた、リリーの表情は自信が有るはずなのにどこか無理している様な顔をしている。
「もっと近くで見せて下さい」
俺が要求すると目に突っ込むんじゃないかと思うくらい指輪を近づけてきた。これでは何にも見えない。
しかしそれでいい。俺は大きく口を開けて指輪をリリーの指ごと食べた。
「ひぃ!」
リリーは悲鳴を上げて慌てて手を引いた。リリー体は透けており幽霊なので食べる事は出来ない。口から指だけがスルリと抜けて本物の指輪は俺の口の中で抜け落ちてしまった。
金属の味である。食えたもんじゃない。食いもんじゃない。
ゴリゴリゴリ、俺は指輪を噛んでみた。硬い。指輪なんて食べるもんじゃないな。
リリーは何も言えず呆然と俺を見ている。ただ手だけはわなわなと伸ばしている。
「ペッ!不味い!」
俺は指輪を床に吐き捨てた。勢いよく口から飛び出した指輪は床にカツンと当たり宝石が外れてしまった。
「あ、ああ、あ」
リリーは無残な指輪を見て座り込んでしまった。俺の拘束も解けて無事に床に着地できた。完全に心が折れたのであろう。
「なんて事するの……これだけが私の……」
「いい加減にしろ、そんな物が愛の証になると思うな。そんな物、近所のガキでも買えるぞ」
「私にはこれしか無かったのに!病弱で家族から疎まれて。部屋に閉じ込められて。ようやくヴァントル様が私を部屋から連れ出してくれたんです!」
「そして今度はこの屋敷に閉じ込めれたんだろ?馬鹿馬鹿しい。何も状況は変わっていない」
「それでも、もう私にはヴァントル様しかいないの!」
本当にムカつく。他人に存在価値を求める様な奴らは。
「他でもないお前自身がいるじゃないか!他人に価値を求めるな!他人に拠り所を求めるな!」
「じゃあこんな病弱な私一人残って何になるの!」
「病弱?ふざけるな俺を殺しかけといて病弱な訳かあるか!そもそも幽霊は体が無いのだから病気もクソもあるか!」
「元気なったって何にも残って無い私は何をすればいいの!家族に見放され、友人からもいなくて、ヴァントル様からも捨てられて。誰にも愛されず、一人で死んで、一人で幽霊になって。私は空っぽなの!何もやりたい事なんてないの」
何から何まで言わないといけないのかコイツは。幽霊になったらやる事は一つであろう。
「復讐だよ」
「復讐?誰に?」
「ヴァントルだよ、あいつは借金を肩代わりしてもらう為にアンタも結婚した。そして用済みになったらここに閉じ込めて、愛人作って今も本邸でぬくぬくと暮らしているんだ。復讐の理由には十分じゃないか」
「そんな事しても何にもならないじゃない」
「そうだ、だがスッキリする。復讐は何も残らないが嬉しくなる。晴れ晴れする。爽快感がある。それともそんなクズを野放しにしてアンタは満足なのか?そのうち司祭が来てアンタを倒すだろう。積年の恨みを晴らす絶好の機会をみすみす手放すのか?」
「それは……」
「今のアンタは病弱でベッドから動けないか弱い令嬢じゃない。宙に浮けて、壁を通り抜けられて、物を浮かせる復讐にはうってつけの存在になったんだ」
「そんな事女神様がお許しにならない……」
「今はアンタの話をしてるんだ女神は関係ない。自分の心に従え。肉体は死んだがアンタの心は死んじゃいない」
「でも……」
ええい、まどろっこしい。何で素直にハイと言えない。幽霊なんて法律もクソも無いだろうに。何を気にしているんだ。
「ならヴァントルのいる屋敷を見てきて決めたらいい。わざわざここでヴァントルを待たないで自分から行けばいいんだよ。そこでヴァントルの姿を見てその時の心に従え」
「私が行く?」
「そうだよ、待ってないで直接会いに行けばいい」
「ああ、そうか……何で私、会いに行かなかったんだろう」
「さあ、今すぐ行け。すぐに行け。その目で見てこい。アンタは自由だ縛り付ける物なんて最初から無いんだ」
リリーはフワフワと玄関から出ていった。草むらも門も彼女を阻む事を出来ない。
こうなったらこっちのもんだ。リリーは現実が見えていない。自分の心の安定の為ヴァントルを美化している。それなら簡単だ現実を直接見ればいい。
俺も外に出てリリーを追う事にした。最後まで見届けないと今回はマズイ。やっぱり消えてませんでしたなんてこの世界ではシャレにならない。
正門は相変わらず閉まっているので俺は裏庭を通り裏口から外に出た。これだけで随分とリリーのと差をつけられてしまった。
ヴァントルの屋敷はこの街で一番デカいやつで場所は分かっている。とりあえず急いで屋敷に向かった。
結論から言うと屋敷の側まで行ったが途中で引き返した。屋敷の門も前には人集りが出来ており全然進めなかった。
彼らは野次馬なのだ。何の野次馬かと言えばヴァントルの屋敷から聞こえてくる悲鳴であろう。
「ひぃやああああぁぁぁ!!」
「許してくれ!」
「あああぁぁ!!」
「あばばばばばば!!」
情け無いジジイの悲鳴が屋敷から何度も響いてくる。物が倒れる音や食器が割れるような音も聞こえる。屋敷の中でリリーはかなり暴れているらしい。
外から聞く分には不倫がバレた旦那が妻にボコボコにされている様であった。まあ概ね間違っていないのだが。
満足のいく結果を知れたのでボロ屋敷に戻ろう。もしかしたらリリーが帰ってくるかもしれない。
「うわあぁぁぁぁ!!」
俺はジジイの悲鳴を背にして去った。ヴァントルが何歳か知らないが元気な爺さんだなと思った。
俺がエントランスホールの階段で座って待っているとリリーが帰ってきた。その表情は実に満足気で死んでいるが生き生きとしていた。
「お帰り、どうだった」
「向かう途中は一目見たら帰ろうと思っていたのですが、年老いたヴァントルを見たら何だか愛していた気持ちが冷めてしまって……」
「ほう、それで」
「反対に沸々と怒りが込み上げて暴れちゃいました」
「いいじゃないか。それでヴァントルは死んだのか?」
「いいえ、ただ階段から転げ落ちたので大怪我程度はしてるかと」
大怪我程度とはいかに。しかしリリーは全くヴァントルな事を憂いていない。それもそうだ、あんな奴心配するだけ無駄なのだ。
「あの、ありがとうございます。貴方がいたから立ち直れました」
「これが仕事だから」
「それでもです。貴方でなければ私は無念を抱えたまま司祭様に打ち倒されていたでしょう。私は晴れやかな気持ちで女神様の下へ行けます。本当にありがとうございました」
リリーは淡い光に包まれた。満足そうな顔で笑っている。この世に未練など砂一粒だって無い様な清々しい顔である。
全く本当にコイツは何にも分かっていない。
「何を勝手に終わらそうとしている」
「え?何でしょう?あっ教会への寄付ですか?私はお金を持っていないので何も差し上げられないのですが」
「そうじゃない、復讐が済んだだけで何で満足してるんだ」
「え?」
「アンタは病弱でずっと屋敷の中に居たんだろ?行ってみたい所とか無かったのか?」
「確かに本で読んだ国とか行ってみたいと思ってましたけど」
「リリー・ネーロは死んでアンタはただの幽霊のリリーになった。縛りつけるものは何も無いんだ。そんな便利な体を持ってるんだ好きにしたらいい」
「え、でも死んだ人間は女神様の下へ行かなくては……」
「三十年もこっちでウロウロしてたんだ。今更何を言ってんだ?」
「確かにそうですか……」
「女神様も少しくらい見逃してくれるだろ」
リリーは少し考えている様であった。
「ふふ、そうですね。ちょっとくらい大目に見てくれますよね」
「後この屋敷には帰ってくるな。公にはアンタは女神様の下へ行った事にしとくから」
「二度と来ませんよこんなとこ」
リリーは笑っている。この屋敷に執着していた彼女はどこにも居ない。
「それもそうだな」
「そう言えば貴方の名前を私は知らないわ」
「ああ、雲水だ」
「ウンスイ様ですか。それではウンスイ様ありがとうございました。少し旅に出てみます」
「気を付けろよ。それとアンタの使用人だったローラが心配してたから旅立つ前に顔を見せやりな」
「ああそうだローラにもお礼を言わないと。本当に何から何までありがとうございました」
「いいって、早いとこ行かないとヴァントルのとこの奴らが来るかもしれないから」
「そうですね。それではまたお会いましょう」
リリーはスウっと飛び上がり天井を突き抜けて行った。幽霊の体を完全に使いこなしている。
「ふー」
俺は大きく息を吐いた。
今回初の幽霊退治は大成功と言った所だろう。
俺はポケットから指輪に付いてた宝石を取り出した。汚れているが宝石は宝石だ、売ればいい値段であろう。ニヤニヤが止まらない。
それに自称神の思い通りにならなかった。アイツは俺が除霊出来ず慌てふためくと予想していたのだろう。それにリリーは女神はとやらの所には行かなかった。屈辱的だろう。ザマァ見ろ。
屋敷から出ると朝日が登り始めていた。完全に徹夜だ。仕事柄こんな事はよくあるから何も問題はない。いつもに増して清々しい朝である。
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