第27話 嫌いだった

 遠足の日を終えてからの週明け。登校した俺は違和感を抱いた。

 クラスの雰囲気が変わっていた。

 それまでは纏まりがなかったのが、遠足という行事を経て纏まりを得たというか。全体の仲が良くなっているように見えた。


 遠足の以前と以後では明らかに違う。共同体としての連帯意識を抱いている。本人たちが自覚しているかは分からないけれど。

 共に時間を過ごすことで、思い出を共有することで、群れになっていた。

 その中で俺は一人、疎外感を覚えていた。


 当たり前だ。遠足に参加していないのだから。

 共同体になる儀式の日に、俺はサボって家で映画を観ていた。

 薄々予感はしていたが、致命的な乖離を起こしてしまった感覚があった。完全にクラスの輪の外に弾き出されてしまった。


 だけど、元々俺はクラスで浮いていた。

 友達もいなかったし、だから何も変わらない。こともなかった。


 たとえば体育の授業。

 それまで俺は二人組を組めと言われた時、組む相手がいた。友達じゃない。ただ向こうも俺以外に組む相手がいなかった。

 それが変わった。

 遠足の日を境に、その生徒には友達と呼べる相手が出来たらしい。

 二人組になれ、という体育教師の号令を聞くと、彼は二人組の――恐らくは友人たちの下に向かって歩いていき、三人組になった。


「おい、榎木が余ってるだろ。誰か榎木と組んでやれ」


 体育教師は困ったように言った。三人組の生徒たちは顔を見合わせる。元々俺と組んでいた生徒はばつが悪そうにする。

 でも、動こうとはしない。


「もういい。じゃあ、お前は先生とだ」


 俺は先生と組むことになった。

 元々組んでいた生徒が、俺の方を一瞥する。申し訳ないという気持ちの中に、僅かな優越感が滲んでいた。

 その後、サッカーの試合が行われたが、一回もボールを触ることはなかった。誰も俺にパスを出そうとはしなかった。盛り上がっている試合を遠巻きに眺めていた。

 意図的に無視されている、という感じではなかった。ごく自然に。皆の中で俺の存在が目に入っていないだけだった。


 昼休み。俺は昼食を取らずに、図書室に向かう。

 特別棟の裏手には足を運ばなくなっていた。

 あの場所に行けば、小春先生と出くわす可能性がある。この前のことがあってから、面と向かうのが何となく気まずかった。

 本を選び、席に着く。物語の世界に没頭しようとする。

 でも、出来なかった。

 近くの席に座っていた男女の話し声が邪魔をした。机の上にノートを開けているが、勉強をしている様子はない。一応、図書室だからと声を潜めている。潜めてはいるが、それははっきりと聞こえてきた。笑み混じりに。


 俺は席を立つと、受付に向かい、本の貸し出しをする。借りた本を抱えながら、どこか人のいない場所を探す。

 誰もいないところに行きたかった。どんなに劣悪な環境だったとしても。一人になれるのならそれでよかった。 

 でも見つからなかった。

 

 教室にも、中庭にも、体育館裏にも、グラウンドにも生徒がいる。どこに行こうと一人になることができない。

 特別棟の裏手だけが、心の安らぐ場所だった。

 だけど、今はもうそこもなくなった。

 この学校のどこにも、俺の居場所はなかった。


  

 放課後。コンビニバイトのシフトに入った時。

 俺は勤務前に店長に呼び出され、バックヤードでこんなことを言われた。


「榎木くん、女性のお客さんに連絡先渡したんだって?」


 店長は四十代の男性だった。

 腕毛が濃くて、恰幅がよく、青髯が目立っている。いつもバイト相手に積み立て投資の話を熱心にしていた。

 店長はバックヤードのパソコンの前の椅子に座っていた。腰を下ろしながら、傍に立つ俺のことを呆れたように見上げている。

 見上げているのに、見下ろされている感じがした。


「困るんだよね、そういうの。ほら、SNSとかでたまに見るでしょ。配達員が女性のお客さんに連絡先を渡すみたいなの。炎上したらどうすんの」

「あの、何のことですか?」


 最初にそう言われた時、まず最初に戸惑った。全く覚えがなかったから。いったい何を言っているんだろう。


「聞いたよ。櫻田くんに。いつもコンビニにタバコを買いにくる女性客に、君がこっそりと連絡先を渡してたみたいだって」


 いつもコンビニにタバコを買いに来る女性客。瑠衣さんのことだ、と思った。それ以外に該当する人はいない。

 俺が瑠衣さんに連絡先を渡す? ありえない。濡れ衣にもほどがある。だって瑠衣さんの連絡先はもう知っている。


「俺はそんなことしてません」


 だから、はっきりと否定する。


「防犯カメラを確認して貰っても構いません。俺は連絡先なんて渡してません。櫻田さんがでっち上げたんです」


 店長は苦笑する。


「でっち上げっていうのは、ちょっと言い方が悪すぎない? それだとまるで、櫻田くんが君のことを貶めるためにしたみたいじゃない」


 櫻田は――酒袋は俺と瑠衣さんがお隣同士だと知っている。

 以前、大学で会った時に話したからだ。

 それを知っていて、酒袋は俺に濡れ衣を着せてきた。店長に告げ口をした。そんなの明らかな悪意がなければしないことだ。


「だいたい、櫻田くんにそんなことする理由がない」


 理由ならある。以前、大学で酒袋と出くわした時、瑠衣さんに気がある酒袋の前で瑠衣さんは言い放った。


『結斗くんは面白い人ですよ。少なくとも、あなたよりはずっと』


 酒袋は俺のことを軽く見ていた。にも関わらず、そう言われたのだ。俺に面白くないという感情を抱いてもおかしくない。


「おざーっす」


 出勤してきた酒袋がバックヤードに顔を出した。俺と店長が話しているのを見ると、首を突っ込んでくる。


「何の話っすか?」 

「この前の件だよ。連絡先の」

「ああ、それね」

「俺はやってません」


 酒袋に面と向かって告げる。


「連絡先なんて渡してません。そんなこと、絶対にしない。したって言うなら、いつの話かはっきり言ってください。防犯カメラの映像を調べて貰いますから」

「防犯カメラって、また大げさな」と店長が笑う。

「大げさじゃありませんよ。こっちは濡れ衣を着せられてるんですから」

「エノっち、そんなに怖い顔すんなよ」


 と酒袋は苦笑いしながら言う。 


「もういいよ。悪かった。言われてみたら、俺の勘違いだったかもしれない」

「まあ、櫻田くんもこう言ってることだしさ」と店長は仲裁するように言う。防犯カメラの映像を調べるのが面倒臭いからだろう。


 ぎくしゃくしつつも事が収まりかけたと思われたその時、店長はふいに言った。


「けど、榎木くんも疑われるようなことしちゃダメだよ」

「は?」


 俺は思わず聞き返していた。


「ちょっと待ってください。どうして俺も悪いみたいになってるんですか」

「悪くはないよ。悪くはない。けど、櫻田くんがそう勘違いしたってことは、榎木くんにも疑わしい点があったってことでしょ?」

「いや、おかしいですよね。こっちに非はないでしょう。櫻田さんが俺を貶めるために嘘をついた可能性もあるんですから」

「店長を責めるのはやめてやれよ。何かあった時、責任は店長になるんだし。責めるなら俺のことだけを責めてくれ」


 なぜかこっちが大人げないみたいな空気になっていた。

 この件が引き金となってか、俺はバイト先でも浮くことになった。

 他のバイトの人たちとは仲良くこそなかったが、シフトがいっしょになった時には挨拶や軽い雑談くらいはしていた。

 でもこの件以降、皆が何となく俺のことを避けるようになっていた。


 後から知ったことだが、俺が連絡先の件を咎められて、店長と酒袋を相手に逆ギレしたというふうに話を歪められて広まっていた。

 酒袋がそうしたのかもしれないし、尾ひれがついただけかもしれない。

 いずれにしても居心地は最悪だった。


 ある日のシフトの時だった。

 お客さんが全て捌け、酒袋とレジで二人きりになった。ふと酒袋がそれまでの静寂を裂くように尋ねてきた。


「エノっち、俺のこと嫌いになったか?」


 その言葉にどういう意図があったのかは分からない。今さら罪悪感を抱いたのか、純粋に悪意をぶつけてきているのか。

 どちらにしても、同じことだ。


「……いえ。別に」


 酒袋が特別というわけじゃない。学校でも、バイト先でもそうだ。

 結局、俺は馴染めずに群れから弾き出される。遅かれ早かれ。分かりきっていたことだ。

 

 それに酒袋は勘違いしている。

 今回の件で嫌いになったか、じゃない。自惚れないで欲しい。


 嫌いだった。元々ずっと。

 殺してやりたいくらいに。

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