第22話 みんなで鍋をつつく

 彼女――ヤンキー女は相沢紗希という名前だった。本人は名乗らなかったが、瑠衣さんがそう教えてくれた。

 俺は紗希さんのバイクの後ろに乗せてもらう。


「しっかり掴まっとけよ」


 バイクを飛ばし、近所にあるスーパーに。

 塩ちゃんこ鍋をするらしく、その具材を購入する。レジ袋を手に店を出ると、店の前の喫煙所で紗希さんが待っていた。タバコを吸っている。


「お待たせしました」

「おう」


 タバコを灰皿に捨てると、紗希さんは停めていたバイクの元に向かって歩く。俺はその後ろを追いながら尋ねる。


「タバコ、吸われるんですね」

「悪いか?」

「いえ。吸われるんだな、と思っただけです」

「何だそりゃ。別に意外でもねえだろ。瑠衣みたいな見た目ならまだしも。あたしのなりは見るからに吸いそうだろ、ヤニは」

「瑠衣さんとは同じ学部なんですよね?」

「そう。文芸学部」と紗希さんはヘルメットを被りながら言う。「って言っても、実際に仲良くなったのは喫煙所だけどな」


 喫煙所は人と人との距離が縮まりやすい、と聞いたことがある。同じ嗜好を持つ者同士は仲間意識が芽生えるからだとか。


「帰りもしっかり掴まっとけよ」

「はい」


 風を感じているうちに、アパートの前に戻ってくる。駐輪場にバイクを停め、後ろから降りると俺はお礼を言った。


「ありがとうございました」

「乗せたくて乗せたわけじゃねえけどな」

「でも、風、気持ちよかったです」と俺は正直な感想を口にする。「それにマフラーの音も凄かったです。素人の意見ですけど」

「……分かってるじゃんか」


 レジ袋を手にした俺は、紗希さんと共に瑠衣さんの部屋の前に辿り着く。今度はインターホンは鳴らさずに、紗希さんは扉を開けた。 


「おい、買ってきたぞ」

「おかえりなさい。仲良くなれましたか?」


 部屋の奥から声が聞こえてくる。


「こんな短時間でなれるわけねえだろ」と紗希さんは靴を脱ぎ、部屋に上がる。「むしろ仲悪くならなかっただけ御の字だ」


 俺も同じく靴を脱ぎ、その後に続いた。

 瑠衣さんの部屋に入るのは初めてだった。

 部屋の真ん中にテーブルがあり、俺の部屋側の壁際には小さな液晶テレビ。反対側の壁際にシングルベッドが置かれている。その傍には部屋干し用の物干し竿。

 本棚が二つあるが、収まりきらない本がそこら中に積み上げられている。映画のDVDのパッケージも同じくらいにあった。

 全体的に、散らかっている。生活感があるようで、ない。生活に必要ないものはたくさんあるのに、必要なものはあまりないからだろうか。


「じゃあ、早速、調理を始めましょうか」

「作るのはあたしだろうが」

「手伝いましょうか?」

「いい。お前、料理ド下手だから。料理に限らず家事全般。指切られても敵わんし。そこでおとなしく待ってろ」

「は~い」

「俺も手伝います」

「いい。キッチン狭いし、邪魔になる。座ってろ」


 そう言われたら、従うほかない。俺は瑠衣さんと共に炬燵に座りながら待った。

 彼女は普段、ここで生活をしている。食事を摂り、本を読み、映画を見て、眠る。そう考えると不思議な気持ちになった。


「ほら、テーブルの上、片付けろ」


 ミトンをつけた紗希さんが、土鍋を運んでくる。瑠衣さんが鍋敷きを置くと、その上に煮え立った塩ちゃんこ鍋が置かれた。

 紙皿と割り箸を人数分、行き渡らせる。

 瑠衣さんは冷蔵庫を開けると、ハイボールの缶を持ち出してきた。一瞬ちらりと見えたがほぼ酒しか入っていなかった。


「はい、紗希ちゃんの分です」

「飲まねえよ。こちとらバイクで来てんだ」

「歩いて帰ればいいじゃないですか」

「いやバイクどうすんだよ」

「預かっておきますよ。後日、取りに来るということで」

「面倒くせえだろ」

「でも、飲めるのなら、飲みたいですよね?」

「ま、そりゃな」

「だったら、自分の気持ちに正直にならないと。人生後悔しますよ? それに」

「それに?」

「一人で飲むのは、つまらないです」

「…………はあ。わーったよ」


 紗希さんはため息をつくと、ハイボールの缶を手にする。カシュッ。プルタブを開ける音が勢いよく鳴り響いた。

 その姿を見た瑠衣さんが、頬杖をつきながら微笑む。


「紗希ちゃんのそういうところ、好きですよ」

「うっせ」


 瑠衣さんと紗希さんはハイボールの缶、俺は紙コップのお茶で乾杯する。そして煮えた鍋を三人で囲む。


「今さらですけど、この時期に鍋なんですね」


 相場は冬だろう。


「あれですよ、冬場に炬燵で食べるアイスクリームと同じです。夏場にクーラーの効いた部屋で食べるお鍋はおつですから」


 そういうものなのだろうか。

 具材は鶏肉に肉団子。キャベツににんじん、油揚げに長ネギにしめじ。お餅。いずれの具材も良い感じに煮えていた。


「瑠衣、お前、野菜もちゃんと食えよ」

「食べてますよ?」

「嘘つけ。見てたけど、鶏肉と油揚げばっかり食ってんじゃねえか。ほれ、長ネギ。しゃきしゃきして美味いぞ」


 紗希さんがお玉ですくった長ネギを、瑠衣さんの紙皿に入れる。


「私、ネギは苦手なんです」と言うと、瑠衣さんは長ネギを箸でひょいと掴み、俺の紙皿に除けるように入れてきた。


「じゃあキャベツ食え。出汁がよく染みてる」


 紗希さんが再び、すくったキャベツを瑠衣さんの紙皿に入れる。


「出汁が染みてるそうですよ」


 瑠衣さんもまた、箸で掴んだキャベツを俺の紙皿に島流しにする。いつの間にか俺の紙皿には野菜がてんこ盛りになっていた。


「お前、好き嫌い多過ぎなんだよ」


 紗希さんが呆れたように言う。


「でも、えのきは好きですよ?」と瑠衣さんが言った瞬間、どきりとした。えのき。具材のことだと数瞬遅れて理解する。

「いや、えのき食っただけで一日の栄養全部カバーできないだろ」紙皿に取ったえのきを食べる瑠衣さんを眺めながら、紗希さんが言う。

「酒飲んでタバコ吸って、甘いものばっかり食って。倒れるぞ、そのうち」

「結斗くんにも同じことを言われました」

「だったら少しは改善しろや」

「まあ、私の話はいいじゃないですか。今日は二人の初対面なんですし。二人がお互いのことを知る会にしましょう」


 瑠衣さんは手を合わせると、俺の方を向いた。


「紗希ちゃんはバンドをしてるんです」

「バンドですか」

「四人組のガールズバンド。紗希ちゃんはボーカル兼ギター。インディーズ界隈では結構人気があるんですよ」

「そうなんですね」


 言われてみれば、そんな雰囲気がある。色気、とでも言えばいいのか。人を惹きつける何かを纏っていた。


「ライブを観に行ったこともありますけど、ギターを弾きながら歌ってる紗希ちゃんの姿はとっても格好良いんですよ」

「全然だよ。集客もまだまだだし。技術だって足りない」


 紗希さんは鍋をつつきながらぶっきらぼうに言う。


「あたしらより人気も実力もあるバンドでも食えてない奴はたくさんいるんだ。もっと上を目指していかないと」

「紗希ちゃん、謙虚でしょう?」


 瑠衣さんが俺に同意を求めてくる。確かに。


「夜勤のバイトをしながら、バンド活動もして、大学にも通ってる。偉いですよね。私も爪の垢を煎じて飲みたいくらいです」

「そんな気、さらさらねえくせに」


 紗希さんはハイボールの缶を呷りながら言う。


「でも、俺も格好良いと思います。紗希さんのこと」

「あ?」


 界隈で一定の人気があるのに。紗希さんにはまるで驕った様子がない。音楽に真っ直ぐに向き合っている。そのことがさっきの問答だけで伝わってきた。

 自分の人生の熱を全力で注ぐべきものを持っている。そういう人に憧れていた。それは俺にはないものだから。


「酔ってんのか?」

「烏龍茶です」

「じゃ、単に痛いだけか」


 紗希さんはそう言うと、お玉で鍋の底に沈んでいた具材を掬い取った。そしてそれを俺の紙皿に入れてくる。


「え?」

「肉団子。デカいの。取っておいたの、やるよ」


 それは紗希さんなりの俺に対する歩み寄りだったのだろう。そして、そうするのは彼女が肉団子が好きだからなのだろう。

 けれど。


「すみません。俺、肉団子あんまり好きじゃないです」


 こっちもそうだとは限らない。


「あと、もうお腹いっぱいです」


 紗希さんは目を丸くした後、苦笑を浮かべた。


「可愛くないのな、お前」


 

 二人はハイボールの缶を開けながら、俺は紙コップの烏龍茶を飲みながら、他愛のない話をしているうちに鍋は空になった。

 瑠衣さんは小食だったので、ほとんど俺と紗希さんで平らげた。


「具材、二人分でよかったかもな」


 確かに。それでも充分だったかもしれない。


「タバコ、吸ってもいいか?」

「いいですけど、換気扇の下でお願いしますね」


 瑠衣さんはキッチンの方を指さした。


「あいよ」と紗希さんは腰を上げると、おもむろにキッチンの方に歩いていく。換気扇を起動させるとタバコに火を点けた。

 たっぷりと煙を吸い込むと、噛みしめるようにゆっくりと吐き出す。まるで水中から顔を出して息継ぎをするみたいだった。

 その光景を眺めていて、ふと気になった。


「部屋でタバコ、吸っていいんですか」

「はい。契約書にも書いてますよ」


 知らなかった。吸わないからだろうけど。


「あれ? でも、じゃあ、おかしくないですか」

「ん?」

「部屋でタバコを吸えるなら、わざわざベランダで吸う必要ないですよね」


 そうだ。部屋で吸えるなら、部屋で吸えばいい。

 なのに。

 瑠衣さんはずっと、ベランダで吸っていた。あの日、初めて会った時から、今に至るまでずっと。

 煙で部屋が汚れたり匂いがつくのが嫌だとするなら、紗希さんにもベランダに行くように促していたはずだ。


「夜風に当たって吸うのは、格別の味がしますから」


 部屋の中で吸うより、外で吸う方が開放的で良い。

 吸わないけど、その気持ちは何となく分かる。


 それに、と瑠衣さんは続けた。

 うっすら笑みを浮かべ、テーブルの上についた両肘、組んだ手の甲の上に乗せた小さな顎を傾けながら。


「部屋で吸うと、結斗くんとお喋りできないでしょう?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る