第21話 彼女の友人

 土曜日のバイトは、酒袋とはシフトが違っていた。

 それを知った時、俺はほっとした。

 酒袋とは顔を合わせたくなかった。普段からそうだけど、今日は特に。この前の大学でのことがあったから。


 今日、同じシフトなのは女子大学生だった。二回生。近くにある、瑠衣さんの通う大学とは別の大学に通っているらしい。


 最初、俺がバイトに入った時に仕事を教えてくれたのが彼女だった。

 メモを取るためのボールペンのインクが切れた時、ペンを貸してくれた。確かサンリオのキャラクターのものだった。ポムポムプリン。

 サンリオが好きなんですかと返す時に尋ねた俺に、彼女はサンリオというか、ポムポムプリンが好きなのと答えていた。


『ポムポムプリンは、肛門丸出しなところが好き』


 お尻の穴とか可愛い言い方じゃなくて、肛門。俺は何と言っていいか分からず、自分の恥部を曝け出してるのが良いんですかねと言った。


『そうかな? そうかも。とにかく、あの肛門がいいの』


 彼女とは仲が良いわけではないが、悪いわけでもない。

 たまにぽつぽつと会話を交わす程度の間柄。

 それでも俺にとっては、シフトが被っても気が重くならない貴重な相手だった。その日のシフトもつつがなく過ぎていった。


 朝に店に入って、出た時には夕方になっていた。

 貴重な休日が暮れていくことの無情さを感じつつ、帰路につく。ボロアパートの前まで来たところで違和感を覚えた。


 バイクが停まっていた。アパートの前にある駐輪場に。


 普段、駐輪場には何も停まっていないというのもある。それを踏まえても、その赤い車体は周囲の風景から浮いていた。


 誰のものだろう。

 その疑問は、二階に続く階段を上った後に氷解した。

 廊下に人がいた。

 小さい顔に、涼しげな目鼻立ち。金色の髪を後ろで一纏めにしている。黒のTシャツにジーパンを履いていた。


 股を大きく広げ、尻を地面に着けず、俗にいうヤンキー座りで、瑠衣さんと俺の部屋の間にしゃがみ込んでいる。不機嫌そうに、スマホをいじっていた。

 以前、瑠衣さんの部屋を尋ねてきていた人だった。俺が彼氏だと勘違いし、瑠衣さんがお友達だと言っていた女性。


 また遊びに来ているのだろうか。


 俺はヤンキー女の前を通り過ぎる。そうしないと部屋に入れないから。その瞬間、一瞥を寄越される。鋭い目つきに心音が跳ねる。

 部屋の扉の前に辿り着く。鍵を取り出し、差し込んだ時だった。


「なあ。瑠衣、どこにいるか知らないか?」


 唐突に声を掛けられた。


「インターホン鳴らしても、出てこないんだよ」


 視線を横に向けると、ヤンキー座りをしたヤンキー女が俺の方を見ていた。こちらに話しかけてきているのは明白だった。


「さあ……」

 と俺は声を絞り出す。

「というか、なんで俺に?」

「あんただろ? 瑠衣の遊び相手ってのは」

「遊び相手?」

「瑠衣からあんたの話をよく聞かされるからな。最近出来た新しいお友達。アパートの隣の部屋に住んでる高校生」

「瑠衣さんが俺の話を……」

「珍しいよ。あいつが他人の話をするのは。よっぽど気に入ってるのか。だから、あたしはあんたのことはよーく知ってる」


 ヤンキー女はヤンキー座りをしたまま言う。


「あんたが最初、あたしを男だと勘違いしてたこともな」

「…………」

「悪かったな。女には見えないようななりで」

「……何というか、その、すみません」

「別に謝ることじゃねえけどよ。まあ、心証はよくないわな。瑠衣の口からあんたの話を聞かされるのも面白くはねえし」


 険のある口調。

 最初から好感度が地の底に落ちていた。

 弁明するわけじゃないが、こうして間近で見ると、髪型や服装が中性的なだけで、彼女は間違いなく女性だった。

 気まずさに押され、話題を変える。


「瑠衣さん、いないんですか」

「いない。インターホンを鳴らしても出てこねえ。今日メシ食う約束してるのに、どこをほっつき歩いてるのやら」


 ヤンキー女はヤンキー座りのままぼやいた。

 部屋に入れない以上、彼女はここで待ち続けるのだろう。それを尻目に俺が自分の部屋に帰るのは何となく気後れする。だから話を振った。


「……あの、下に停めてたバイクですけど」

「あん?」

「駐輪場のバイクって、あなたのですか?」

「そうだけど。停めちゃマズかったか?」

「それは大丈夫だと思います」

「じゃあ、なんだよ」

「いや、何ということもないんですけど」と俺は言う。「さっき前を通りがかって、見た時に格好いいなと思ったので」

「……なに。バイク、興味あんの?」

「詳しいわけじゃないですけど。あのバイクは良いなと思いました」

「…………ふーん」


 ヤンキー女はヤンキー座りのまま曖昧な相槌を打つ。少しの沈黙の後。


「ガム食うか?」

「え?」

「ガム。いらないならいいけど」

「あ。じゃあ、いただきます」


 俺はヤンキー女の差し出したチューインガムを受け取る。その場にしゃがみ込み、銀色の包装紙を剥がし、口の中に入れる。ミントの味がした。


「あの車種、前からずっと欲しかったんだよ。人気の車種でさ。入荷待ちしてたら、たまたま中古で近所のバイク屋に入った。で、貯金をはたいて買った」

「なるほど」


 だから前に来た時には乗ってなかったのか。


「なあ、あんたの目から見て、どこがいいと思った?」

「えっと」


 ここの回答を誤ったら、致命傷になる気がする。慎重になれ。俺は僅かな間で熟考した末に意見を口にする。


「全体的なフォルムとか……?」

「…………」


 しまった。外したか?


「……中々見る目あるじゃねーか」


 よかった。助かった。


「あの車種は、無骨なフォルムがいいんだよ。カスタムにもこだわっててな。マフラーの音を聞いたら飛ぶぜ?」

「へ、へえ」


 どうやら正解の回答を引くことができたらしい。

 地の底に落ちていた好感度も、これで多少は盛り返せただろうか。そんなことを頭の片隅で考えていた時だった。


「随分と盛り上がってますね」


 頭上から声が振ってきた。顔を上げる。開いた部屋の玄関扉の隙間から、瑠衣さんが顔を覗かせていた。


「瑠衣、お前、部屋にいたのかよ」


 とヤンキー女が胡乱げに言う。


「つーか、だったらすぐ出ろよ。こっちが何回チャイム鳴らしたと思ってんだ」

「寝てたんです、ついさっきまで」

「寝てたって、お前……今何時だと思ってんだ? 十八時だぞ、十八時。どうなってんだよ生活リズム」

「昨日、遅かったんです。朝まで本を読んでたので」

「知らんけども。いい加減に昼夜逆転、叩き直したほうがいいぞ。この前の必修の授業も出席してなかったろ。昼からなのに」

「あの日はちゃんと起きてましたよ。大学にも来てました。ただ、結斗くんとお喋りする方を優先しただけで」

「あんたのせいかよ」とヤンキー女がじとっと俺を睨んでくる。瑠衣さんのサボりの原因にされてしまっていた。実際、そうだけど。


「知らねえぞ、ほんと、留年しても」

「長い人生で見れば、またそれも良きですよ」

「……まあいいや。言っても聞かねえだろうし。とりあえず中に入れてくれ。ずっと廊下にしゃがんでたから、座りたい」


 ヤンキー女は立ち上がると、瑠衣さんの部屋に入ろうとする。

 瑠衣さんは玄関扉を手で開けた状態のまま俺に視線を向けた。


「今日は彼女――紗希ちゃんと鍋をする予定だったんです。結斗くんもよければいっしょに食べませんか?」

「はあ?」とヤンキー女は不満げに声を上げる。「こいつも?」

「鍋は人数が多い方が楽しいでしょう?」

「材料、二人分しか買ってきてねえぞ」

「じゃあ、もう一人分買ってきましょう」

「誰が」

「紗希ちゃんが」

「何でだよ。途中参加するなら、こいつが買ってくるのが筋ってもんだろ」とヤンキー女は俺を指さしながら言う。ごもっともだ。


「俺、自分で買ってきますよ」

「でも、それだと時間が掛かってしまうでしょう? その点、紗希ちゃんは自慢のバイクを飛ばせばあっという間です」

「そりゃそうかもしれんが」とヤンキー女は言う。「つーかそもそも、あたしはこいつの参加を認めた覚えはねえぞ」

「あらら。結斗くん、好感度低いですね」

「瑠衣さんのせいだと思いますけど」

「そうなんですか?」


 きょとんとした様子の瑠衣さん。自覚がない分、たちが悪い。


「うーん。どうしましょう」

「いいですよ、お気遣いなく。俺、一人で食べますから。いつもそうですし」

「おい待てよ。そんなふうにしおらしくされたら、あたしがいじわるした上に子供っぽいガキみたいに見えるじゃねえか」

「実際、そうじゃないですか?」

「ほんとに気にしないでください」 

「…………」


 ヤンキー女はしばし葛藤した後。


「あーもう、分かったよ。買ってくりゃいいんだろ、買ってくりゃ。その代わり、あんたもいっしょについてこい」

「俺もですか?」

「高校生のパシリをさせられるのはプライドが許さねえ。店までは乗せてやる。材料買うのは自分でやれ」


 結局、参加することは許されたらしい。


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