第14話 古本
お昼時だったこともあり、喫茶店で昼食を食べることにした。
俺はナポリタンを注文し、瑠衣さんはモンブラントーストを注文した。トーストの上にたっぷりのモンブランが掛けられている。
見ているだけで胸焼けしそうだ。
モンブラントーストを食べ終えると、瑠衣さんはタバコの箱を取り出す。この喫茶店は喫煙可能だった。俺に断ってから、火を点ける。
「タバコって、そんなに美味しいんですか?」
ふと気になって、バカみたいな質問をする。
「試しに吸ってみますか?」
「いや俺、未成年ですから」
「結斗くんは今、いくつなんでしたっけ」
「先月で十七になりました」
「それはそれは。おめでとうございます」
「どうも」
「盛大にお祝いしましたか?」
「特には。気づいたらぬるっと過ぎてました」と俺は言う。「誰かから祝って貰うようなこともありませんでしたし」
「この時期が誕生日の人は、お祝いされづらいかもしれませんね。新学期になってまだ日も浅いですし」
「瑠衣さんはいつなんですか? 誕生日」
「十二月です。葉月なのに」
「八月がよかったですか」
「うーん。どうでしょう。葉月で八月生まれだとちょっとあざとすぎる気もします。両親がその月を狙って仕込んだ感が出ませんか?」
「考えすぎのような。でも瑠衣さんは夏より、冬の誕生日の方が合ってますよ」
「不健康そうだから?」
「実際、不健康でしょう。ばかすかタバコ吸って、酒も飲んで、昼にモンブラントーストを食べてるんだから。健康的なわけがない」
「ふふ。耳が痛いです」
瑠衣さんはまるで耳が痛くなさそうに言う。
「でも、じゃあ、あと三年ですね」
「え?」
「結斗くんがタバコを吸えるようになるまで」
瑠衣さんは短くなったタバコを灰皿に押しつけると、頬杖をつき、ふっと微笑みかけてくる。俺よりもいくつか大人びた表情で。
「二十歳になったら、アパートのベランダでいっしょにタバコを吸いましょう。私が結斗くんにタバコの味を教えてあげます」
「それは」と俺は一瞬言葉を詰まらせた後に言った。「楽しみですね」
「でしょう?」
「でも、三年後もまだあのボロアパートにいるつもりですか?」
「ダメですか?」
「そういうわけじゃないですけど。俺にどうこう言う権利はないし」
「まあでも、地震でも起こったら倒壊しちゃうかもですね」
「その前に瑠衣さんが倒れてる可能性もありますし」
「なら、健康に気を遣わないといけませんね」
そう言いながらも、瑠衣さんは何食わぬ顔で次のタバコに火をつける。煙を吸うと、気怠げな薄笑みと共に吐き出す。
喫煙は間違いなく身体に悪い。健康のことを考えるのなら、即刻止めるべきだ。でも俺は止めてほしいとは思わなかった。
瑠衣さんがタバコを吸う時の退廃的な雰囲気。白く細い指。物憂げな表情。それら全ての所作に心を奪われているのだから。
喫茶店を出ると、しばらくあてもなくぶらぶらと歩いた。
目的地のない、知らない街の散歩。
どこかに着いてもいいし、着かなくてもいい。ただ無為に過ぎていくだけの時間が心地よかった。
やがて一軒の店の前で瑠衣さんは足を止めた。小さな古書店だった。
外に出されたワゴンの中には一冊十円で古い小説が売られていて、狭い店内を埋める棚にはびっしりと古本が陳列されていた。
どちらともなく古書店に吸い寄せられていた。
出先に本屋があれば、とりあえず入ってみる。俺がそうであるように、瑠衣さんもまた同じ習性を持っているのかもしれなかった。
投げ売りされたワゴンの中の古本を物色し、店内にも足を踏み入れる。
奥に座っていた店主のお爺さんが、こちらに一瞥を寄越す。が、すぐに興味を失ったかのように老眼鏡をかけ直すと、手元の新聞に視線を戻した。
「私、古本屋さんが好きなんです」
棚から取り出した古本を手に取りながら、瑠衣さんが言った。
「安く買えるからですか?」
「それもあります。最近出たばかりの本が古本で安く売られてたら、宝物を掘り当てた気分になりますから」
瑠衣さんは子供っぽい口調でそう言うと、
「古本を買うと、たまに前の持ち主の痕跡を見つけることがあって。ページに書き込みをしていたり、気に入った文章にマーカーを引いてあったり。そういう時、ああ、この本を楽しんだ人は私以外にもいたんだなって、灯りを見つけたような気分になるんです」
「瑠衣さんも書き込みするんですか?」
「付箋を貼る時はたまにありますけど、書き込みはしないですね。でも、ミステリ小説に書き込みをして古本に流したい欲はあります」
「犯人の名前にマーカーを引いて、ネタバレをするとかですか」
「いえ。犯人じゃない人に犯人だって書き込みをしておくんです。そうすると犯人はこの人なんだって先入観に囚われて読み進めることになりますよね。種明かしをされた時、とてもびっくりすると思うんです」
愉しそうにそう語る瑠衣さんに、俺は思わず笑ってしまう。
「いい性格してますね」
「よく言われます」
普段は大人っぽいのに、時々、びっくりするくらい茶目っ気のあることを言う。まるで掴みどころがない人だと思う。
「でも、それだと読んだ人の反応は見れなくないですか?」
「確かに。じゃあ、友達とか知り合いに渡さないとですね」
「読み終わった後、関係がこじれそうですけど」
その後、俺たちはそれぞれ店内を見て回った。
古本の独特の匂いがする。嫌いじゃない。
ふと棚から視線を外すと、瑠衣さんはレジの前にいた。何か買っている。気になったので店を出た後に尋ねてみた。
「この小説は、私が一番好きな作品なんです」
瑠衣さんは買った古本を胸元に掲げる。
知らない作品だった。
「中学生の頃に初めて読んで、それから何度も読み返してます。私は基本、読み終えた本を読み返すことはないんですけど、この本だけは文章を諳んじることができるくらい読み返していて。今のアパートに引っ越す時にも持ってきました」
「思い入れがある作品なんですね」と言った後、尋ねた。「でも、もう持ってるならどうしてまた買ったんですか?」
「それは後のお楽しみです」
瑠衣さんはもったいぶるように、口元に指を当てて微笑む。
その答えが分かったのはアパートに帰った後だった。二階の廊下、部屋の前で別れようとしたところで呼び止められた。
少し待っているように言われ、廊下で待つこと数分。自分の部屋から出てきた瑠衣さんは俺に一冊の本を差し出してきた。
「はい、どうぞ」
それはさっき見せてくれたのと同じ小説だった。
でも、古本屋で買ったものじゃない。
瑠衣さんが元々持っていたものだと分かった。
「これを俺に?」
「少し遅くなりましたけど、誕生日プレゼントです」
瑠衣さんはにこりと微笑む。
「高価なものじゃないですけど。きっと楽しめると思います」
「いえ、そんな。ありがとうございます。嬉しいです」
お世辞じゃなかった。本心だった。
「ちなみに書き込みはしてないので、安心してください」と瑠衣さんははにかむ。さっきの話に絡めているのだろう。
その言葉を聞いて心の中で反論する。
そんなことはない。むしろ書き込みやマーカーがあった方が良かった。
瑠衣さんの考えていることや、思ったこと。お気に入りの文章。書き込みやマーカーを通して彼女の思想や感性に触れたかった。
ほんの少しでもいい。
瑠衣さんのことをもっと知りたかった。
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