第13話 映画を見に行く②
瑠衣さんは先を歩くと、前列の真ん中の席に腰掛けた。
少し遅れて、俺はその隣の席に身体を沈める。
隣の席に人がいる。普段は嫌なのに、今日は嫌じゃなかった。思えば誰かと映画を観に来るのは初めてだった。
やがて上映時間が訪れると、場内が暗くなる。ブザーが鳴る。その瞬間、現実世界から物語の世界に意識が飛ばされる。
スクリーンに映像が映し出された。
そこから約百分間、映画を見た。
表の看板にも記載されていた通りの、青春映画だった。
自分以外の誰かに化けることができる高校生の主人公。クラスで浮いている彼は嫌いな男子や女子に姿を変えては悪戯を働いていた。
ある日、主人公には気になる女子ができる。
元の冴えない彼にも優しくしてくれた、隣のクラスの女の子だ。けれど彼は素の自分での接し方が分からなかった。
だからクラスの中心の男子に化けて交流を図ることにした。他人の口を借りれば、彼女とも上手く話すことができた。
けれど事態は急変する。
化けていた先のクラスの男子と、彼女が仲良くなってしまったのだ。主人公のこれまでの交流で得た好感度も根こそぎ掠め取られた。
クラスの男子に化けて話せば、彼の好感度を上げることになる。主人公は素の自分で彼女と話そうとする。でも言葉が出ない。他人として人生を生きすぎたせいで、自分の人生に積み上げてきたものが何もなかった。
主人公は二人の仲を引き裂こうと、彼の姿に化けて悪事を働こうとする。そうすることで彼女を幻滅させようと目論んだのだ。
でも結局は思いとどまる。彼女の悲しむ姿を見たくなかったから。
主人公はその時、初めて彼女を好きになっていたことに気づく。
そして彼女を幸せにできるのは自分じゃなくて彼の方だと悟り、身を引く。
主人公は物語の最後、彼女と素の自分として初めて向き合って話すことができる。
話が弾み、彼女はずっと長い時間を過ごしてきた気がすると主人公に告げる。
これからは他人としてじゃなく、自分の人生を生きることを決意する。それと同時に他人に化ける力は失われる。
そういう話だった。
上映が終わった後、俺たちは劇場を出ると近くの喫茶店に入った。席に着き、コーヒーが届くと瑠衣さんが口火を切る。
「映画、どうでしたか?」
「何というか、主人公がちょっと受け付けなかったです」と言った。「ずっとうじうじしてるし、独りよがりだし。あと画面もずっと暗いし」
そしてその後も映画の気になった箇所をまくし立てた。
登場人物や演出、話の展開。思ったことを全部話した。良かった箇所も挙げたが、基本的には批判寄りだった。
「なるほど。そういう見方をしてたんですね」
「瑠衣さんはどうでしたか?」
「私は面白かったです」と瑠衣さんは頬杖をついて微笑む。「不器用な主人公のことも愛おしくて好きでしたよ」
その言葉を聞いた瞬間、ふと我に返った。顔が熱くなった。答え合わせで自分の答えが間違っていることに気づいた時みたいに。
「何かすみません」
「え?」
「いや、瑠衣さんが面白いと思った作品を扱き下ろしたから」
何か彼女の感性ごと否定してしまったような焦燥に駆られた。瑠衣さんの大事なものを踏み躙ってしまったかもしれないと。
「そのための割り勘じゃないですか」
「でも、共感した方がよかったのかなって」
「自分に百%の肯定しか返してくれない相手なんて、つまらないですよ」
瑠衣さんはそう言うと、ふっと微笑む。
「私、他の人の好きなものの話を聞くのも好きですけど、嫌いなものの話を聞くのもそれと同じくらい好きなんです。嫌いなものには、その人の価値観が色濃く反映されているから。それに私にはない視点を知ることができますし。だから、結斗くんの話、とても面白かったですよ」
瑠衣さんは俺を真っ直ぐに見つめると、目を細める。テーブルに両肘をつき、両手で顎を支えるようにしながら言う。
「よかったです。結斗くんを映画に誘って」
気分を害した様子はなかった。それどころか喜んで、満足してくれた。そのことに安堵している自分がいた。
「それと映画を見ながら思ってたんですけど」
と瑠衣さんはふと呟いた。
「さっきの映画の主人公と結斗くんは似てますよね」
「似てますか」
「はい。不器用なところとか、鬱屈としてるところとか。拗ねてるフリをしてるけど、根は優しくて素直なところとか」
「瑠衣さんには俺がそんなふうに見えてるんですか……?」
複雑な気持ちになる。
でも、合点がいった。俺が映画を見て、主人公を受け付けなかった理由。それは自分に似ていたからだったのか。
俺は俺が嫌いだ。出来ることなら、自分から逃れたい。そう思っている。
でも。
ふと思い出す。
瑠衣さんはさっき言っていた。不器用で痛々しい、そんな主人公のことが愛おしくて好きだと。
そのことを、思い出す。
そして意図を探る。
答えなんて分からないことを分かりながら。
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