第12話 映画を観に行く

 歩いていると、向かいから制服姿の学生が歩いてきた。それも複数人。いずれもうちの高校の制服を着ている。


 距離が縮まり、すれ違う。彼らは高校のある方向に向かって歩いていった。俺はそれとは真逆の方向に歩みを進める。


 俺は制服ではなく、私服に身を包んでいた。隣には瑠衣さんの姿。


 じゃんけんの結果は瑠衣さんの勝ちだった。

 俺がグーを出して、瑠衣さんがパーを出した。じゃんけんぽん。勝ったことを確認すると瑠衣さんは勝ち誇ったようにはにかんだ。


「だから言ったでしょう? 私、強いんです」


 こうして俺は今日一日、瑠衣さんに付き合うことになった。

 瑠衣さんは一度部屋に戻ると、シャワーを浴びて着替えてきた。その後、制服から私服に着替えた俺と共に外に繰り出した。


「どうですか? 久々に学校をサボった気分は」

「まだ実感はないですね。厳密に言うと、朝のホームルームが始まるまではサボったことにはなりませんし」

「今ならまだ引き返せますよ?」

「また制服に着替え直すの面倒ですし」と俺は言った。「それに、約束ですから。今さら反故にしたりはしませんよ」


 瑠衣さんはそれを聞いてふっと笑みを浮かべると、


「今日一日、目いっぱい楽しみましょう」と言った。


 登校時間をとっくに過ぎているからだろう。いつもは賑わっている通学路から人の気配が完全になくなっていた。


 見慣れた道。なのに、どこか雰囲気が違っていた。

 しばらく歩いた後、喫茶店にやって来る。以前にも訪れた場所だった。今日は店内に他のお客の姿もあった。二人いる。でも、静かだ。

 モーニングを注文する。コーヒーにトーストとゆで卵がついている。瑠衣さんはホットケーキがついたセットを頼んでいた。


「この店には結構来ますけど、モーニングを食べるのは初めてです。こんなに早い時間に起きられたことがなかったので」


 瑠衣さんは「結斗くんの部屋で寝落ちしたおかげですね」と言う。


「こんな早い時間って、八時半は早くないと思いますけど」

「私にとっては八時半は早朝なんです」


 瑠衣さんは朝に弱いと言っていた。高校時代は毎日のように遅刻していた。大学の講義も午前中は取っていないとか。

 思えば、瑠衣さんと午前中に会うのは初めてだ。彼女とはいつも夜だった。コンビニにタバコを買いに来るのも。ベランダで話をするのも。


「日の出てる時間に外に出てるところ、一度も見たことがなかったもんだから。瑠衣さんのこと吸血鬼なのかと思ってました」

「確かに杭で心臓を貫かれれば死にますけど」

「それは人間であってもそうでしょ」


 くだらない話をしながら、運ばれてきたモーニングを食べる。

 ふとスマホを見ると、朝のホームルームの始まる時間を超えていた。今日の俺のサボりが確定した瞬間だった。


 想像する。自分のいない朝のホームルームの光景を。

 他の生徒たちが揃う中で、俺の席だけが空席になっている。

 一瞬、目を留めるかもしれない。今日、いないんだ。でもそれだけ。次の瞬間にはもう別の意識に洗い流される。

 心配もされない。そこまでの関係性じゃないから。

 俺がサボろうとサボるまいと、教室は何も変わらずに回り続ける。俺の不在は何の影響も及ぼしはしない。そう考えると罪悪感もなかった。


「この後、どうしますか」と俺は尋ねる。

「映画を見に行きませんか?」

「映画ですか」

「数駅先の商店街の中に映画館があるんです。他の映画館では上映していない、小規模の作品ばかり上映してるみたいで。前々から興味があったんですけど、一人では入りづらいなって足踏みしてたんです」

「それで俺をお供にってわけですね」

「行ってみませんか?」

「いいですよ」


 瑠衣さんがタバコを一本吸い終えるのを待って、早速移動することにした。

 モーニングを食べ終えて喫茶店を後にすると、電車に乗って数駅移動する。通勤時間を外れているからか、車内は空いていた。どんどん学校から離れる。家からも。


 数駅先の駅で降りる。

 改札口を抜けた瞬間、見知らぬ光景が広がる。頑張れば歩いてこられる距離。でも何か用事でもなければ来ない。そして今日はそれがあった。

 駅のすぐ傍にある商店街。その長いアーケードの下を歩く。果てが見えない。どこまでも続いているかのようだ。


 商店街の一角にその映画館はあった。

 映画館の前に出された看板には上映作品が載っていた。どれも知らなかった。人並みには映画を見ているはずなのに。その視野の外にある作品ばかりだった。


「どれを見るかは決まってるんですか」

「うーん。そうですねえ。これにしませんか」と瑠衣さんが指さしたのは、どうやら青春映画のようだった。

『バケモノの青春』というタイトル。聞いたことがない。


「じゃあ、それにしましょう」


 受付に向かうと、チケットを買おうとする。高校生は千円。安い。けど、貧乏学生の俺からすると結構高い。


「私が誘ったので、私が出しますよ」


 瑠衣さんが俺の分のチケット代を払ってくれようとする。のを制する。


「自分の分はちゃんと自分で払います」

「遠慮しなくてもいいのに」

「いや、別に遠慮してるわけじゃなくて」


 と俺は前置きしてから話す。


「瑠衣さんに出して貰ったら、映画が面白くなかった時、面白くなかったって言いづらくなっちゃうなと思って。人のお金で見てるのに、文句を言うのも違うと思いますし。それなら最初から自分で出したいなと」

「ふふ。何ですかそのこだわり」と瑠衣さんは噴き出した。「結斗くん、よく他の人からクソ真面目だなって言われません?」

「……言われたことないですね」と俺は言う。「踏み込んだことを言ってくるほど、関係性の深い相手がいないので」

「そういえばそうでした」

「何かすみません」と謝っておく。

「いえいえ。じゃあ、お互いに自分の分は自分で払いましょう」


 俺は千円を出し、大学生の瑠衣さんは千五百円を出した。チケットを受け取ると、通路を抜けて劇場内に足を踏み入れる。

 場内はこじんまりとしていた。だいたい六十席くらい。朝一番の上映だからか、他の客は誰もいなかった。貸し切り状態だ。


「結斗くんは普段、映画館だとどの辺りの席に座りますか?」

「そもそも映画館に来ることが滅多にないですけど。前の方の席が多いです」

「それだと首が痛くなりません?」

「痛くなります。けど、前列は他のお客さんがほとんど座らないので。周りを気にしないで見ることができますから」

「周り、気になりますか?」

「上映中に人の気配をあんまり感じたくなくて。現実から離れたくて来てるのに、現実に引き戻される感じがするというか」

「じゃあ、途中でスマホを見る人は許せない?」

「許せないですね」

「エンドロール中に帰ろうとする人も?」

「それも許せないです」と俺は言った。「もし俺が金持ちになったら、映画を見る時は常に自分の席の上下左右の席も買い取ります」

「誰かと行くことを全く想定していないのが、結斗くんらしくて良いですね」

「瑠衣さんは周り、気になりませんか?」

「私も上映中にポップコーンを食べてる人がいると気になります。コメディとか緩い日常の場面ならまだしも、たまにシリアスな場面でも食べてる人がいて。緊迫感に満ちた静寂の場面でぽりぽり聞こえてくるんです」

「それは嫌ですね」

「一回、クライマックスの場面でぽりぽり聞こえてきた時は、百二十分近くポップコーンを持たせたんだって思って笑っちゃいましたけど」


 瑠衣さんはそう言うと、


「でも、文句は言えないですよね。映画館が認めてる行為ですし。売上に貢献してるのは向こうの方ですから」

「瑠衣さんはどこに座るんですか?」

「私は真ん中の後ろの席に座ります。一番見やすいですから」

「でもそこは人が多くないですか」

「朝一の上映とか、深夜の上映を選べばガラガラですよ。そもそも満員になるような話題作はほとんど見に行かないのもありますけど。時間に融通が利く大学生の特権です」


 素直に羨ましいなと思った。


「自由席らしいですけど、どこに座りますか」

「そうですねえ。では、前の席に座りましょうか」

「貸し切りなのに? 瑠衣さんは普段、真ん中の後ろの席に座ってるんですよね。今日はそこじゃなくていいんですか」

「普段、結斗くんが見てる景色を見てみたいなって思ったんです」


―――――――――――――――――――――


☆とフォローで応援してくださると更新のモチベーションになります!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る