第11話 遊びに行きませんか?

 昨夜の記憶を反芻し終えた後。

 登校する支度をしていると、背後から身じろぎをする気配が伝わってきた。


「んっ……おはようございます」


 目を覚ました瑠衣さんは、大きく伸びをしながら、俺の方を見てきた。


「すみません。寝落ちしちゃって。結果的にお泊まりしちゃいましたね」

「コーヒーでも入れましょうか。インスタントですけど」

「ありがとうございます」


 俺は台所に立つと、お湯を沸かす。カップにインスタントの粉を入れる。その上に沸騰した白湯を注ぐと完成だ。


「砂糖とミルクを切らしてるので、ブラックですけど」

「いえいえ。おかまいなく」

「あと一応、そのカップ、まだ使ってないものですから」


 何かのキャンペーンで貰ったものだった。


「お気遣いありがとうございます。でも私、そんなの気にしませんよ?」

「こっちが気にするんです」


 瑠衣さんはカップを受け取ると、ゆっくりとコーヒーを口にする。

 まだ覚醒しきっていないのか、ぼんやりと寝ぼけ眼だ。寝癖のついた髪は、彼女の印象をどこか幼く見せていた。

 でも、俺は鮮明に覚えていた。昨夜の捕食者としての妖艶な表情を。


「昨日、楽しかったですね」


 ちょうど彼女がその時のことを口にしたので驚いた。


「……覚えてたんですね。てっきり忘れてると思ってました」

「ちゃんと覚えてますよ。店員さんの名前を聞いたことも。ゼミの話をしたことも。結斗くんとキスをしたことも」


 無邪気にそう言い放つ瑠衣さん。

 彼女の中にもあの時の記憶は残っていた。俺が見た夢というわけじゃなかった。

 でも、だったらあれはどういうつもりだったのか。単なる酒の勢いだったのか。それとも他に何か意味があったのか。面と向かって尋ねることはできなかった。どういうふうに切り出せばいいのか分からない。


「もしかして、キスは初めてでしたか?」

「……だったら何ですか」

「いえ。嬉しいな、って思っただけです」


 瑠衣さんはテーブルに頬杖をつきながら、にこりと微笑みかけてくる。

 俺は内心、こんなにも動揺しているのに。彼女はまるで動じていない。とても穏やかな面持ちをしている。凪みたいに。

 余裕だ。大人だ。遠く感じた。

 直視できずに視線を逸らすと、壁時計は八時を示していた。


「……そろそろ行かないと」


 遅刻してしまう。


「俺、先に行きますから。帰るときに鍵を閉めておいてください。これ、合鍵です。次に会った時に返してくれればいいですから。それじゃ」


 踵を返すと、玄関に向かおうとする。一歩を踏み出そうとした時だった。制服のズボンの裾を引っ張られた。

 振り返る。

 俺のズボンの裾を引いていたのは、瑠衣さんだった。


「この後、出かけませんか?」

「え?」

「私、今日、大学が休みなんです。取っていた講義が休講になっちゃったみたいで。暇を持て余してるんです」

「でも俺は普通に学校ありますし」

「じゃあ、サボっちゃいましょう」

「いや、そんな軽い感じで言われても」


 たじろいだ。


「というか、他の人を誘えばいいじゃないですか。友達とか」

「他の人は予定が合わなくて」

「一人でも暇は潰せるでしょう。本を読んだり、映画を見たり」

「そうですね。でも、今日はそういう気分じゃないので」


 瑠衣さんはそう言うと、テーブルの上を指でなぞってから微笑む。


「私は今日、結斗くんと遊びたい気分なんです」

「そう言われても」


 ちょっと揺らぐ。


「学校をサボったら、授業についていけなくなるかもしれませんし」

「一日くらい大丈夫ですよ」

「白昼堂々外で遊んでたら、補導されるかもしれない」

「制服を着てなければまずバレませんよ」

「でも」

「そんなに学校が好きなんですか?」と尋ねられる。怒ってるでも嫌味でもなく、単純に気になっているというふうに。


 好きなわけじゃない。ましてや楽しいわけでも。

 憂鬱だった。特に今日は。体育でサッカーの授業があるから。


 身体を動かすこと自体は嫌いじゃない。運動神経も悪くない方だと思う。でも集団行動をするのは苦手だった。

 授業の最後に毎回試合が行われるのだが、それは二チームに分かれたサッカー部の生徒たちがじゃんけんでそれぞれ選手を取り合う。


 基本、クラスの中心の生徒から取られていく。同じく中心のサッカー部の生徒からすると友人でもあり、能力も人となりもよく知っているから。必然、日陰者は後になる。友達がいない俺は最後の最後まで余る。


 次々に選ばれて、抜けていく生徒たち。その光景を目の当たりにすると、自分が必要とされていないことを突きつけられる。透明人間だと。最後の最後、腫れ物扱いされながらも指名されるのを待つ。その時間は苦痛だった。


「私に付き合ってくれたら、学校に行くよりも楽しい一日を保証しますよ」


 瑠衣さんは指を立てながらそう言う。茶目っ気たっぷりに。


 また揺れる。

 学校に行くことと、瑠衣さんと遊びに行くこと。二つを天秤に掛ける。


「考えてみてください。もし明日隕石が落ちて地球が滅ぶとしたら、結斗くんはどちらの選択肢を選びますか?」

「それは」と俺は言った。「まず学校には行かないでしょうね」

「答えが出ましたね」

 瑠衣さんは微笑む。

「後悔しない生き方をしましょう」

「でも、実際には隕石も落ちてこないし、地球も滅ばない。一時的に後悔しない生き方を選び続けたら、長期的には後悔することになる」

「かもしれません」


 そこは否定しないらしい。

 けれど、言いながら、かなり天秤は傾いていた。遊びに行く方に。でも吹っ切って選択するほどの思い切りもなかった。だから天に委ねることにした。

 俺は提案を出した。


「……じゃあ、こうしましょう。じゃんけんをして、俺が勝ったら学校に行きます。瑠衣さんが勝ったら今日一日付き合います」

「ふふ。いいですね。でも私、強いですよ?」


 瑠衣さんは乗ってくる。両手の指を組み、伸ばす。

 

 彼女と対峙しながら思う。俺はどちらの結果を望んでいるのだろう。勝った時にちゃんと喜ぶことができるだろうか?

 逆にした方が良かったかもしれない。勝ったら学校に行くじゃなく、勝ったら瑠衣さんと遊びにいくというふうに。

 でも、だったら、誰も学校に行くことを望んでないことになる。何のためにじゃんけんをしてるのか分からない。

 そんなことを思いながら、俺は選んだ手を彼女と同時に繰り出した。


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