第10話 ピアスの味
朝。部屋に日が差してきて、意識が覚醒する。
まどろみを振り払いながら、ベッドから上半身だけを起こす。
いつもの朝。いつもの部屋。けれど、景色はいつもと少しだけ違っていた。
ベッドの足元、テーブルに踏まれるように敷かれたカーペットの上。そこには瑠衣さんが横たわっていた。
芋虫みたいに身を丸めながら、すやすやと寝息を立てている。
昨日の記憶を思い出す。
ゼミの飲み会の後、俺の部屋に来て飲み直していた瑠衣さんは、酔い潰れて自分の部屋に帰らずにそのまま寝てしまった。
起こそうにも、起こせなかった。あまりにも安らかな寝顔だったから。だから俺はそのままにしておくことにした。そのうち起きて勝手に部屋を出ていくだろうと。でも結果はこの通り。とうとう一度も起きることなく、朝になっていた。
俺はベッドの上から、瑠衣さんの寝顔を眺める。
記憶が蘇ってくる。
昨夜、彼女にキスをされた時のことが。
酩酊状態だった彼女と、俺はとりとめのない会話をしていた。
何を話していたのか、今となってはもう思い出せない。
ただ、彼女が話す度にちらちらと見える舌ピアスに目を奪われていた。瑠衣さんは俺のその視線に気づいた。そして言った。
『ピアス、気になりますか?』
ハイボールの缶を手にしながら、彼女はうっすらと微笑みながらそう尋ねてきた。心臓の鼓動がとくんと高く跳ねた。
『結斗くん、ずっと見てましたよね。私がコンビニにタバコを買いに来た時も。バレないように一生懸命繕ってましたけど』
『……気づいてたんですか?』
『はい。最初からずっと。だからわざと見せるようにしてたんです』
確かに俺は彼女の舌ピアスに惹かれていた。
タバコを買いに来た時、彼女がお礼を口にした時にちらりと覗かせる銀色の輝き。そこにほの暗い感情を感じていた。
『もっと見たいですか?』
瑠衣さんは笑みを漏らすと、俺に向き直り、べろんと舌を剥いて見せてきた。薄桃色の舌の真ん中には、銀色のピアスが埋められていた。
俺はその光景を目の当たりにして、息を呑んだ。
ぬらぬらとした赤色の中にある、銀色の輝き。それは酷く淫靡だった。見てはいけないものを見ている気持ちにさせられた。
でも、目を逸らすことができなかった。魅入られたように。釘付けになる。
動けずにいると、瑠衣さんがゆっくりと身を寄せてきた。肩と肩とが触れあう。彼女の良い匂いが鼻腔をついた。湿った息づかいも聞こえてくる。
間合いに入られたのに、動けない。
気づいた時には、唇を奪われていた。
蜘蛛が巣に絡め取った虫を、捕食するかのようだった。
彼女の舌が口内に侵入してくる。互いの粘膜が、舌と舌とが絡み合う。熱い。ぬるぬるとしている。まるで生き物みたいに蠢いている。
精巧な人形みたいに落ち着いた雰囲気の彼女。ただ、舌は異常な熱を孕んでいた。その圧倒的な熱が彼女が生物であることを伝えてきた。
貪りあう。息ができないくらいに激しい。溺れそうになる。互いの熱が混ざり、溶けてしまいそうだ。
ナメクジみたいにどろりと蠢く彼女の舌。そこに無機質な感触があった。
ピアス。俺は彼女のピアスに舌で触れた。無機質だった。味のしない飴玉みたいだった。
しばらく夢中になって、味のしない飴玉を舐め続けた。他に何も考えられなかった。頭の芯が痺れてしまったかのようだった。
どれだけの時間が経っただろうか。瑠衣さんはやがて満足したように唇を離すと、
『ピアス、よかったですか?』
と妖艶な笑みを浮かべながら尋ねてきた。
俺は小さく頷くことしかできなかった。頭が痺れて、言葉が出てこなかった。言語中枢が溶けてしまったかのようだ。
『……ふふ。そうですか』
うっすらと微笑む瑠衣さんは、俺よりもずっと大人びた表情をしていた。綺麗だった。
それ以上は何もなかった。
瑠衣さんは床に寝そべるとまるで電池が切れたみたいに寝息を立て始めたし、俺はそれ以上の行為に進む術をまだ知らなかった。
だから、そこまでだった。
いったい瑠衣さんが何を思ってそうしてきたのかは分からない。明日、目が覚めた時には何も覚えていないかもしれない。
でも、少なくとも俺は覚えている。忘れられるわけがない。
あの熱を、感触を刻みつけられてしまった。
その後、俺はベランダに出てしばらく夜風に当たった。熱を冷ますために。そうしないと眠れる気がしなかった。
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