小説的日記・人生なんて無意味だ。

柴田 康美

第1話 人生なんて無意味だ。

○月○日 


 彼女は「じゃぁ」と小さく言った。話すことなんかなにもない。列車に乗り込んで窓際に座ったとき「さよなら」と口元が呟いたようにみえた。小さな唇をみていたらキスがヘタ同士歯がガチガチ当たったことを想い出した。歯茎から血がでで歯をなめすぎてあとでベロが痛かった。ふたりは顔中血だらけになった。オレはオオカミになった。彼女は目を閉じて喘いでいたがオレが下を触ろうとすると、まだ早い。そこは触らないで。と突然正気に戻ってかッと目を見ひらきいいはなった。なんだ、しっかりするときはしっかりするじゃないか。


 列車は停まったままでお互いじっと黙っている。だって、どーしょーもないだろー黙っているしかないんだから。いっしょにゆくわけにはいかないし。結局、ふたり無言で列車はホームを離れた。列車が短いトンエルをぬけるころ自転車で海へ向かっていた。ほかにゆくところなんかないからね。ほかにない、ただそれだけで近くはない海へいった。カッコつけていえばふたりの出会いの場所でもある神聖な岬ですか。べつにカッコよくもないか。神聖でもないか。切り通しの坂をフルスピードで下っていると急に涙が横にながれた。いまさら涙かよ。へへ、オレも泣くことがあるんだなぁー。あんがい客観的に自分で自分をみていることに気がついた。こんなことで男の子が泣くなよな。情けない。せめて大金をつかんだ時とかスポーツで優勝した時にしろ。みっともない。なにが、どうして、悲しいのか?よくわからない?彼女は必要があって東京にいった、オレは東京が必要じゃなかったから田舎に残った。それだけじゃないか。人と別れたのが悲しかったのか。だって、いままでも別れはいっぱいあった。では、彼女がキライだったのか。それだったら見送りにいかない。いままでいっぱいあった別れのそのたびに泣いたか。そんなこたぁない。きょうはどっか感情の涙腺がぶっこわれていたのかな。最初からこうなるとおもっていたのだから泣くことはないのだ。泣いても時間は戻らない。いいことだろうがわるいことだろうがどんどん時間は進む。泣いたのは彼女と別れたことばかりではない。いままでの退屈で閉じ込められた生活にこのままおめおめと戻るのがいやだった。彼女と話をしていれば少しは夢が芽生えた。まったく夢をもたない自分はそのかすかな夢にすがりつきたかった。彼女とは住む世界がぜんぜん違う。相手はいいところのお嬢さんだしこっちは貧乏人の小せがれだ。貧乏社会から一歩抜け出すのは並大抵の苦労じゃない。家族の中でひとり抜きん出ればその家のステータスは上がる。平成でもこんな古い図式が通用するんだ。こんなもんだぜ世の中はハハハ。このセリフは過去の人生でも度々口をついて出てきた。なかばすてばちに口から吐き出してきた。いくらがんばっても上に這い上がれない。まだまだ階級制度みたいなへんちくりんなものが残っているこの世間の頑固さ。その絶望には慣れた。そう、やぶれかぶれにならなければいけないとおもった。人がアッというようにいっそ断崖からから飛び込んでやろうか。そんなのいまではだれもアッと言わない。ああ、死んだかで終わりだ。海風に吹かれていてそう考えが落ち着くと不思議にすがすがしい気持ちになった。汗ばんだ皮膚の感覚が時間とともに冷えてそれといっしょに記憶も遠ざかっていった。そしてあらためて人生なんて無意味だとおもった。同時に将来に対する無力感がどっと押し寄せてきた。明日からいったいどうしようというのだ。それが夕方の暗くなった海の色のようにこころに覆い被さってきた。


○月○日

 

 きょうはありがとう。メールは読んだ。きづかいは無用だ。学校はもうとっくにやめている。もともとがっこうなんざ性にあってねぇ。大勢ひとの集まるとこはきらいだよ。野球をやってたころのダチがきてどうだいこのごろは寝てばかりじゃだめだといって川の土手にいった。ばあさんみたいなことをいうなって。べつだん話しもない。小一時間ほどしてかえっていった。ひとりになってから鉄橋を渡る電車をみながらこれからのことをかんがえた。いくらかんがえてもいまの自分にはなにも浮かんでこなかった。でも一歩でも二歩でもとにかく前に進むしかない。なんのために。もうどうでもいいんだけどね。マジなはなし。


 ○月○日

 うちへ帰ると母親がおまえこれからどうするんだいときいてきた。わからん。ぜんぜん考えていないというとそんなのんきなこといって、ほんとに。父さんはどこでもいいから働けと言ってるよと言った。そうはいっても前からいってるようにオレはひとのいっぱいいるとこはだいきらいなんだよな。ひとに頭さげて金をもらうなんざあ性ににあってねぇ。ほら、またそんなぜいたくを言って。お金をかせぐのはたいへんなんだよ。食いぶちをいれなきゃだめだよ。わかってんだろ?

  

 ○月○日

 づっと家にいた。このごろ外へ出る気がしなくなった。金もないけれどひとに会いたくもない。そんなこっちゃいけないとつくづく思うのだけれどいきたくないものはいきたくない。アルバムを出してきてながめる。みんな元気だったな。このころは。どうしているのかな。じぶんは1通も年賀状も出さないのにいい気なものだ。ことし年賀状をもらったら必ず出さなきゃな。と、いっても出すのかどうかはその時の気分しだいさ。


○月○日

 人恋しくなったので近くのハンバーガーショップへゆく。ここのは安くておいしいんだよと同級生が教室でしゃべっていたのを聞いたことがある。へん、ハンバーガーなんかくえるかよ、と、そのときはきらいな数学の教科書をかばんから取り出しながらおもった。でも実際自分が腹を減らして食べてみるとまあまあの味だということがわかった。あとから入ってきたおじさんがセット物をテーブルに運ぶときスプーンを落とした。拾って渡すと孫でもこんなことしちゃーくれないと言ってニコニコ笑った。こんな小さな親切をいつやったかなとふと考えてみた。


○月○日

 歯医者へいった。この医者は治療は掃除だけだっていうのに日数を空けちゃいかんと怒る。たったの歯のクリーニングだけだよ。医者は怒った日には罰としてレントゲン撮影する。金はとられるし放射能はあびるしいいことない。ほんとに医者かよ。患者のことはなにも考えていない。2カ月に1回くるようにといつもいわれるがいつも急がしいとかなんとかごまかして3カ月に延ばすのが気にさわるらしい。液体のハミガキと電動ブラシを使っているから大丈夫だって。うそだけどね。水ですすいでいるだけだ。帰りに受付のおねえさんがあめ玉を一個くれた。ちぇ、あめ玉かバカにするなよ。いつもくれるんだけど。先生のいうとおりにきてね。怒ったらこっちにとばっちりがくるから。あほ、子供じゃねぇつーの。


○月○日

 こういうきもちをどう言ったらいいのか。とにかくがむしゃらに字を書いてみたくなった。相手はだれでもいい。ひさしぶりに手紙みたいなものでもノートに書こうとしている。相手のアドレスは知らない。見えないひとに向かって書く。まぁ拝啓ってやつです。おげんきですか? ぼくはすこぶるげんきです。ほんとはちっともげんきじゃないが元気と書いておくか。いまなにをやってますか? そんなことどうでもいいじゃないかといわれそう。それより自分のこと、自分のこと書くんだよ。自分のことはそんなにおもしろくないかもしれないけどまぁ書いてやってもよい。おもしろいはずがない。ふーてんだから。でも、どうして、みんな、じぶんより他人のことが気になるのだろう。


○月○日

 もういちど歯医者のはなし。このあいだいったとき、めずらしくグズグズ言いの医者がどっか気になっているところはないかとわざわざオレの治療している寝椅子みたいな席へきた。ちょっと警戒する。いつもそっぽを向いて話しもしないのにきょうはどーした?どういう風の吹き回しなんだい?いままで診察室に入るたびに何回もいっているじゃんか。めしを食っているとき下の唇を歯で噛んでそこから口内炎になると繰り返し訴えている。いつもこのヤブ医者は知らないふりだ。じゃぁききめがあるかどうかわからないがとニヤニヤ笑って尖った古い歯をカッターで削ってくれた。そうだよ、やればできるじゃん。黄色い歯を出して笑うなよ、歯医者のくせに。硬貨でチャラチャラ支払って外にでたとき口の内がとてもいい感じだった。ブラボー。家に帰ってせんべいをたべてもトレビアン。なぜ、こんないい感じのことをなんどいってもやってくれなかったのだ。悪いけど患者の言っていることは早くやっていただきたくおもう今日この頃です。


○月○日

 図書館にいった。いま、唯一オレを解放してくれる場所だ。このしずけさがたまらない。書棚をみていい本がないかさがしているとどこかのおばさんがDVDを観たいが機械の設定をおしえてくれといってきた。係のひとには頼みたくないといった。コンセントをさしこんで再生できるようにしてやった。するとそのひとはあぁかんたんじゃんわたしにもできたかもしれないといった。やれるんなら自分でやったらどうなんだ。こういうおとながおおくなった。ありがとうも言わずに。ひとをなんだとおもっているのだ。おおかた真っ昼間から図書館でふらふらしてるやつなんかろくなやつじゃないと思っているにちがいない。


 ○月○日

 あれは2学期のはじまって間もない日、授業のはじまるちょっと前でみんなが集まって雑談してどっと笑ったとき、ピーターが突然立ち上がって「学校の勉強で意味のあるものなんかなにもないよ」と言った。「まえからわかっていたけど。だからなにをしても無駄だ。」そう言ってから机にだしたばかりの教科書をカバンに詰めなおしみんなに軽くあたまをさげ教室をでていった。オレもいっしょに出ていきたかったがみんなの手前ついていく勇気がなかった。あのさよならはだれにむかってしたのだろうか。すぐには賛成できなくてもなんとなくわかるその言葉に気まずいおもいをしているクラス全員へだったのかなといまになっておもう。


  ○月○日

 きょうはがまんの日だとおもった。コンビニでジンを買おうとすると後ろのおやじに子供がそんなもの飲んじゃいけないと言われた。そんなのオレのかってじゃないか。おまけに前の客がばら銭をぶちまけてそれが四方八方に広がりレジはおおさわぎさ。客は拾ったけどまだ20円足りないと言っておねいさんにグズグズごねている。やだなーもう、このままカネを払わずジンもってちゃうぞ。やっとカネを払って外にでると客同士がケンカしていた。おまえがうしろをよくみて発車しなかったからぶつかるところだったといっている。相手は女房が後ろの席でもみじ饅頭買うのを忘れてもういちどすぐに買いに行きたいとうるさかったと弁解している。すまんとあやまっているから事故なんかじゃないじゃないか。なんでそんなつまらないことで大声をだしているのか。おまわりを呼ぶぞ。こっちのほうがむしゃくしゃしてくる。きょう家をでるときオヤジがこんな生活を続けているならいますぐ家を出て行けと言われた。こっちだって好き好んでこんな生活をしているわけじゃないんだ。いまのオレの状況を正しくはスランプともいうことがある。


  ○月○日

 毎月駅の近くの美容サロンへいっている。床屋よりおカネがかかると思っているひとがいるがそんなことはない。カットだけなら5千円でできる。家に帰ってきてフロに入るときヘアシャンプーすればよい。きのう予約してある時間にいったらあとからきたおねーさんが急いでいるから先にやらせてちょーだいよといってきた。こーゆーおんなのひと多いんだよね。とくにこのごろ急に。なにをそんなに急ぐのか。なんでもゆったらゆるされるとおもっている。係の美容師も苦笑いだ。いいですよ。どうぞお先にと言わざるをえない。どーもすみませーん、と言う声をあとにじかんをつぶしに外へでた。しかたがないので星乃珈琲店へいった。あんがい味が苦くてオレはスキだ。パチンコ屋と駐車場が共有でギャンブル好きの客もくる。負けたひとはだいたいわかる。元気ないもの。そんなにチカラを落とすならパチンコはやめろよな。


○月○日

 日曜日一晩考えてみた。いまは月曜日の朝だ。結局いい考えは浮かんでこなかった。こういうときの自分の頭脳はどうなっているのだろうか。回転がすこぶる悪い。中古車の始動セルが回らないのとよく似ている。ちょっとむずかしい問題はいつもあとまわしになる。ガールフレンドはいまとんでもなく忙しい。なぜなら卒業後の就職先を選ばなくてはならない。だから、オレたちの来週のデートの行く先なんてどうでもいいカテゴリーにはいる。こっちはどうでもよくないがデートは相手が必要だ。だからお相手があとまわしあとまわしといってるからあとまわしになる。めんどうくさい。デートの日がきまっていないのにその交通手段の連絡ををさらにLINEで電話をかけようがインスタで電話をかけようがどちゃでもいいことだよな。相手にとっても自分にとっても。そんなことを一晩中考えているなんてどうかしていると自分で自分をほんとにバカだとおもった。


  ○月○日

 昨夜から雨が降っている。やみそうもない雨。傘をさして裏木戸を通り西側の増水した川をみる。長く住んでいるのに川の名前は知らなかった。

先日まわってきた回覧板で彷僧川だとようやくわかった。僧が彷徨うのか。おそろしい名前の川だとおもった。上流に水源などはなくいつも少量のもうしわけ程度の水が流れているがひとたび大雨が降ると急速に水位が上昇していまにも氾濫しそうになるがなぜか水は溢れない。溢れそうになって溢れない。溢れそうになってぴたりと止まる。誰かが災いをとめているようにしかおもえない。ふしぎな川だ。このごろ眠るまえにいろいろ考えるのがクセになった。なにか想像もつかぬおおきな手が人の行く先を左右していることがこの世にはきっとあるのだろうなと考えている間に夜の底に引きずり込まれていった。            

               




                (tsuduku)

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