第04章『自己肯定感』

第10話

 四月二十四日、水曜日。

 眠気の漂う午後二時、京香は工場の第二会議室に居た。


「さて。それじゃあ、新商品の会議を始めましょうか」


 商品開発部のプロジェクトとしてはこれまで、京香の方針でいい加減な進行だった。だが、夏までに仕上げるよう本社からの圧を受けている。そろそろ真面目に向き合わなければいけないと、重い腰を上げたのであった。

 京香は上座からテーブルを見渡した。十人ほどが座れる空間には、第一開発課の課長でる三上凉をはじめ課員数名――京香は嫌だったが、凉が会議の見学として連れてきた新入社員の両川昭子が、隅でソワソワしている――そして、生産技術部と生産管理課の姿もあった。


「その前に……どうして『これ』がここに居るの?」


 京香の右隣には凉が座っている。左隣に座る、オリーブベージュの耳出しショートヘアの女性に半眼を向けた。


「いやー。会議するって、ちょっと小耳に挟みまして。やっぱり、消費者に一番近い営業部も、この場にはマストじゃないですか?」


 京香の妹である妙泉円香は、にこやかに答えた。社員の前であるため、たとえ姉であろうと敬語だ。

 本来であれば、このような会議には確かに営業部の意見も必要だ。だが、円香を避けるため、京香は工場内で内密に進めていた。

 どのように漏れたのか、もしくは誰かが意図的に漏らしたのか、わからない。何にせよ、今から追い返すこともできず、受け入れるしかなかった。

 昭子と円香。苦手な人物ふたりを加えることになり、京香は頭が痛かった。凉が小さく苦笑していた。


「まずは、おさらいです。今ウチで進めているのが、スティックケーキ。化粧箱の都合で、五本入りと十本入りの販売を考えてます。十本入りの方は二本ずつとして……五種類のフレーバーが必要になります」


 凉が会議を進める。

 商品開発部としては現状、既存商品のリニューアルとフレーバーの追加が主な業務となっていた。とはいえ、それだけでは消費者が離れてしまうので、ある周期で新商品は必ず市場に出さなければならない。京香が部長に就いてからはその周期が伸び、本社からこうして突かれていた。

 年明けから新規プロジェクトとして進め、ひとまず決定したのが、スティックケーキという概要だった。手のひらサイズの、棒状の菓子だ。ボストンケーキを基調とし、日持ちするよう加工され、ひとつずつビニールで包装される。


 同名の商品は、既にいくつかの他社から市場に出回っている。しかし、どれもケーキとは名ばかりで、実際はただの焼き菓子――フィナンシェに近いものばかりだった。

 世の中で、ケーキの定義は曖昧だった。ある者は特定の原材料を配合したものと唱え、海外のある地域では焼き菓子全般がケーキと呼ばれている。その意味では、他社製品の呼称は間違っていない。

 妙泉製菓としても、無理に定義づけることはしなかった。ただ、この国でケーキとして馴染まれているもの――ケーキ屋が販売しているような『一般的なケーキ』を手軽に食べられることを、コンセプトにした。あくまでも『ケーキらしさ』にこだわった。技術面ではとても優れていると、京香は思っていた。


 生産技術部から、プレーンのプロトタイプは完成している。本社に稟議を提出し、この段階までは採決されている状態だった。

 原材料の仕入れから、生産コストが想定より大幅に上振れないこと。他のラインに支障無く、現実的に量産が可能であること。そして何より、消費者に気に入られること。あとは、それらを踏まえて五種類のフレーバーを考えるだけだが――最も面倒な工程だった。本社の稟議採決も、難しくなる。


「とりあえず、チョコと抹茶とチーズは暫定で決まってます。残りふたつを、どうするか……ですね」


 凉が、最後は間伸びた口調でひとまず締めた。


「もういっそ……三本、六本、九本入りでよくない?」

「三本入りだと、流通面でコストが割に合いませんよ。そもそも、よっぽど大それたものじゃないと三つ入りは売れません。よって、五本単位で考えてください、京香部長」


 京香は早々に諦めて円香に訊ねるが、否定された。

 妙泉製菓の商品はどれも主に、ギフト菓子として卸されている。確かに、手土産や菓子折りとして三本入りは選ばれにくいと思った。


「はい! ケーキといえばイチゴです!」


 昭子が手を挙げ、元気に意見する。

 新入社員の見学として、普通は大人しくしていると京香は思う。爪痕を残したいのだろうか。何にせよ、空気の読めない人間だと感じた。


「両川さん……イチゴのフレーバーって、具体的にはどんな感じ? 他のサンプル、見たことあるよね?」


 凉も流せばいいのにどうして拾うのだろうと、京香は心中で溜め息をついた。新入社員の教育として間違っていないが、見当違いの意見は話が広がらない。いや、そもそも昭子は見当違いとすら認識していないのだと、改めて呆れた。


「そうですねぇ。イチゴの果肉をクリームに混ぜるのは、どうでしょう?」


 一般的なイチゴのショートケーキを再現するならばそれが無難だと、京香は思う。

 しかし、既に案として上がっている三つと比較すれば、ふたつの点で現実的ではない。


「チョコと抹茶とチーズは、生地とクリームに練り込んでる『味』なのよ。イチゴそのものじゃなくて『イチゴ味』で考えないといけないわけ。それに、果肉となればコストかかるし、賞味期限あしも早くなるし、他から浮いてしまうわ」


 苛立ちを抑え、京香自らが否定した。

 明るい様子だった昭子が、しゅんと項垂れる。京香は少し気が晴れた。


「さらに付け加えると『イチゴ味のケーキ』って、消費者が思ってるものと超かけ離れてるというか……これじゃない、ってなるんだよね。スティックケーキは所詮パチモンだけど、イチゴに限っては、なんていうか許されるラインを超えてる感じ」


 円香に悪意が無いにしろ、営業目線で追い打ちをかけた。

 消費者の需要は最高の説得材料になると、京香は思う。よく言ってくれたと、この時ばかりは褒め称えたい気持ちだった。


「けど、まあ……チョコも抹茶もチーズも、オーソドックスなのは出尽くしたし……残りは果物でしょ」


 凉がぽつりと漏らす。

 昭子を擁護するというより、あくまでも個人の意見として京香は聞こえた。そして、ひとまずの括りとしては悪くないと思った。他の者もそうなのか、誰も異論を唱えなかった。


「果物って、例えば何ですか?」

「うーん……柑橘系? レモンかオレンジで。そのへん、消費者のギャップはどうですか?」


 京香の問いに凉は答え、円香に視線を向けた。


「どっちも、あんまり大きくないと思います。オレンジケーキの方は果肉練り込んでますけど、言うてパウンドケーキですからね。『オレンジ味』で問題無いかと」

「五種類で考えた場合のバランスも、良いんじゃないでしょうか。ひとつぐらいはサッパリしたやつ、欲しくありません?」


 京香も便乗するかたちで、賛成した。

 周りを見渡すと、皆が頷いていた。これにも異論は無く、どちらかに決定する流れとなった。

 ふと、試作を担当する栄養管理士の顔が、頭に浮かんだ。


「とりあえず、試作してから決めましょうか」

「そうですね。言い出しっぺの私としても、実物の味を確かめたいです」


 このように明確な指示を知っている以上、進捗の確認として小柴瑠璃に接触しても怪しまれない。部長として初めて『理由』が生まれ、京香は嬉しかった。


「さて……それじゃあ、残りひとつね」


 なんとかリーチまで漕ぎ着けた。

 しかし、その後一時間話し合っても、最後のひとつはかたちすら定まらなかった。


「もう無難なやつ四つ固まってるんで……ひとつぐらいは攻めたやつがあってもいいと思いますけど」

「ちょっと。ここで変に攻めたら、バランス崩れるでしょ。ていうか、そんなこと言われたら余計にややっこしくなるわよ」


 方向性を変えようとする円香に、京香は睨んだ。円香は苦笑した。

 確かに、奇抜なものをひとつ混ぜると、話題にはなるだろう。しかし、その先『どちら』に転ぶのかは、見当がつかない。

 それに、折角の技術を長く親しんで貰える商品として、企画している。

 やはり、危ない橋を渡って勝負に出るのは避けたいと、京香は思った。加点ではなく、減点の方式で考えるべきだ。

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