第3話 月夜に染まる

 「ツクヨ・イザナ先生、ご無沙汰しております、美術商のヒイラギです。前回お話ししていた月華草を持って参りました。」

 

 初夏の日差しが降り注ぎ、新緑がより鮮やかに彩る木漏れ日の中、いつもの通り作品制作の一環で、なめした革や骨を整形している時に、彼は突然やってきた。何か包みを持ちながら話すその声は弾んでいた。

 私の家は森の奥にある。鹿や鳥達ならともかく、人間が訪ねてくるのは珍しかった。

 けれど、彼のその表情や名前には、うっすらと覚えがあった。私と以前、「約束」をした人間だ。


 「じゃあ、早速それを見せてもらおうかな。ヒイラギ君。」


 私は笑顔で扉を開き、彼を家の中に招いた。

 ヒイラギ君が机に持っていた包みを広げる。すると彼のいう通り、月華草が一つそこにはあった。サルード山とここでは環境が違うので本来は萎れてしまうはずなのだけれど、その花は私がよくする方法で保存されており、形が綺麗に保たれていた。


 「わぁ、本当に月華草だね。すごいなぁ。これ、とってくるの結構大変だったんじゃない?」


 「ええ、まぁ…」


 ヒイラギ君は少し困ったように微笑んでいた。でもまさか本当に約束を守って持ってくるなんて。面白い人間だなぁ。

 

 「…うん。じゃあ私も約束守らなきゃだ。だよね?」

 

 「!では、うちの画廊での展示販売の許可をくださるのですね…!」


 もし彼に犬の尻尾が生えていたなら、きっと千切れるほどに振りたくってるに違いない。そんな表情を彼はしていた。

 

 「ふふ…うん。いいよ。君がこれからも私の代わりに作品に使う花や虫や動物を取ってきてくれるのなら、とても助かるしねぇ。」


 「え?これからもって…それに動物…?」


 「そうだよ。そういう『約束』なはずさ。君は私の代わりに『作品の題材となる生き物を持ってくる手伝いをする』んだ。そうしてくれる限りは、私も君に『大事な作品を預ける』。違ったかな?」


 「え、いや…その…」


 なぜか、彼は硬直したあと、狼狽え始めた。その様子も面白かったので、私はただ黙って眺めていた。彼はしばし沈黙したあと、ようやく口を開いた。


 「そ、その…なぜ、そこまで…モチーフの生き物を、材料にすることにこだわるのでしょうか…?」


 「んー?うーん…まぁそうだなぁ…」


 予想外というか、作る上で当たり前になっていたところからの質問で、私は少し言葉に困った。


「…私は生き物が好きなんだけどね。ほら、生き物ってさ、すぐ死んじゃうじゃない?そんで形もそのうち風化しちゃって、なくなっちゃうでしょ?」 


 私は話しながら、さっきまで作っていた作品の一部…なめした革や、乾かした内臓や骨、血で作った顔料…作品として組み上げる前の黒猫のティルに触れた。


 「でも、こうやって加工して、作品として残せば、千年先でもこの子の命を忘れないし…まだここにいるって感じられる気がしない?死んでるけど、なくなってはないみたいなさ…わかるかな?」


 熱があり、心臓が動き、引っ掻いたり鳴いたりしていた頃と違う形になっても、この子や他の子への想いは何も変わらない。たとえ生き物としての生命活動が終わっていたのだとしても、私の中で朽ちさせない。毛並みも目玉も骨も血肉も、全て生かしたまま、ずっと残して、愛したい。


 「……なる、ほど…」

  

 目の前の彼はそう言ったあと、口を一文字に結んで黙ってしまった。彼の目は金魚のようにあちらこちらにゆらゆらと揺れている。このあと彼はどうするのだろうか?私の作品が好きで、そのためにここまで来た彼は、私の「約束」を受けるのか、それとも嫌になって辞めるのか。その時は笑うのか、泣くのか、はたまた怒るのか。ただただ、今はもっと彼の「反応」が見たいと思った。どんな感情であれ、それは見ていて愛らしく、面白いから。


 「…そういえば…君って私の作品は『羽化』しか知らないんだっけ?そんなに好きなのにそれしか知らないのも、なんだか変だよね。せっかくだから…君にだけ特別に見せてあげよう。おいで」


 私は作品の保管庫に手招いた。中にはこれまで作ってきた、多種多様な生き物の作品がある。

 彼は黙ったまま、大人しく私のあとをついてきて、あの子達を見た。



 

 その時の「反応」は、語るまでもない。

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月夜に染まる 月餠 @marimogorilla1998

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